(……おや、もうこんな時間だったのか)
ガヤガヤガヤ、ザワザワザワ。先程まで一定の大きさとトーンを保っていた教師の声とは違う、雑然とした複数の音の群れに揺り動かされて僕の意識は浮上した。
ふあ、と欠伸を噛み殺しながら、緩慢な動きで教室に備え付けられた時計に目をやる。どうやら今は、ちょうど四時限目が終わった直後のようだった。
そのままぐるりと眼球だけを動かすと、漸く訪れた昼食の時間に沸き立つ生徒の姿が幾つも見受けられた。僕の最後の記憶は四時限目の最初の方でプツンと途切れているから、少なく見積もっても45分程は眠っていた事になるだろう。思いがけず取れた仮眠の効果は絶大だったようで、徹夜による睡眠不足で倦怠感を訴えていた体は随分と楽になっていた。
今朝よりも明らかに軽く感じる体をググッと伸ばしながら、そのままの動きで教室の扉へと視線を向ける。そろそろかな、と期待する僕の耳に聞こえてきた足音に、思わず口の端に笑みが浮かんだ。
「類! 神代類はいるか」
ガララッ、という扉の音を掻き消す程の声量と元気の良さに、いつも元気だなぁと内心苦笑を漏らす。しかし表面上はにこやかな笑みを浮かべて鞄の中から昼食一式を取り出し、のんびりとした足取りで彼の元へと向かった。
「フフ、今日も司くんは元気だね。そんな毎回呼びかけながら来なくとも、僕は何処かへ消えたりはしないよ?」
「む……確かにそうなんだが、お前はまるで猫のように気紛れな男だからな。今日もきちんと学校へ来ているか、ちゃんと授業を受けているかとつい気になってしまうんだ」
少し決まり悪げに言う我らが座長は、流石僕の事をよくわかっていた。授業中の居眠りという小さな悪事を笑顔の裏に隠し、そんなに僕は不真面目に見えるかな、と眉をハの字にして彼の瞳をじっと見詰める。こうすれば、お人好しな司くん相手ならば大抵の事は誤魔化す事が出来るから。
……そう、思ったのだけれど。そんな僕の予想に反して、司くんはなんとも微妙な顔をして溜め息を吐いた。
「少なくとも、何回も前科がある上に今もなお涎の痕を付けている奴の言う事は信用ならんと思っているが?」
「おやおや……」
ちょんちょん、と自らの口端を指差す彼の動作につられて自分のそこへと手をやる。……あぁ、なるほど。いかにも今まで涎を垂らして寝ていました、と言わんばかりの感触に苦笑を漏らし、そのまま指先でグイと証拠隠滅を図った。まぁ、司くんの目の前で痕跡を消しても彼の記憶にはバッチリと残っている訳だけど。
案の定司くんはジト目で咎めるように此方を見てくるので、不真面目な僕はへにゃりと笑って「そろそろ移動しないとご飯食べる時間がなくなっちゃうよ」と促した。物言いたげな目をしていた彼は溜め息と共に廊下へと足を向けたけれど、本当は僕だって溜め息を吐きたい。
だって、好きな子の前で涎の痕をつけたままだっただなんて、あまりにも情けないだろう?
