レンアイケッコン、はじめました! 貴族は生まれた時から結婚相手が決まっている。
わたしの婚姻は三ヶ月後、式の打ち合わせまでは顔を合わせることもない。「お嬢様」はそんな環境に疑問を持たないように、世間知らずに育てられる。テレビ、本、服…勉強ではなく娯楽に当てはまる類の全てに触れないようにして結婚までを過ごす。まるで生かされているだけの人形。それが昔から気に入らなかった。
外へ出たい。例えばそう、顔も知らない婚約者じゃなくて好きな人と結婚できる空間に私も生きたい。そんな不満をぶつけるようにピアノの鍵盤を叩く。
「下手くそ」
人を小馬鹿にする態度がサマになる私の家庭教師。こんな悪い顔が格好良いで済むなんてずるい大人だ。
「何をニヤけている。特殊性癖を育むのなら他所でやってくれ。」
でも圧倒的に口が悪い。貴族の男ではこんな風に喋る人なんていないから、世間は広いなと思う。
「先生って、一目惚れはよくされるでしょ」
「妙に引っかかる物言いだな。俺はどこにでもいる男だ。街中の女どもがどうこうなど一々構っていられるか」
街で流行っているらしい服が似合う。派手ではなく、どこか高価な雰囲気があって。その見た目に惹かれて近づけばこの態度。そこからアプローチする女の人は多分あんまりいない。関わろうとは思わないはず、と失礼なことを考える。
だから、私には恋のライバルというものは少ない。コウシャウラに呼び出されて宣戦布告されたりすることもないはず。
きっと、長い時間を一緒に過ごしたら誰だってこの人を好きになってしまう。でもこの人がそんな長い時間を「仕事」以外で誰かと過ごすことは想像できない。
「お前はすぐ指順を間違える」
「だって、譜面の通りじゃ弾きにくいよ」
「ワガママを言うな。見苦しい弾き手を育てたとあっては俺も食い扶持が無くなりかねない」
「! それ、クビになるってこと⁉︎」
「お前にしては察しが良い。そうだな、お前が上達しないのなら俺もここにはいなくなるかもしれん」
さぁっと血の気が引く。
「もう一度、弾いてみせろ」
ピアノは好きだ。この人みたいに上手になりたくてたくさん練習したのだから。
「随分とまぁ、不満げな音だな。それはそれとして、やはり実力を隠していたか。下手なフリをするのはもうやめろ」
「……ごめんなさい。上手くなったら先生、辞めちゃうと思って……」
まだ習い始めていないものまでスケジュールが組まれるほどの生活。人様に見せられるレベルまでピアノが上手くなれば、もう必要ないと別のレッスンに変えられてしまう。まだ私の先生でいてほしくて、上達していないフリをした。でも先生はそんなこともお見通しだったみたいだ。敵わない。
「いくらお前が間抜けでも、毎日あんなにも弾いて上達しないのはおかしい」
「なんで知ってるの⁉︎」
「何だ気がついていなかったのか。俺はこの屋敷の住み込み家庭教師。仕事はピアノの講師、立場はお前の許婚だ」
何て言ったの? 住み込み? ……いいなずけ?
さっぱりわからない展開にこっそり見ているテレビを思い出す。ドッキリキカク。ドッキリ大成功!の看板を持った人が現れてるんじゃないか。辺りを警戒する。
「ドッキリ企画を疑う貴族の娘などこの国にはお前くらいだ、お嬢様」
ドッキリキカクではないのだろうか。
「だって、先生街に住んでるって……」
「あぁ、実家にいるよりも流行の分かる街にいる方が性に合うものでな。住み込みは最近始めたばかりだ」
「それに、恋人いないって言ってたじゃない!」
「何だ、お前は俺の恋人のつもりだったのか?」
「そんなんじゃ……」
恋人になれたら良いなと思ったことはあるけど。
「お前が上達したら、俺は『先生』はやめることになっている。お前がどう思おうとな」
「そんな……!」
上手くなってもならなくても、ずっとレッスンしてはもらえないなんて。
「……街の流行についていくらか話したことがあったな。お前、俺と恋愛結婚をするつもりはあるか?」
「!」
レンアイケッコン。それは貴族とは縁のない私の憧れそのもの。ピアノの椅子から立ち上がり、身を乗り出す。
「する! 先生とレンアイケッコンします! ……それって何をすればいいの?」
「……世間知らずなのも考えものだな。お前がお父様を満足させる腕前になったら、街へ移り住む交渉を進めてやる。だから、もう指順を間違えるのはやめろ」
何度も何度もわざと間違えた弾き方を、身体が覚えてしまっている。ちゃんと直せるだろうか。
「良い子にできるだろう……?」
見たことのない先生の表情と雰囲気に何だか少しドキドキする。
「わ、わかった! ……街に住めるなんて夢みたい」
「おい、まだ住むとは決まってない。それはお前の実力次第で、」
「楽しみだね先生! 街ではみんなシェフじゃないのにお料理するんでしょ? それからメイドじゃないのにお洗濯して、お洋服にアイロンをかけたりするんでしょ?」
「まぁ、そうだな」
「街の人は毎日楽しそうでいいなぁ」
「そんなこと、一年も住めばいわなくなるぞ、お嬢様」
「?」
「はぁ、ともかくだ。もう一度、ごまかさずに実力を見せてくれ」
「はい!」
まだ見ぬ街の暮らしを想像しながら、今度こそ正しい弾き方で鍵盤の上に指を滑らせる。お父様から引っ越しの許可が出るのは、それからすぐのことだった。