心地良い微睡みの中、傍らから伝わる静かな熱がいやに眠気を誘うことを知ってから幾許の時が経つが、未だ慣れず仕舞いだった。
とろみのある温かさに浸りたい意思に反し、真上の意識は急速に覚醒した。目を覚ませば、手の届く範囲に他者が存在することは、今までの真上の経験からすると異常事態とも言える──のだが。
その相棒の寝顔が幼かった。元より、海動のくるくると変わる表情はどこか悪童を思い起こさせるものだったが、それの比ではなく、顔つき、輪郭からしてやや丸みを帯びていた。
「……は?」
掛け布団をひっぺがしてみれば、予想に違わず縮んだ背。関東地獄砂漠にて邂逅した時のように身体を薄汚れたマントで包んでいるが、布の間からは、薄い筋肉をまとった細い腕が覗いていた。
ぱちり、と青年が目を開く。がばりと起き上がった青年は、飛び退くようにベッドから抜け出し、真上から距離を取った。
確かに、この状況では、見知らぬ男に連れ込まれたと思われても仕方ない。そして、真上はもっと根本的に恐ろしいことに思い当たった。
全裸である。捲れ上がったシーツの隙間から温もりは徐々に霧散していき、管理された空調の味気ない風が、露わになった素肌を撫でていた。片や、大人への過渡期にある青年。片や、(一応は)成人した全裸の男。これで疑うなとは、土台無理な話だった。
しかし、青年はしばし真上を睨み付けた後、ふうっと溜息をついてベッドへ腰掛けた。
「アンタ、俺の何なの」
「相棒」だなんて、月並みで取り繕ったような模範回答を、青年は求めていない。もっと剥き出しで、ありのままの関係を確信しているからこその、直球な質問だった。
だから、真上は答えられなかった。事実、自分は海動とバディを組んでいるし、何なら、気が向いた時には寝ている。それでも自身と海動との間に、恋だの愛だのと色気のある関係はない──はずだ。自分達の関係を定義する、適切な言葉が見つからなかった。
「わーった、もういいよ」
青年は呆れかえったように、手をぱんぱんと叩いた。
「とりあえず、服着てくれよ。起きて早々ソレとか見たかねーし」
青年の言わんとすることを察し、真上は脱ぎ捨てた服を身に着け始めた。
◆
その間も青年はじっと見つめてきていて、居心地の悪さを感じずにはいられない。
服を着終えた真上は、改めて青年を見た。
「お前の名前は?」
「あ? ああ……剣だよ。刀じゃなくて剣の方。『けん』って読むんだよ。名前ぐらい知っとけよな」
真上の問いに対し、青年――剣はやや乱暴に返答する。どうにも態度が悪い。だが、それが却って自然体に見えるほど、剣は真上に遠慮というものをしなかった。
「俺は真上遼。階級は中尉だ」
「ふぅん……」
あまり興味なさげに呟くと、剣は立ち上がって伸びをした。
「まあいいか、よろしく頼むぜ。真上さん」
そう言うなり、剣は部屋から出て行ってしまった。一人残された真上は首を捻るばかりである。
海動との付き合いは長くなってきたが、こんな事態は初めてだ。一体どういうことなのか。考えていても始まらない。とにかく朝食でも摂ろうかと思い至り、真上はベッドから立ち上がった。
食堂に行くと、既に剣がいた。真上の姿を視認すると、片手を上げて挨拶してくる。
「おはよ」
「おはよう……?」
朝の挨拶を交わす間柄ではないはずなのだが。そもそも、真上は誰かと一緒に食事をすることに慣れていなかった。他人と同じテーブルで食事を取るなど、真上は想像しただけで胃液を吐きたくなる。
しかし、剣はそんなことを気にした様子もなく、空いている席へと座った。当然のように隣に座ってくるので、真上は仕方なく向かい側の椅子に腰かけた。
剣の前にはスクランブルエッグやベーコンといった洋風のメニューが並ぶ。対する真上の前には和食が並んでおり、両者の見た目の差に、周囲から視線が集まった。
「いただきます」
剣はきちんと手を合わせてから食べ始める。その所作は洗練されていて、育ちの良さを窺わせた。
「……お前は、何者なんだ?」
「ん?」
唐突に真上は尋ねた。剣は口に含んだものを飲み込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「俺のこと?」
「そうだ」
「何だと思う?」
逆に聞き返されて、真上は黙った。自分で聞いておいて、実は何も考えてはいなかったのだ。
「……」
「冗談だってば」
沈黙に耐えかねたのか、剣はくつくつと笑った。真上は仏頂面で味噌汁をすする。
「えーとね、……多分だけど、あんたの相棒の生まれ変わりじゃないかな」
「……は?」
思わず箸を取り落としそうになった。
海動の、生まれ変わりだと?
「あいつさ、結構子供っぽいところあったじゃん。だから、そういうの全部ひっくるめて、生まれ変わったらこうなるんじゃないかなあって思ってたんだけど」
ありえない話ではなかった。海動の過去を知っているわけではないが、もし、仮に奴が過去に何かしらのトラウマを抱えていたとしたならば。そして、それが解消された時に、新たな人格が出来上がったのであれば。
「まあ、あくまで仮説だから、そこまで本気にしなくてもいいけどな」
真上の反応に気をよくしたらしい剣は、にやにやしながら食事を再開した。どうやら剣は、真上をからかいたかっただけのようだ。その後は何事もなかったかのように、剣と二人で朝食を終えた。
海動の生まれ変わりかもしれないという疑惑を抱いたまま、真上は基地内を歩いていた。海動の私室へ向かうためだ。
あの青年が本当に海動の生まれ変わりなのかどうか、確かめなければならないと思っていた。もしも違うのならそれでいいし、もしそうなら、それはそれで構わないと真上は考えていた。
海動の部屋の前へ着く。一応ノックをしてみるが、返事はない。ドアノブに手をかけると、鍵がかかっていなかったらしく、扉があっさり開いた。
部屋の中へ入ると、ベッドの上に膨らみがあった。おそらく、そこに青年がいるのだろう。
近づいてみると案の定、そこには剣の姿があり――目を閉じて安らかな寝息を立てていた。
あまりにも無防備すぎる姿だった。ふと、悪戯心が芽生えてきた。真上は音も立てずに剣に近づき――そっと、頬に唇を押し当てた。
剣の瞼が開かれる。
至近距離にある真上の顔を認識するなり、剣は飛び起きた。そのまま勢いよく後ずさると、壁に背中をぶつける。
その顔には驚愕の色だけが浮かんでいた。信じられないものを見るような目で、剣は真上を見つめている。
やがて、彼は震え声で言った。
――なん、だよ。それ……?