R-15 刺青精霊紀行 寿産院跡(東京都新宿区市谷柳町27番地)
身体に死者の記録を刻んだ人ならざる少女は、死地を巡る。
「ここには何もない。でも、私はここに来てしまった」
①都営地下鉄牛込柳町駅。寿産院まで数分の場所にある。
②かつての寿産院。当時の姿を幻視。
③寿産院跡地至近。なんの痕跡もない。
昭和23年(1948)、新宿区の助産院『寿産院』において乳児の大量殺人が発覚した。主犯は助産婦で、養育料の横領や養育に係わる配給の横流しで大金を稼いでいた。
主に未婚の男女の間に生まれ育てることができない私生児を預かって養育し、子供を欲しがる者に斡旋する特殊産院が『寿産院』だった。その真の姿は人身売買であり、売れ残った乳児の大半を栄養失調で死亡させ、一部は冬期に保温せずに凍死させていた。泣き声がうるさいという理由で直接手を下して殺したという証言もある。
寿産院内には40人以上の遺骨が放置されていた。消えた乳児は169人という説が有力だ。名乗り出る親は少なく、全員の行方は把握できなかった。警察は死亡84人、行方不明85人とし、検察は27人の死亡で起訴した。
判決では、22人の殺害容疑は証拠不十分で無罪とし、5人についてのみ栄養失調で殺害した不作為犯(手は下さないが死ぬとわかっていて放置した)と認定。主犯の助産婦は、懲役4年の判決を受けた。犯人は、出獄後不動産業で成功。1987年に91歳で死亡した。...more
寿産院から数分の距離に新選組『試衛館』の跡地があり、小さな記念碑が建っている。しかし、おそらくは100人を超える大量殺人が行われた現場には、慰霊碑のひとつすらない。現場は変哲のない都心のマンション地区になっていた。これには、「産院に同情した」「大多数はモテ余して預ける」(菊池寛賞を受賞した徳川夢声)という声に典型的に表れる『不義の子』の命の価値は低いという意識。そして、敗戦の混乱時の穢れた出来事を忘れたいという人々の意思を感じさせるのだ。

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