今、彼女はどうしているだろうか。
ふとそんなことを思ったのはなぜだろうか。
「親父さん、新聞届いたよ。読んでいい?」
「図々しいな。……掃除が片付いてんならとりあえず良いけどよ」
食い逃げ未遂の居候は勤勉——と、いうわけではなかった。申し付けた仕事には果敢に取り組むものの、いつもどこか上の空で、何につけても手際が良いとは言い難い。明日の知れない戦乱の世に自らの店を切り盛りしている店主としてはもどかしさを感じないこともなかったが、たったの数日とはいえアンダーと名乗った男が多少浮世離れはしていても善良で悪気のない人物であることはよくわかった以上はどちらかと言えば苛立ちよりもそんな調子でこの時代を生き抜けるのかという心配の方が勝ってしまう始末である。
「……」
そのアンダーが一通りの掃除を終えて店内の椅子に腰掛け、新聞の文字列に目を落とした横顔をふと見やった時、その映像がどういうわけか、懐かしい記憶に繋がった。
そんなふうに開店直後の客席に座って小難しい本をめくるよこ顔。
睫毛がつくる陰の下で両目はその文字を追っているのだろう。深いところを見つめているような、何も考えていないような、不思議な眼差しだった。
少年だったころの自分には遠く及ばないものを見ているのだろう。もちろん彼女は自分よりもずっと大人で、聡明で、この世のいろいろなことを知っていた。胸が高鳴る、それ以上に、まるで自分の見知らぬ世界を覗きこんでいるようなその表情は、薄ら寒いものを感じさせた。すぐにでも、その深淵へと飛び込んでしまいそうな。
慌てて注文の品物を持って声をかけると、彼女は現に帰ってきたかのように目元を和らげた。彼女が注文する早い夕食は決まって父の特製の燻製肉だった。
「アンダー」
「?」
なに、と顔を上げたアンダーはいつもの凡庸とした様子だった。店主は少し安心しながら、次の要件を言いつけることにする。