僕こと神代類は、天馬司くんの事が好きである。
勿論友達としても好きだけれど、恋愛対象としても彼の事を好いている。もし誰かに司くんの何処が好きなのかと問われたら、彼に魅了されてしまった僕は幾つも挙げる事が出来るんだ。
例えば、鮮やかで暖かな色彩を宿した杏色の瞳。感受性豊かな彼の感情に呼応して、そのアプリコットは様々な煌きを魅せてくれる。
例えば、発声のしっかりとした何処までも通る力強い声。意志の強い真っすぐな彼の想いを乗せた声は、意気地なしの僕を暗闇から容易く引っ張り上げる事が出来る。
そして例えば。今まさに僕に向けられている少し呆れたような表情だって、恋に落ちた僕にはまるでハニートーストのように甘い物に映るんだ。
「おい……そんなに見つめられると流石のオレとしても少々気恥ずかしいものがあるんだが……」
「フフフ、ごめんごめん。実はね、今度司くんを50m程飛ばす為の計画を考えていたんだけれど」
「ごっ、50mだと おま……流石にそれはオレでも死ぬぞ! というか穏やかな顔をしながらなんて恐ろしい事を考えているんだお前は」
先程まで抱いていた邪な感情はまるっと隠し、如何にも"神代類"が言いそうな事をにこりと笑いながら告げる。案の定、彼は柔らかそうな頬をぷぅと膨らませてぷりぷりと怒ってしまった。
あぁ、けれど、
(そんな顔も可愛いなぁ)
恋は盲目といったもので、彼のそんな子供っぽい動作すら僕の目には大変愛らしいものとして映ってしまう。自然と浮かんだ気持ちのまま笑みを浮かべると、司くんはまん丸の瞳をぱちくりと瞬かせた後に大きく溜め息を吐いた。
先程の涎騒動を経た現在。僕と司くんは屋上にある給水塔の影で仲良くお昼ご飯を食べていた。
今日の彼のお弁当は、なんと本人の手作りとの事。中央に鎮座する主役の唐揚げを引き立たせるように、周囲には程良い焼き色のついた黄色い卵焼きや色鮮やかな野菜炒めといった脇役が配置されている。まるでお弁当箱の中で一つの世界を作っているみたいだ。
対する僕の昼食はいつもの通り、たまごサンドとカロリーメイト。勿論野菜など欠片も入っていない。
育ちの良い司くんは、食事中に喋る事をとても嫌う。なので一足先に食べ終わってしまった僕は、綺麗な所作でご飯を口に運ぶ司くんを眺めながら、彼の好きな所を頭の中で羅列していたのだった。
まぁ、知らぬ内に彼の事を熱く見詰め過ぎていたらしいので、そこは反省すべき点として記憶しておこうと思う。
「とにかくだ! 人の食事中に顔を凝視するのはやめろ。気になるだろう!」
「おや、意外だね。てっきり君はどんな時でも見られるという事に対して抵抗がないと思っていたよ」
「そうか、それではお前の為にこの場できちんと教えてやろう。未来のスターたるこのオレにもちゃんと羞恥心というものは存在するのだ! ハーッハッハッハ!」
「うんうん、そうだねぇ」
いつもの高笑いを浮かべながらお弁当を片付ける彼は、今日も相変わらず元気溌剌としている。そんな姿を微笑ましく見ていたけれど、ふと彼に伝えるべき用件があった事を思い出した。
少しだけドキドキと高鳴る胸を押さえて、何でもない風を装って司くんに向き直る。頑張れ神代類。役者としての本領発揮だぞ。
「そういえば、今日の放課後って空いてるかい? 次のショーの題材を決めようかと思ってね。脚本の書き起こしの事も考えると、そろそろ話し合っても良いと思っているんだけど」
「あぁ、オレもちょうどその話をしようと思っていた。今日は練習も無いし、打ち合わせをするにはちょうど良いだろう。場所は……類の家でも大丈夫だろうか? 今日オレの家は来客があるらしくてな……」
「うん、大丈夫だよ。うちの方は今日両親の帰りが遅いし、気兼ねなく打ち合わせが出来ると思う」
ありがとう! ありがとう神様!
ニカッという音が聞こえてきそうな程朗らかに笑う司くんに頷き返しながら、同時に僕の頭の中ではトランペットを吹いた小さな天使がくるくると飛び回って祝福の音色を奏でていた。
ショーについての話し合いを此方から持ちかけ、さり気なく彼を自宅に招待するというのが僕の考えたプランだったのだけれど。まさか司くんの方から僕の家を指定してくれるとは、なんて嬉しい誤算なんだろう!
