今年も来年も…… 盧笙が呼んでくれたタクシーに乗り込み、再びメッセージアプリを開く。
そこに記されている名前を再度確認すると、自然と笑みが零れた。
先ほど簓に口に突っ込まれたチョコレートのプレートみたいになんだか甘ったるい。
「おっちゃん、シンオオサカまで頼むわ」
日曜日のこの時間にわざわざオオサカまで来てくれたかわいいあの子に、どんな美味しい物を食べさせてあげようかと、バックシートに身体を預け目を閉じながら馴染みの店を幾つかリストアップした。
駅に着き、彼がいるコーヒーショップへ向かう。
窓側のスタンド席に座り、タブレットを見ながらコーヒーを飲んでいる彼の姿をみつけ近寄ると、店の外からガラスをコンコンと叩いてみる。
訝しむように顔を上げたあの子は、俺の姿を認めると不機嫌そうに眉間に一本皺を寄せた。
想像した通りの反応が返って来て、逆に面白くなる。いや、今は何が起こっても笑っていられる気がする。それ位に今の俺は機嫌が良かった。
それは今、鏡越しに見えるタブレットをカバンの中に仕舞い、残ったコーヒーを飲み干している彼のお蔭なのだが。
「先生、何食べたい?」
「いや、食って来たからいらん。あんたも……その様子じゃ飲んでたんだろ?良かったのか?」
「良いの、良いの。あいつら、可愛い子ちゃんが来てくれたって言ったら喜んで送り出してくれたぜ」
「だぁれが可愛い子ちゃんだ。……あんた、俺の事チームメンバーに言ってんのか?」
「落としたい可愛い子ちゃんがいるとは言ってるなぁ」
「……」
一瞬複雑な表情を見せた後、無言でローキックをキメられたが、子猫の戯れみたいなものだ。ニヤニヤしていたら、更に強い力で脇に肘打ちを食らわされた。
「で、どうする?メシ食わねぇんならどっか飲み行く?」
「……いや、明日仕事だからやめとく」
「え、もしかして先生帰っちゃうの?!最終の新幹線までもう時間ないけど」
せっかく先生に会えたって言うのに一瞬の逢瀬で終わってしまう事が残念で、先ほどまで高揚していた気分が一気に下がってしまう。
慌てる俺の様子が面白かったのか、彼は普段つり気味の眉を下げ柔らかく微笑んだ。
「落ち着けって。帰らねぇよ。明日の夕方こっちで打ち合わせなんだわ」
それを聞いて安堵の息を吐き出した俺の胸元をぐっと引き寄せた彼が、耳元で囁く。
『それよりも、ホテル行こうぜ。誕生日プレゼントやるよ』
胸元から手を離し悪戯っぽい表情でこちらを見上げる彼の顔を見て、俺はごくりと生唾を飲みこむと、オオサカでも最上級のホテルを押さえるべくスマホを手に取った。
◇
「獄ちゃん、明日何時に打ち合わせ?帰るまでに時間あんならメシ食おうぜ」
そう言って俺は、彼の裸の背中に口づける。日焼けしていない白い肌は、今はほんのり赤みが差し、汗で湿っている。
文字通り、彼から最高の誕生日プレゼントを頂いた俺は、仕事がある彼を寝かせてあげなくてはと思いつつも、なかなかこの少し気怠くて最高に幸せな時間を手放せずにいた。
半分睡魔に捕らわれてぼんやりしている彼は、そのちょっかいに擽ったそうにしながら寝返りを打つと、俺の胸元に顔を埋めてきた。
「16時。だいたい1時間もありゃ終わる」
「じゃ、それまでフリー?」
「たぁけ。打ち合わせ前に資料確認せにゃならん。後、行きたいとこがある」
「行きたいとこ?どこ行くの?」
「……アメ村」
意外な場所が彼の口から出てきて、俺は一瞬きょとんとしてしまう。
彼が行きたいと言う場所はどちらかと言えば若者が集う街だ。パリッとスーツを決めた彼が出向くのには若干違和感を覚える。チームメイトの若者たちに何かを頼まれたのだろうか?
