クリスマス ここイッシュ地方は、キタカミよりも『クリスマス』というイベントを重んじる風習がある。クリスマスは家族みんなで料理を囲んで、プレゼントに期待して。いわば一家団欒の口実だ。だからブルーベリー学園の冬休みは思ったより早く始まって、クラスのみんなもリーグ部のみんなも毎年冬休みが始まるとそそくさと帰省していく。あたしが1年生の時、みんな一斉に帰って寮に残る奴なんてカキツバタくらいだったから本当に驚いた。かく言うあたしも、事前にばーちゃんから電話で『スグリちゃんがね、ねーちゃんに会いたいってサンタさんにお願いしてたの』と言われてたから、冬休みが始まって二日くらいでキタカミに帰ったけど。カキツバタとクリスマスパーティするのは嫌だったし。というか、リーグ部で既にクリスマス会をしたし。
ちなみに去年、あたしが2年生の時のスグのサンタクロースへのお願いは『ねーちゃんと同じ学校に行けますように』だった。それを願うなら正月の初詣じゃないの?と思ったけど、未だサンタクロースを信じている弟には言わなかった。姉なりの優しさってことで。
……という話を冬休み明けにリーグ部でしたので、ネリネもタロも、ついでにカキツバタもスグがサンタを信じていることを知っている。
そして今年。リーグ部のクリスマス会は、アカマツ飯を食べながらプレゼント交換をして、ちょっとしたゲーム大会をした。恐らくまだサンタを信じているであろうスグがいるからか、誰も『サンタクロース』の名を不用意に口に出さなかった。意外なことにアカマツはサンタの正体を知っており、本人曰く、タチワキは工業地帯だし、実家が食堂だから何年か前に親に打ち明けられたとのこと。そんなアカマツですらサンタの名を言わないようにしていたのだから、きっとタロ辺りが部員達に釘を刺したのだろう。
今年も冬休み初日にスグと一緒にキタカミに帰省する、予定だ。事前にばーちゃんから電話があって、スグと代わってほしいと言われた。隣でその会話を聞いていたから知っているが、今年のスグは『どうしよう……まだ何も考えてねえ……』とサンタへの願い事を先延ばしにして……だから今、あたしもじーちゃんもばーちゃんも困っている。めっちゃ困ってる。
それに、今年は担任が担任だから――。
案の定、冬休み目前でブライア先生に呼び出されてしまった。冬休み初日帰省計画はここで終わりかな。スグだけ先に帰ってもらおうか、なんて考えてながら「失礼しまーす」と先生の研究室に入る。するとコーヒーの香りに混ざった甘い香りを微かに拾った。この時期限定の甘い香り、だろうか。
「やあゼイユくん。帰省の準備もあるだろうに、呼び出してすまないね」
座って待っていてくれたまえ。と、ブライア先生は湯沸かしポットがあるだけの、無いも同然なキッチンスペースに簡易的なまな板を敷いて、何かを切り分けていた。先生の背中で中々見えないが、甘い香りの正体はそれだ。
先にコーヒーの入ったマグカップをふたつ並べ、その後先程切っていたものが乗った皿をテーブルに乗せる。ああそうだ、取り皿もあった方が良いね、と先生は紙皿を取り出した。
「シュトーレン。食べたことはあるかな?」
「いや、いつか食べたいなーって思ってたくらいで実際は無いですけど……」
「そうかい、それは良かった!遠慮なく食べてね!」
先生は笑顔で両手を組んだ。では遠慮なく。シュトーレンが四切れ乗った皿からひとつ紙皿に乗せて、フォークで一口分に切る。それを口に含んだ最初の感想は、めちゃくちゃ甘い、だった。だけどフルーツやナッツのおかげで一口食べる度に味が異なる。初めて食べたけど美味しいじゃん。何処で買ってきたんだろう?
「君には今年、相当助けられたからね。お礼と言っては何だが好きなだけ食べてくれたまえ!」
「あ……ありがとうございます……ところでこれ、何処で買ったんですか?めっちゃ美味しいからお店知りたいかも」
「ああ、これはね、私の実家から送られて来たんだ」
へえ。先生の実家近くに美味しい洋菓子のお店があるんだ。いいなあ。キタカミにも美味しくて出来れば映えるお菓子のお店ほしいなあ。
「ママの趣味がお菓子作りでね。毎年この時期シュトーレンが送られて来るのだが……いやぁ、毎日少しずつ食べていても一人暮らしでシュトーレン丸ごと一本が辛くなってきて……」
「……ん?」
一気に情報量が増えた。つまり、このシュトーレンは非売品、というか先生のお母さんが作った、ということよね?それで先生が少食なのはあたしでも知ってて――。
「あの、先生……もしかしてあたし……残飯処理班ですか?」
「残飯処理と言うと聞こえが悪いね。お裾分けだよ」
「残飯処理じゃない!」
テーブルにシュトーレンが置かれてから、先生はコーヒーを飲むだけだった。というか取り分け用の紙皿も、あたしの前に置かれているものだけで先生の分は無い。つまりこの人は今ここにあるシュトーレンを、全てあたしに食べてほしいという思っているのだ。
「先生はどのくらい食べたんですか?」
「毎日一切れか二切れずつ食べているよ。今日も朝食で食べたからね。今あるそれで最後さ」
「うーん……折角先生のお母さんが作ったのに、あたしが最後の食べていいのかな……」
ちょっとだけ上目遣いで見つめてみる。確かに美味しいのだが、この四切れ全て食べられる自信はあまり無い。お腹のキャパというより、甘さが重い。と思いつつふたつ目に突入しているのだが、これはまだ難なく食べられる。しかしコーヒーで甘さを誤魔化して3が限界な気がした。だから、最後は先生が、ね?
