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    #赤安

    12/17 赤安サンプル

    「赤井、結婚しましょうか」

    赤井と籍を入れたいと思った。
    そう思い至るまでの話をしよう。少々長くなる。
    長年追い続けていた国際的犯罪組織・黒尽くめの組織を各国警察のエージェントたちと、とある小さな名探偵の活躍により瓦解に追いやった。多くの人々が組織の犠牲となり、僕の憧れの人であり組織の薬品開発者であった宮野エレーナも亡くなり、失ったものはあまりにも多く、大きかった。僕の公安警察の人生において大きな割合を占めていた黒尽くめの組織の瓦解は僕の生活にぽっかりと穴を開けたが、ある一つの大きな存在が太々しくどっかりと座り込んでいた。
    赤井秀一だ。
    当時ライというコードネームでFBIから組織に潜入していた赤井は、バーボンというコードネームでスパイとして潜り込んでいた僕とは全くそりが合わなかった。赤井は僕のことを役立たずだとでも思っていたのか顔を合わせるたびに僕を馬鹿にした態度をみせ、嫌味と睨み合いが絶えなかったのは今でもはっきりと覚えている。当時ライが同じ潜入捜査官だとは知らなかったが、態度は悪いながらも頭の切れる奴がこんな組織で燻っているなんて、と半ば嫉妬のような気持ちもあったと思う。そんな機嫌の悪い僕を宥めてくれていたのが、同じく組織に潜入してスコッチというコードネームを貰っていた幼馴染のヒロだった。
    しかし、潜入してしばらくした頃、スコッチが日本の公安警察だと組織にバレてしまう。
    同じく潜入捜査官だったライが組織からの逃亡を手引きしようとした。僕はスコッチからの連絡があり駆けつけたが、その僕の足音を組織の者が来たと勘違いしたスコッチは、気を取られているライの拳銃の引き金を引き、自らの命を絶った。
    これが赤井から聞いたことの顛末だった。
    最初に聞いた時は、ひどく狼狽した。僕はずっとライのことを恨んでいたのに、ヒロを死に追いやったのは本当は僕だったのだ。涙を流す資格もないと、僕は赤井に謝罪した。
    しかし赤井は、僕たちの過失はフィフティ・フィフティだと言って、僕が背負った十字架の片方を担いでくれた。
    その時、僕はやっと泣くことができた。
    そうして赤井と言葉を重ねているうちに、和解してはいさよならと一言で済ますにはあまりにも惜しいほど、僕らは人生のピースを共有していることに気がついたのだ。
    僕らの距離は少しずつ近づいていった。始めはただの友人同士だったのは確かだ。組織の残党が各地に潜伏していることから日本とアメリカの警察は合同捜査本部を立ち上げ、警察庁のフロアにFBIが転がり込んできてから赤井に飲みに誘われることが増えた。
    「君は見ていて飽きないんだ…」
    褒めているのか貶しているのか分からない評価をしながら安居酒屋に似つかわしくないウイスキーのロックアイスを転がして笑っている赤井と、そんな赤井相手にお構いなしに喋り倒す僕。焼き鳥のタレの匂いを少し重く感じながら、酔いが回って目頭をぼーっとさせた目で赤井のいつもの仏頂面から程遠い笑顔を眺めるのが好きだった。
    赤井とならどこに行っても居心地が良かった。安居酒屋でも、おしゃれで落ち着いた雰囲気のバーでも、大人気なく二人で遊園地にだって行った。先にも言った通り、僕たちは共有しているものが多い。それに赤井は地頭が良いからか大抵のことを理解して話の腰を折ることがない。赤井はあまり喋る方ではないようだったが、人の話を聞くのは好きで、他の人には苦い顔をされる蘊蓄話も君は博識だと言って嬉しそうに聞いてくれた。僕にはもう残っていなかった青春が雪解けと共に芽吹くように花開いた。
    それが次第に、赤井が借りているマンションで飲まないかと誘われるようになった。確かに、外では誰が聞き耳を立てているかわからない状況で、話す言葉にも気を使うの
    が常だった。赤井の部屋ならばセキュリティも申し分ないだろうしと思い、赤井の申し出を了承した。
