ちょっといつもと違う夜 電車が止まった。まばらに降りていく人達と一緒にトードは駅から外に出て、視線を上げる。夜の空は薄明るく曇っており、星はおろか月でさえ見えない。電灯の灯りがなければ周りを見渡せないであろう空模様に彼はなんだかよくない予感がするな、と思いつつ家へと足を急がせる。先に帰っているであろうトードの同居人はいつも突拍子もない事を言い出したり、実際に行動に移したりするので、あまり一人で家に置いておきたくはないのだ。何というか今日も何かとんでもない事をしている予感がする。窓から光の漏れている家、住民がすっかり眠ってしまったのかしっかりとカーテンを閉め切っている家。もう見慣れた町の風景がこの日のトードにはやけに印象意的に写った。もう家が近い。より早足で歩き出したトードは違和感を覚え、すぐにその正体を知った。家の前に誰かが立っている。そして、玄関の扉が薄く開きそこから零れ落ちる明かりが地面をなめながらそこに転がる何かをほんのりと照らしていた。目を凝らせば、それは人の様で。トードはもしや奴に限ってありえない気はするが、友人の身になにかがあって、と言うよりかそこに立つ何者かに危害を加えられて地に付しているのではないか、といった恐れが頭をよぎり、もしそうであれば自身の私物が危ないかもしれない、と急いで走り出す。と、足音を立てすぎたのか人影が振り向く。しかしそれは、彼らにとって幸運な失敗だったと言えるだろう。
「っ!……トードか。」
「ぅおっと。危なかった、無事な方がエッドだったか。」
立っていたのはトードと同居している友人エッドであり、彼は殴り掛かろうと握っていた拳を緩く解いた。
「僕が倒れてたと思うなら殴りかかるより先にする事あるだろ……」
「いやだって、警察とか待ってたら俺のコレクション盗まれるかもしれねぇじゃん。」
「僕の心配しろよ。あとお前のコレクション全部持ってける奴いねぇからな?」
友人より私物の心配をするトードに呆れ顔をするエッド。普段であれば怒りそうなものだが、この時はそんな素振りは見せなかった。
「一冊でも大損害なんだよ!」
「あんだけあんのに……?」
「お前だってちょっとコーラ飲まれただけで大騒ぎすんだろ……」
「当たり前だろ?!」
「お前ほんと……で、それ何?」
生きていたのがエッドであった為、ついいつもの様に会話を続けてしまい気が逸れていたがその場には人が倒れており、その人物は知り合いでも無さそうなのでトードはそれ、と言いながら地面に伏せった人間を指差した。
「あぁ、強盗。多分だけど。」
「へー、これ生きてる?」
「死んでそうなんだよなー……どうしよう。流石に過剰防衛だよな?これ。」
「だろうな。」
ほんとにどうしよう、と思い悩むエッド。その様子を数秒、静かに見ていたトードだったが不意に口を開いた。
「……手伝ってやるよ。」
「えっ?」
「それ、隠すの手伝ってやる。」
意表を突かれ、顔を上げたエッドとトードの視線がぶつかる。心底驚いた顔のエッドを真正面から見る事はあまり無かったトードには見開いた彼の目は新鮮で、何故だか可笑しくなって喉の奥で小さな笑い声を響かせた。
「いいの?めんどくさそうだけど……」
「いいよ、お前が捕まった方がめんどくさいだろ?」
「そっか。」
口の中でそう呟くエッドを尻目に、トードは死骸を持ち上げる。
「うっわ、こいつひでー顔してんな。……あ、車はお前が出してくれよ?」
顔を覗き込むなり見も知らぬ男の顔に対して文句をつけ、男の足を引きずりながら車へと向かったトードは、途中で思い出したように振り返ってそう言った。
…………………………
「でさ、どこに行くの?トード。」
「んー、海?ほら、死体って海に沈めるのがいいって聞いたから。」
荷物をトランクに詰め込んで車に乗り込むなり、エッドはトードに尋ねる。トードは助手席でシートベルトを締めながら返事をした。
「じゃあ、あのスコップは何のために……?」
