いりたまごがさいている帝国図書館の中庭はいつの間にか草木や花が増えているときがある。これはスタッフが持ってきたり文豪が持ってきたりしていた。中庭を管理している室生犀星はたまに頭を抱えながらも場所を決めて庭を整えてくれる。
「いり卵。ニラ玉。卵とホウレンソウの炒め物」
「空腹ですか?」
中庭にてボードレールは不機嫌そうに言う。
隣にはゲーテがいた。
「モッコウバラのことだ。皆、好きなあだ名をつける」
モッコウバラは黄色い花をつける中国産の薔薇だ。しかし他の文豪たちはいり卵とか好きに呼ぶ。
「南吉君が、ここから見下ろす窓のガラスにいり卵がいっぱい咲いていたわ。あらいりたまごをごぞんじないの? あそこのあの花よ。にらたまでもいりたまごでもいいのよ。何て言っていましたね」
「僕も聞いたことがあるが、それは別れる男に、花の名を一つは教えておけばいい。花は毎年必ず咲く、なんて続いていなかったか?」
「そうです。よく覚えていましたね。徳田さんと川端さんが笑っていましたが」
そもそも、花の名前はモッコウバラなのだが、炒り卵で通されている。
「別れる男にいり卵と教えておくのか」
「花の名前を一つは、なのでそうでなくてもいいかと」
確かに、とボードレールは考えて、
「お前ならば、野ばらか」
「貴方もでしょうか。薔薇ですね」
言いあいつつ、
「僕は別れるつもりはないが」
「私もそのつもりですよ」
「いり卵が食べたくなった」
「食べましょうか」
「このモッコウバラは僕が貰ってきたんだ」
「知っていますよ」
かつて知り合った老婦人からボードレールは猫やモッコウバラや薔薇の花を貰った。老婦人はもういない。
「いり卵呼ばわりされて喜んでいるのか」
「皆が花を見ることは素晴らしいことです」
モッコウバラは今年も咲いている。
「花より食い気になっているが」
「いいではないですか。美食も大事ですよ」
受け継いだものも、大事なものも、ここにある。