神経質で警戒心の強い彼へ マスターの私室は現在、大量の段ボールでいっぱいになっている。中には包装紙で包まれた量産型の贈り物。部屋の主は箱の中身を抱えて公共の福祉的な施しに夢中だ。
さて、その中身の正体は勿体ぶることもない。子どもの姿をしたサーヴァント達とただチョコレートを溶かして流し込むだけというような手軽なものを量産していたのを知っている。何十個と流し込まれたチョコレートが何十といるサーヴァント各々の口に入るだけだ。
大したことではないのだ。そうだとも。
まったく、断じて、珍しいことでも何でもない!
「ただいま!」
「どうせまた配布作業に勤しむんだろう?」
配り終わるまで手を止める気もないくせに、いちいちこの部屋に戻ってくるのは非効率的じゃないか。
「……ちょっと休憩しようかと思って。それから、アンデルセンにも渡したいものがあるの」
この部屋の段ボールの中身の1つが自分の手元に渡るだけだろう。あの安っぽくて上品さなんてカケラもない赤でつつまれた、溶かして整えただけの菓子だ。加えて、決して自分だけが受け取るものではない。
「甘いもの、好きかな…?」
出たな、赤い包み。
「疲労しきって狂った頭を正常に戻すにはさぞ役立つだろうな。しかし、随分とご苦労なことだ。このカルデアにいるサーヴァントの数など日に日に増えるばかりだというのに」
あの安っぽい溶かして固めただけのチョコレートが入っているのだろう。
……ところが、袋を開けるとそこには、小綺麗な箱がひとつ。
「なんだ、これは」
「えっ! チョコレート、ですけど……」
二月十四日、包装された贈り物、それを渡す女。(ついでに相手は日本人ときた)これがチョコだなんて、猿でも察するシチュエーション。問題はあの量産品と中身が違うことにあるのだが。
小綺麗な箱のリボンを解いて、箱を開ける。丸、四角…ハート型。溶かして固めるだけでは到底そうはならないだろう形と色とりどりのチョコレート。
これは、一体何だ?チョコレートだろうもちろん。いや、そうではなくて。
「こんな、見るからに手の込んだものを贈るだなんて一体何の見返りを要求する気だ?」
「えっ見返り…?」
そのまるで見返りなんて考えてもみなかった、みたいな顔をやめろ。
「まぁ、いい。後から何か要求されては困る。これをやるから文句はなしにしろ」
白衣のポケットに入れていた包みを渡す。
「えっ、ちょっと、」
「そもそもまだ仕事が片付いていない。俺は部屋に戻る」
「あっ、待って、ありがとう!」
部屋のドアを閉める間際に彼女の声が聞こえる。
バレンタインデーに贈り物をするのは何も女に限ったことではない。彼女が好みそうな淡くて甘い色合いの柔らかい袋、レースでできたリボン。メルヘンが凝り固まったようなファンシーな贈り物の内容。彼女にお誂え向きのセット。
ここまで用意をしておいても、あの部屋の大量の段ボールを見るとどうにも自分が彼女にこれを贈るのは分不相応な気がして。いや、そもそも恋人でもない女に何をどうして、こんなものを用意するんだ俺は。
マスターである彼女をよく見定めてきたつもりだった。だから、好きなものの傾向や、喜びそうなものを選ぶのにそう時間はかからない。だというのに贈り物を選定するのに妙に時間がかかってしまった。
「まったく、どうかしている」
彼女があんなものを自分に渡してこなければ。それなら自分の贈り物も、タンスの肥やしになっただけだろう。
けれど彼女があんな顔をして、いかにも……特別そうなものを送ってくるものだから。その顔を見て、衝動買いしたに等しい贈り物を手渡してしまった。失態極まりない、一体何を期待しているんだか。
自室に戻って改めて貰い物の中身を確認する。赤いハート型を摘んで鼻先に持っていくと……なるほど。確かにこれはチョコレート。こんなものを渡すだなんて、一体どういうつもりなんだ。まさか何かのドッキリでも仕掛けているんじゃないだろうな。怪しい箱を持ち上げて、観察する。
「……?」
箱の裏に何かが張り付いている。厚紙だろうか、長方形のそれはメッセージカードに似ている。それにはたった一言だけの文言。
あなたが好きです
この筆跡はマスターのもので間違いない。誰に渡す予定だったのかは知らんが、箱を間違えたらしい。当然こんな文を自分に送るはずがないのだから。しかも、箱の裏側だなんて渡した相手が気がつかない可能性があるだろう。相手が気づかなくても構わないのか?ただの自己満足だ。ーーあるいは、渡した相手が気がつくと期待しているのか。
「渡したいのか渡したくないのかはっきりしろ」
大体、お前がこんな言葉を贈って断るような男がこのカルデアにいるものか。浮かれ上がった脱稿後の作家程度には舞い上がるに決まっている。
あいつがカードを渡したい相手が誰だかなんて知りもしないが、どうやら意中の相手がいるらしい、普段の行動からそれくらいの察しはついていた。肝心なところでカードを本人に渡せなかった彼女は、詰めが甘い。よりにもよって俺などに間違えて寄越すだなんて。
――薄っぺらいカードに気がつかなかったフリをして、このまま彼女の想いごとゴミ箱行きにしてやろうか。――
それでも、カードの返事が返ってこなければ彼女は悲しむだろう。顔を歪めて涙を溜める彼女を考えると……。
「そんな不細工な面でカルデアの中を練り歩かれても迷惑だ」
カードを捨てることはできない。不本意ではあるが彼女にカードを返してやる必要がある。しかし、メッセージカードは間違いだとしてもこの箱の中身は自分がもらって構わないだろう。箱の底に張り付いたカードを爪で引っ掻いて取り外す。軽く糊づけされただけのカードはあっさりと箱から剥がれてしまう。これを正しい贈り主のところに贈るときには、もっと強力な糊づけが必要だと伝えるべきか? カードを裏返し、箱に張り付けられていた面に何気なく目をやる。
「!」
アンデルセンへ
贈り間違いじゃありません!お返事待っています。
カードの裏には名指しのメッセージ。宛先は、さんざん聞いた自分の名前だった。
「……恥ずかしいやつめ」
箱の底まで俺が見るだろうことも、カードを箱から剥がすことも、想定済みか。まったく、これだからあいつはダメなんだ。なんだ、俺がカルデアの男どもに刺されでもしたら責任を取ってくれるのか?
今頃とっくに自分の贈り物を開けているだろう彼女を思い浮かべる。それから書きかけのページもそこそこに部屋を離れる。ままならない心を抱えたまま、自分の気持ち一つ自由になりはしない。
ーーこれだから、バレンタインデーなんてものは。
ため息をひとつ。しかし、心情はカルデアの男どもの例に漏れず、脱稿後のような爽快感だった。