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    たまごやき@推し活

    アンぐだ♀と童話作家アンデルセンのこと考える推し活アカウント

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    現パロアンぐだ♀、ぐだ子受アドベントカレンダー参加作品まとめ

    ##FGO
    ##アンぐだ
    ##現パロ
    ##同棲

    ぐだ子受アドベントカレンダーまとめスタート

     賑やかな通りはハロウィンが終わった瞬間に赤と緑の飾りで覆われる。どこもかしこも浮かれきった有様。
     近所の寂れたスーパーですらそれなりの飾りが施されている。
    「もう他に足りないものなかったっけ? もうお会計しちゃうよ」
    「すぐ近くなんだ、買い忘れがあってもどうにかなる」
     そんな面倒なことにならないように確かめてるのに! と不機嫌なフリで彼女が言った。
     スーパーからの帰り道、電飾で飾られた家を見るたびに彼女は顔を輝かせる。
     そのくせ我が家といえばツリーどころか果たしてクリスマスディナーのひとつも出るか疑わしい状況。丸めた原稿の成れの果てで灯した炎で夢でも見られたら良いのだが、生憎現実はそうもいかない。

    (もうすぐ応募作品の選考か……)
     良い結果が出たのなら、編集から連絡のひとつくらい来るだろう。どうにか作家生命を繋ぐような返事が来たのであれば――。

    「どうしたの? 買い忘れあった?」 
    「何でもない、いいからさっさと会計して帰るぞ。あまり遅くなると銭湯が混む」
     次の選考に受かったのであれば、俺もそれなりに生活のゆとりが出るだろう。四畳半のマイルームを飛び出し、果ては2LDKくらい望んでもバチは当たるまい。
     作家とは生活の安定しない職業。
     この四畳半の和室に暮らしているのは万が一の時の貯蓄を貯める余裕の兼ね合いだとか、生々しい大人の事情が絡んでいる。
     ところがこんな荒屋に何を血迷ったか、転がり込んできた娘が一人。
    「あ! 石鹸が少なくなってたの忘れてた」
    「今から戻るのも面倒だ。また次にすれば――」
    「戻って買ってくる。先に帰って準備してて!」
    「おい、立香!」
     行動力の塊のような女だ。彼女を引き留めようとした時にはもう手の届かないところまで駆けていて、俺は押し付けられたもう一つの買い物袋を抱えながら一足先に家に戻ることになった。
     やはりついていくべきだったか? 相変わらず彼女に対しては後手に回っている気がしてならない。目を離した途端に曲がり角の向こうに消えている。

     俺の暮らすボロアパートに乗り込んできた恋人は生活の質が下がったことなど気にもかけず、今や四畳半の和室に私物を広げて逞しく暮らしている。
     来てしまったものは仕方ないとして、せめてセキュリティの心配がない場所への引越しぐらいは必須条件だろう。

    「まったく、スーパーが逃げるわけでもあるまいし……」
     後ろを振り向く。
     スーパーはすぐそこ。
    (あの速さならどうせ五分もせずに帰ってくるだろう)
     歩幅を狭める。
     家に着くまでに彼女が追いつくんじゃないかと浅はかにも考えている。俺が家に着くまでに間に合うのか、合わないのかぎりぎりの匙加減。
     もしも。万が一家にたどり着く前に彼女が間に合ったのなら、たまには自分から彼女に手を差し出してみようか? 手が冷えている、なんて言い訳でも吐いて。
     そんな気狂いな真似は脱稿後で充分だろうが、それでも彼女が良い表情を見せると分かるくらいの自信はあるのだ。
     とはいえこれはあくまで想像の域。ほんの気まぐれを実行できるほど甲斐性もない。
    (……やれやれヤキでも回ったか、無礼講のパーティーでもあるまいし)

    「――もう追いついちゃった! もしかして待っててくれたの?」
    「!」
     気がつけば石鹸の箱を抱えた彼女が俺の顔を覗き込んでいた。心臓に悪いことこの上ない。
     いつの間にか歩幅を狭めるどころか立ち止まって物思いに耽っていたらしい。まったく恥晒しもいいところ。 

