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    名塚@natsuka0331

    @natsuka0331
    魔道祖師とさはんの落書き

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    名塚@natsuka0331

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    ふんわりマフィアAU忘羨 ビルが爆発します!よろしくお願いします!!
    魏無羨/藍忘機/江澄/聶懐桑/藍曦臣ほか江氏の皆さん
    ※名無しのモブおじさんがいます!!!手を握られる描写があります注意※

    お題お借りしました!
    ジャンル hurt/confort 怪我・病気したキャラを別のキャラが慰める
    AU マフィアAU
    thing book 本
    フレーズ Let me go「行かせてくれ」

    #魔道祖師
    GrandmasterOfDemonicCultivation
    #忘羨
    WangXian
    #マフィアAU
    mafiaAu

    ふんわりマフィアAU  一


    魏無羨は雲夢一帯を取り仕切る江家の跡取り、江澄の片腕である。
    しかし、その姿は厳重に隠されている。本来であれば、影に日向に忙しく立ち回るはずの魏無羨は、ほとんどの時間を江家の敷地内、それも限られた区画で過ごす。
    魏無羨は、あまりに人を惹きつける。
    幼少期にはやんちゃな振る舞いに隠れていた美貌が、黙ってじっとすることを覚えた少年期のおわりごろからは、否応なく衆人の目にさらされた。
    大学を卒業し、江家の生業を手伝い始めたころ。雑用で毎日外を駆け回る魏無羨は、元々顔見知りも多く、何の問題もなく仕事をこなしていた。ところがしばらくすると、魏無羨の出自を理解しているはずの多くの人間が、身を滅ぼしてでも魏無羨を手に入れようと暴走を始めたのである。
    何人もの女が誘惑しては失敗し、諦めきれない者は薬を盛ろうとし、また刃物で迫り、魏無羨が断り続ければ絶望して自ら命を絶つものまで出た。
    何人もの男もまた、金や権力で屈服させようと近づき、あるいは力ずくで手籠めにしようと襲い掛かった。
    魏無羨は普通以上に腕の立つ若者で、この件で怪我をしたり体を汚されることはなかったが、彼自身が普段通りにふるまっているだけでこの有様だったために、ほとほと嫌になってしまった。
    江夫妻は魏無羨の身を案じ、また縄張り内でいらぬ厄介ごとを引き起こさぬように、魏無羨を隠しておくしかなくなった。
    どうしても出かける用のある時は護衛をたっぷりとつけ、魏無羨自身が対処せずとも済むようにしていたが、相手も江家の魏無羨を手に入れようと生半可な準備では来ないために、いくら護衛をつけても割に合わなくなってきた。
    魏無羨は、大学時代の知り合いだという藍忘機に連絡をとり、自分の護衛をしてくれるように頼んだ。共通の知人である江澄は「そんなことできるわけがない」と嗤ったが、あにはからんや。姑蘇を支配する大マフィア、藍家の次男坊は二つ返事で江家の扉を叩いた。
    姑蘇藍氏の正当血統であり、人並外れて優秀な藍忘機が、敵対しているわけではないがさほど縁があるとも言えない江家の、しかも跡取りの部下でしかない男につくことを、なぜ承諾したのか。本人は何とも言わず、姑蘇にいる兄からは「本人が希望している」とだけ伝えられた。
    こうして魏無羨は、だれもが一目でひるむほどの美しさと威圧感を放つ、一騎当千の満足な護衛を得たのである。

