呪いのサムシングブルー「これをやろう、マスター。餞別だ」
首から解いた蝶ネクタイを渡す。
不必要なものだとしてもこんな別れの場面では、受け取らざるを得ないだろう。
「これ……どうしてわたしに?」
「いつかお前が挙式する時、サムシングブルーにでも使え」
「挙式……って結婚する時⁉︎ そんな予定ないんだけど! 相手もいないし」
彼女が予定がないと即答したことに安心している。それなのに式で使えなど、笑える話だ。
「『いつか』の話だ。使わないこともあるだろうが、その時はまぁタンスの肥やしにでもしてくれ」
サムシングフォー。
それは結婚式の晴れの日に、花嫁が身につけると幸せになれるとされている四つのアイテムだ。
その四つのアイテムは、何か古いもの《サムシングオールド》、何か新しいもの《サムシングニュー》、何か借りたもの《サムシングボロー》、そして……何か青いもの《サムシングブルー》。
つまりこの蝶ネクタイは、『サムシングブルー』。あるいは……これから時間を経て『サムシングオールド』に変わっていくだろう。
サムシングブルーは純白の花嫁の、目立たない部分につける習慣だ。
例えば身に付ける場所は靴、ブーケ、あるいは会場の一部。
それから汚れなき純白のドレスの奥底……ガーターベルトを青で彩ることがある。この青いネクタイは丁度靴下を支える紐の代わりになるだろうか。
世の中にはガータートスなんてイベントもあるが、彼女がそんなイベントを式に組み込むような男を選ぶとはあまり考えられない。まぁ、こいつの将来のことなどもう俺には分からないが。
とにかく、蝶ネクタイは今しか側にいられない自分の代わりに、彼女の幸福を見守るだけの願掛けアイテムだ。
「お守りだと思って、受け取ればいいのかな? サムシングブルーって、お嫁さんが幸せになれるアイテムでしょ」
「まぁ、そんなところだ」
物語のような活躍をした彼女が、物語のハッピーエンドのように幸福を掴むことを願っている。
二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。
ーーそんなのは、建前だ。
美しく穢れのない花嫁に、いつか他の男と幸せになるかもしれない彼女に、自分の手垢のついたネクタイを使えだなんて。
それを寄越した男は純粋に彼女の幸せなど願ってはいない。
自分がもう側にいられないのなら、一生を支えることができないのなら、せめてその代わりにとネクタイを放り投げたのだ。ただの代替案、妥協の結果だ。
俺が彼女の夫になる者なら、そんな呪いの布切れは式を待たずして燃えるゴミの日に処分する。
マスターは結婚相手に己の幸せを委ねるようなタマじゃない。
結婚しようが、しなかろうが、自分で幸せな結果を掴みにいくだけの膂力がある。俺はそれをずっと近くで見ていたのだ。
彼女はきっと、幸福を掴むだろう。人理を修復した時のように。
だから、こんなアイテムは必要ない。
彼女がいつか選ぶ男が、そのあたりをちゃんと理解できる奴ならいいが、どうだか。
存外にこいつは男の趣味が悪いから。
別れ話も途中だというのに、座は空気を読まないもの。エーテルの身体は薄らと透けて、光の粒が辺りに広がる。
これは座に還る前触れ。時間切れだ。
「もう鐘のなる時間だ。俺は還るぞ」
「うん、ありがとう。あのね、今までずっとアンデルセンは私にとって、一番…………一番、お世話になった、サーヴァントだったよ」
今にも泣きそうな彼女が俺のネクタイを握り締めている。たかがサーヴァントとの別れくらいでこんなことでは、きっと自分の結婚式でもボロボロに泣いてみっともないことになるだろう。
あぁ、それでも。
その姿は、きっと誰よりも美しいのだろうな。
彼女の泣きそうな顔すら目の前から霞んで消えていく。最後くらい、馬鹿みたいな笑顔を見せたらどうなんだ。そんな皮肉を言うだけの力も、もう残っていない。
カルデアとの縁が、青を残してふつりと消えた。
あなたがしあわせになりますように。
そのことを永遠に覚えていられないだれかのことは忘れてもかまわない。
けれど、どこにもやれない想いをかたちに残すことをどうか許してください。