    少し緊張はした。この頃、ずっと恨んでいた赤井に気を許しすぎなのではないか、あの時の態度はどこに行ったのだと我が身を振り返って自覚したこともあり、赤井と居るのは楽しい、でも僕としてどうなんだと身の振り方に迷いが生じてぎこちなくなっていた時期でもあった。
    「取って食ったりしないよ」
    緊張している僕を察したのか赤井がそんな肉食獣然としたことを言うものだから、僕は「そんなことしてみろ、今すぐ死体損壊罪でお縄につけてやる」とできもしないことを叫んだ。赤井は焦って頓珍漢なことを宣った僕を面白がって笑っていた。今思えばこの頃には赤井はもう僕を意識していたのかと気づくことができるが、当時の僕は赤井のことをすっかり男子高校生や大学生の悪友のような、気の置けない友人だと思っていた。赤井が僕のことをどんな目で見始めているかつゆ知らず、僕はのんきに赤井と二人きりで何度も酒を飲み交わしていたのだった。
    我ながら気を抜きすぎだと自省するが、酔いが回って眠くなってしまい、赤井の家のソファで隣に座った赤井の肩を借りて寝こけたことがあった。うつらうつらとして数秒意識が落ちた程度だったが、次に目を開けた時には赤井の顔が眼前にあった。数秒目を合わせた気がして、ふわふわとした頭で「こいつは何をしているんだ?」「赤井も飲んでた筈なのに全然酒の匂いがしないな」とふわふわ疑問に思っているうちに、僕のファーストキスは奪われた。
    え? ポカンと口を開けて呆然としていると、赤井は僕の肩を抱いて、またキスをして、僕の後頭部に手を添えてソファに押し倒した。少し濡れた僕の唇を赤井の指が優しく撫でる。赤井の触れる手に不思議と嫌悪感を抱くことはなく、押し倒されて見上げた赤井は妙に色っぽかった。部屋の証明で逆光になっていた赤井の表情は頬が少し赤く染まっていたけれど、ふざけているわけでもなく、笑っているわけでもなく真剣で、鼓動がどくどくと早まったのは多分、酒のせいだけじゃなかった。
    「赤井って僕のこと好きなのか?」
     その時、赤井の目に吸い込まれるように、僕は赤井に釘付けだった。酒で目が座っていたからじゃない。
    「俺が、好きでもない相手に手を出すクソ野郎に見えるのかな?」
    「少なくとも、同意をちゃんと取らないクソ男には見えます。赤井、取って食うじゃないか」
    「同意が必要か? 君がその気ならお縄につけてくれるんだろう?」
    胸ぐらを引っ掴んで、赤井の調子のいい口をかじりとるようにキスをした。

     
    酒の酔いと勢いで変化してしまった僕らの関係だったが、赤井の態度は誠実だった。そうして赤井と恋人としての交際関係がはじまると、今度は赤井が僕の家に来ることが増えた。と言うより、赤井がことあるごとに僕の家にやってきて居座るようになったのだ。
     赤井はあの図体で僕の後をアヒルのヒナのようについて回り「君と片時も離れたくないんだ」なんて殊勝なことをほざく。言葉通りスキンシップが増えて僕にまとわりつくようになった。家に入ればキス・ハグ・キス・ハグ……。
    僕は一人の時間が長かったからそれに慣れず鬱陶しく感じているところもあり、一度料理中に背後にくっつかれた時は「危ないでしょうが!」と叱った。それから赤井は、料理中はリビングでおとなしくしている。
    赤井があまりにも僕の家に住み着いて、着替えや歯ブラシ、シェーバーなど(悔しいが僕は使わないから持っていないのだ)赤井の荷物が部屋に増えてきた。赤井からは僕と同じ柔軟剤の香りがして、僕には煙草の匂いがついた。元々一人暮らしの部屋に男二人が住まうには狭苦しさを感じ、なんとなしに引っ越しと同棲を提案した。赤井もそれは考えていたようで、あまり時も経たないうちに僕らは同棲を始めた。
    そうなれば当然職場への報告も必要となり、ひらりひらりと躱し続けた上司の娘さんとの見合い話も「降谷には最強のダーリンがいるからなあ」と見合いの場が設けられることすらなくなっていった。
    新しく越した部屋はセキュリティ万全、築浅3LDK洋室の七階。
    詰まるところ、僕らは収まるところに収まったのだ。


    話は戻り、赤井に結婚を持ち出した時の話をしよう。