    「なあ藍湛、またそれ読んでるの」
    藍忘機は手に持った本から目を離さない。特に返事が必要なことではないと判断したようだ。
    「おい、無視するなよな」
    魏無羨は藍忘機のカッターシャツの襟を軽く引っ張り、不満げな声を上げる。藍忘機はようやく本から視線を上げ、魏無羨を見た。
    「仕事はどうした」
    「飽きちゃった。五分だけ休憩」
    魏無羨は集中力にムラがある。十時間も飲まず食わずでPCに向かう時もあれば、数分に一度立ち上がってあたりを歩き回らなければいけない時もあった。今日はわりに常識的な様子で、二時間ほど紙の書類を相手にしていた。
    藍忘機は魏無羨のお目付け役ではないから、仕事を急かしたりはしないが、魏無羨が時々ちょっかいをかけてくるのをそのまま構ってやるわけでもない。魏無羨は彼に素っ気なくされるのは慣れっこだから、数秒の視線が帰ってきただけでも満足した。
    藍忘機の隣にぼすっと腰を落とす。黒い皮張りのソファはひんやりして気持ちがよかった。少し体をずらして藍忘機に背中をあずけると、藍忘機は特に嫌がりもせず動かないままだ。
    藍忘機と毎日過ごすようになって一月ほど経つ。
    「肩がこった。揉んでくれない?」
    ねえ、と甘えるように言ってみる。
    無視。
    「藍公子」
    ページをめくる音。
    「藍二哥哥?」
    鼻にかかった声で呼んでも、顔色ひとつ変わらない。
    魏無羨は頬を膨らませて拗ねた。
    ずるずると倒れ込み、藍忘機の腿の上まで頭を落とす。ずっと藍忘機の表情をうかがっていたが、一度だけちらりと視線がきただけで、また何事もなかったかのように本を読みだした。
    何がそんなに面白いのかと、魏無羨は一度ならずその本を奪い取って中身を確認したことがある。どんな本をそれほど夢中になって読んでいるのかと思えば、なんと藍家の先祖が記した家訓だという。魏無羨は呆れ果てて、その後は遠慮なく本をむしり取って話しかけるようになった。 内容だってひどいものなのだ、何々をするべからず、するべからず。およそ人間の楽しみを根こそぎ奪うような内容にどれほど驚いたか。それも、藍忘機は内容を全て暗記し、その通りに自らの行いを律しているという。江家も数百年続く侠客で、「べからず」がないわけではないが、秩序を守るための最低限のものだけだ。跡取り息子の江澄と兄弟同然にのびのび育った魏無羨には、若者を縛ろうとする気の毒なものとしか思えなかった。
    藍忘機がなぜか魏無羨の依頼にこたえて、ひと月たった。学生時代よりもずっと近い距離で、長い時間を過ごしている。
    が、どうして来てくれたの、という問いをどうしても口に出せずにいた。
    学生時代の腐れ縁である。両人とも人並外れた容姿をもち、成績優秀で、お互いに目立っていたから、魏無羨は最初から藍忘機に興味を持った。元々人懐こい性格なのである。話しかけたり、群れず一人でいる藍忘機と共同で課題をこなしたりするうち、次第に彼の真摯な人柄に惹かれていった。藍忘機は当初は戸惑っている様子だったが、しつこく声をかけられるうちに慣れたらしく、つかず離れずの距離で、ともかく拒絶されることはなかった。
    藍忘機が姑蘇の大マフィアの一族だと気が付いたのは、長期の休みに江家で話をしたからだ。名前は出さず、容姿と出身地を話題にしただけで、それは姑蘇藍氏の藍忘機ではないかということになってしまった。藍忘機の方も同様で、兄に大学の話をしていたら、どうやら雲夢江氏の跡取りとその兄弟分ではないかと察せられた。当人たちは知らなかったが、お互いに有名人だったのである。
    しかし、在学中にその話題を出すことはなかった。将来のために繋がりを作っておくべきかもしれなかったが、まだ彼とそんな話はしたくなかった。いつも一緒にいた江澄は藍忘機にさほど興味がなかったし、藍忘機の方もあえて家のことを持ち出してくるような人間でもなかった。そうして平和な学生生活はつつがなく、綺麗な思い出として残った。
    魏無羨は目の前に落ちてきそうな真っすぐな黒髪の先を指で梳く。学生時代は短く上品に整えられていた髪は、今は肩より少し長いくらいに揃えられていた。伸ばしている最中なのだという。藍家の有力者はみな長髪で、たなびく髪が権威の象徴でもあるらしい。
    「藍湛は長い髪もよく似合うな。すごく綺麗だ」
    口の端を上げて言うと、藍忘機は眉をわずかにひそめた。
    「なんだよ、言い方が悪かったか?」
    「違う」
    藍忘機は短くため息を吐いた。
    「君は普段からこうなのか?」
    「何? さぼりすぎってこと? そんなの一か月見てたらわかるだろ。その時によるよ」
    「違う。距離が近すぎる。大学の時はもっと……普通だっただろう」
    藍忘機は目を伏せる。
    「誰にでもこんなことをしていたなら、面倒事が起きるのも当然だ」
    「え」
    魏無羨はぽかんと口を開け、自らの行いを顧みた。
    自分の仕事部屋に二人きり。同じソファ。膝枕。髪に触れて……哥哥なんて呼んだ。ちなみに、防犯カメラは元気に稼働している。
    いつからこうだった? 藍忘機が護衛として来てからすぐの頃は違ったはずだ。
    魏無羨は己のうかつさに驚き、跳ね起きようとした……が、江家の矜持がぎりぎりのところで思いとどまらせた。みっともなく取り乱すな。そのままの姿勢でまじめな表情を作って言った。
    「藍湛、誤解だ。誓って他の人間にこんなこと、したことない」
    (ん?)
    首筋から顔に熱が上がっていく気がする。
    「待って、そうじゃない」
    思わず顔を覆う。俺は何を言ってるんだ。
    「そうじゃなくて……毎日一緒にいるから、なんか感覚が麻痺して……俺たち友達だろ? ふざけて膝枕くらいするよな? いや、ちょっと距離感間違えたっていうか……」
    「魏嬰」
    藍忘機が落ち着いた声で呼ぶ。
    「なんだよ」
    「きみはとても目立つし、だれでも君を好きになってしまう。たとえ友人が相手でも、もっと距離をとるべきだ」
    魏無羨はむっとして言った。
    「じゃあお前はどうして、その俺がくっついてきても逃げないんだよ。俺のせいにするな」
    今度こそ起き上がり、藍忘機の顔に近づいて言う。
    「距離をとるべき? だったらお前が自分で離れればいいだろ。俺は護衛を頼んだだけだ。他のことはお前の好きにしろ。何でも俺の言うこと聞けなんて言ってない」
    挑発するように顔を近づけていく。嫌なら退けばいいのだ。魏無羨は藍忘機の涼しい瞳を睨み付けてやった。
    「本当に俺が、今までの奴らに色目を使ったと思うのか? 」
    家業を継ぐ江澄の片腕として働くことは、幼い頃から決まっていたし、自分もそのことが誇らしかった。いざ始まるとなったときに、あんな災難に見舞われるとは思いもしない。
    「ボスも夫人も守ってくれたし、俺だって色々試した。みんなに相談してさ……顔を隠してみたり、お前みたいに無表情で冷たいキャラで通してみたり。まあ、全部無駄だったけど……」
    今までの徒労を思うとげんなりして、がっくりと肩を落とす。瞬間的に燃え上がった怒りはしぼんでしまった。
    「結局ここで缶詰めになるしかないなんて、ひどい話だよ。俺が何したっていうんだ。なあ藍湛、お前ずっと俺が……まあいい、他のやつに聞けばわかる。江澄でもいいし、本当に江家の人間ならわかってるからな。俺は本当に何もしてない、色目も使ってないし家族外の人間には全て平等に接してきた。……愛想は良い方だよ。だけどそれだけだ。言っとくけど誰にも指一本触れてないぞ。向こうが勝手に俺に執着しただけ。ほんと迷惑、俺だって表で活躍したいのに」
    ことん、と藍忘機の肩に頭を乗せた。
    「藍忘機、藍湛、お前も俺のこと好きになっちゃうのか? それってさ……」
    「5分経った」
    「ん?」
    「5分だけ休憩すると」
    「はぁ~~~~……わかったよ。まったく……」
    休んだ気がしない、とぶつぶつ言いながら、魏無羨は書類の束の元へ戻った。 