    「いや、なに。少し考え事をしていただけだ」
    「そうなの? でもこれで一緒に帰れるね」
    「またお前はそういう――いや。何でもない、早く帰るぞ」
     あぁどうしてこうも真っ直ぐなのか、秘訣は何か聞いたところで参考にならなさそうだ。俺には真似できないだろうから。
    「うん、じゃあ帰ろうか」
     彼女の手が呼吸でもするかのように俺の手を捕まえる。触れた手の温度は俺よりも彼女の方が温かいくらいで、こんな様ではどの道「温めてやる」なんて話にもならない。
     まったく、これだから。俺が気まぐれにやってみようかなんて思ったことは大体彼女が先取りしてしまうのだ。
     恥ずかしげもなく、堂々と。……当たり前のように。
     
     ――そもそも流れるように始まってしまった同棲のせいで、俺は「一緒に暮らしたいから」なんて理由の結婚の申し込みひとつ出来やしない。
     あと一押しのきっかけを求めている。
     もしも次、一足先に彼女の手を取れたのなら何かが変わる気がするのだ。

     ――師走の始まり。
     彼女に手を引かれ、もうすぐそこの我が家へ歩き出す。
     近所の庭の電飾を視界に入れながら、せめてクリスマスくらいはこの電飾よりそれらしいものを用意するか……とぼんやり考えてながら玄関の扉を開けた。

     
    待ち合わせ

     彼が珍しく室内の模様替えをしたいと言ったので買い物に出かけることになった。クリスマスの飾りが欲しいなんて彼が言い出すとは思わなかったけれど、本当はわたしがクリスマスを楽しみにしているからそんなことを言ったんじゃないかと思っている。  
     遠出するのは久しぶり。気合を入れて買い出しの名目で詰め込んだスケジュールの数々。映画鑑賞、食事、ボウリング。……詰め込みすぎて何だか買い出しがおまけのように思えてくる。
     待ち合わせの時、彼よりわたしが早く来ることが多い。それは彼が仕事の打ち合わせ帰りに待ち合わせ場所まで来るからだ。
     わたしはいつもの公園のベンチにのんびり座って待つのが結構好きだ。 
     同じ家に暮らすと待ち合わせてデートするのは難しくなってしまう。特に家で執筆活動をする彼が相手では、仕事帰りに外にいるタイミングが少ないのだ。

     だけど今日は珍しく、彼の方が先に待ち合わせ場所に着いていた。
     待ち合わせ場所に青色の髪を見つけた時、珍しいと思うのと同時に嬉しくなった。「ごめんね、待った?」「今来たところ」……なんてやり取りをすればとても恋人らしい。

     駆け足で恋人の元へ向かう。脳内予行練習はバッチリ。
     ごめんね――と口を開こうとして、慌てて口を閉じた。彼が女の人に話しかけられているのが見える。最初は背の高い彼に隠れて見えなかった。
    (……道でも聞いてるのかな)
     彼と女の人が二人セットで並んでいるのなんて見たことがないのだ。何となく割り込みにくい。
     隠れる必要なんてないのに、こっそり様子を窺う。
     話し込んでいるらしい。道を聞いているわけでさなさそう。もしかしたら知り合いの人かもしれない。……彼に女の人の知り合いがいたっておかしくないのに、目の前で初めて見る光景にもやもやしてしまう。

     二人で家の中で過ごすことが多すぎて忘れがちな事実が頭を過ぎる。
     もしかして原稿の徹夜明けではなく、くたびれたスウェット姿でもなく、今まさに街中でコンビニのコーヒー片手に壁に寄りかかる彼は……モテるのではないか。街中で綺麗なお姉さんに声をかけられるほどには。
    (いやいや、そんなの考えすぎだって)
     でもそう思った途端に目の前の二人がやけにお似合いに見えてしまう。
     畳みかけるように彼の目の前のお姉さんが楽しそうな笑顔と共に彼の肩に手を触れたのが目に入ってしまって。
     さっきまで考えすぎ、と思っていたのもすっかり忘れて駆け出していた。