    同棲し始めて大分早い段階で、僕は身を固めようと思っていた。赤井とはこれから先、どんなことがあってもお互いの道は交わっていくものなんだろう、そういう運命の星の元にあるんだろうと思っていた。
    とはいえお互いの職業柄、結婚ともなれば愛と情熱だけで突っ走れることではない。僕らは現実的に結婚について話し合おう、それは赤井も理解しているだろう、というのが僕の考えだった。結婚となると日本の法律では同性婚はまだできないため、渡米して手続きを行う必要もあり互いの日程の調整も関わってくる。劇的なサプライズの求婚はできないにしても、結婚を切り出してどちらかがプロポーズ、一緒に結婚指輪を買いに行ければ充分すぎるゴールインだ。
     だから僕は、お互いの休みが重なったその日、昼食のリクエストを聞くくらいの軽い気持ちで赤井に尋ねたのだ。
    「赤井、結婚のことなんですけど」
    話があると言って、変に重い空気にならないように温かいコーヒーと茶菓子も準備した。コーヒーの香ばしい香りは、僕の肺にスッと満ちて癒しをもたらしてくれる。赤井はサプライズするつもりだったのに! と嘆いたりするかな、なんて面白がったりして。
    「結婚? 新一は何か言っていたか?」
    「え?」
    なぜそこで新一くんの名前が出てくるんだ、と思ったが、さして重要ではないので軽く流して続ける。
    「えっと、違くて、僕と貴方の」
    その時の赤井の顔を、僕はいまだに忘れられない。まさに鳩が豆鉄砲を食らったようという表現がしっくりくるような顔をしていた。赤井のそんな顔を見る機会はそうそうないので、その時はまだ「赤井もそんな顔をすることがあるんだなあ」なんて呑気なことを考えていた。
    「俺と君の? 日本じゃできないから……アメリカに行って?」
    「そうです」
    赤井が聞き返したことで、雲行きの怪しさを感じる。赤井だってまだ恥ずかしながら僕の国では同性婚が認められていないのは知っているだろう、何を今更改まって聞いているんだ。
     赤井はうーん……と低い声で唸ると、鼻に指を当てて啜り、腕を組んだ。それは赤井が何か都合が悪い時の所作だった。
    「……君の仕事のこともあるし、無理して籍を入れなくてもいいんじゃないか?」
    「……」
    思い描いていた展開とは異なる返事に、僕は驚いて言い返す言葉が喉から出てこなかった。赤井なら僕と結婚したがると当然のように思っていたし、むかつく程アメリカンなオーバーリアクションで喜ぶとすら思っていたのに。
    現実の赤井は困っていた。まるでわがままを言う幼い子供を優しい言葉で宥めている父親のような顔をして。僕に浮かんだのは怒りでも涙でもなく、僕の気持ちが宙ぶらりん。
    赤井は呑気にコーヒーを啜った。君の淹れるコーヒーは相変わらず美味いなという言葉に、辛うじて、ぼそりと、そっか、と呟いた。 


       2

    「……という次第です」
    「愚息が大変失礼した。一発入れてこよう」
     東都ホテルのラウンジには似つかわしくない言葉を吐いたのは、赤井の母、メアリーだった。赤井の考えていることが分からなくなった僕は、赤井秀一を一番よく知る人物、即ち赤井を産み育てた母を呼び出したのだ。以前からこのラウンジのアフタヌーンティーに興味があることを聞いていた為、テーブルの上には可愛らしいケーキスタンドが二つ、あたりにはアッサムミルクティーのコクのある香りが漂っていた。向かいのソファに座っているメアリーは綺麗にティーカップを指先で摘んでいたが、まるでビールでも飲むかのようにぐいっと一気に煽って飲み干した。当然ながら、この不穏な空気ではケーキたちも手がつけられていないままである。
    「どうか穏便に……。赤井は決して僕を適当に扱っている
    わけではないし、その……愛されていると思うんです」
    「では何故、と疑問に思った君は、母親である私から何か聞けないかと思ったわけだな」
    「お恥ずかしながら……」
