ふたりの夜の朝ご飯 鬱陶しい日差しがレースのカーテンから差し込んで漏れている。いつも勝手に遮光カーテンを開けるなと言っているのに、『日の光を浴びないと起きられないでしょう』なんてあいつが言うものだから、仕方ない。実際のところ光が入ってようがいまいが目覚めは常に悪い。
とても執筆活動などできやしない頭で辺りを見回し、いつもより広く感じるベッドに今朝食を用意しているのであろう彼女の姿を思い浮かべる。
電車に乗らない、通勤時間がかからない。それだけでどれほどの時間が有用に使えるものか。年中家が仕事場となっている俺では計り知れないほどの生活の変化。彼女が快適な生活を手に入れた事は俺にも恩恵があった。早朝に出かける支度をしなくても良くなったおかげで共に食卓を囲むことができるようになったことだ。
彼女は出勤するのなら俺が起きるより先に朝食を済ませて出て行ってしまうからだ。前は起きてすぐ、ラップのかけられた朝食を温めて一人で食べるのがいつもの習慣だった。出かける前に声をかけられているらしいのだが、あいにく寝起きが最悪な俺の記憶には残っていない。
寝ぼけたまま今日の朝食について考える。あぁそうだ、せっかくの機会なのだ。いつも温め直すと半熟じゃなくなってしまうオムレツが食べたい。作り慣れているからか、それ相応の技術があるのだから一番出来の良い状態で食べられるこんな時に食べないのは間違っている。今声をかければメニューの希望は叶うだろうか。叶わなくても、昼に作ってもらうことくらいはできそうだ。
まだ寝足りないと訴える全身をどうにかなだめて起き上がる。だるさを抱えながら彼女がいるだろうキッチンへ。
がらんとしたキッチンに、ラップのかけられた朝食。この家のどこにも彼女の気配はない。ーーあぁそういえば、もう今日から出勤するんだったか。この家は、こんなに広かったか?
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(ちょっと買いすぎたかなぁ……)
久しぶりの出勤。急いで仕事を終わらせて、たくさんの食材を買い込んだ帰り道。
家で仕事をしているときはいつもよりも彼と過ごす時間が多くて嬉しかった。今朝だってまだ家にいたくて……今日くらいは彼も起きてくるんじゃないかと思っていたけれど、いつもと変わらずぐっすり眠っていた。もう少しくらい寂しがってくれたって良いのに、何も変わらないその姿勢。らしいと言えば、らしいのだけど。仕事の疲れも重なって、ため息がこぼれる。気を取り直して家の鍵を開ける。
「あれ……?」
半開きになった玄関のドアから光が漏れる。電気、つけっぱなしだった? 朝はついてなかったと思うけど。
「帰ったのか」
「!……ビックリした。どうして廊下にいるの?」
「たまたま通りかかったところだ」
玄関の目の前にわざわざ通りかかるような用事はないと思うけど。ーーまさか、帰ってくるのをここで待っていてくれたんだろうか。
「随分買い込んだじゃないか」
「うん、まとめて買っておこうと思って」
「そうか。……卵があるな。オムレツを作ってくれ」
「え、オムレツ⁉︎ もう夜なのに?」
「いいから焼いてくれ、半熟のやつを」
どういう風の吹き回しなんだろう、こんな時間にオムレツだなんて。今日はシチューを作ろうと思っていたけれど、こんなに熱心なリクエストをもらうとは思っていなかった。……まぁいいか、オムレツでも。
「それから」
「うん?」
「明日は、朝食の前に起こしてくれ」
「えっ」
朝に声をかけてもほとんど効果がないくらいで、寝起きがとんでもなく悪いのに。
「百歩譲って朝食の時に起きなければ、家を出る前に必ず起こしてくれ」
必ず、なんてどれだけ起こしてほしいんだろう。でも、そもそも自分で起きればいいのにわたしに頼むのは、彼なりに私に甘えているのだ。……多分。
少しはわたしが出かけた後に寂しいと思ってくれたのかもしれない。彼の「起こしてくれ」がなんだか「側にいたい」「離れたくない」ーーそういう、彼が酔わなければ決して言ってはくれない言葉に似ているように思えて。
「……仕方ないなぁ、ワガママなんだから」
きっと明日は早く起きて一緒に朝ご飯を食べよう。もし寝起きで機嫌の悪そうな彼が玄関でわたしを見送ってくれたなら、行ってきますのキスでも贈ろうか。それなら少しは目が覚めるかもしれない。小さなイタズラを企みながらキッチンへ向かう。
今日のメニューはオムレツ。一緒に食べられなかった朝ごはんを、これからもう一度二人で食べるのだ。