    「あぁ、来たのか立香。今ちょうど――」
    「あの! この人わたしの恋人なのでちょっかいかけないでください!」
     目の前のお姉さんに見えるようにして彼の腕にしがみつく。強調して「恋人」と言い放つ。
     明らかな嫉妬の感情は今まで体感したことがないほどで、自分でもこんな行動に出てしまうなんて思わなかった。彼の腕を引くようにしながらその場を離れる。

     移動する間も彼の方から刺さるような視線を感じる。過剰な嫉妬に呆れられてしまったかもと思うと彼の方に顔を向けられない。
     さらには深いため息の音が聞こえて、わたしは視線をどこにもやれずにいた。……それでも、彼の腕をどうしても離せないまま。

    「一体どこまで歩くつもりだ? 映画館はとっくに通り過ぎたが」
    「あ……」
     彼に言われて慌てて足を止める。
    「まったく、たまの休暇に無駄な運動をさせるつもりか」
    「……ごめんなさい」
    「いや。それにしても珍しいこともあるものだな! お前が……」
    「……?」
     彼がこんな風に言葉に詰まるのは珍しくて、俯くのをやめて彼の方に顔を向ける。
    「…………さっきのは嫉妬、でいいのか?」
    「!」

     普段はわたしのことなんて何でもお見通しで、何でも言い当てられてしまう。言いたいことも考えていることも大体見透かされていると思っている。
     食べたいもの、やりたいこと、彼に求めていること。何だって知られているような気がする。
     
     ――それなのに、こんな時に限って。
     見たこともない赤い顔でわたしの心を確認してくるのだ。

    「……正解です」
     そんなことない、と言い訳するのは大人げない。そう思わせる彼の態度に観念する。
    「そうか。お前は、なんだ……今までそういった感情とは無縁な生き物かと思うほどだったか、なるほど」
     流れるような早口は彼の照れている時の癖。彼ほどではなくても、わたしだってそれくらいはもう知っている。

    「あ、映画始まっちゃう……行こうか」
    「……そうだな」
     わたし達の間に流れる浮ついた空気はまだ戻りそうにない。
     街中のイルミネーションにあてられながら、ただの「買い出し」が「デート」に変わる。

     師走は始まったばかり。
     天気は良好。
     ……クリスマスには雪が降るだろうか。ホワイトクリスマスに少し期待しながら、わたし達は映画館へ向かうために道を引き返し始めた。



    クリスマスソング

    「♪〜」
     洗濯物をハンガーにかけて干しながら彼女が鼻歌を歌う。流行などそっちのけ、この時期の彼女の定番曲は童謡だ。彼女曰く、馴染みのある曲が多いから、だとか。
     そのおかげでここのところは鈴だの青い鼻のトナカイだのやれクリスマス前にやってくるサンタだのと聞かされてばかりだ。
     正直なところそのラインナップはスーパーのBGMだけで足りているのだが、俺の感想はさておき彼女は妙に楽しそうだ。

     もうサンタがプレゼントを運んでくる年齢でもないだろうに、この時期になると相変わらず彼女は鼻歌を歌うほどに浮かれている。
     そんなに楽しみにしているくせして、クリスマスディナーもプレゼントも、果てはクリスマスの飾りのひとつもねだってこない。
     それを見かねて室内用の飾りを買い求めに行ったばかりだが、俺の机の上の小さなツリーは存在感がなさすぎてクリスマスの飾りとして役立っているか疑わしい。 
     ひとまず、彼女は気に入っているようではあるが。
     まぁ部屋中に赤や緑のモールを飾るわけにもいかない。この程度が限界だろう。
     まさか、こんな安アパートに住んでいるせいで気を遣われているのだろうか? ありきたりなテンプレイベントだろうが、クリスマスだの誕生日だのここというタイミングで出費ができないほどじゃない。