    自分でも恋人の母親に何を聞いているんだ、という自覚はある。しかし赤井はこれまでの動向を加味すると情報の共有が乏しく、僕には伝えていなくても母親に伝えていることがあるかもしれないと思った。かつて弟とは連絡をとりながら母親と妹には自分が生きていることを伝えていなかったように。メアリーはどっかりとソファの背もたれに寄りかかり、指先を鼻に当てて啜った後、足を組み直しふう、と息をついた。
    「まず一般的に、結婚を断る理由として挙げられるのが世帯を持つ覚悟・経済的余裕の無さだと言うが……あの子に限ってそれは無いだろう」
    「全く想像がつきませんね。自信が服を着て歩いているような男です」
    「そうだろう。随分太々しい男に育ってしまった」
     メアリーは続けた。
    「次にある可能性としては浮気の可能性だが……申し訳ないが私から提供できる情報は無い。正直あの子は君しか見えていないと思っていたからな。君から見て、あの子に不審な動きはないか?」
     メアリーに聞かれるまで浮気の可能性を微塵も考えていなかった僕は正直なところ驚いてしまった。惚気のように聞こえるかもしれないが、赤井は僕以外に対してはとてもドライで、正直口も態度も悪いと聞いた(僕が居る前では猫を被っているらしい)。僕に対して見せる甘い態度を他人にしているところを見たことがないため、それを僕以外の他人が受けているところを想像すると胸がジクリと滲むような心地がした。
    (……あ、そういえば)


     以前、僕が赤井に結婚の話をするよりも前、十一月半ばのことだった。今年のクリスマスの予定を聞こうと部屋にいる赤井の元へ行った時。いつもお互いの部屋に入る時はノックをして声がしてから入ることをルールとしており、それに則って赤井の部屋のドアを開けた。赤井はデスクの椅子に座ってスマートフォンを眺めていたが、僕が入室したのを見るととそれを操作する手は止まった。
    「どうかしたのか?」
    「クリスマス、何か予定はありますか? ディナーでもどうかと思って」
    「君と過ごす以外の予定はないよ」
    赤井は僕だったら恥ずかしくて顔を覆ってしまうほどの言葉も、なんでもないような真顔で宣う。
    「そんな歯の浮くようなセリフをよく言えますね」
    「君が第一だからな。しかし、そのシーズンじゃそろそろ予約が埋まっているんじゃないか?」
    「何もクリスマス当日に合わせなくてもいいですよ。例えば、前の週の日曜とか」
    「いいな」
    赤井は快く了承した。
    「そういえば、東都水族館の観覧車が近々運転を再開する
    そうだ。ディナーの後に行ってみるのも良いかもしれん」
    かつて赤井と、その大観覧車の頂上で拳を交えたことを思い出す。今思えば全くそんなことをしている場合ではないのだが赤井を目にして頭に血が上ってしまい、醜態を晒してしまった苦い思い出である。思い出すだけで顔から火を吹きそうだが、それに応戦する赤井も赤井である。
    「……別に、そんなに行きたいなら、一緒に行ってあげないこともないですけど」
     僕がそっけない態度で返事をすると、赤井はニヤ……と気色の悪い笑みを浮かべた。
    「これは頑張らなければならないな?」
    「頑張らなくていいです」
    僕があの出来事を苦手としているのを知っている赤井は僕を揶揄ったのだ。僕がそれだけですと言って部屋を出ると、赤井は口元に笑みを浮かべて手元のスマートフォンに視線を戻し、何やら操作をしていた。
     その時は、赤井のことだから僕とデートできるのが嬉し
    くて早速観覧車の営業時間でも調べているのかな? 大し
    て気にすることなくスルーしてしまったが、今思うと赤井は僕の前以外ではあまり笑う方ではなく、よっぽど嬉しいことでもないと電子機器に向かってニタニタと笑うような性分ではないだろう。
    あれはもしや。
     いや、ただ可愛い猫の動画でも見ていたのかもしれない。面白い記事を読んでいたのかもしれない。赤井が不貞を働いた証拠でもなんでもないが、一度疑う想像をしてしまうと、絶対に違うと断言はできなかった。
    もし、誰かと連絡を取って、その笑みを浮かべているとしたら?