勿論、ショーの題材決めをしなければならないのは本当の事。だけど、あわよくば僕の部屋で、しかも二人きりで話し合い出来ないかな、なんて淡い期待を抱いていたのも紛れもなく本当の事で。
つまり恋する健気な男子高校生としては、気になるあの子が自分の部屋に来る、という青春の一大イベントに浮かれ切ってしまうのは仕方のない事だと思うんだ。
そわそわとした気持ちを抱えたまま、やけに長く感じる午後の授業を聞き流し。放課後になってB組の教室に来た司くんと合流した僕は、幾分か浮ついた気持ちで自宅への帰路についていた。
右隣に寧々がいるのはいつもの事だけれど、左隣に司くんがいるのはいつもの事じゃない。表面上は何でもない風を装いながらも、心の中では通学路を司くんと歩いているという非日常に小躍りしそうな程舞い上がっていた。
「ふぅん。じゃあこれから類の家でショーの打ち合わせをするんだ」
「あぁ! 前回のショーも大盛況のまま終える事が出来たからな。次のショーも観客に笑顔を届けられるような題材にしたいと思っているぞ!」
「そうだ、寧々は何かやりたいジャンルでもあるかい? もしあるなら参考までに聞きたいのだけれど」
ショーの題材決めについては四人で考える事もあるけれど、場合によっては僕と司くんの二人だけで事前の打ち合わせをする事もある。今回だと後者に該当するので、今日司くんが帰路を共にする理由について話しても寧々は不審に思わなかったようだ。
僕の問いかけに、寧々は少し俯いて考える素振りを見せた。それから何故か、ちらりと僕の方を見る。物言いたげな藤色の眼差しに疑問符を浮かべる僕を尻目に、寧々は何かを決意したかのようにゆっくりと顔を上げた。
「それじゃあ、今まで通りの冒険活劇ものとか、友情ものとか、あとは──恋愛ものとか、どう?」
「え、」
「恋愛ものだと?」
寧々の口から出た言葉に、意外そうに目を瞬く司くん。僕としても、まさか寧々の口からそんな提案が出るとは思わず呆けた声を漏らしてしまった。
「そう。プロジェクトワンダーや地方での宣伝公演を切っ掛けに、今では色んな人がうちのステージに来てくれてるでしょ。既存の客層だった小さな子だけじゃなくて、わたし達と同じぐらいの学生とか、それより上の大人達も新たな客層として取り込めてる。だったら今までとは違うアプローチの仕方をしてもいいんじゃない?」
「ふむ……確かに寧々の言う通りかもしれん。恋愛要素を含むショーはやった事があるが、恋愛自体を主軸としたショーはあまりメインに行なってこなかったからな。オレは良いと思うぞ!」
「そうだね……うん、僕も良いと思うよ。トルペの一件の事もあるし、今は司くんやみんなに少しでも様々な性格の役を演じて経験を積んで欲しいと思っているからね。それでは今回はその方向性を視野に入れつつ打ち合わせをしようか」
「じゃあわたしの方からえむに連絡入れとく。いきなり恋愛要素盛り沢山な脚本案を二人が持ってきたら、流石のえむも吃驚するだろうし」
「あぁ! 任せたぞ、寧々!」
トントン拍子に決まった次の方向性に頭の中で使えそうな演出案を纏めていると、くい、と右側から服の裾を引っ張られた。見ると、寧々が物言いたげに此方を見上げていたので首を傾げる。
「どうしたんだい? 寧々」
「……正直、あまり公私混同するのは良くないかなって思ったんだけど、でもこれ以上もどかしいのを見せつけられるのも嫌だし」
「え、っと、ごめん、言ってる意味がよく……」
「背中は押したんだから、後は頑張ってよね。一応応援してるから」
「えっ、」
「じゃあわたしこっちだから。司、類の事よろしく」
「う、うむ? よくわからんが任せろ!」
それじゃあと手を上げて自宅へと入ってゆく寧々を見送りながら、不思議そうに首を傾げた司くんが僕の方を仰ぎ見る。
「寧々の奴、いまいち要領を得ない話をしていたが……なんだったんだ?」
「…………うーん、僕にもわからない、かな…………」
引き攣った笑みを浮かべながら苦し紛れに惚けてみせると、司くんは怪訝そうな顔をしながらも一先ずは納得してくれたようだった。
ごめんね司くん。君への恋心が幼馴染にバレて発破を掛けられたなんて、流石の僕でも恥ずかしくて言えないや。
司くんを僕の部屋へと招き、机の上へとノートや筆記用具を広げて打ち合わせに入る。先程まで寧々の発言で荒れ狂っていた脳内も、一度ショーの話をし始めてしまえば途端にそれ一色になるのだから現金なものだ。
