酔っぱらいと朧月「気を遣るなんてのは二流のすることだ」
霞んだ月を眺めては赤らんだ顔で徳利を寄越す。春の宵はほんのりと湿気を帯びて、忍者馬鹿の口を軽くさせていた。
ニヤリと口のはしを上げたその顔がちらりと見えて、癪に触るったらない。
「ばあか」
文次郎の手から中身が半分ほどになってしまった徳利をひったくる。
「オレの差し入れた酒だってのに、あーあ、こんなにしやがって」
東国のとある城の城主の話を先生方がひっそりとしていたのを、小平太が立ち聞きしたことがきっかけだった。その主にはたちの悪い癖があるらしく、目をつけた者は部下も下働きの女もかまわず「お手付け」にするという、奇っ怪極まるものだった。
「潜入した敵方の忍びもあやうく、って話じゃねえか」
オレは身震いしながら湯呑を一気にあおった。
「あやうく、じゃねえよ」
文次郎がずい、と顔を寄せ、
「野郎なのにすっかり骨抜かれちまってよ、半殺しの状態で堀に捨て置かれてたって話だぜ」
と物騒な話を耳元でささやいた。
「やめろって」
左手でぐい、と文次郎の顔を避ける。酒飲みの息は妙に熱いから嫌いだ。
長屋に珍しく二人になってしまった今夜。
まったくゾッとしない話を肴に酌み交わす羽目になるとは。
「気なんか鍛錬でいくらでも操れるだろうが」
そう言ってオレの手を握って顔から剥がすと、文次郎は耳に口を付けてきた。
さっきよりも熱くなった息が直接吹き込まれる。
ああ、だから嫌なんだよ。
どんなに強く阻んでも、この息だけで背中がしびれてしまうだなんて。
顔など見なくても、息遣いだけで十分過ぎるくらい感じ取れてしまう。
「どうだか。これしきの酒でガチガチにしてるやつが言ってもなぁ」
この感覚をどこかで待っている自分に気が付いてから、オレはわざとこいつを煽ってしまう。
「オレぁ気を遣れない奴の相手なんかしたかねえがな」
だらりと下げた手の甲で文次郎の下腹をす、と撫でててから横目でちらりと文次郎を睨むと、それを合図に大きな手がオレの頬を挟んだ。文次郎は自分の乾いた唇をべろりと舐めて、ジトッとした視線でオレを射る。そしてその瞳が次第に熱を帯びてくるのを、オレはゾクゾクしながら待ち構えるのだった。
「おい。そんなに泣かされてえのかよ」
こいつの不穏な物言いは我慢の限界を示す、というのをオレは最近覚えた。物騒なことを言っている時ほど必死な顔なのが少しおかしい。
わざとガブリと喰い付くように文次郎の唇を喰んでやる。
「っってぇ!」
突然の反撃に喚く文次郎の股間をオレはグッと掴んで血の滲む薄皮をもう一度そっと舐める。
いつものオレなら酒の一杯程度じゃ酔いなんて回らないはずなのに、やっぱり今日は肴が悪かった。
オレは、涙がうっすら滲む男の顎をくい、と上向かせその目をじいと見つめる。
それから首を掻き抱いて文次郎の耳に口を寄せた。
「な。どっちが先に音を上げるか、試してみようぜ?」
ーーさっきまでの月も雲で顔を隠したことだし。
はあ、とオレの首筋にかかる熱く湿った吐息が、こいつからの返事だった。