     例えばすぐそこのケーキ屋にある期間限定ブッシュドノエル。贔屓のパン屋のシュトレン。後はこの間遠巻きに眺めていた店のブーツ、コート、スカート。
     ……彼女の髪色によく映える髪飾り。ネックレス――指輪。
     いつの間にか「彼女の欲しいもの」から「贈りたいもの」へシフトする思考を中断させる。馬鹿馬鹿しい、それは彼女の求めているものじゃない。

    「もうすぐクリスマスだろう。何か欲しいものはないのか」
    「うーん欲しいものかぁ」
     とは言えイベントの度に具体的なリクエストが返ってこないのにはもう慣れた。
    「……あのね、二十四日は丸一日オフにしてほしい」
    「元よりそのつもりだ。どこか行きたいところでもあるのか?」
     初めてまともな要望が返ってきたが、それも形に残るものではない。一日オフにしろ、というのだから行きたいところややりたいことがあってのことだろう。
     ここから移動に時間のかかる夜景スポットのいくつかを頭に思い浮かべる。何なら泊まりがけだって。今から旅行の予約など面倒すぎてやっていられないが、滅多にないリクエストだ。少しくらいは――。

    「一日中家にいようと思ってるんだけど」 
     前言撤回。旅行だなんて勝手に浮かれたことを考えたのは無かったことにしてくれ。
    「アウトドア派のお前が祭日に外に出ないとは、どういう風の吹き回しだ? ここのところの寒さで思考も凍ったか?」
    「気分だよ、気分! たまにはいいでしょ?」
     絶対におかしい。大体たまにもなにも、俺はいつも家で仕事をしているのだから外出しないのは珍しくない。
    「買い出しして、家でご飯作って食べよう! スーパーにクリスマス用の大きな鶏肉が売ってるの見たし」
     手料理でささやかなホームパーティー。俺としてはこの上ない過ごし方だが、彼女がクリスマスフェアの店をチェックしているのは知っている。
     好みの店がなかった? 
     手が届かない高級店からリーズナブルな店まで候補は山のようにあったはずだ。
     寒くなってきたから外に出たくない? 
     こんな寒空の中で雪だるまを作りたがるような女が今更少しの悪天候くらいで怯むわけがない。
     であれば他に何か理由があるはずだ。

    「行きたい店があるんじゃないのか? 例えば駅前に新しく入って大層評価の良いレストランだとか」
    「な、何でそんなこと知って……!」
    「やはりな、本命はその店か。そろそろ取り繕っていないで外に出たくない理由を正直に吐いたらどうだ?」
    「………………」
     この手の隠し事が今更通用するわけがないだろう。それは彼女も分かっているのだろうが、今回は根を上げて降参するまでに随分と渋る。
    そこまで抵抗されるととんでもない理由が飛び出すのではないかと嫌な予感ばかりしてくる。

    「だって……外に出てアンデルセンが女の子にモテたら嫌だし」
    「はぁ……?」
     いや、どちらかと言えばそれはこっちの台詞だが。
    「だから今年は家でチキン焼いてケーキ食べよう! ほら、ブッシュドノエルでも買って」
    「お前、俺とは金輪際外出しないつもりか?」
     スーパーの買い出しにはしょっちゅう足を運んでいるくせに矛盾している。
    「そうじゃないけど! でもクリスマスだし」
     クリスマスだから何だというのか。視線で続きを促す。
    「わたしが独り占めしてもいいでしょ?」
    「……は、クリスマスだけで満足か? 存外控えめだな」
    「! クリスマスだけじゃ足りない」

     こんなに浮かれていては彼女の鼻歌の癖が移ってしまいそうだ。調子に乗って胸焼けしそうな恋人達のクリスマスソングを頭に浮かべる。拗ねる彼女の頭に手を乗せれば、また子供扱いして……と彼女がこぼす。

     鼻歌も歌いたくなる、昼下がりの出来事。

     ――白状すれば日頃から彼女以外に独占している存在など心当たりがないのだが、まぁそんなのは一々加筆していられない。

      
     
    マフラー

     記念日に何か欲しいものはない? そう聞いてもいつも特にないとか、この間作ったあれがまた食べたいだとか、そんな答えばかり返ってくる。
    けれど毎年苦戦するクリスマスプレゼントに、今年は候補がひとつ。