     メアリーの顔を見た。メアリーは僕のことをまっすぐに見ている。自分の息子を疑うなんてことをさせているにも関わらず、その目は迷いも無く、赤井の目だった。
     本当はこのことをメアリーに伝えるべきかどうか迷っていた。実の息子が浮気を疑われていることなんて、母親からしたらショックな出来事に違いない。しかしメアリーは息子を盲目に信じることだってできるのに、あくまで中立的な視点から僕にアドバイスをくれている。僕はこうしてメアリーを呼び出した理由も彼女が信頼できる人物だからなのだと思い出した。
     その出来事をメアリーに伝えると、メアリーは少し考え込んで、手を伸ばして僕の手をテーブル越しに撫でた。
    「不安にさせてしまったな。なに、必ずしもそうと決まったわけではない。君の信じる秀一を信じればいい」
    メアリーのふ、と口を結んで笑った姿は、かつて憧れていたエレーナ先生にそっくりだった。心が綿に包まれるような温かさ、不思議と気分が落ち着いていく。
    「ありがとうございます、すみません、こんなことで呼び出してしまって」
     僕ははっと思い出して、ティーポットからティーコジーを外し、メアリーの空になったティーカップに紅茶を注いだ。保温されていたため紅茶はまだ温かく、ふわっと僕らを包むように湯気がたちのぼる。メアリーはありがとう、と言って、ティースタンドのスコーンを手に取って半分に割った。
    「いいんだ。君ももう、私の息子なんだからな」


       3

    「飲み会? 珍しいですね、貴方が」
     僕と赤井は同棲しているが、僕が気恥ずかしくて普段は別々の車で登庁している。僕が姿見の前でネクタイを結んでいると、赤井は黒いワイシャツのカフスのボタンを留めながら今夜遅くなることを伝えてきた。
     メアリーとの一件があってから赤井を信じることにした僕は、いつも通り赤井と暮らす日常を過ごしていた。でもあれから赤井に結婚に関する話を切り出すのはなんだか怖くて、できないままでいる。
    「米大使館の友人がどうしても、とな。日付が変わるまでには帰ってくるから」
    「パイプを作るのも立派な仕事ですよ。それに日付が変わるまでになんて、シンデレラじゃあるまいし」
    「迎えに来てくれるか? 王子様」
    「嫌だな、こんなゴツいお姫様」
    軽口を叩きながらも、脳裏には浮気の疑惑がよぎってしまった。赤井は本当に真実を言っているのだろうか。赤井を信じると決めたのに、仕事の人間と飲みに行くと告げられたくらいで覚悟が揺らいでしまう自分が嫌になる。赤井が死んでいた間はあんなにも赤井が生きていることを信じて疑わなかったのに。
    赤井の側に立つようになってから、僕らは互いに影響し合って変わった部分がある。孤独だった僕と、孤独を選んでいた赤井は、一緒になってからお互いの知らない部分を見た。よく人は愛する人を見つけると弱くなると言うが、僕はそれを、自分の人生を明け渡した人の弱点も背負うようになるからだと思っている。だから僕は弱くなった。赤井が一人の人間であることを知って、赤井の人らしい『揺らぎ』に、これまで抱いていた赤井像に自信が持てなくなってしまった。
    僕が結婚を切り出した時の赤井の驚いた顔を思い出した。僕の仕事を言い訳に結婚をなあなあにした赤井は、僕に何かを隠している。
    「零くん?」
     急に喋らなくなった僕の顔を赤井が覗き込む。僕は安室透の笑みを浮かべて、赤井の尻を叩いた。
    「ほら、帰り飲むなら車で行けないでしょう。乗せていくから早く支度して!」
     赤井に非がないと分かれば安心できる。僕は赤井を信じるために、できることをすればいい。


     退庁した赤井の足取りを追った僕は、新宿駅東口の人の波をどうにか避けて歩いていた。日本人としてはいささか目立ちすぎる金髪と視線をハンチング帽で隠す。赤井の見慣れた黒いニット帽頭をどうにか目で追いながら、赤井が湾曲した巨大スクリーンのある歩行者天国の通りを右に歩いて行ったのを確認した。大使館の友人を飲みに連れていくにはいささか治安が悪いのではないかと思いながらも、その後をついて同じように通りを進んでいく。赤井は高級ブティックが立ち並ぶ街並みを通り過ぎて。左手に見えたコンビニエンスストアの角を曲がって路地の中を入っていった。
    「この通りって……」
     以前公安がマークしていた違法薬物の密売ルートの摘発の際、情報収集として訪れたことがある。メインストリートには大々的に性病を注意喚起する看板が建てられ、辺りには虹色の旗を掲げた店が点在し、どの時間帯に訪れても楽しそうに飲酒と会話、出会いを楽しむ人々で溢れかえる街、新宿二丁目だった。
     赤井は細い裏路地のビルに密集するゲイバーの一つに入店した。ドアの隙間から見えた店内は、タバコかスモークの演出か、白い煙がもくもくと立ち込めていた。赤井の入店から時間を空けて店内に潜り込むと、赤井が店の奥のソファ席で誰かと話しているのが見えた。
     この店に先に入店して待ち合わせをしていたらしい男は赤井が注文したウイスキーを待って乾杯し、赤井と親しげ
    な様子だった。僕は赤井から距離を取ってカウンター席に着き、ハイボールを一杯注文した。
    (あれは本当に米大使館の人間なのか?)