「……毎年ママにはサイズダウンしてほしいと言っているのだけどね」
「でもめっちゃ美味しいから!だから先生も食べ納めってことで……ね!次食べるの1年後でしょ?」
少しの間を置いて観念したのか、先生は参ったねと苦笑いしながら自分用の紙皿とフォークを持ってきた。皿に残ったふたつを先生とあたしでひとつずつ分ける。
「こういうのって、忘れた頃にまた食べたくなるよね」
「……そうですね」
それから、先生は子供の頃から毎年家族でシュトーレンを食べていたこと、イッシュの家庭のクリスマスのことを教えてくれた。キタカミどころかカントーでも売ってないような派手なお菓子や、バカみたいにバターが使われたお菓子を当たり前のようにケーキやでっかいチキンと一緒に食べる。先生の家はミートローフ派らしい。そんな派閥初めて知った。
あくまであたしの家での話だが、ケーキを買ってばーちゃんがシチューを作ってくれる程度だから地域差を感じた。みんなの家のクリスマスは?なんて殆ど聞かないからね。聞く前に冬休み入って解散しちゃうし。
ふたりでシュトーレンを食べ終えて、コーヒーのおかわりを貰う。そういえばここに来る前は、先生に次の調査の話をされるもんだと思っていたから、念の為確認することにした。
「先生次の調査っていつですか?今日その話されると思って来たんですけど」
「ああ、誤解させてしまったようですまないね。当分無いよ。だから君たちはキタカミに帰って冬休みを満喫してくれたまえ!」
「……本当にシュトーレン食べるだけだったんだ……」
「ハハハ!たまには良いじゃないか!」
まあ、結局いつもの無茶振りだったけど美味しいもん食べられたからいっか。それに次の調査が当分無いと知ってあたしはすっかり上機嫌になっていた。冬休み返上も無さそうだし、先生に振り回されなくて済みそうだし。
コーヒーを飲んでほっと一息つく。するといつの間にか忘れていた問題――スグのクリスマスプレゼント問題を思い出した。ブライア先生ってデリカシー無いところもあるけど、普段は子供想いだし、相談する価値はありそうだ。
「先生……あの、本当にくだらない相談なんですけど……」
「うん、何かな?」
「スグが未だにサンタクロースを信じてるっぽくて……で、ばーちゃんがプレゼント何が良いか聞いたんですけど今年は何も考えて無いって言われちゃって……」
先生は、うんうん成程。と頷いた。
……かと思えば顔を伏せたまま震えてる。え、どうしたの?と声を掛けようとすると、両手で顔を覆ってしまった。
「んふふ……いや、すまない、その……ふふっ、スグリくんが可愛らしくて……」
「こっちはじーちゃんもばーちゃんも大真面目に悩んでるんですけど!」
「あはははは!良いじゃないか!そうだね、私にも協力させてくれ!」
なんかもう、遠慮なく爆笑してる先生に若干イラつきながら、作戦会議を始めた。
ポケモンの育成道具、は既に沢山持ってそうだ。お菓子セットは子供っぽすぎる。新しいポーチをあげても「ねーちゃんと同じがいい」と言われる可能性大。無難に服……?
