おはようからおやすみまでの独占権「――なら、僕のところに住めばいいだろう」
提案は疾しい打算よりも先に、彼女の生活を保護するために口に出したのだと一言だけ言い訳をしたい。
まだ雪も降り止まない寒い冬のある日。年頃の女がひとり、僕のところに転がり込んできたのはつい最近のことだ。
「アンデルセン、これから洗濯するから洗濯物全部出してね」
「君の仕事は料理と掃除だけだと何度も言っているだろう。洗濯は担当の範囲外だ」
「えっ、でも一緒に洗った方が早いよ」
「いいから。自分の分だけ勝手に洗いなさい」
少し不満そうに諦める彼女を見送る。
ああそういえば部屋の洗濯カゴの中身が増えてきたなと思い出し、それはまぁ明日の夜にでも洗濯すればいいだろうと思い直す。
さすがにただの布切れとはいえ自分の下着が入ったこの洗濯カゴを彼女に託すわけにもいかない。洗濯はそれぞれでやると、それは早い段階で決めたルールだ。
朝早くからパタパタとキッチンで忙しなく動いていた彼女は僕を叩き起こして食卓につかせた後、やれ洗濯だ掃除だと忙しそうにしている。
「今日はニ限からだろう。そんなにのんびりしていて間に合うのか?」
「あっ……」
「まったく、仕方のない子だ」
食後のコーヒーを流し込んで車の鍵を手に取る。……あぁ、その前に保護者であると疑われないように一応は着替えた方がいいだろうか。
「送ってくれるの!?」
「……僕は君の運転手ではないよ。埋め合わせがしたいのなら今晩はシチューでも煮込んでくれればいい」
「ありがとう、大好き! すぐ準備するね!」
彼女は忙しなく自分の部屋へ戻っていくものだから、この「大好き」とやらが彼女にとってはそう大した意味のない言葉の羅列だと予想がついてしまう。
クローゼットを開けてそれらしい服装を整える。彼女の知り合いに会った時にみすぼらしい格好をしていれば後で厄介なことになりそうだ。まぁ参観日の保護者程度に服を整えておけばそれなりだろう。
めったに袖を通さないフォーマルスーツに、ああこれを着るのは授賞式以来かと思い出す。だがこれならば文句はないはずだ。
「えっ、な、何でスーツ……!?」
「何だ、気に入らないのか?」
……文句はないはずだと思ったのだが。これを着ていれば彼女の友人に出くわしても問題ない。――それに、少しばかりの虫除けにもなるはずだ。
「気に入らないとか、そんなんじゃなくて、」
どうやら見慣れないスーツ姿がそれなりに効力を発揮しているらしい。
「ほら、そんなことより急ぐんだろう? 早く出るぞ。遅刻しても知らないよ」
「あ、待って!」
慌てて追いかけてくる彼女と並んで玄関に立つ。
「ネクタイ、少し曲がってるよ」
「!」
僕の首元に遠慮なく手を伸ばし、ネクタイを整える彼女はまるで……。
「こうしてるとまるで奥さんみたいでしょ?」
「……は。ガキが何を言っているんだか。そんなことはいいから、早く出るよ」
僕から慌てて飛び出した玄関の鍵を後ろで彼女が閉めている。僕は急いで車を取りに行きながら、先程のやり取りは違和感を与えなかったかと脳内でひとり反省会を繰り広げる。
同じ家に暮らしている女が己のネクタイを整えながら妻のようだろうと言ってくるその事態は、僕には些か身に余りすぎるのだ。そんなことも分からない彼女が助手席に乗り込んでくるまで後わずか。……顔色さえごまかせばどうせ気付かれることなどない。
のんきに車のドアを開ける彼女を見ながら、この同居生活の行く末に想いを馳せる。何とも、前途多難なことか。
――目的地で彼女の友人達に出くわし、早速前途多難な状況が起きたのはそれから三十分にも満たない未来のことだった。