       二

    清談会。年に一度、各地の大家が集まる社交の場である。各年持ち回りで行われるこの会は、今回は江家の主催だった。
    藍家の次男である藍忘機も毎年出席はしているが、腹芸ができず、口下手でもあったので、いつも兄の藍曦臣から一歩下がったところで、影のように付き従うのが常だった。
    藍曦臣と藍忘機は瓜二つの顔立ちだが、兄は春のよう、弟は冬のような空気をまとっている。絵に描いたような美丈夫で、並び立つ姿は神々しさすら感じさせた。ついたあだ名は藍氏双璧、名の通りそろいの玉のような二人である。
    その双璧が、今年はそろっていない。藍曦臣が黒服どもを従えて一人で大広間に現れると、ざわざわとさざ波が広がった。藍家ご自慢の兄弟がそろわぬのか。
    藍曦臣が老人たちに恭しく挨拶をして回る。忘機はどうした。所用があり、外しておりますが後からまいります。
    尋ねられるのは弟のことばかりで、藍曦臣は愉快になった。忘機は自分では目立ちたがらないが、否応なく人目を引いてしまう。人と話す機会は自分の方が多いのに、実は耳目を集めて仕方がないのだ。この分では忘機が登場したら、ちょっとした騒ぎになるだろう……
    笑ってしまいそうになる顔をなんとか愛想の良い微笑みに整えながら、藍曦臣は待った。
    大広間にあらかたの人数がそろった頃、奥の扉から江夫妻が入ってきた。その後ろから、江澄、その姉江厭離、養子の魏無羨が続く。その場の人間が江家の面々に注目したとき、魏無羨の後ろから藍忘機が現れた。
    特大のどよめきが起き、江楓眠が苦笑する。
    「皆さん、ご静粛に。彼のことは後程ご紹介いたします」

    江家の応接室の一つで、魏無羨はくつろいでいた。大きな椅子に寝そべるようにだらしなく座り、藍忘機を見てはくすくすと笑う。
    「ほんと、最高だったな! 見たか? みんな見たこともないほど驚いてた!」
    久しぶりに人の集まるところに出た魏無羨は、日ごろの鬱屈を晴らせたとばかりに顔を輝かせて、江澄の配下としての慎みの範囲内で愛想を振りまいた。ただし、あまりに目立つとまた問題が起きるかもしれず、江夫妻の指示で早々に席を辞した。人の集まる今は自室に戻るのも後日の危険の種なので、招待客に割り当てられた部屋に紛れるように、目立たない場所の部屋をあてがわれている。他の部屋とは違い、魏無羨がいるこの部屋の中にはしっかりと防犯カメラが設置され、不届き者の闖入があれば即座に対応できるよう常時監視されている。
    藍忘機は老人たちの質問攻めを受ける前に退散できたことでほっとしたようだ。少し気疲れを見せて、部屋の隅のコーヒーテーブルで水を飲んでいる。
    「やっぱりすごいな、藍湛は。今日いちばんの注目株はお前なのに、また俺と引きこもらせて悪いな……今からでもあっちに行ってくるか? 俺はここでじっとしてるからさ」
    魏無羨が軽口をたたくと、藍忘機はむっとしたように言う。
    「護衛が必要なのは今だろう」
    「まあね」
    本心で言ったわけではない、からかっただけである。ただ、改めて藍忘機が藍家の重要人物、ひいてはマフィア界、次代の重要人物であることが身にしみた。自分のわがままで縛り付けていい人物ではないのかもしれないと、多少なりとも感じずにはいられなかった。あのどよめきはそういうことなのだ。
    魏無羨は自嘲ぎみに呟いた。
    「いつまでもお前に甘えるつもりはないからさ。悪いけど、もう少しだけつきあってよ」
    藍忘機は顔を上げ、魏無羨を見たが、何を考えているかはわからない。けれども魏無羨は、彼が聞こえたかどうかまで確かめるつもりはなかった。
    もう少しがどのくらいになるかはわからない。だから一緒にいるうちは、仲良く過ごしたい。
    「藍湛、夜は何を食べたい? 今日はなんでもあるから楽しみだな」
    小さなテーブルの向かいに座って笑う。
    藍忘機はそれには答えず、長いこと魏無羨を見てから口を開いた。
    「何を考えている?」
    「お前には関係ないことさ」
    誤魔化すまでもないことだから、魏無羨は素直に答えた。
    「自分の始末は自分でつける。ずっと準備してた」
    「危険なことか?」
    「多少のコストは、まあ当然」
    でもお前に迷惑はかけないよ。……言いたかったが、そこまで保証はできないから黙っていた。そのかわり、とびきりの笑顔で笑う。
    「ずっと一緒にいてくれてありがとう、藍忘機」
    「魏嬰」
    藍忘機は立ち上がった。
    「私はきみとは違う」
    氷のような声で言うから、魏無羨は悲しくなった。どうしてそんなことを言うんだ。俺たちはいい友達じゃないのか。
    「わかってる……」
    魏無羨は軽くこたえようとしたが、声が少し震えてしまうのを止められなかった。
    「ごめんな」
    気分が高揚していた分、落ちるのも早いのだろうか。急激に胸が冷たくなったような気がして、何かがせり上がり、目からじわりと涙があふれた。
    藍忘機が自分の体を動かそうとするのが視界に入るのと、爆音がしてドアがはじけ飛ぶのは同時だった。
    藍忘機は座ったままの魏無羨に覆いかぶさり、文字通り木っ端微塵になったドアの残骸を背中で受け止めた。焦げたにおいと乱暴な足音、白煙がおさまらないうちに、武装した覆面の男たちが一斉に部屋に入ってくる。
    「藍湛!」
    重たいからだを支えたくて背中に手を回すと、べたりと濡れた感触がした。ぞわりと粟肌が立って血の気が引く。
    「藍湛!」
    大声で呼ぶと、衝撃で意識を飛ばしていた藍忘機が目を開けた。
    「藍湛、しっかりしろ!」
    「怪我……」
    「大丈夫だ、そんなに深くないぞ!」
    「ちがう、きみは……」
    「は?」
    そういえば藍忘機は護衛だった。仕事を全うしているだけだ。こんな時にも!
    「なんともないよ! まったくお前は!」
    魏無羨は座っていた椅子に藍忘機をもたせかけて、一斉に向かってくる覆面たちの足元にコーヒーテーブルを投げつけた。態勢を崩したところに、すぐそばにあった電気ケトルを投げ上げる。旧式のケトルは蓋が固定されていない。ゴッ、と音がして一人の顎に直撃し、お湯がばしゃりと胸にこぼれた。たいした量ではないが、何もないよりいい。藍忘機が座っていたローチェアも両手で掴み、回転をかけて投げつける。もう一人の肋骨のあたりに当たった手ごたえがあった。
    あらかたの勢いは殺いだが、藍忘機を抱えて逃げるのは難しいかもしれない。江家の連中はもうこちらに向かっているだろうが、もう少し時間を稼ぐ必要がありそうだった。
    覆面たちは、まだ二人ほどは元気がありそうだ。ご丁寧にガスマスクまでつけているため、いつも携帯している催涙スプレーは使えない。拳銃を持っているのも見えたが、魏無羨の命を取りにきたわけではないはずだ。むしろ危険なのは藍忘機の方だった。藍忘機に近寄らせないように、間に入ったままの位置を保つ。コーヒーテーブルを踏み台にして、回し蹴りで一人の拳銃を弾き飛ばす。暴発した弾丸が部屋の鏡に当たり、派手な音がした。もう一人が足を狙ってくるのを察知し、魏無羨は斜めに蜻蛉を切って避ける。硝煙のにおいを嗅ぎながら、着地した先で電気スタンドをつかみ、コードを引きちぎってブーメランのように放り投げた。ちょうど隣り合った二人の首に当たって意識を奪い、からまるように倒れ込ませた。
    魏無羨は藍忘機の肩をかかえて部屋を出た。江家のすべての間取りは思い出すまでもなく頭に入っている。増援が来るであろう方向に向かって、できるだけ早く走った。
      