    ――マフラーなんてどうだろうか? そう考えている。

     彼は外出のたびにコートの襟元を引っ張って口元に寄せている。マフラーを買ったらどうかと提案しても、彼はどうせ使う機会が少ないからわざわざ買いに行くほどじゃない と言うのだ。
     だとしても全く外に出ないわけじゃない。いつも外に出るたび寒そうにしているのだから一つくらい持っていた方が良いだろう。自分で買うつもりがないようなのでプレゼントならどうかと思ったのだ。

     仕事の帰りにマフラーを探して街中を歩く。
     手に取って、彼のことを思い浮かべる。
     この色が似合うかも? 
     こっちの生地はどうだろう?
     一番似合うものを探したくて店を探しても、これだというものになかなか巡り合わない。
    (いっそのこと編んだ方が良いのかも……)
     手編みのプレゼント。彼に似合う色で、模様で自分の手で作れたなら。
    (でも編み物なんてやったことないしなぁ。それに今からじゃ間に合わないか)
     綺麗な既製品が見つかればそれに越したことはない。でも、もしかすると案外、こういうのは手編みの方が嬉しかったりするのだろうか?
    (あんまり想像つかないなぁ)
     彼は結構現実主義者な面がある。けれどそのくせ少しロマンチックなところもある、ような気がする。
     果たしてマフラーの手作りはありなのか、なしなのか。
     結局たくさんの店を巡っても良いものが見つからなかったわたしはまず彼に手編みのマフラーについて聞いてみることにした。
     贈り物をサプライズにしたかったけれど作ってしまってから要らないと言われたら立ち直れない。
     打ち合わせで外出している彼の帰りを今か今かと待ちわびる。

    「ただいま」
    「おかえりなさい! スーパーで卵買ってきてくれ……た?」
     帰りがけのお使いのついでにマフラーについて聞こうと思った。けれどそれより前に、彼の首元に夕陽色のマフラーがあるのが見えてしまった。
    「ん、どうした? あぁこのマフラーか。帰り道にたまたま見かけて購入したものだ。お前にもあったほうが良いと言われていたしな」
    「そ、そうなんだ」
     なんてタイミング。マフラーを欲しがっていなかった彼が自分で買ってきてしまうなんて。
     これでは手作りどころかマフラー以外の案を考え直さなくてはならない。

    「……何だ? この色は俺には不似合いか?」
     わたしがマフラーをじっと見つめていたら彼は怪訝そうに言った。
    「ごめんね。そういう訳じゃないの」
    「今さら遠慮するような関係性でもない。そもそも批判には慣れている」
    「似合わないとかじゃなくて! ……出遅れちゃったなと思って」
    「出遅れ? 一体何の話だ」
    「その、クリスマスはアンデルセンにマフラーをあげようと思ってたの」
     タイミングの悪さに苦笑いする。
    「だから今日は、手編みはどうかなって聞こうと思ってたんだけど」
    「そうか、それは……待て。手編みだと?」
     思いの外強く聞き返す彼にたじろぐ。
    「既製品ではなく、お前が編むのか?」
    「う、うん。売ってるマフラーにあんまりピンと来るものがなくて。挑戦してみようかなって思ってたの。だから手編みのマフラーについて意見貰いたかったんだけど」
     結果としては一足先に彼が手に入れてしまった。

    「何か他のものを考えるね! アンデルセンももう一度欲しいもの考えてみて?」
    「……もうマフラーはやめるのか」
     思った以上に不服そうな声色に、もしやと彼の顔を覗き見る。
    「おいなんだ、見せ物じゃないぞ。大体そう珍しげに見なくとも普段から見慣れているだろうが」
    「……もしかしてマフラー、結構嬉しかったりする?」
     ぐ、と言葉に詰まる彼の表情。見る限り、「悪くはない」くらいの感想はもらえそうなものだけど。
    「……今年は寒い。防寒具は複数あっても困らないだろう」

     彼はわざわざ買いに行くほどじゃないと言ったマフラーを、あっても困らないと言うのだ。
    (相変わらず、素直じゃないというか……)