     赤井とはずいぶん親しい様子だった。もう何杯か飲んでいるのか、白い肌が紅潮し赤井にベタベタと触れている。
    僕は腹の奥にグラグラと煮えたつようなどす黒い不快感を感じ、それを流すように渡されたハイボールを煽った。氷で十分に冷やされた炭酸が食道を通り、内臓を冷やしていくのを感じる。若く見られたのかハイボールはウイスキーが少ししか入っておらず、香りづけ程度にしか味わえなかった。
    店内は重低音の響く音楽がまあまあ大きな音量で流れており、赤井が何を話しているのかは聞き取れない。もう少し近づく必要があるか…と思案しながら赤井の様子を横目で観察していると、赤井はスマートフォンを取り出して相手の男に何かを見せているのが見えた。お互い画面を見合い、和やかに会話をしているようだった。
     赤井は笑っていた。僕にしか見せなかった、悪人面が間抜けに緩んでいますよなんて揶揄したけど、本当は大好きだったあの笑みで。
     胸がざわついて手から力が抜けていくのを感じる。体が
    すくむなんて久しく経験していなかった。ゆっくりと視線をカウンターテーブルの方に戻し、半分ほど減ったハイボールのグラスを見つめ、グラスを持った指には流れ落ちた結露が溜まっていく。
    (赤井が、本当に浮気を?)
     僕とあろう者が、隣に人が来たことにも気づかないほど衝撃的だったらしい。隣の席に来た知らない男は、僕のハンチング帽の先の顔をじっと見つめてニヤニヤと笑っていた。
    「な……なんですか?」
    君ひとり? とお決まりのナンパ文句を口にした男は、座っていたスツールを僕に近づけて座り直した。男はもう随分と飲んでいたのか吐く息からはアルコール臭が漏れ、吐き気がした。僕がそういう気分じゃないと断っても、僕の肩に手を回して話聞こうか? と的外れな返事が返ってくる。
    「ちょっと、」
     いつもならこんな小物はもっとスムーズにあしらうことができるのだが、赤井の事に気を取られてしどろもどろになってしまい、相手を余計つけ上がらせてしまった。もっと強く拒否しなければとナンパ男の肩を軽く押すと、男はもうすでに三半規管も鈍くなっていたのか、バランスを崩して椅子から転げ落ちた。穏やかではないやりとりに、周りに居た他の客がこちらに視線を向け始めた。
    (まずい、目立ってしまう)
    「零?」
     嫌な予感は的中した。赤井は僕の存在に気づくと、話をしていた相手の男を置いて僕の方に駆け寄ってきた。すると転けたナンパ男は赤井の顔を見るなり足を滑らせながら立ち上がり、そそくさと金を置いて店を出ていった。
     その男の行方を見つめながら、横にいる赤井の視線を体でひしひしと感じていた。
    「どうしてここにいる」
    「それは…」
    僕は赤井の顔を見られなかった。でも赤井の声色は、僕が怪我をした時や無茶な任務にいった時の、低く腹に響くような音で、決していい気持ちではないのは感じとった。僕はさながら叱咤に怯える子どものようだ。
     僕だって赤井を問い詰めたい。その人は誰なんですか。どうしてあなたがゲイバーにいるんですか。聞きたいことが浮かんでも、それが声として出ることはなかった。
     男二人の痴話喧嘩か、一難去ってまた一難、周りの客がまたかよとうんざりする空気を漂わせる。
    「店に迷惑だ。出るぞ」
     赤井は相手の男に目配せをしてから、僕に退店を促した。赤井に逆らうことが許されていない僕は、言う通りに金を置いて店を出ていく。
     相手の男も僕と赤井の不穏な空気を感じ取ったのか、今日はお開きにしようと言って帰って行った。結局赤井は彼のことを紹介もしてくれなかった。
    「車、置いて来たのか」
    「……はい」
    「ああいうところは一人で行くな。君とて心配だ」
    「……はい」