あぁでもない、こうでもないと議論に議論を重ね、曖昧だった構想を少しずつ明確にしていく。最初は『恋愛要素を取り入れるかどうかはあくまで選択肢の一つ』という体だった打ち合わせは、しかし思いがけず司くんの筆が乗った事によりそのまま正式案として採用された。少し意外だな、と思ったけれど、恋愛を扱った創作物なんて世の中に山ほどあるのだから、ショー好きの司くんがこういった方面も得手とするのは何ら不思議な事ではないだろう。
そうして互いが納得出来る形になったと一息着けたのは、高い位置にあった太陽が住宅街の向こうへと僅かに姿を隠した頃だった。
「──ふう、大体のあらすじはこれで良いだろう。後はもう少し細部を詰めればえむと寧々に見せられるレベルになる筈だ」
「うん、ついでに演出案もいくつか出せたから進捗としては大分良いと思うな。……っと、もう日が落ち始めてたのか。夢中になっていて気付かなかったな……今電気を点けるね」
「あぁ、感謝する。……けほっ、けほっ」
ぱちり、と明かりを点けたと同時に聞こえた咳の音に振り返ると、眉根を寄せた司くんがもどかしそうに喉を抑えながら小さく唸っている。少し酸欠気味にでもなったのか、まろい頬は薄らと朱に染まり、杏色の瞳には薄く涙が張っていた。
「……、司くん、大丈夫かい? 喉、痛む?」
「あぁいや、恐らくずっと喋っていたせいで喉が乾燥してしまったのだろう。体の怠さもないし、風邪ではないと思うから心配するな!」
「……そう? 風邪じゃないなら良いけど……でも、少し休憩を入れようか。今日詰めなきゃいけない所までは出来たし、根を詰め過ぎても体には良くないからね。今お茶のおかわりを持ってくるよ」
「む、すまんな。凄く助かる」
「ううん、気にしないで。それじゃあ行ってくるから司くんは適当に寛いでてよ」
空になったコップを手に立ち上がり、笑顔で此方を見送ってくれる司くんに笑い返しながら扉を閉め……そして部屋の中の彼に聞こえないよう、小さく溜め息を吐いた。
「(寧々があんな事言うから、やけに意識してしまうなぁ)」
母屋にあるキッチンへと足を運びながら、先程の寧々の発言を思い出す。あくまで憶測に過ぎないけれど、今日打ち合わせをする際に僕が司くんにアプローチ出来るようにと、そういった計らいの元恋愛を題材とした案を提案してくれたんだろう。
確かに寧々の言った通り、ショーに私情を持ち込み過ぎるのは良くない。けれど、実際僕達のショーに恋愛要素が足りていなかった事は事実だ。今までにない新しいもので、観客に笑顔を届ける。それは僕達ワンダーランズ×ショウタイムの方針となんらズレていないのだから、あまり公私混同だと気にしなくて良いと僕は思っている。寧ろ、幼馴染に気を使わせて申し訳ないぐらいだ。
ただ、まぁ、敢えて一つ恨み言を言うのなら。
(打ち合わせの最中は、ショーの事で頭がいっぱいだったから問題なかったけれど……うん、駄目だよあれは。無理無理、僕は聖人にはなれません)
ただでさえ、恋心を拗らせた相手が自分のテリトリーにいるという一大イベントに、思春期真っ只中の僕はずっとドギマギしているのに。そこに「恋バナを切っ掛けに好きな子を振り向かせよう!」なんて心理的バフが掛かってしまったら、そりゃあ恋する男子高校生としては意識するなという方が無理な話だ。
咳で苦しむ司くんを見て、心配するより先に「えっちだなぁ」なんて煩悩まみれな感想を抱いた時点で友人としては完全失格。いや、寧ろ人間として失格なのではなかろうか。
(拝啓、お父さんとお母さん。あなた達が手塩にかけて育ててくれた息子は、どうやら少々性癖が歪んでしまったのかもしれません)
そういう事もあるさ!と親指を立てる脳内の両親になんとも言えない気持ちになりながら、冷蔵庫からキンキンに冷えた麦茶の容器を取り出す。少し悩んで、どうせ今日は両親の帰りが遅いからと容器のままお茶を持っていく事にした。別にコップ持ってこなくても良かったな、これ。
(背中を押してくれた寧々には悪いけど、司くんが部屋に来ただけでいっぱいいっぱいなのに告白なんて出来るわけないよ……。そもそも脈アリかどうかもわからないし、確認した結果脈ナシだったら絶対立ち直れない)
明日の寧々に意気地無しと罵られる覚悟を決めながら、自室のガレージへの道を歩く。
そういえば考え事をしながらキッチンへ向かったせいで、お茶を入れに行っただけにしては随分時間が経ってしまった。司くん、退屈してないかな。部屋に戻ったら謝らないと。
ちょうど辿り着いた自室の扉を押し開けながら、そんな事を頭の片隅で考えていた。
「司くんごめん、少し時間が掛かってしま……」
「うぉぉおおおお る、類おかえり遅かったな」