       三

    魏無羨と藍忘機は、江澄率いる若い者たちに囲まれて、離れの一室に落ち着いた。藍忘機は江家のお抱え医師の治療を終え、うつぶせに寝かされている。
    「ゴミどもめ、軽く締め上げたがまだ吐かん。もう少しかかるな」
    「そうか。江澄、どう思う」
    江澄は心底嫌そうに顔を歪める。
    「どうも何もない、あの変態野郎、いよいよなりふり構わなくなってきやがった」
    「やっぱりそうか?」
    「雲夢江氏の魏無羨を力尽くで狙ってくるとは舐めた野郎だが、ある程度金も力もあるとなれば、他にいない」
    二人の脳裏には同じ人物が浮かんでいる。他の輩と同じく、魏無羨に異常な執着を持つ初老の男である。雲夢近郊に縄張りを持つ中規模の一家を率いており、それなりの力があるから厄介だった。もともと江家に服従しているわけでもなく、他家ともそれほど深いつながりがないため、外堀から圧力をかけることも難しい。それをいいことに魏無羨に接触しては江家に睨まれていたが、なお図々しく振舞っていた。
    「ここまで決定的にことを起こすとは、お前が隠れている間にいよいよ我慢できなくなったらしい。ここまでされては江一家が黙っているわけにはいかないが、清談会の間は動けない。今日を狙って動いてくるとは腹の立つ奴め。魏無羨、油断するなよ」
    「わかってる。このまま黙っちゃいないさ」
    江澄はぎょっとして釘を刺す。
    「おい、妙なことを考えるな。向こうはお前を五体満足のまま欲しいなんて甘っちょろい魂胆じゃないぞ。爆弾なんか使ってきたのがいい証拠だ!  剥製になって飾られたいのか?」
    剥製は江澄の出任せだが、先程の覆面が迷わず発砲してきたところを見ると、無傷で手に入れようと思っていないことは明白だ。
    「ほら、もう戻るぞ……お歴々に笑いかけて寵を受けろ、うまくすれば頭のおかしい奴から守ってもらえるかもしれないんだからな。賢そうにして将来有望だと思わせろよ」
    江澄は踵を返したが、魏無羨は首を振った。江澄は眉をぎゅっとひそめる。
    「お前、来ないつもりか? 広間にいればやつも手は出せないはずだ。それに父上の顔をつぶすことになる」
    「江澄、こいつがいなけりゃ、今頃俺の顔がこうなってたんだ。自分の身かわいさに離れたとあっては俠にもとる」
    魏無羨が包帯だらけの藍忘機を目で示すと、江澄は部屋中に響くほどの舌打ちをした。彼も、藍忘機の治療中にひどい傷口を目にしていたのだ。
    「それに俺はお前の配下ってだけで、いなくたって別に面子を潰すことにはならないだろ。お前と姉さんがいれば大丈夫だよ」
    江澄は眉を吊り上げたまま、部屋の黒服たちに指示を出すと不本意そうに戻っていった。まだ宵の口で、夜会は始まったばかりだからだ。主催である江家の跡取りとして、顔を見せないわけにはいかないのだった。
    「だいたい藍忘機が怪我をしたら、藍家のじじいどもに謝るのは父上だぞ。まったく!」
    誰に言うでもない悪態をつきながら戻っていく。
    部屋の内外にはしっかりと人員を配置してあるから、ひとまずは安全と言えそうだった。
    「やっと静かになったな」
    魏無羨は、ベッドの上で黙っている藍忘機のそばに椅子を寄せた。
    「背骨が折れたかと思って心配したけど、骨は大丈夫だって。お前、思ったよりずっと頑丈だな……縫ったとこ、ちゃんと麻酔効いてるか? 痛みは?」
    「大丈夫だ」
    顔色は決して良くないが、受け答えははっきりしている。診察どおり、安静にしていれば問題ないようだ。
    魏無羨はうつ伏せの藍忘機の髪をかき上げ、耳にかけた。横を向いた顔も整って美しい。怪我と治療の痛みでかいた冷や汗も、おおかた引いたようだった。汗が乾いて少し固まった真っ直ぐな髪までも作り物のようで、本当に生きているのか心配になった魏無羨は藍忘機の頬に触れた。
    (少し冷たい。だけど……)
    雪白の頬はやわらかい。ちゃんと生きている。
    触れた指の背を離してそっと手のひらを置くと、自分の熱が藍忘機に移ってゆくのがわかった。
    魏無羨はしばらく黙っていたが、我慢しきれずに首を垂れた。
    「俺のせいで、ごめん」
    藍忘機がゆっくりと応える。
    「きみのせいじゃない。気に病むな」
    「そうですとも、魏公子」
    春風のような声で言いながら現れたのは藍曦臣だ。魏無羨は立ち上がり、深々と拱手した。
    「澤蕪君」
    藍曦臣は軽く手を上げてそれを制す。
    「話は江公子から聞きました。魏公子、弟の不手際をお詫び申し上げる。護衛の役を負ったからには主を守るのは当然、目を回して肩を借りたなどとはあまりに不甲斐ない。気遣いはありがたいが、謝られては忘機も立つ瀬がありません。どうぞ、顔をお上げなさい」
    うつむいたままの魏無羨をそっと支え、身を起こさせてから藍曦臣は言った。
    「忘機、体は」
    「問題ありません」
    藍忘機はベッドにゆっくりと腕をつき、起き上がった。魏無羨はあわてて止める。
    「藍湛、よせ! 傷が開くぞ」
    藍曦臣が有無を言わさぬ声で言った。
    「忘機、怪我の分は私の配下を貸す。しかと務めよ」
    「はい、感謝いたします」
    藍忘機は座ったまま拱手し、はっきりと応える。
    「魏公子、弟を頼みます」
    藍曦臣は呆然とする魏無羨に頭を下げた。
    藍曦臣が立ち去っても、魏無羨はしばらく動けなかった。ようやく座ったままの藍忘機に気が付き、そっと肩に触れて促す。
    「藍湛、もういいよ。ほら、横になって、無理するな……なあ、いったいどうなってる? 俺の護衛ってそんなに重大な任務だったか? お前がこんな怪我したってのに、澤蕪君は冷たすぎる」
    魏無羨は、藍曦臣に詰られこそすれ、謝られるとは思ってもいなかった。藍忘機はおとなしく再びうつぶせになり、まじめな様子でこたえる。
    「兄上は、私の意思を汲んでくださっている」
    「意思? お前、そんなに俺のこと大事な友達だと思ってくれてたの? 本当に? ……護衛ね、確かに俺の護衛はちょっと面倒だから、力試しにはなるよ? だけどさ……」
    魏無羨は不可解に思ったが、今は追及するほどの余裕もない。まあいい、と首を振り、藍忘機の手を突然ぎゅっと握った。藍忘機がわずかに目をみはる。
    「なあ藍湛、俺は責任を感じてるんだ。何もお前を盾にしようなんて思ってなかった」
    「気にするな」
    藍忘機は戸惑ったように言ったが、魏無羨は笑って否定した。
    「そうはいかない。自分の始末は自分でつけなきゃな」
    何か良くないものを感じ、藍忘機はまた無理に身を起こした。逃がすまいと魏無羨の腕を掴むと、魏無羨もそれを握り返す。不自然な動きに藍忘機は眉を顰めたが、突然やわらかな感触がして表情が消えた。気がつくと魏無羨の顔はまつ毛が触れるほど近づき、唇は藍忘機のそれに押し付けられていた。
    驚きで開かれた口に舌が捩じ込まれ、ぷつりという篭もった衝撃と同時に、甘すぎる液体が唾液と共に流し込まれる。片手で頭を押さえられてとっさに離れることができず、ごくりと飲み込んだ。魏無羨はようやく顔を離し、指に髪を通しながら、そっと藍忘機の頬を撫でる。
    「行かせてくれよ。……おやすみ、藍湛」
    目を閉じてくずおれた藍忘機をまた寝かせて、魏無羨は立ち上がった。