「マフラーや手袋を編んであげるのはどうだろうか」
「なんだかんだクリスマス関係なくほぼ毎年ばーちゃんがくれるのよねー」
「おや、それは素敵だね!クリスマスの作戦としては難しいが……」
あたしだけでなく先生も黙り込んでしまった。いよいよネタ切れか。だったらやっぱ暖かい服を――。
「あ!そうだ!おばあさんは編み物が出来るのだよね?ならば編みぐるみはどうかな?スグリくんのポケモンの!」
あ、アリかも。いや、編みぐるみも子供ぽい――けど、スグ自身が気に入らなくてもオオタチ辺りが遊んでくれるかもしれない。それに今からばーちゃんに連絡すればクリスマスに間に合う筈だ。
「それ良いかも……!スグだけじゃなくてポケモンとも遊べるし!」
「間に合いそうかな?」
「今日中にばーちゃんに連絡すれば……多分!」
「そうか!それは良かった!ならば善は急げだよ!」
先生はあたしの目を見てからにっこり微笑んだ。頭の回転が早い人だとは思っていたけど、教務主任ってだけあって子供のことをよく理解しているんだなと見直した。テラスタル関連を目の前にしても、このくらいしっかりしてほしいものだ。
それから先生は空の皿とコーヒーが入っていたマグカップを狭い洗面台に持っていくから、礼代わりに片付けの手伝いでもしようと思ったが、断られてしまった。
「ほら、君にはやることがあるじゃないか。だからそちらを優先したまえ。絶対喜んでもらえる筈さ!」
「……ありがとうございます。あと、ご馳走様でした」
「うん!こちらこそ、今年は世話になったね。感謝するよ!」
軽く会釈をして研究室を出る。そして駆け足で寮まで戻った。
キタカミに帰ってクリスマスの深夜。うちでは毎年サンタ役はじーちゃんがやっている。何故ならじーちゃんだから。
「……スグ、チャンピオンになる前かなり夜更かししてたみたいだけど大丈夫かな……」
「……大丈夫だったよ。ばーさんが今日はサンタさんが来るから早めに寝るように言ってくれたようだ」
「ひとまず安心ね。ふぁ〜あ。ま、あとは明日の朝どうなってるかね」
「ゼイユも早めに寝なさいね」
「あーい。おやすみー」
翌朝、と言ってもあたしが起きたのは昼前。あー、眠……と数分間ぼーっとしていたが、唐突にスグの反応を確認しなければと思い出して布団から飛び起きた。
「ねえスグ!サンタ来た!?」
「ねーちゃん見て!サンタさんがぬいぐるみくれた!オオタチとカミツオロチの!」
「え!?カミツオロチ!?」
スグは目を輝かせて編みぐるみを自慢してくる。てっきりオオタチだけとかニョロトノだけかと思ったらカミツオロチの編みぐるみまで作ったらしい。ばーちゃんが台所から微笑んでいる。相当な自信作だろう。思わず「ばーちゃん凄……」と言いかけて飲み込んだ。
「で、ねーちゃんは?ま、ねーちゃんは口も性格も悪いからサンタさん来てねえべな」
ケラケラ笑うスグに手が出そうになったところで、ばーちゃんが台所から仲裁しにやってきた。
「そんなことないわよ、ゼイユちゃんも良い子だもんねえ。だけどせっかちだから枕元見ないで来ちゃったのよねえ」
「え……あ、そう!そうよ!お腹すいたから起きてすぐこっち来て……」
「はいはい、ご飯装っておくから見てきなさいね」
スグは首を傾げていたけどなんとか誤魔化して自分の部屋に戻る。飛び起きたから気付かなかったけど、あたしの枕元にもリボンの付いた袋があって、中からグラエナとヤバソチャの編みぐるみが登場した。自室なら良いだろうと「ばーちゃん凄……」と呟く。
そういえば今年は何が欲しいか、じーちゃんとばーちゃんに言ってなかったな。あたしは駆け足で台所に戻る。
「ほら!あたしにも来てたわよ!サンタ!」
「わやじゃ!?ねーちゃんにも来るんだ!?」
「なんだと!?」
「はいはいゼイユちゃん朝ごはんよ」
またばーちゃんに仲裁されて、大人しく朝食を取る。スグは暫くあたしの編みぐるみを見ていたが、満足するとオオタチとカミツオロチの編みぐるみをポケモン達に自慢すると自室に戻って行った。
「……ばーちゃん、ありがと」
「お礼を言うのはばーちゃんの方よ。それに……先生にもちゃんとお礼言うのよ?」
「うん。言っとく」
『編みぐるみ作戦成功しました!ありがとうございます!』
と、先生にメッセージを送った。電話だとスグにバレた時めんどいから。普段は研究に没頭しているのか数時間後に返信が返って来るのがザラだが、どうやら先生もクリスマスはしっかり休んでいるのだろうか。秒で返事が返ってきた。
『メリークリスマス!
良かったね!』
ただ、これだけ。話すと長いけどメッセージでのやり取りは短いんだよなこの人。返事に困ったし、このまま既読スルーしてやろうと思った矢先、次のメッセージが届いた。
『ゼイユくんのご家族みんなでスグリくんの為に用意したのだから、サンタさんの正体を知らずとも喜んでくれていると思うよ。とてもかがやかしいね!』
先生がここまで言うなんて珍しい。それに、この文面だけで彼女も喜んでくれたのだと察した。ブライア先生って、なんだかんだ子供が好きだからね。
『作戦が成功してじーちゃんもばーちゃんも喜んでます。もちろんあたしも。
先生のこと見直したかも♡』
文末にラブカスのイラストが描かれたLOVEのスタンプを押した。
ここまで送って布団に勢いよく寝転がった。
「今めっちゃはずいこと送ったかもなぁ……」
このあと先生から返ってきたのは『また何時でも頼ってくれたまえ』だった。あたしのはずいメッセージはガン無視された。
ブライア先生だから仕方ない。