そう、そんな事を頭の片隅で考えていた僕の脳味噌は、部屋の中の光景を見た瞬間に呆気なくその機能を停止した。
というか、え、え? なんでどうして、
「……つ、かさくんそれ……僕の服、だよね? なんで羽織って、」
「えっ、あっ、いや! ち、違うんだこれは、そのっ、……に、二人羽織に興味があってだな それでこうして類の服で練習をと思ったわけだ!」
「二人羽織に興味があったなんて初めて聞いたけれど……」
「うっ……」
ぐっと押し黙った司くんの顔は真っ赤に染まっていて、ぎゅうと握り締められた拳には僕のパーカーが握られている。つい先程、僕が扉を開けるまで司くんに羽織られていたパーカーが。
扉を開けた先にあったのは、僕のパーカーを羽織りながらうっとりと目を閉じる司くんの姿。鼻先を埋めて、まるで僕のにおいを嗅ぐようにして。その頬が紅潮していたのは、きっと夕陽のせいなんかじゃない。残念ながら、彼が此方に気付いた途端にその光景は崩れ去ってしまったけれど。
でも、二人羽織が好きだったからなんて、明らかに出任せの嘘まで吐いて。僕に見付かったら慌ててパーカーを脱いだくせに、未だにその手に握ったままの理由なんて、そんなの。
「……期待、してしまうんだけど」
心臓が、煩いぐらいに早鐘を打っていた。全身が燃えるように熱くて、ゴクリと唾を飲み込んだ音が奇妙な程静まり返った室内に反響する。手に持ったままだったお茶とコップを机の上に置いて、ゆっくりと司くんに近づいていく。縮こまった彼に伸ばす僕の手は、期待か緊張か、それとも興奮からか、微かに震えていた。
「ねえ、そんな顔してそんな事されたら、期待してしまうよ」
「き、期待、って」
「どうして僕のパーカーを羽織っていたんだい? 教えて、司くん。怒らないから」
決して威圧的に響かないよう、逸る心を抑え付けながら問い掛ける。恐る恐る触れた彼の手はいつもより熱くて、その事実がどうしようもなく僕を興奮させた。その熱の理由が、僕にとって都合の良いものだったらいいのに。
尚も頬を朱く染めたまま黙する司くんに焦れったくなり「ねぇ」と再度投げ掛けた声は、自分でも認めざるを得ない程に欲と熱を孕んでいた。
「このまま答えてくれないんじゃ、僕は自分に都合の良い解釈をしてしまうんだけど」
「あ、う、」
「お願い。僕がまだ君の友人として自分を律する事が出来てる内に、司くん自身の口から教えて」
でないと、君にひどいコトをしてしまいそうだから。殆ど掠れるように紡いだ僕の言葉に、びくりと目の前の肢体が震えた。ぎゅっと目を瞑って、細く息を吐いて、これ以上ないってぐらいに顔を真っ赤に染めて。
美味しそうだな、なんて気持ちがちらりと胸を掠めたのとほぼ同時に、司くんが重たく閉ざしていた口を開いた。
「る、いが、部屋から出てって、」
「うん」
「相変わらず、お前の部屋は夢に溢れてて素敵だな、なんて思って待ってて、でもお前は中々戻ってこなくて」
「うん」
「……ソファの上に脱ぎ捨てられた類のパーカーを見て、だらしないなって、最初は思ってたんだ」
そんな事を思ってたなんて、ひどいなぁ。そう茶々を入れたくなったのを、ぐっと我慢して次の言葉を待つ。逡巡するようにじっと己の指先を見詰めている杏色の双眸に宿るのは、緊張と、僅かな恐怖と、それから──
「……魔が差したんだ。あのパーカーを羽織ったら、お前のにおいに包まれるのだろうかと、そんな事を考えてしまった。考えてしまったら、もう駄目だった。お前の事は大切な仲間であり友人だと、そう思っていた筈なのに」
そこまで言って、刹那戸惑う様子を見せた司くんは、僕の手にそっと触れて、そして。
「……気付いたらこれを羽織っていて、まるでお前に抱き締められているようだと錯覚して。どうしようもない程に──興奮、した」
押し出すように紡がれた声は震えていて、僕と同じぐらい、確かな欲に塗れていた。脈ナシだったらどうしようなんて、先程まで感じていた不安が嘘のように煮え立った高揚感が全身を支配している。
狡い考えが、頭を過ぎった。
「……ねぇ、試してみようよ」
「え?」
俯く司くんの頬に手を添えて、クイと僕の方へと仰がせる。不安げに揺れる瞳は、僕と目が合った瞬間に大きく見開かれた。はく、と喘ぐよう開かれた唇ににこりと笑みを返して、僕はゆっくりと友情という名の仮面を剥ぎ取ってゆく。
「君のその衝動の正体は何なのか。僕の期待と同一のものなのか。……一緒に、試してみない?」
彼の手からパーカーを抜き取って、細い指を僕の手で絡め取って。唇同士が触れ合いそうな距離で告げたそれに、目の前の金糸が静かに頷いた。