歳上の男の子 高校の正門前には少し不似合いな、門より低い背丈。私の可愛い弟分はいつも放課後になるとそこで待っている。
「また来てたの? 遅くなるかもしれな言っていったのに」
「俺がここに来たらお前は早く帰れるだろう?」
今ではすっかり校門の前で待つ彼の姿は名物になってしまった。有名になったせいで芋づる式に私も目立ってしまう。校門の前に青い髪を見かけた人たちがわたしに声をかけてくるようになってしまった。この将来有望そうな可愛らしい見た目の彼は学園の女の子達に気に入られているのだ。「あんまり待たせたら可哀想だよ」だなんて何回聞いたか分からない。
「もう、こんなに毎日来たら私がショタコンだと思われるでしょ!」
「何を言ってる。俺の方が実質年上だ。しかも五歳しか離れてない! 同じ、この世界に生きる人間だ」
実質って何だ。同じ人間だ、なんて一体どういうスケールの話なんだろう。でも小学生と高校生なんてそれこそ住む世界が違う。
「こんなんじゃ彼氏も作れない!」
「俺がいなければ簡単に恋人ができると思っているのか。……想像するだけなら自由だ」
「ホントに可愛くないんだから!」
見た目は可愛いのに中身は生意気、歳上ぶる。妙に大人びている(というか老けている)からもう少し成長して背が高くなったら、彼の方が歳上に見えてしまうかもしれない。
「ところでこのあたりは近頃変質者がうろついているらしい。そんな連中は見境がないから気をつけておけ」
何その見境のない男しか寄らないみたいな言い方!
「帰るぞ、立香」
「あっまた呼び捨てして! 立香お姉ちゃんでしょ!」
「……そんな寒気のする呼び方を強要するのか。姉ビームといい勝負だぞ」
「なに、姉ビームって」
たまによく分からない単語が出てくるのは語彙力とか、見てるテレビの違いなのかな。
「ところで、最近何か変わったことはないか?」
「変わったこと?」
「夢見が悪かったり、日中にぼんやりすることはあるか」
「え……」
お隣さんとはいえ通う学校も違う。それなのに今まさにわたしは彼が言うような状況を体験している。実は、最近妙な夢をみるようになった。学校にいる時も起きているはずなのに、時々ぼんやり夢を見ているような感覚になる。
「ーー心当たりがあるようだな」
生意気な顔で口角をあげる目の前の彼はとても小学生の表情じゃない。
「なんで」
「今のお前の知ったことではない。後から嫌でも分かる」
「ちゃんと説明してよ!もう、生意気なんだから……!」
「俺を生意気な弟扱いできるのも今のうちだけだと言っているんだ」
話が逸れてる。頑なに説明してくれないのはどうしてなんだろう。
「悪いが今回は引くつもりはないぞ。五歳の差なんて可愛いものだ」
「なんの話」
「今のうちにショタコン扱いされる覚悟はしておけと言ってる」
「ちょっと」
「いいから帰るぞ」
そう言ったきり、わたしの手を掴んでどんどん前を歩いていく姿になぜか懐かしさを感じる。もっとずっと前にもこんなことがあったような。
ーーわたしが彼を歳下扱いできなくなったのは、それから三ヶ月後のことだった。
歳上の女の子 2021.2
わたしは友達と遊びに行ったり、試験勉強に苦しむ普通の十七歳だ。ついさっきまでは普通の高校生だった。
昨日は急に頭が痛くなって保健室で眠ったのに、どんどん具合が悪くなって早退した。家に戻って休むうちにぼんやりと、夢の中のような光景が頭に浮かび始めたのだ。最近はたびたび起こっていた白昼夢や悪夢に似たもの。
マスター、サーヴァント……。夢だと片付けるには当たりにも生々しい記憶を辿るうち、見慣れた姿が目に入った。
――キャスター、ハンス・クリスチャン・アンデルセン。
そうだ。かつて、わたしは世界を救うマスターで、かつて、彼はわたしのサーヴァントで。叶うはずもない恋を別れの時に吐き出して、お断りされた。彼は「俺が生身の人間だったのなら色良い返事のひとつもくれてやった」とか、そんなずるいことを言って消えてしまったのだ。
同じ今を生きる人間であったならどれほど良かったかと涙をこぼして、しかし彼をここに繋ぎ止めるなんてわたしにはできなかった。
……思い出しただけならただ前世の記憶があるだとか、こんな恋をした記憶があるのだなんて思うだけで済んだ。けれど、それができない理由が一つ。
「おい立香。早退したと聞いたぞ。起き上がっていないで横になれ」
「!」
こうしてノックもなしに勝手にドアを開けて現れた彼が、記憶の中のアンデルセンとそっくりなのだ。他人の空似なんてレベルではない……!
