それは些細な出来事で「そういえば、」
思い出したように金吾が呟く。
よく晴れた初夏の青空の元、縁側でかつての先輩でもあり、皆本家の若君となった今では懐刀となった恋人の男と共にぬるくなった茶をすすりながらという、世間の血生臭さからかけはなれた雰囲気の中での一コマだ。
「なんです?若様?」
「千代から七の耳をよく見てくれって言われていたんだ、今構わないか?」
それは臨月を迎え出産のため実家の屋敷に戻った妻から言われていた他愛もない一言だ。
1つ上の妻に金吾は頭があがらない事が多い(最もそれは隣に座っている男にも、だが)のだがその頼みだけはどういった意味があるのか分かり兼ね、首を傾げた。
それを見た妻は「若様もですが七様も可愛らしい所がおありなのね」と何かを含んだような笑みしか見せず結局答えをくれはしなかったのだ。
だからこうして聞いてみたのだが件の懐刀ー七松小平太は忍び頭巾の上から両耳を塞ぐと金吾から一定の距離をとった。え、なに?
「は、ぇ?」
「若様、どうか、それは、ご勘弁、を」
「ほぇ?」
金吾の知る小平太という男は快活で傍若無人を絵に書いた様な男だ。少なくとも耳を押さえて逃げの体制をとるのは付き合い初めて10年近くになるが始めてみる姿だ。
「あの、え?」
普段は従者と主人という学生時代と反転したような関係のため、小平太相手に極力敬語は使わないように努めているが、あまりにも見慣れない姿に幼い頃の口調がまろびでる。
「いや、そういう訳にもいかないから…なにか問題でも?」
だからその疑問は至極自然なものだ。
どうしてわざわざ妻が従者の耳を気にかけるのか、
金吾のさりげない一言に耳を押さえてまで小平太が反応するのか
暫く言いあぐねていた小平太だったが遂に観念したようにぽろり、とこぼす。
「………恥ずかしながら、耳の掃除が苦手なのです」
「…………………………はぇ????」
なんだそれ、今度こそ初耳だ。
昼下がりの穏やかな日差しの中。
皆本家の離れ。
その子息であり、跡継ぎでもあり、若君と呼ばれる金吾の住まい。
その縁側に男が2人。
先日19を数えたばかりの青年の膝に従者たる男が頭を預ける。
所謂膝枕、というものだ。
若い男ー金吾の手には竹で出来た耳掃除を行う道具。
そして、金吾の膝に頭を預ける男ー小平太は居心地悪そうにしていた。
「耳掃除が苦手って…今までどうしてたんですか」
口調が染み付いた関係性のものに戻っている。
どうせこの離れには妻がいない以上ほとんど人はいない。
金吾の身の回りの世話をする下女やばあやなどは今頃夕餉の支度をしている頃だ。だから忍頭相手に敬語を使ったってそれを咎めるものなどいない。
「……学生の頃は…長次やいさっくんに頼んでた…ここに来てからは奥方やばあや殿に頼んでた」
普段の溌剌としたハリのある声がまるで蚊の鳴くようなか細い声で渋々答える。
まさか10年近く隠されていたなんて、しかも自分より先に妻が知っていただなんて。
その事実が面白くなく、金吾は不貞腐れる。
「……なんで千代にいうんです、僕ずっと知らなかったのに」
「だって!恥ずかしい…だろ、!み、耳掃除が、その、苦手とか、お前には…知られたくなかったんだ……」
思わず大きな声が出るが次第にしりすぼみになる。
どうやら本当に苦手だったらしい。
小平太と初めてあった頃、まだ金吾は幼く5歳離れていたとしても、幼子の瞳には15歳の少年は既に憧れの存在だった。
だから小平太はその視線も想いも知っていたからこそ、耳が弱い、なんてウィークポイントを今の今まであかせなかったし、あかせる訳もなかった。
なにはともあれ無事にバレてしまった以上、ここは腹を括るしかなく、まるで幼子のように両手をギュッと握りしめ目をきつくつぶる。
まるで辱めを受けてるような心地になって愛し子の膝の上という現実をさておいてもこの時間が早く過ぎることを小平太は祈ることしか出来なかった。
「……では、始めますね」
「ヒッ、」
「、?!」
9年目にして初めて知らされる事実に面白くない心地はあれど、頼まれた以上かの従者の耳の具合を見なければならない。
妻の頼みを生真面目にも守りながら金吾が小平太の耳たぶを柔らかく摘むと今まで聞いたことのないような声が男からあがった。
ついでに膝にのるがっしりと筋肉がついた逞しい体が強ばるのを感じる。
まるで幼い子どものような反応に息を飲んだ。
え?七松先輩本当に耳ダメなの??あんなに人の耳せめておいて?
