クメル軍閥の巌刻翁、魔竜騎兵のオランドと魔竜ヴィーナス。その存在自体はよく知られてはいたが、特に一般兵士が実際にその姿を目の当たりにする機会は非常に限られていた。
諸々の理由から、魔竜騎兵の寿命は短い。稼働年数が10年を超える例はことの他少ないのだと言う。
「——何用だ」
「あっ……すみません、あの、その……」
「見物か?」
支給のマスクで顔を隠した兵士がもごもごと口ごもりながらうんうんとうなずくので、巌窟王その人は少しだけ険しかった表情を緩めた。齢七十を迎えるとは言うが、軍服に包まれた肢体は頑健そのもので、皺と髭に覆われた顔の中にある眼光は鋭い。クメルの若者が現代の生ける伝説として習い知る巌窟王の生涯の半分近くは岸壁に向き合ってきたものと聞く。
愛の形を極めるためにその目を光らせ続け、その手は愛の形を目に見えるものとするために鑿と槌を振い続けた。
「その、ヴィーナスの姿を、ぜひ間近に拝見したく……」
思い切って発した若い兵士の言葉に、オランドは目を細めた。岩肌に刻まれた女神の姿に惹かれたのが、彼の竜であったと。
「構わんよ。まああまり近づきすぎないほうが良いとは思うが」
若い兵士は改めて直立する竜を見上げた。細かい関節はなるべく可動性を損なわないように調整されながら、指先まで綿密で精密な構造で覆われている。磨き上げられた滑らかな曲線が創り出す女性的なシルエットがなんとも麗しい。
「以前からまた兵装を換えられましたか?」
「ほう、詳しいな。……出撃にあたって少しアップデートさせてもらった。ヴィーナスにも少し苦労をかけてしまったがな」
労わるような老人の声に、竜は微かな鳴き声で答える。優しげな響きの、満足気な声だと思った。少しも苦労だとは思っていない、むしろより良くなった己の姿を誇っているのだと——いうように聞こえたのは、気のせいかもしれない。
「空を飛ぶと、より映えるのでしょうね」
若い声が陶然として言うと、老人は呵呵と笑った。
「アートが分かるようだな、若いの」
「いえ、自分なんか……」
分かる、などと言ってしまうのは烏滸がましいが、この優美な姿こそが巌刻翁オランドが生涯をかけて求めた愛のかたちそのものなのであろう、とは、思う。愛と美の女神、金星の名をもつ竜はその姿を顕して飛ぶのだ。ひとところにとどまるレリーフにはできない、生きた芸術として。
「とても、美しいです」
愛を表現したかった男と愛を象って飛ぶ竜。この完全なる調和を、きっとアートと呼ぶのだろう。