     そういうところも、好きだけれど。

    「じゃあ毛糸を買ってこようかな。挑戦してみるよ。どんな色がいい?」

     新しいマフラーで首元を飾る彼を想像してみる。何だか少しくすぐったい。
     色とりどりの毛糸玉に想いを馳せて、心を温める。

     クリスマスまでに間に合うだろうか? 急がなくちゃ。
     わたしは張り切って計画を立てるのだった。


    着ぶくれ

     最近はすっかり寒くなって、厚手のコートが必須になった。去年彼女に勧められてダウンコートを買ったが、今年引っ張り出してみるとやたら着ぶくれするような気がする。(これを買った時、細身だからダウンを着てもシュッとして見える、と彼女は言った)
     去年より少し、太っただろうか。
     やれ忘年会、クリスマス会と参加するかはさておき食べ過ぎの危険性が高い季節だ。ただでさえ運動など脱稿後の全力疾走程度なのだから、ダウンを着るなら日頃から少し食事は控えた方がいい。
     そもそも日頃からそう食べ過ぎているつもりもない。間食の数も多くないのだから少し気をつければ良いだけだ。


    「――アンデルセン、おかわりいる?」
    「ん……」
     茶碗を差し出そうとして、はたと手を止める。
     そうだ、この「おかわり」の一杯だって毎日続けていれば馬鹿にできない。
    「いや。……今日はいい」
    「えっ珍しいね」
     珍しいと言われるほどに茶碗を差し出していたことに今になって気がつく。
     世の中には「幸せ太り」なる単語がある。幸せかどうかはさておき、結婚後に食生活の変化で太るというあれだ。まぁ実の所俺は結婚しているわけではない、それに当てはまりはしないのだが。

    「なに、ただの健康維持の一環だ」
     心配そうにこちらを見る彼女に説明する。
    「おかわりはなくてもいいけど……アンデルセンはただでさえ忙しくなるとご飯食べなくなるんだから。あんまり食事抜いてばかりじゃダメだよ?」
    「今は原稿に追われていてもお前にお節介を焼かれて生活しているんだ。そう心配するほどじゃない」
     今となっては食事も睡眠もめちゃくちゃで過ごす原稿の修羅場から引っ張り、戻されるようにして生活を正され過ごしている。よくよく考えれば太った、というより不健康からやや健康へと近づいたような気さえしてくるものだ。

     ――幸せ太り。
     あながち間違いでもないか。

    「アンデルセン? どうかしたの?」
    「いや。……やっぱりもう一杯よそってくれ」
     茶碗を差し出す。
     余分なエネルギーはまぁ、たまには外に出て運動すれば帳消しにできるか。
     イルミネーションで輝く街に、散歩と言い張り出掛ければ少しは運動不足もマシになるだろう。
     厚手のダウンコートを着て、彼女と並んで歩く自分を想像する。……太ったと指摘が入ったのなら、ただの着ぶくれだと言い訳してしまえばいいか。

     あくまでただの散歩。ロマンとは無縁の外出に想いを馳せ、曇り空の外に目をやる。
     クリスマスには雪が降るだろうか? 
     らしくなく彼女が雪の中を駆け回るのを想像しながらコートをクローゼットから引っ張り出すのだった。


    オーナメント

     最近は運動不足だから、なんて彼が主張して連れ出された最寄駅。気まぐれだとしても何だか最近、二人で外出することが多くなって嬉しい。
     街中の大きなツリーは赤や金のオーナメントで飾り付けられ華やかな装い。思わず見入ってしまう。
     ふと、彼の机の上の小さなツリーを思い出す。街の大きなツリーほどの存在感ではないだろうけど、我が家では貴重な季節感のある飾りだ。
     普段あまり内装に興味のない彼が選んだというのもあって、見るたびに嬉しくなっている。

    「……うちにはあんな大きいツリーは飾れないぞ」
    「確かに綺麗だけど、わたしはうちのツリーの方が好きかな」
    「それはまた、安上がりだな」
     彼が悪態をつくように鼻を鳴らす。
     安上がりなんてとんでもない。
     大きなツリーより、豪華なディナーより、わたしは彼の心と時間が欲しい。
     この十二月、何かと忙しい彼をクリスマスの間だけでも独占したくて、一緒にいてほしいとねだった。
     あっさり聞き入れられたどころか元々そのつもりだったと彼に言われたのに浮かれて、彼の好きなシチューをたくさん作ったばかりだ。
     一緒に過ごすクリスマス。仕事は一切持ち込みなし。ご機嫌にならずにはいられない!