とめどなく疑問がわきあがれど一先ず耳の中を覗き込む。
「あー…結構溜まってますね…」
「ぅ、ならっ、早く終わらせてくれ…」
金吾は別に耳元で囁こうとは思ってない。耳を覗き込みなが呟いたら結果的に小平太の耳を吐息がくすぐっただけだ。
「ハイハイ」と投げやりに呟きながら道具を耳に優しく差し込む。
すると「ぅ、」とか「んっ」とか耐えきれなかったような声が固く結んだ唇から零れ、体が小さく跳ねる。
雑紙の上に掻きとった屑を落としながら無心で耳の中を整える。
(てか、こんな姿中在家先輩や伊作先輩…ましてや千代にまで見せていたなんて…)
カリカリと微かな音に合わせるように跳ねる体や声を見る度に一度は忘れかけた感情が蘇る。
だから、少しぐらい、意地悪をしたって、構わないじゃないか
「…先輩、可愛いですね」
「ゎっ、」
「耳の中掃除してるだけなのにこんなに顔真っ赤にしちゃって」
「さわ、るな…」
「動いちゃダメですよ、耳の中傷つきますから」
必要ないのに耳たぶをふにふにと揉みながらわざと口を近づけて囁く。
ぎゅっ、と眉根を寄せて身を固くするからちょっと満足する。
「反対向いて下さい」と声をかければ目線を合わせることなく反対側を向く。
先程は外側を向いていた顔が丁度金吾の腹に向くから余計に表情がよく見える。
噛み締めた唇から熱い吐息がもれ、顔は赤く彼にしては珍しくうっすら汗もかいているようだ。
「酷いなぁ、七。中在家先輩や千代にそんな可愛い顔見せていたのに、私には内緒にしていたなんて」
拗ねたような口調で耳掃除を再開する。
いよいよ言い返す余裕もなくなったのか、ふぅふぅ、と荒い息を吐きながら体を固くする。
普段自分を組み敷き、好き勝手に蹂躙してくる男が自分のされるがままになっている。
その優越感に浸りながら金吾は小平太の耳の中を綺麗にしていった。
「ーーー終わりましたよ、」
金吾にとってはあっという間
小平太にしてみれば長時間にも渡る拷問のような時間が終わった。
ずっと身を固くしていた小平太が息をついて体の緊張を解こうとすると何故か金吾の太ももを枕にするように仰向けに体制を直される。
「若、様……?」
地獄のような耳掃除は終わったはずだ。
金吾の意図が読めず、普段は野生の勘が働く流石の小平太もきょとり、と真上の顔を見上げる。
金吾は掻き出した屑が風に舞わないように雑紙を丁寧に畳み、小さなツボを手に取り蓋を開ける。
とろり、と剣胼胝や小さな切り傷が目立ちながらも細くしなやかな手に透明な油が落ちる。
ほのかに香るのは花に似た香りだ。
「千代から預かっていたんだ、掃除をした後に耳周りを解してやれって」
「は?!え?!」
慌てて身を起こしかけるが、金吾も忍術学園の卒業生。それは許さない。
ぬちょっ、とした音と共に小平太の両耳を油を纏った暖かな手で包み込んだ。
「ひょえ?!」
「だから、動くなって」
ゆっくりとこめかみ辺りを揉みこみながら耳裏を指で押される。
ぬちゃ、ぐちょ、と耳元で油と皮膚が滑る音が響き、ぐっ、と歯を食いしばる。