「アンデルセン……ノックしないで入ってきたらダメでしょ」
「それは悪かった。……お前は眠っているものだと思っていたからな」
少し罰が悪そうにしている彼は、わたしの気持ちを断った時と同じ顔だ。記憶を思い出してこちらまで気まずい。でも、彼はわたしのことなど覚えていないだろう。わだってさっきまですっかり忘れていたのだから。
だけど、もう昔のことだからと割り切るには蘇ったばかりの記憶はあまりに鮮やかすぎて、少し心が痛くなる。
今の彼は五歳歳下のお隣さん。生意気で、いつも大人ぶってて可愛くなくて。素直じゃないけれど、本当は優しくて思いやりがあって。……いや、今はそんなこと考えてる場合じゃなかった。
「何だ、つまらん。仮病の早退ではないのか」
つまらないなんて言いながら、彼は両手いっぱいに氷枕やら色々看病のグッズを持っている。彼は小学生にしては手際が良すぎるのだ。
「大人しいな。知恵熱か?」
「もう、またそうやって子ども扱いしてっ……!」
「…………また?」
しまった……! 慌てて口を押さえても、もう聞かれてしまった後だった。今の彼は歳上のわたしを子ども扱いなんてしない。子ども扱いしていたのは、ずっと昔の記憶だった。
「俺がいつお前を子ども扱いしたんだ。ん? 答えてみろ、立香」
こちらを見る眼差しは、相変わらず小学生とは思えない。前世がどうのと言ったら、現実主義の彼に呆れた目で見られてしまうだろう。さてどう言ったものかと、彼を見つめる。
すると目の前でニヤリと自信ありげに笑う彼の顔が目に入ったのだ。もう後退りのできないベッドの中でこれでもかと言うほど後退する。……ベッドボードに身体が当たって、乗っていた本が落ちた。
「どうした? いつものように俺に強要しなくていいのか。『立香じゃなくて、立香"お姉ちゃん"でしょ』、と」
「っ……! それ、は」
「歳上」であった彼のことを思い出しておいて、お姉ちゃんだなんて呼ばせられるわけがない……!
「まぁ今は俺の方が歳下なのも事実だ。たまにはお前の好きなように呼んでやろうか、『リツカお姉ちゃん』?」
「や、やめてよもう、お姉ちゃんとかっ!」
なんて似合わないセリフだ。寒気がする。それに加えてこちらを観察するような視線が居た堪れない。周囲を見回してみるものの、誤魔化すのに役立ちそうなものは何一つない。
「だから言っただろう、『俺を歳下扱いできるのも今のうちだ』と」
無遠慮に私の頭を撫でる手は、やっぱりどうしようもなく大人の手つき。さらさらと丁寧に頭をなぞるような優しい撫で方が、わたしは大好きだった。
けれどずっと手を離してくれないから、懐かしさよりもだんだんと緊張が強くなっていく。
「アンデルセン、ちょっともうそのくらいで……」
彼は手を止めて、それでも視線は射抜くようにこっちを向いている。
「馬鹿を言うな。――俺はもう、十年以上も待った! 妥協するのはお前の方だ」
「……!」
ずっと昔だって一度もされたことのない抱擁を受けながら、息を止める。彼がそんな切なそうな顔をするなんて、わたしは今まで知らなかった。
あぁこんな時に、いつだったか彼が言っていた「ショタコンと呼ばれる覚悟をしておけ」という言葉が思い出される。
歳の差は五歳、小学生と高校生。前途多難。けれど同じ「今」を生きる人間。……ただ前よりもずっと障害の少ない、新しい関係が始まろうとしていた。