     魏無羨は公子らしい華やかなスーツから地味な黒服に着替え、夜会の会場に潜り込んだ。
    蓮花塢と呼ばれる江家の屋敷は広大だ。その中でも最も大きな広間は無数の灯りに照らされ、美酒と山海の珍味、紫煙と女たちの香りで満ちていた。
    表情を消し、俯いて気配を消せば、黒服はその場にいながら存在しないものとして認知される。まったく便利な変装だった。
    水草の中を泳ぐ魚のように、魏無羨は煌びやかな夜会の中をすり抜け、目的の顔を探した。
    多くの客人がひしいめいているが、関係の近い集団はゆるやかにまとまり、流動的に動いている。しらみつぶしにしなくとも、ざっと動けばおおよその目星はつくのだ。
    いくらもしないうちにその人物を見つけ、するりと近づく。魏無羨は元来人懐こく、表情が豊かで、利発そうな様子はまさに好青年である。しかしその気になれば、いくらでも悪い顔ができたし、人を誑かす艶めいた表情も演じられるのだ。目立たないために軽く固めた髪をくしゃりとかき乱して、
    「ねえオジさん、今日はどうしたの? 俺の顔を見ないで帰るつもり?」
    周囲の視線が外れた一瞬を狙って囁くと、初老の男は驚いたように動きを止めた。
    「俺、外で話したいな」
    外の回廊に移動した二人は、広間から漏れる明かりと古風な燈籠の灯の中を歩いていた。魏無羨は声をかけたときこそかなり近付いていたが、今は男の手が届くかどうかという距離を保っている。時折焦れたように伸びてくる手をぎりぎりでかわし、くすくすと笑った。
    一言二言交わした後、魏無羨はわざとらしくため息をついた。
    「だけどさ、俺、他にやることもあるし、やっぱりその気にはなれないよ。今日はさすがに腹も立った。これで終わりにしよう」
    魏無羨が鋭く指笛を鳴らすと、背後から黒服たちがいっせいに飛び出した。男を拘束しようと襲いかかるが、あちらも一歩身を引くと、周囲から音もなく湧いた覆面姿の男たちが代わりに応戦し始めた。
    しばらくは互角の戦いかと思われたが、数で有利なはずの魏無羨の陣営が押され始めた。こちらは若い黒服ばかりで、ごろつきに毛が生えた程度の腕しかない。相手はどうやら、そこそこ訓練を受けた半玄人である。不利を悟った魏無羨は退却の指示を出したが、いつの間にか背後に回っていた覆面から当て身を受けて昏倒した。そして次に目を覚ましたときに見えたのは、見覚えのないガラス張りの窓壁と、そこに映る雲夢の夜景だった。