金吾の体を拓く時わざと音を響かせる事が多いが、まさか自分がされるとは思わず何とも言えない羞恥が小平太を襲った。
耳たぶを解すように摘みながら軟骨に向かって指を滑らす。
耳裏から顎にかけて骨の形に添いながら指で優しくおしていく。
耳を触られるのには慣れてない。
耳元で音が鳴るのも慣れてない。
けれども暖かな指が、手が、
絶妙な力加減で押されるのがあまりにも心地よくって、次第に小平太の体から力が抜けていく。
「…酷いですよ、先輩」
それはぽろり、と零れた独り言。
固くつぶっていた目をソロリ、と開ければ懸命に小平太のこめかみ辺りを揉みながら金吾が寂しそうな顔をしていた。
「隠したくなる気持ちもわかります、だって僕からみた先輩はいつだって自信に溢れていてかっこよくって……だからこんな姿見せたくないって思うかもしれません」
「でも、」
「でもだからってこんな姿、中在家先輩達はともかく、千代にまで見せていたなんて、酷すぎます」
「……あぁ、ごめんな」
上から被さるような形になっていた金吾の前髪を優しく梳き、瞼、鼻筋、唇、と顔のパーツをなぞるように撫でてやる。
最後に頬に手を添えれば寂しげな顔が少し緩み、その手のひらに擦り寄った。
「……それにしても上手いな、誰に教わった?」
「……千代ですよ、先輩にしてあげるといいって」
「へぇ、金吾も可愛い顔を奥方様に見せたのか?」
「内緒です」
「ふは、生意気」
顎から首筋にかけての筋を柔らかく押しながら指を滑らせるとほう、と小平太が息をついた。
「だが、ああ、うん。これはいいな」
「お眼鏡にかなったのならなによりです」
最後に両耳を両手で優しく包み、暖める。
「おしまいです」と金吾が言いながら油塗れの自分の手と小平太の耳周りについた油を手ぬぐいで拭った。
「あー、なんだか顔周りが軽くなった心地だ。これなら一晩中塹壕を掘ってもまだ平気だな」
「それだけはやめてくださいね……」
呆れたような口調で返す金吾の体をぐ、と引き寄せる。
忍びではなくなった金吾からは彼自身が纏う香りと先程まで扱っていた香油の匂いが混ざって小平太の鼻をくすぐった。
「それ、どこで手に入れた?」
「……福富屋からですよ、南蛮のものらしいです」
「へぇ」
拭き取ったものの微かに花の香りがする掌をとる。
すん、と鼻を寄せれば居心地悪そうに金庫が身を捩った。
「ヒッ?!」
べろ、としっとりとした手に舌を這わせれば面白いぐらい金吾の体が跳ね上がる。
先程まで自分を可愛いと言っていた男とは思えないぐらい、初心な反応に小平太は満足した。
「ああ、やはりお前は可愛いな」
「な、なんですか、それっ……」
掌に柔く歯を立てながらにやり、と笑いかける。
見上げた顔は精悍ながらも首もとまで淡く染め上げ、困ったような表情を浮かべていた。
掌を掴んだ手とは反対の手で赤く、熱を持った耳に触れる。
大袈裟とは言わずとも咄嗟に身を固くした愛し子を見た小平太は満足したように笑みを深めた。
「今夜、覚悟しておけよ」
その言葉がなにを意味するか、嫌ほど分かっている金吾はゆっくりと小さく頷くしか、出来なかった。