エッドは後ろを振り向き、後部座席の足場に寝かせたスコップを見る。その近くにはなんとか引っ張り出してきた縄と袋。よくわからない物ばかり買い込んでしまう癖が珍しくいい方向に働いていた。
「プラン変わった時の保険、てとこだよ。あとほら、最悪目撃者殺すのにも使えるだろ?」
「あぁ……そういや、計画ってどういうの立ててんの?」
「んー、一つはわかってるだろうが海行って沈めるやつ。で、もう一つはまぁ……ちょっとめんどくせぇけど遠くまで行って人気がないとこに埋める。」
視線を前に戻したエッドはまた質問を重ねる。静かに答えるトードの横顔が備え付けの電灯の淡い明かりに照らされていた。
「ありがちだな。」
「ありがちでいいんだよ、奇抜さ求めて何になんだよ。」
「それもそうだな。」
エッドがアクセルを踏み、車が緩やかに速さを持っていく。暗く淀んだ町の中がヘッドライトから伸びた光に照らされ、直ぐにまた薄黒く沈んでいった。されど、無言のままの車内はそう重たい空気ではなくただちょっとした買い物に向かっている、程度の雰囲気であった。外の景色はどんどんと後ろに遠ざかり、町から開けた道に出る。時折街灯の明かりが窓から強く差し込み、ちらちらと二人を照らした。やがて車が切る風は潮を含んだものへと変わっていき、次第に車体が受ける風が少なくなっていく。描きかけの地図にインクをこぼした様な砂浜と海に、二人が死骸と道具を持って向かって歩いていった。
「これはこうして……」
「ちげぇよ、こうだって。」
「あー、そっか。」
慣れない作業であったので、二人で試行錯誤しながら縄で男の足と石の詰まった袋を繋いでいく。
「これ、一応腕にも付けとく?」
「そっちの方がいいかもなー。縄、足りるか?」
「足りる足りる。無かったら買いに行けばいいし。」
「それもそうだ。」
と、状況の割に和やかな雰囲気で会話と作業が続き、ついに準備が終わった。
「これさ、ボート無しだと上手く沈められなくね?」
「あー……そうだな、これ。」
「そこ考えてなかったのかよ。」
「んー…………お前結構力あるし投げたら遠くまで飛ぶんじゃね?」
「流石に無理だよ……やってみるか。」
「やるんだな……」
どこ持てばいいんだこれ、などとぶつぶつ呟きながらエッドは死体の持ち方を模索し、最終的に腹のあたりを持つ事にする。無理だ、と言っておきながらも軽々と上に持ち上げ、放り投げた肉と石の塊はものの見事に地面から遠く離れた海面にぶつかった。
「マジでできんだなお前……」
「やってみたら意外とできたわ。簡単だったな、人間投げんの。」
(こいつキレさせたら俺もああなるのか……?)
反動で転びかける事すらせず平然と振り向いたエッドにトードは少し……いや、大分恐怖を覚える。冷や汗か先程の作業のせいか、背中にじっとりとした感触を覚えながらとんでもない事を教えてしまったかもしれない、自分も気をつけなければと心に刻み付けるトード。エッドはそんな彼を不思議そうな顔で見ていたが、まあどうでもいいか、と道に止めた車へ向かう。トードもその後ろについて行き、静かに主人達の帰りを待っていた車内に明かりが灯った。
「なぁエッド。このまま帰んのも味気ないしさ、どうせなら明日までどっかで遊んでかね?」
結局余った縄と袋を後ろに積み込んだトードは顔を上げ、運転席に向かって声をかける。
「いいな、どこら辺いこっか?」
扉が閉じる音と開く音、そしてまた違った閉じる音。トードは助手席に乗り込むと少し考え込み、口を開いた。
「とりあえずテキトーに走って気になったとこ行こうぜ!」
「なんか考えてると思ったのにそれかよ。」
「いいじゃん別に。行き先決めない方が楽しいかもしんねぇじゃん。」
「そうだな……たまにはいいか。」
案外無計画な友人へ呆れ顔を向けていたエッドだったが、彼も元々無計画な行動を好む人間だ。直ぐに笑顔になると前を向いて足を踏み込む。ここに来るまでと比べて随分と軽くなった車は、二人を乗せてどこまで走るのか。いつの間にか晴れていた空から、月と星が彼らの行く先を見守っていた。