模倣家族集団幻想〜藤丸家〜「アンデルセン、潜入チームを頼めるかな?」
声をかけられたのは木陰で休息をとっていた時だった。
俺達は特異点の問題を解決するため、一軒家に潜入することになった。サーヴァントであるのを偽り、あたかも生身の人間が暮らしているように装う案。
マスターを中心に、ここに越してきた普通の家族と見せかけて現地の人間に怪しまれないように振る舞う。外に偵察や調査に出る別働隊とは別に情報をまとめて対策を練るチームを作ることになったのだ。
一時的ではあるもののマスターの擬似的な家族として街への潜入を頼まれるのは、そう体験することのない貴重なサンプルケースだろう。
「仕方ない、別働隊として外で肉体労働をさせられるよりはマシだ、引き受けてやる」
「良かった! アンデルセンは心配ないと思うけど魔術を使ったり、武器を振り回したりしたらダメだからね。一般人のフリをするんだから」
「無駄な心配をするな。俺の日常生活には魔術も体術も必要ない」
家族として潜入するのに、より一般人に見えやすいサーヴァントが選ばれただけだろう。
だというのにいい歳をして旅行に誘われたような気分でそれを了承した。まぁ休暇ではないにしろ、戦闘しろと言われるより数百倍は良心的な誘いだ。
「……それにしてもお前、わざわざ俺に頼むとは大層な物好きだな」
「えっ、どういうこと?」
「レイシフトしてきたサーヴァントの中にはいくらか俺よりもそれらしい者がいただろう? 本当に一般人のフリをするつもりがあるのか? それとも、まさか特異な趣味の家庭をデザインするつもりか? お前も業の深いやつだ」
「それらしい者って?」
「もっと他にいただろう、お前の伴侶に見えてもおかしくないような奴らが」
「伴侶⁉︎ あの、それって旦那さん⁉︎」
「他に何がある」
俺の返事を聞いて、間抜けな様子で口を開けていたマスターが徐々に顔色を変えていく。湯気でも出そうなその様子に、自分で頼んでおいて何をそこまで動揺するのかと呆れかけた時だった。
「その、アンデルセンには……わたしの弟役で潜入してもらう予定だったんだけど」
「は……?」
そんなのはよく考えなくとも分かることだった。
俺の容姿で、マスターの家族のフリをするというのならせいぜい姉弟だろう。
――だというのに疑いもせず、夫婦として潜入するのだと考えた。これが失態以外の何だというのか……! 無意識だった? 言い訳にもならない。深層心理が求める物を晒して何になるというのか。
「今すぐ忘れろ、弟役だな分かった確かに請け負った」
「待って!」
これで話は終わりとばかりに立ち上がったが、逃げる隙もなく引き止められる。後ろから彼女に掴まれている腕がまるで炎にでも炙られているような感覚。当然彼女の方を振り返る余力はない。
「わたしは、夫婦のフリでもいいんだけど……」
即座に振り返る。
目に飛び込んでくるのは自分と大差のないだろう顔色。
きっかけは勘違いと気の迷い。
擬似的な家族作戦が始まろうとしていた。
おかえりなさい、はじめまして
(夫婦のフリって何をすればいいのかな)
――偽装して特異点の一角に潜入する。しかも、新婚の夫婦になりすますと決まってからあれよあれよという間に計画は進んだ。
わたしは気がつけば特異点の中、ピカピカの新居のリビングでダンボールに囲まれている。
最初は私が娘役、母親や父親、兄弟に囲まれて引っ越してきた家族ということになるはずだった。それが、わたしがアンデルセンとの夫婦役で潜入しようと思う、なんて話をしてから計画が一気に変わった。
「姿の似ていない多国籍なサーヴァント達で家族のフリをするより夫婦だけの方が説得力がある」……そんな意見が出て、流れはわたしとアンデルセンをいかに夫婦と偽装するかに集約していく。
より偽装作戦を成功させるため、アンデルセンは霊基を調整して後からこの部屋へやってくるらしい。何だか本格的な話になってきた。
「やっぱり……あれかな。アンデルセンが来たら『ご飯にする? お風呂にする?』ってやつ」
それとも、わたし? そう言ったところで鼻で笑われそうだ。けれど新婚夫婦と聞いて思いついたのがそれしかないのだから仕方ない。仮とはいえ、勘違いが発端だったとはいえ、夫婦役をすんなり承諾してもらえたのだ。特異点の中のお芝居だとしたって少しくらい、それっぽいことをしてみてもいいじゃないか。
部屋に響くインターホンの音に慌てて玄関まで駆けつける。まずは、形からでも。
「お、おかえりなさい! ご飯に……」
「飯がどうかしたか。いや、そんなことより確認もせず玄関を開ける警戒心のなさに言及するべきか」
「アンデルセン……?」
玄関を開けてすぐ、視界に飛び込んできたのは水色のストライプシャツ。普段の彼と目が合うはずの目線の位置で見えたのはそれだけ。
見上げて、初めて目に入る姿。普段の彼の面影がある。声だって間違えようのない、聞きなれたものだ。
「まったく、普段の俺の姿のまま夫婦役をこなすつもりだったのか? まぁお前も若い、人には言えないフェチズムの一つや二つ持っていようが構わないが……オーダーは『普通の新婚夫婦』の偽装だぞ。霊基の調整が前提になるに決まっているだろう、馬鹿め!」
やれやれと呆れ顔でこちらを見下ろす彼の表情は普段と寸分変わらず。けれど姿も相まって、妙に大人の雰囲気を醸し出している。
鋭い目つき。気だるそうに眼鏡のズレを直す、そのささいな仕草さえ何故だか思わず見つめてしまう。
「それで?」
「は、はい?」
「まだ話の途中だろう。続きは何だ? ん?」
「……!」
(ご飯にする? お風呂にする? それとも、)
言いかけていたセリフの続きが脳内に沸き上がるのと同時に、何てことを言おうとしていたのかと熱が上がっていく。きっと今、自分の顔色はとても見せられたものじゃないだろう。
「あの、ご飯に、する? まだダンボールの中身も出してないんだけど」
「……まぁその話はいい。飯も風呂も寝室も引越し初日の部屋で整うわけがないだろう。準備も整わないうちからはしゃいでもいられない。まぁダンボールの開封からやれとは肉体労働もいいところだがな」
戸惑うわたしを置いて、彼はさっさと部屋の中に入ってしまった。
(飯も、風呂も、し、寝室も……!?)
とんでもないセリフ。わたしが何を言おうとしたかなんて、彼にはお見通しで。
夫婦のフリなんて、おままごとみたいなものだと思っていた。それで少しだけ、思い出が作れたらいいなと思っていただけだ。
そんな考えの上を行く状況に、まだ頭はついてこない。
「おい、いつまで玄関で油を売っているつもりだ」
「! 今戻るから!」
「あぁそれから言い忘れていたが……ただいま」
「えっ、あの……おかえり?」
おかえりとただいまを繰り返して、そのやりとりだけでも気恥ずかしさでどうにかなってしまいそう。彼の後を追いながら、本格的になってしまった偽装夫婦の関係にキャパーオーバー寸前。今の彼とわたしは仮にも、夫婦。
でもそんな霊基で来るなんて聞いてない、聞いてない……!
大変なことを提案してしまった。その実感がじわじわと湧き上がる。
初日から前途多難な偽装生活が幕を開けたのだった。