笹の葉セレナーデ ちりちりん、と、窓際の風鈴が涼やかな音色を立てて、揺れる。
梅雨も明け切らぬ夏。七月に入って少し経つが、ここのところ雨続きで気温があがることもなく。少し気が早いような気もしたが、きれいだから、と同居人が持ち込んでうきうきと風鈴を設置する様子を、家主の工藤新一はただただ黙って見守っていたのが数日前のこと。
「ただいまー」
玄関から通り抜けた風が風鈴を鳴らすのとほぼ同時、がさがさ音を立てながら同居人──もとい、恋人の黒羽快斗の声がきこえて、しばらくすると自分のいる居間へと姿を現した。
「おかえり……って、なんだそりゃあ?」
読書を中断して手元の本から顔をあげると、目の前に青々とした竹笹が迫る。その向こう側にある快斗の顔が、ニッと笑顔になり。
「おみやげ。へへっ、雰囲気でるだろー?」
今日七夕だし。と、鼻歌を奏でながら鮮やかな手さばきで飾り付けをしていった。笹の葉さらさら、そういえば、今日は七月七日だったか。
「ってか、どこ行ってたんだ?」
今朝、快斗はベッドから抜け出すとさっさと支度をして、仕事だと言って出て行った。マジシャンという職業柄、世間一般でいう休日に仕事をしていることは珍しくもないのだが、ちょっと気になって検索をしても、彼のステージ情報はどこにもなかったのである。
「保育園。隣にある児童館と合同の夏祭りのイベントがあるから、手品を披露してくれないかって頼まれてさ」
園長や館長と知り合いなのだと、快斗は言う。
おそらく格安で引き受けたのだろうことは容易に想像できた。かつて世紀の大怪盗と謳われた、月下の奇術師・怪盗キッドは、あのころと変わらず、報酬よりも、披露する場を、相手を、何より大事にする。そういう男なのだ。
「お礼にって、園児たちが作った飾りをいっぱいもらってさ」
ほら、と、長方形に切り取られた、ひも付きの画用紙を手渡される。短冊。ねがいごとをかくもの。
「いいって、オレはべつに……」
「信じてねえの?」
「そもそも、日本だけの風習だろ、七夕に願い事するのは。オメーだってそれくらい知──」
「すとーっぷ。そこまでだぜ名探偵。オレにお前の蘊蓄を聞かせるのは無しな。ったく、ガキの頃はあーんなに可愛げがあったのによぉ」
こちらの言葉を無理矢理中断させた、唇に添えられた指が離れていく。わざとらしくため息を吐いている芝居がかった仕草に、素とは少し違う昔のこいつを重ねてしまう。
「……うそつけ」
可愛げがあったなんて、思ってもいないくせに。むしろ、その逆だろう、逆。
「ばれた?」
いたずらっぽい笑顔で舌を出す。そのままキスしてやろうかとも思ったが、それだけでは済まない事態になりかねないのでやめておく。まだ日も暮れていないのだ。まずいだろう、さすがに。
「っていうか、オレには願掛けなんて必要ねえの。願い事なんてのは、とっくに叶ってるんだからな」
「へえ。どんな願いが叶ったんだ?」
意外そうな顔をして、快斗が顔をのぞきこんでくる。願い事なんてないと言うとでも思っていたのだろうか。
「…………怪盗キッドを、この手で捕まえる」
相手を射抜くような視線で快斗を見ると、一瞬ぎょっとした顔をしてから半眼になって。
「いつ名探偵がキッドを捕まえたってんだ。聞いたことないぜ、そんな話」
と、あくまで第三者視点を貫くつもりなのか、不機嫌そうに否定した。怪盗キッドは逮捕されていない。まあ、それはおおむね事実だ。だが、
「捕らえただろ」
言いながら、すぐそばにいる快斗の手首を掴む。
「オメーの心は、もうオレのもんなんだからよ」
前言撤回。
日没前だろうが関係ない。したいからする。そんな身勝手なことを考えて、快斗に唇を寄せる。
逃げられるかとも思ったが、そのまま半開きの唇をとらえて、食むように口づけて、掴んだ腕を引けばこちらにもたれてきて。
「なんだよ。やっぱりあるんじゃねーか、願い事」
顔を真っ赤にした快斗が、ぼやくように呟く。
「へー、なんて?」
何を言わんとしているかはわかっている。にやつきそうになるのを抑えながらわざと訊けば、快斗は耳元で『新一のねがいごと』を囁いた。
とてもじゃないが短冊になんて書けないそれはまさしく名答で。
おほしさまじゃない。それをかなえられるのはお前だけなんだぜ、と返すほかなかった。