——これだから体育会系は苦手だ。
幾多の視線を感じながら、臼井は顔を曇らせた。
高校卒業後に加入した札幌のクラブチームで訪れた沖縄。もちろん遊びのためではなく、リーグ開幕戦に向けての調節が目的だった。日中は練習とトレーニングマッチ等が組まれ、夜はミーティングで過密なスケジュールを過ごしている。それでも普段過ごしている真冬の札幌とは異なる穏やかな気候に、皆どこか開放的になっていた。否、なり過ぎていた。
「次、臼井行くか!?」
先輩の濡れた手が肩を掴み、臼井は身体を強張らせた。夕食で妙に場が盛り上がり、隣接しているプールにチームメイトが飛び込み始めたのだ。名前をコールされた者が面白おかしく煌めく水面に倒れこみ、笑いを誘う。貸し切りなので誰かに迷惑がかかるわけでもないが、自他ともにクールと称して生きてきた臼井にとって、避けたい事態だ。
ただ、問題はこの中で臼井は最年少だということだ。体育会系では先輩の命令は絶対を意味する。ポーカーフェイスには自信があるので表情には出ていないと思うが、ふざけて飛び込みをするなんて極めて嫌だった。
「ちょっと腹が痛いんですが」
「たった今まで元気に飯食ってただろ?」
「たった今痛み出したんです」
「……臼井」
言い聞かせるように先輩が笑みを浮かべる。これ以上粘っても無駄かと、臼井はしぶしぶ立ち上がった。
「先輩、俺のこと忘れてません?」
すると、急に後ろからにゅっと腕が伸びてきて、大きな影に抱きつかれた。ボディタッチが激しい同期の犬童だ。気安く触られたくなどないが、あまりに不意打ちだったのと、10センチは違う体格差で振り払うことができない。
「雄太」
頬が触れそうなほど近くの顔はなぜかとても嬉しそうだった。遊園地のアトラクションを前にしているような、今から始まることへの期待を隠そうともしない満面の笑顔。本能的に危機感を覚え、逃げ出そうとしたが間に合わなかった。ふわっと掬い上げるように持ち上げられる。
「犬童ッ!」
「よっと」
驚いている間に難なく肩に担がれてしまった。一般男性より重い自信はあるが、軽々とした様子だ。そのまま犬童は片手でポケットから自身の携帯を取り出し、テーブルに置いた。
「お前それ、まさか……ってどこ触ってんだ!」
「雄太っていつも携帯どこに入れてんだ? おっ、あったあった」
無遠慮に尻ポケットを探られて、頬が熱くなる。そんなところ今まで他人に触られた覚えはない。デリカシーの全くない犬童に眉を顰めつつ、身に着けていた電子機器を取り除いたことから導かれる展開に、身体が竦んだ。まさか、このまま飛び込むつもりなのだろうか。どうやら予想は当たっていたようで、犬童が宥めるように太ももを叩いてくる。
「大丈夫だって、俺も一緒だから」
全く安心できないセリフに文句をつける間もなく、犬童が歩き出した。まわりを囲むチームメイトがわっと歓声を上げるが、もはや臼井の耳には届かなかった。迫る煌めく水面と、涼やかな気配。脚が浮いた不安定な体勢がこわくて、すがりつくように太い首に腕をまわしてしまう。
「雄太」
飛び込む瞬間名前を呼ばれた気がしたが、大きな水しぶきに全てかき消される。
ぬるい南風に晒されていた身体を冷たい水が包み込む。鋭い感触は一瞬だけで、すぐに粘着力のある被膜のように肌に吸い付いてきた。自身との境界が曖昧な冷たい水の中で、犬童と触れている箇所だけが熱く、否応なくその存在を感じてしまう。
「っ」
急に胸が苦しくなって、酸素を求めて水面を目指す。顔を出したところで先に立ち上がっていた犬童と視線がかち合った。自分が無理やり飛び込ませたのに、彼は濡れそぼった状態の臼井を見て歯を見せて笑う。
「おまえ、びっしょびしょだな」
「さいあくだ……」
臼井は軽く犬童を小突いてその場を離れ、プールの縁に向かった。服を着たまま飛び込んだので、肌に張り付くTシャツが気持ち悪い。視界を遮っている濡れた前髪をかきあげているうちに、すぐに追いついてきた犬童が先に上がる。
湧き立つ先輩たちに手を振り、楽しそうにする背中を見上げていると、無性に腹が立ってくる。
聖蹟を卒業してまもなく一年。偶然チームメイトになった犬童はいつだって無理やり臼井のパーソナルスペースに入ってきた。今までの人生で出会った人物はみな察しがよく、臼井の守る領域を侵すことはなかったのに。その存在は異質で、妙に意識してしまう。
決して彼のコミュニケーション能力が低いわけではない。きっと、チームメイトどころか全人類を友人だと思っているのだろう。だからこそ一人心をかき回され、翻弄されている自分に腹が立つのかもしれない。
「犬童」
臼井はプールから上がると、近くから犬童と対峙した。濡れたTシャツを脱いだ彼が何事かと視線で先を促してくる。
均整の取れた筋肉で覆われた身体は一分の隙もない。浮ついているように見えて、圧倒的な余裕が垣間見える。無性に力が湧いて、臼井は彼を睨みつけた。
本能が引きずり出される。これだから体育会系は苦手だ。一歩引いたふりをして、どうやったら彼に勝てるかに心を奮う臼井自身も、きっと同じ穴の貉なのだろう。
臼井は手を伸ばして、濡れた犬童の髪を耳にかけた。驚いた顔をする彼に微笑み、腰に両腕を回す。再び始まった余興に先輩達から歓声が上がるが、もはや上下関係などどうだってよかった。体温に、息遣い。抱きついて感じる目の前の男に集中する。
「雄太……?」
焦る犬童の声を無視して全体重を込める。二人で再び倒れ込んだ水は、うねるように揺れて迎え入れてくれた。