       四

    魏無羨は柔らかな寝床の上で目覚めた。
    ゆっくりと起き上がる。体を確認するが変わったところはない。ただキングサイズのベッドの真ん中に横たえられていたようだ。
    縄で縛られて床に転がされてもおかしくはなかったので、魏無羨は意外に思ったが、体力を温存できたのは僥倖だった。
    立ち上がってガラス張りの壁に近づくと、雲夢の街並みが眼下に広がっていた。
    生まれ育って路地の一本一本まで知った街だから見間違えようがない。蓮華塢の方形の敷地に、華やかな灯りがきらきらと小さく見える。気絶している間に、車で連れてこられたのだろう。
    見回すと、それなりの広さの洋室だ。入口とおぼしきドアにはカードロックがついている。テーブルやサイドボードにはアメニティが整然と置かれており、どうやらホテルの一室のようだった。
    魏無羨は雲夢周辺の地図を思い起こし、ここが例の男の持つ複合ビルであることを確信した。
    それから自分の服をたたき、持ち物を確認する。スマホはない……清談会中の業務連絡用に持っていたインカムもなかった。
    そこでベルトに下げた小さな銀の鈴の紐を外し、数回捻ったり戻したりすると、小さな雑音のあと、やけに緊張感のない男の声が聞こえてきた。
    「もしもし? どちら様です?」
    「聶兄、俺だよ」
    「ああ、ご本人で? よかった、みんな心配してますよ。そちらはどうです?」
    銀鈴は魏無羨の作った小型の超指向性通信機、声の主は清河の聶懐桑だ。彼の兄は聶一家の当主で、今日の清談会にももちろん出席している。兄は堂々たる大人物だが、弟の聶懐桑は当代一の腰抜けだと誰もが知っている。しかし、その聶懐桑には裏の顔があるのだった。
    聶懐桑は聶家の穀潰しと呼ばれているが、実は本職の情報屋も舌を巻くほどの情報通である。武闘派で知られる聶家では、姑息なやり口だとして歓迎はされない。しかし、その筋では困ったときの聶懐桑として重宝されていた。
    「ああ、ピンピンしてるよ。連絡係にして悪いな、俺が今いる場所はわかるか?」
    「はいはい、お待ちを……○○ビル、例のオジさんの持ちビルですね。今いるのは中ほどの二十階、セミスイートのお部屋です。観光客にはそこそこ人気ですよ。下はテナントとオフィスが入っていて、ホテルは十八階から上です。今日は全室貸し切りになってますね……あなたの場所がわかったので今向かってますけど、ビルに着くだけでも十分はかかりますから何とか頑張ってくださいね」
    「ははっ、いざとなったらハニートラップが使えるさ」
    聶懐桑はげんなりした声で応える。
    「冗談はよしてくださいよ。そんなことになったら私がとばっちりで江家の皆さんに殺されます。ご自慢の腕力があるでしょ、さあ、他はいいですか? こっちの準備はできてますからね。それじゃ」
    プツッ、と音声が途切れる。魏無羨が銀鈴を戻すのとほとんど同時に、ドアロックの電子音が聞こえてきた。部屋のどこかにカメラがあって、魏無羨が目覚めたのを見たのだろう。
    さて、ほんの少し時間稼ぎをしなければならない。魏無羨はベッドに腰掛け、大きく深呼吸した。


    魏無羨が蓮花塢で暴れたのは承知しているから、男はしっかりと護衛たちに囲まれて入ってきた。
    男はまた魏無羨に愛の告白をし、妻になってくれと懇願したが、ここに至ってもなお言葉を尽くそうという姿勢はある意味立派だと魏無羨は思った。魏無羨はとっくに諦めており、もはや暴力でしか応じるつもりがなかったからだ。
    電光石火の速さで男の鼻柱と下半身を蹴り潰すのを皮切りに、魏無羨は黒ずくめの十数人を相手に奮闘したが、やはり数には勝てず、じわじわと体力を削られ、ついには残った数人に押さえつけられ、動くところは頭だけという有様になってしまった。
    男は顔から血を流しながらゆっくりと跪き、動けない魏無羨の手を握る。しっとりとうすら冷たく、張りのない肌が触れて不快だった。
    (藍湛も、俺に手を握られて嫌な思いをしたかもしれない)
    魏無羨は自分が藍忘機に触れるとき、そんなふうに考えたことはなかった。けれどももしそうなら、次に会ったときは一言謝らなければならないと心に留め置いた。
    男が切々と訴えるのを聞きながら、さすがにそろそろ腕か脚の一本くらい折られるかもしれないと考える。今は魏無羨を崇拝するかのように振る舞っているが、これは次にくる爆発の前段階に違いなかった。江澄が言っていた通り、魏無羨がいよいよ思い通りにならないとなれば、何をされるかわからない。
    「そうだな、君にはわからないのかもしれない。今はそれでもいい。きっといつかわかってくれるはずだ……」
    男はどこか夢を見るようにつぶやいた。
    周りの者に命じて魏無羨を縛り、さるぐつわを噛ませ、再びベッドに横たえる。そして彼らを下がらせ二人きりになると、恍惚として言った。
    「僕の永遠になってくれ、魏無羨」
     そして懐から小さな黒い機械を取り出し、恭しい手つきで何かを押した。ピッ、ピッ、と規則正しい電子音が鳴りはじめる。
    「あとほんの少しだけ話をしよう」
     魏無羨が思わず顔を強張らせたのを見て、男はひどく満足そうに微笑んだ。
     男が幼少期の母親の話を始めるのを聞きながら、ほんの少しとはどのくらい先なのかを考えずにはいられなかったが、詮無いことだった。思ったよりも早く悪い展開になりそうで、魏無羨はゆっくりと息を吐く。もう待つことしかできないのだ。それなら静かに待とう、と魏無羨は思った。
     男の話で少しは暇がつぶせるかと思って耳を傾けたが、それほど面白い話とも思えず、すぐに飽きてしまった。それに気が付いたのか、男ははじめて苛立ちを見せて顔を歪めた。
    「どうあっても僕を見てくれないのか」
     魏無羨にはどうしようもないことだった。彼が興味を持つかどうか、それは彼自身にも制御できないことだったからだ。
     ベッドに腰かけていた男がついに立ち上がったとき、計ったように窓の外に数十台のドローンが現れ、強い光で部屋の中を照らした。
     男が思わず振り返り、顔を覆うと同時に、反対側の部屋の壁がものすごい音を立てて壊れ、大きく開いた穴から江澄の大声が響いた。
    「魏無羨ッッ!!」
     わっと十数人が押し掛け、男はあっけなく拘束された。
     江家の若い者にさるぐつわをほどかれた魏無羨は叫んだ。
    「何かの時限装置が動いてる! そいつの持ってるものを調べろ!」
    「これか? ボタンだけで何もわからないぞ」
     江澄が大声で返す。
    「また爆弾だったらヤバい。全員退避しろ!」
    「ははは、無駄だ! もうほんの数秒でビルごとドカンだぞ!」
     男が狂ったように笑い、その場にいた者たちが息を飲んだ瞬間、間延びした声の主がよっこいしょ、と壁の残骸を踏み越えてやってきた。
    「爆弾っていうのはこちらですかねえ〜?」
     工事用の白い安全ヘルメットに、大仰な黒いゴーグルをつけた聶懐桑が、手のひらほどの塊を二つ、つまむように持って現れた。
    「時間がなくて、一番危ないのしか取って来られなかったんですけど。この部屋の上下についてましたよ、いやあ怖い怖い……さあ、早いとこずらかりましょう。もう上の方から爆発しますよ!」
     言葉の通り、遠くに轟音が響き、遅れて地震のように床が揺れた。天井がひび割れ、ぱらぱらとかけらが降る中、聶懐桑の先導で下の階層までたどりつく。照明の消えたショッピングモールの入り口は大きな吹き抜けになっていて、上方の飾り窓から透けた街明かりが中を薄暗く照らしていた。ガラス張りの入り口の中央、開け放たれた自動ドアの向こうには黒塗りの高級車が数十台びったりと停まっている。そのどれもが舞台照明のように屋内へとヘッドライトを向けていた。
     遠くから緊急車両のサイレンが聞こえる中、まばゆい逆光にばらばらと立つのはスーツ姿の江一家、藍一家の若い者たちだ。吹き抜けの上階から大階段を下りてきた一行を迎え、早く早くと外へ急がせた。
    ようやっと出口というところで、突然、引きずられるように連れてこられていた男が暴れ出した。急に強い力で動かれた江家の者は思わず手を滑らせ、男は魏無羨に向かって最後の力を振り絞って突進した。魏無羨が驚いて振り向くと、男は大きな口を開けて奥歯に仕込まれた装置を嚙み砕くところだった。
    魏無羨が目を見開いた瞬間、背後から白い影が飛び出し、男の下顎を勢いよく蹴り飛ばした。藍忘機は蹴り回した足を上品に仕舞うと、数メートル先まで飛ばされ、外れた顎をだらしなく開いたまま気絶した男をちらりと見た。次に魏無羨の顔を見、次はどうするかと言うように、わずかに小首をかしげた。
    魏無羨は呆れ果てて言った。
    「おい藍湛、明日の朝までぐっすり眠ってるはずだぞ! どうなってる? まったく……そいつはまだ殺すな。あとで江叔父さんたちに締め上げてもらおう。聶兄、まだ何かありそうか?」
    「もうないですよ、これが最後だ」
     聶懐桑は手下に男の服を探らせ、受け取ったものを藍忘機に放り投げた。藍忘機はそれを量るように持ち、軽く振りかぶって吹き抜けのはるか上方に打ち放った。ちょうど上から順にやってきていた爆炎とともに砕け散り、魏無羨たちが大急ぎで離れた背後で最後の大爆発を起こした。


