この場合は味噌汁だろう、お前の国では 扉をノックする。勝手に入って良いと言われても、ノックもなしにドアを開けるのはまだ慣れない。
「何か用か?」
「もう夜ご飯の時間だよ……休憩にしよう!」
「こんな時間に珍しいな。ブラックカルデアマスターから転職して次はデリバリー業か?」
お前がレイシフトせず呑気に配達なんぞしているうちは俺も周回に付き合わされずに済む、鼻で笑った後にそんな風に言ってくる。この態度に慣れる前はどう答えたらいいか随分迷ったっけ。
「転職なんてしません! いつも部屋にこもって出てこないでしょ。だから、食堂の皆に頼まれて……」
正確に言うと事情はちょっと違う。直接運べばどうかと背中を押してくれた皆の顔が思い浮かぶ。
大げさなピカピカの銀色をしたドームカバーをパカっと開けて、中身を見せる。……豪華なお皿やドームカバーを使うには、中身が負けているような気もするのだけど。
「シチューか」
心なしか嬉しそうな気がする声に、やっぱりカレーよりもシチューが正解だったなと心の中でガッツポーズする。だけど問題はここから、どうしても褒めてくれる想像すらできずにいる。
目の前でシチューをスプーンですくう所まで見届けて……でも口に運ぶその途中で手が止まってしまう。
「何だ? 俺に視線を寄越すことで料理の味が二割り増し、なんてことはないぞ。まさか愛情とやらで料理の腕をごまかすなんて反則をするつもりじゃないだろうな」
「うっ……」
どうしてなんだろう、これを作ったのが普段厨房にいるサーヴァント達ではないことを悟られている。
「やめておけ。感想を求めるのならもっとリップサービスが上手いやつに頼むんだな。傷ついて自信をなくした、もう二度と作らないなどとクレームを入れられては困る」
「ちょっと、なんでマズいって決めつけてるの? 皆にちゃんと味見してもらったし大丈夫だもん!」
その瞬間に部屋の温度が一瞬ガクッと下がったような感覚。
「……そうか。ならわざわざ俺に毒味をさせる必要はないだろう」
まるで締切三十分前の声色、圧力。そんなに言ってはいけないことを言ったつもりもないのに、明らかに機嫌を損ねたその態度。
「それで? 普段からろくに料理などしない、気が向けばイベントの度にカルデアの女どもでやれ菓子作りだ何だと騒ぐ程度というだけのお前がどういう風の吹き回しだ? 素材集めが目的なら余所に頼め」
「素材とかは関係ないけど! その、楽しそうだしたまにはいいかなと思って……」
目の前で機嫌悪そうな彼に向かって「あなたが好きだと思ったから」、なんて押し付けがましいかもしれない。理由をはぐらかす。
普段は料理なんてしないけど食堂のサーヴァント達の手で美味しい料理がどんどん作られるのを見ていると、何だか自分にも簡単にできるような気がしてきて。実際は大したものは作れなくても。
「……ふん、ようするに単なる気まぐれか。それに付き合わされてシチューを食わされる連中も災難だな。何せ舌が肥えているときた。非常用の保存食料と比べるのとはワケが違うからな。食堂から苦情が来ても甘んじて受け入れろよ」
いつにも増して当たりが強い、気がする。
「苦情なんて来ません!」
「どうだかな」
「だって皆別のもの食べてるし!」
「何だと?」
当たりの強さに対抗して、つい余計なことまで口に出す。
「あの……だからシチューはこの一皿分だけで、他の人は別のもの食べてるし……」
言うつもりはなかったのに、沈黙に耐えられず喋ってしまう。これはたった一人分だけ、食べてもらいたい人に向けた料理だから。
「カレーやシチューは大量に作った方が美味いと聞くが……それをわざわざこんな少量で作るのか。酔狂なやつだな」
机に肘をついて酔狂だなんて呆れながら、それでも声のトーンは締切から解放された時と同じに聞こえる。……面白がられているだけかもしれない。
「もう、いらないならわたしが食べるから返して!」
「おい、誰が食べないと言った」
お皿を下げようとした途端、まるでわたしの手からお皿を庇うようにしながらスプーンで中身を掬い始める。どんな感想がくるのか、ハラハラして気が気じゃない。……でもみるみるうちに減っていくシチューを見守りながら、この食べっぷりなら思ったよりも気に入ってもらえたんじゃないかと期待する。
「……幸いにも俺の胃腸は丈夫な方だ」
「ちょっと、それどういう意味!」
だってそんなに悪い出来でもないと思うのだ。
「お前が馬鹿の一つ覚えで毎日シチューしか作れない人間でも、俺はまあ、それなりに文句はない」
何だか遠回しなそれはまるで。
「それなんか、『毎日俺にシチューを作ってくれ』、みたいな……」
ピシリと一瞬、空気が止まるような間。
「……は、生まれたてのヒヨコ程度の腕前で毎日とは随分自信があるんだな」
気まずい空気は一瞬で、またいつも通りの会話が繰り広げられていく。そのことに少し安心する。
「それに毎日シチューを食べるだなんて習慣はない。だいたいお前……いや、それはそうと寄り道せず皿はすぐに食堂に戻せよ。俺が文句を言われる。そら今すぐ返しに行け。じゃあな」
半ば投げやりなやりとりで反論の暇もない。閉まったドアの前でいつのまにかきれいに空っぽになった皿を持たされて立ち尽くす。彼が言い淀んだ言葉がなんだったのか心に引っかかったまま。
でも、何だかんだ言って完食している。初めて振る舞った料理の結果としては上出来かもしれない。
「毎日シチューしか作れなくても文句はない」
……どう考えても褒め言葉ではない。けれどまるで、「毎日食べてやってもいい」と言ってもらえた気分になって胸がいっぱいになりながら自分の部屋に戻る。
――だからそれからわたしは食堂に戻すはずのお皿のことなんてすっかり忘れて、後から食堂の皆にお叱りを受けることになるのだった。