「あんたも、時間あるなら……付き合え」
それだけ言うと、彼は小さな寝息を立て始めた。
元々今日は簓たちと飲む事になっていたから、明日……既に今日だが、予定は何も入れていない。
目的がチームメートのお使いだろうがなんだろうが、思いもよらず出来た彼とのデートの時間だ。
「おいちゃん、獄ちゃんとだったらどこへでもお供するぜ」
もう既に夢の中に旅立っている彼の額に口づけを落とすと、自分より少し小さいその体を抱き込むようにして瞳を閉じた。
「え?俺の!?」
翌日、彼の行きたいと言う場所へ連れて来られた俺は、思ってもいなかった展開に驚きの声を上げる。
「やっぱりこれが一番似合ってんな」
アメリカ村にあるとある古着屋。彼がナゴヤでたまに行く店の姉妹店らしいが、そこで俺はライダースジャケットの試着をさせられている。
いくつか試着したうち、最後に試着したそれを前から後ろからと確認した彼は、満足そうに肯いた後店員に会計を頼んだ。
「ちょっと、獄ちゃん!おいちゃん、状況が全く読めないんだけどよ」
財布からカードを取り出す彼のその手を止めさせた俺は、慌てて説明を求める。すると彼からはシンプルな一言が返って来た。
「誕生日プレゼントだよ」
「プレゼントって、昨日十分すぎる程貰ったぜ?」
「たあけ、あんなんオプションだわ」
オプションと彼は言うが、俺にとっては、わざわざナゴヤからオオサカまで出向いてくれた上、大切な時間を共に過ごしてくれた事が何よりも最高のプレゼントだ。
「オプションって、俺にとって獄ちゃん以上のプレゼントなんて他にはないぜ?」
「馬鹿、黙れ」
慌てて俺の口を塞いだ彼は、きょろきょろと周りを見渡している。
幸い他に客はいないようだし、店員は精算するため少し離れたレジにいる。
彼はホッと息を吐き出すと、キッとこちらを睨み付けてきた。
「声がでけぇんだ、馬鹿」
「だって、獄ちゃん。自分の価値がわかってねぇんだもんよ」
「知っとるわ。俺は極上品だからな」
彼はそう言うと、ふふんと自信ありげに笑って見せる。他の男がこんな事を言おうものなら、世間知らずの若造がと鼻で笑っていたところだが、実際目の前にいる彼は惚れた欲目を抜きにしても容姿、実力ともに一級品だ。己の事を極上品と名乗っても全く不遜ではないのである。
今まで努力して培って来たものを、謙遜する事無く自信を持って周りにアピールする彼の姿勢は自分も気に入っているところだ。改めてそんな彼が好きだなぁと思うと、口角が自ずと上がってしまう。
ニヤニヤする俺を見て馬鹿にされてると思ったのだろう彼は、チッと小さく舌打ちするとそっぽを向き口を開いた。
「俺が、こいつを着てるあんたを見たかったんだよ」
「ん?」
「あっちの店でこいつに似たデザインの奴見た時に、あんたに似合うなと思ったんだ。だが、サイズが小さくてな」
あんた、無駄にでけぇからなと可愛くない事を言っているが、耳の先がほんのり赤く染まっている事に本人は気付いているだろうか。
「そしたら、そこの店員が、こっちの店に大きいサイズの良く似たデザインの奴があるって教えてくれてよ」
「わざわざ調べてくれたんだ」
「……そうだよ」
小さく小さく呟かれた言葉をちゃんと捉えた俺は、人前だが構わず彼を抱きしめたくなった。だが、実際それをやると当分会ってもらえなくなるから我慢する。
「おいちゃん感動し過ぎて、今すぐ獄ちゃん攫っちまいてぇんだが」
「やめろ。仕事だ」
彼は背けていた顔を戻し、俺に向き合うとライダースを着た俺の左胸に人差し指を当てた。
「今度これ着て、ツーリング行こうぜ」
「行く、行く!え、いつ行く?」
「来年のあんたの誕生日……」
「来年?」
「おう。休み取るから、バイク乗って温泉行こうぜ」
獄ちゃんからの誘いを俺が断る訳ないのに。法廷に立つ時のように自信満々に発せられる言葉とは裏腹に、そのエメラルドグリーンの瞳には断られるのではないかと言う少しの不安が覗いている。
俺としてはいつでも、なんなら明日からでも、予定があろうが全部キャンセルして彼と旅に出たって良いのだが、これを口実に来年の俺の誕生日の予定を取りつけようとしている彼が可愛くて、そして来年も一緒にいてくれようとしてくれているその気持ちが嬉しくて、素直に返事を返してしまう。
「早く来年になんねぇかなぁ」
「歳とると時間経つの早ぇから、あんたはあっという間だろ」
「獄ちゃんも、そのうちおいちゃんの事笑えなくなるぜ?」
精算を済ませタグを切って貰うと、貰ったばかりのライダースを羽織って店を出る。
「あんたの私服的に、ライダースは合わねぇはずなんだが……なんかいい感じに着こなして見えんの腹立つな」
「ん?惚れ直したって?」
「……たぁけ」
返事に少し間があった気がするし、なんならほんのり顔が赤い気がするが突っ込まないでおく。
俺の可愛い子ちゃんは恥ずかしがり屋なので、一度機嫌を損ねると大変なのだ。
「獄ちゃん、お昼何食べたい?」
「任せる」
「オーケー。おいちゃんに任せときな」
この幸せな誕生日のお礼に、彼にオオサカの美味しい物をたくさん食って貰いたい。
俺は頭の中でこの辺りの美味い物リストを広げると、彼を誘いミナミの街へと歩き出した。