    静かな車内で、魏無羨は藍忘機の膝にかかえられていた。どうしてこうなったのか魏無羨にもわからないが、いつのまにかそうなっていたのだった。
    「あいつに手を握られて、けっこう嫌だったんだよな。ほら俺、お前にベタベタ触ったりしたろ。お前も嫌だったのかなと思ってさ……悪かったな」
    「手を握られたのか」
    「まあね」
    魏無羨は思い出して身震いする。ほんの一瞬のことだったが、しばらく忘れられそうにない。初対面の人間と握手しても、覆面どもに体を押さえつけられても何とも思わないのに、あれだけはどこか違うものだった。
    「どちらの手だ。両方か?」
    「こっちだけど」
    魏無羨が右手をひょいと挙げると、藍忘機はその手に軽く触れ、突然指を絡ませて強く握った。
    「だっ……痛いよ藍湛、何だよ!」
    「私は嫌ではなかった」
     え、と魏無羨は口を開けたまま固まった。
    「嫌ではない」
    「や、聞こえたけど……」
    「君は嫌か?」
    「嫌だったら触らない、けど」
    これは、随分と。
    「えーと、熱烈だな? この繋ぎかた、何ていうか知ってるのか?」
    「教えてくれ」
    「こ……」
    魏無羨は躊躇した。しかしここでためらう方が後の恥になると直感し、気力を振り絞って口を開く。
    「これはな、恋人繋ぎっていうんだぞ」
    そう口にしながら、魏無羨は自分の顔がこれまでにないほど熱くなるのを感じた。真っ赤な顔になっているに違いない。しかし目をそらしたりするのは彼の培った度胸や矜持が許さなかった。藍忘機の、淡い色の両の瞳を見据えたまま反応を待つ。藍忘機は魏無羨の言葉を聞いても、驚いたり、慌てて手を離したりもせず、じっと魏無羨の目を見返していた。
    魏無羨にとってはあまりにも長い時間――ほんの数秒だったが――が経ったので、次の言葉を考えようとしたが、無駄だった。
    藍忘機が目元をゆるませて、
    「うん」
    と言ったのだ。
    いや、おかしい。その反応はおかしい!
    「いや、藍湛! その反応はおかしい!」
    「おかしいのはお前らだ! いい加減にしろ!」
    江澄がドスの効いた声で叫ぶ。運転をしていた若い者がビクッと肩をすくませた。
    聶懐桑が苦笑いしながら宥める。
    「お兄さんたち、ちょっと離れてあげないと江兄の血管が切れちゃいますよ。仲が良いのはわかりましたから、続きは戻ってからにしましょう、ね!」