     行きは一人で来た道を、帰りは二人で帰る。いつもはお喋りな僕がだんまりなのに耐えかねた赤井が、不器用に僕に話しかけてくる。僕ははい、とかああ、とか気の抜けた返事をするばかりだ。赤井を困らせているのはわかっている。でも赤井になんて話しかけたらいいか分からない。
    「もう一度聞くが…どうしてあそこに?」
    「赤井はどうして?」
    「質問で返すな。友人と飲み会だって言っただろう」
    「別に。ゲイバーだなんて聞いてなかった」
    「君と付き合っているんだから行ったっておかしくないだろう」
    「……どうだか!」
     僕と付き合っているんだったら尚更行かないだろう! ゲイバーはゲイカップルが一目憚らず飲める場でもあれば、出会いを求める場でもある。僕はカッとなって声を荒げた。その時、枷が外れるような気がした。
    「あの人と何話してたんですか。ニヤニヤしちゃって」
    「他愛無い飲みの席での世間話だ」
    「赤井、僕に隠していることあるでしょう」
    「俺にも君にも、相手に言えないことはあるはずだ。現に君は俺に何も言わず俺を尾行した」
    「そうやってはぐらかすんですね」
    「零!」
    売り言葉に買い言葉で赤井の逆鱗に触れてしまう。赤井は普段決して大きい声を出すわけではないため、赤井の怒りの声色につい怯んで赤井の顔を久しぶりに見た。街灯が赤井を強く照らしていた。赤井はぎゅうと眉を顰め深い顔の彫りに黒く濃く影が落ちている。
    感情をむき出しにしてしまったことを自覚したのか、赤井はすぐに動揺した表情を浮かべて額に手を添えはあ、とため息をついた。
    「……少し頭を冷やそう、お互い」
    「え……」
    赤井が一緒に新宿駅の方へと進んでいた足を別の方向へ向け、僕を置いて歩き出した。
    「どこ行くんですか」
    「俺はしばらくホテルにでも泊まる」
     赤井を引き留めようと手首を掴んだが、手荒にふり払われた。赤井が遠ざかって行く。夜なのに昼間のように眩い新宿の街に、赤井が段々と溶け込んで見えなくなっていった。呆然としながら赤井の背中を、人混みに紛れて見えなくなるまで目で追うことしかできなかった。
    赤井は振り返らなかった。
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    赤井と籍を入れたいと思った。
    そう思い至るまでの話をしよう。少々長くなる。
    長年追い続けていた国際的犯罪組織・黒尽くめの組織を各国警察のエージェントたちと、とある小さな名探偵の活躍により瓦解に追いやった。多くの人々が組織の犠牲となり、僕の憧れの人であり組織の薬品開発者であった宮野エレーナも亡くなり、失ったものはあまりにも多く、大きかった。僕の公安警察の人生において大きな割合を占めていた黒尽くめの組織の瓦解は僕の生活にぽっかりと穴を開けたが、ある一つの大きな存在が太々しくどっかりと座り込んでいた。
    赤井秀一だ。
    当時ライというコードネームでFBIから組織に潜入していた赤井は、バーボンというコードネームでスパイとして潜り込んでいた僕とは全くそりが合わなかった。赤井は僕のことを役立たずだとでも思っていたのか顔を合わせるたびに僕を馬鹿にした態度をみせ、嫌味と睨み合いが絶えなかったのは今でもはっきりと覚えている。当時ライが同じ潜入捜査官だとは知らなかったが、態度は悪いながらも頭の切れる奴がこんな組織で燻っているなんて、と半ば嫉妬のような気持ちもあったと思う。そんな機嫌の悪い僕を宥めてくれていたのが、同じく組織に潜入してスコッチというコードネームを貰っていた幼馴染のヒロだった。
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