       五

     近郊のビルがほんの少し全壊したくらいでは、江家の清談会には全く支障がない。
     後始末を江澄と聶懐桑に頼み、通用口からそっと蓮華塢に入った魏無羨は、顔を真っ青にした江厭離に迎えられ、数人がかりで体を清められ、部屋着に替えられて、温かい汁物を飲んで落ち着くまでは放してもらえなかった。魏無羨は汁物を飲むと嘘のように気が楽になり、江厭離に思う存分甘えてから、新しく用意された部屋に向かった。江厭離の部屋の外で待っていた藍忘機は部屋まで同行し、この一か月そうしていたように中に入り、鍵をかけた。
    「藍湛、もう仕事は終わりだ。ここの所一番の懸念が晴れたよ、もう姑蘇に帰れるぞ。怪我までさせて本当に悪かった。改めて詫びと礼を送る。あ、そうだ、お前どうしてそんなに元気なんだ? まあいい、背中はさっき治療しなおしてもらったんだろ。早く横になって休めよ。まったく、無茶したな」
     藍忘機は言うことをきかず、ベッドに乗った魏無羨のそばまで歩いてきて言った。
    「話の途中だった。私は君と違って……」
     魏無羨は無意識に言葉を遮った。
    「なんだよ、今そんなこと言うか?」
     藍忘機は静かに続けた。
    「最後まで聞け。私は決めたことは最後までやる」
    「俺は飽きっぽくて悪かったな」
    「私は、仕事を途中で投げ出したりしない」
    藍忘機は魏無羨の足元に片膝をついた。
    「きみの身に、少しでも危険があるうちは離れない。姑蘇にはまだ帰らない」
    「……うん」
    魏無羨は頷いた。もう少し話したほうがいい気がしたけれど、体が温まり、子供のようにとろとろと眠気がやってきて、もういいかとベッドにぱたりと倒れた。ふわふわしてくる頭の中を整理できずに、口からずっと言いたかったことがこぼれ出る。
    「藍湛、ねえ、どうして俺のところに来てくれたの。俺の護衛なんか、お前の柄じゃない。断わられると思ってた」
     藍忘機は少し黙ってから、真摯な様子で答えた。
    「君にまた会いたかったから」
    「本当?」
    「うん」
     藍忘機は、今まで見た中で一番やわらかい表情で魏無羨を見ていた。魏無羨は眠りに落ちそうだった目がぱっと開き、勢いよく身を起こした。
    「そうだ、俺もそう思った」
     はは、と楽しくなって笑う。急に胸がぎゅっと苦しくなって、跪いたままの藍忘機を起こし、ベッドに座らせる。
    「会ってどう思った? 今までと違ったりしてたか?」
    「……うん」
    「急にベタベタするようになった?」
    「うん。だから心配になった」
     藍忘機は本当に心配していたのだ。でも、なぜ? そのせいで魏無羨がひどい目にあったと思ったから?
    「でも俺、違うって言ったよな。お前以外にはこんなこと、したことないし、したいとも思わない。納得したか?」
    「うん」
    「じゃあ、わかった? 俺が、お前のこと好きだってこと」
     藍忘機は息を飲んで黙った。魏無羨は自らの行いを振り返り、どうして自分も藍忘機も、一切何も気が付かなかったのか、心底不思議に思った。おかしくてたまらなくなり、魏無羨はひとしきり笑い転げたが、藍忘機はまだぴたりと固まったままだった。
    魏無羨は涙をふきながら言った。
    「ねえ藍湛、藍忘機、お前は? 俺のこと好き? 俺、この耳でちゃんと聞いたよ、だれでも俺のこと好きになるって。それってお前でも? ねえ、本当に?」
     藍忘機はまだ黙っていたが、さらさらと流れる髪の間に見える耳元と首筋がわずかに赤みを帯びているのを魏無羨は見逃さなかった。
    「藍二哥哥、恥ずかしくて言えないなら別にいいよ。だけどこのくらいはしてもいいよな?」
     魏無羨は心から楽しくなって笑いながら、藍忘機の首筋に抱きついた。至近距離から藍忘機の淡い双眸を見つめ、甘えるように首をかしげて目を閉じると、予想よりはるかに熱い唇と、絞り出すような声が降ってきた。
    「魏嬰、きみが好きだ」
    「うん、藍湛! 俺も……」
     にこにこして言いかけた魏無羨の唇はまた塞がれてしまい、思ったよりもずっと激しく口内を貪られることになった。
     息継ぎができずに藍忘機の胸を叩いたとき、魏無羨は唐突に気がついた。口移しした睡眠薬の効きが悪かったのは、魏無羨が思っていたよりもずっと藍忘機の体が大きくて、単純に薬の量が足りなかったせいではないか?
     怪我をしているはずなのに、平気な顔で自分を組み敷いてくる藍忘機の重たさと圧倒的な腕力を否応なしに理解させられて、魏無羨は今更ながらごくりと唾をのみ、これは大変なことになってしまったかもしれないと思うのだった。






    聶懐桑は魏無羨たちより少し年上で、彼らが学生の頃は別の大学院に在籍していたが、彼らの大学の図書館にときおり姿を見せていた。同じ世界に住む者同士の顔見知りでもあり、どこか馬の合った聶懐桑と魏無羨は貴重な学生生活の仲間ともなったのだ。その彼に、魏無羨は藍忘機とのことを話さずにはいられなかった。
    「笑えるよな。俺とあの藍忘機がこんな事になるなんてさ」
    魏無羨がボイスチャットで苦笑すると、聶懐桑は声を上げて笑った。
    「いえいえ。僕はお似合いだと思ってましたよ。大学生のあなた方はとても微笑ましい、仲のいい友人同士でしたけどね。まあちょーっと、距離が近すぎるように思っていましたから」
    「嘘だろ?!」
    「嘘なもんですか、江公子に聞いてごらんなさい! ……ああいや、やっぱりやめましょう……私なんかはね、卒業後に会ってないことを知ってひっくり返りましたよ。あの頃の写真か何か、残っていないんですか? 見つからないなら探してあげてもいいですよ。手間賃は頂きますけど」
    「怖いからいい。いや、気が向いたらちゃんと依頼するけど」
    「はいはい、毎度どうも。これは大サービスで教えて差し上げますけどね。魏兄、大学の前後でなにか変わったことがあったんじゃないですか? 高校生の時、そんな変にモテたりしてました?」
    「え?」
    「もっと健全なおともだちばかりだったでしょう。どうです?」
    「そうだったかな……」
    「大学の前後、どっちも地元でしょう。卒業してからですよ。データは揃ってます。ということは、どういうことかわかります?」
    「?」
    「うーん! つまり、学生時代の何かが君を変えたんですよ。はい、サービスはここまで。新しい△△の件ですけどね……」



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