     街の賑やかな通りを彼と歩きながら、ふと雑貨屋の店先に目がいく。定番の赤と緑の飾りの他にもカラフルなラインナップ。
     その中に一際目立つ空色のクリスマスオーナメント。
    (アンデルセンと同じ色だなぁ)
    「どうした、寄っていくか?」
    「いや、その……大丈夫」
     貴方と同じ色に惹かれて、というのは流石に恥ずかしい。それにあのオーナメントを飾り付けるにはうちのツリーは小さすぎる。
    「お前と似たようなオレンジ色の飾りが並んでいるな。目に眩しい夕陽の色だ」
    「!」
     色とりどりのオーナメントの中から真っ先に彼がわたしの色を見つけたのが嬉しい。

    「あぁ、それとも何か? ――気になる色でもあったか」
     一際意地悪な表情。
     わたしの視線の先なんて彼はお見通しなのだろう。
    「……どうせ飽きるほど見ているだろうに、物好きめ。あれが欲しいのか?」
     指摘しておいて彼は少し照れているようだった。(それなら指摘しなければ良いのに、とも思うけれどそれがまた彼の味である)
    「ううん、欲しいわけじゃないの。ただ、アンデルセンの色だなって思っただけで……」
     わたしの返事を聞いた途端、これだから……と彼がこぼす。
    「それに見飽きることなんてないよ。好きな色だからね」
    「は、好みなのは色だけか?」
    「そんなことない! わたしはアンデルセンだから……」

     彼の色だから、好きなだけで。

     口走りそうになり、流れるようなやり取りで誘導されたことに気がつく。彼の「してやったり」の顔つきにやっぱりまだまだ敵わない。

    「まぁそんなことはどうでもいい、買わないんだろう? 冷やかしはほどほどにしておけ、さっさと行くぞ」
    「あ、待ってよ!」
     彼は長い脚で店先からどんどん離れていく。いつものペースとは比べ物にならなくて、ぼんやりしていたら逸れてしまいそうだ。

     オーナメントよりずっと目を引く青色を追いかけて、わたしは慌てて店を離れるのだった。



    クリスマスツリー

     クリスマスは別々に家を出て、駅前の大きなクリスマスツリーの前で待ち合わせする。
     混み合う街で逸れぬよう彼女の手を引き、レストランへ。予約済みのフルコースによく合うワインで乾杯した後に食事を楽しみ、頃合いを見計らう。
     山のような薔薇の花束、はたまた手のひらに収まる小さな箱。
     分厚い手紙の一つでも拵えようが、この日ばかりは文字以外にも言葉が必要だろう。――俺と、

    「アンデルセン、今寝てたでしょ。ずっと徹夜してるしそろそろちゃんと寝ないと体調崩しちゃうよ」
     頬杖をついた腕のバランスを崩し、覚醒する。
     口元を拭いながら目を凝らせば相変わらず原稿にまみれた己の机が見えているだけでそこにはディナーもワインもありはしない。
     それらしいものは、小さなクリスマスツリーくらいだろうか。
    (なんだってこんな時に生々しい夢を……)
     どうせ夢の中だ、王子になったり白鳥になったり、ありえないような出来事であれば良かった。それからついでに原稿のネタになるような出来事であれば最高だったのだが!
     妙にリアルな夢はまるで自分の深層心理を覗き見たようで嫌気が差す。

     クリスマスが近づいてきたから、こんな浮ついた夢を見るのか。
     正夢になりもしないただの夢。

     現実の俺達はクリスマスの待ち合わせどころか外に出ない。この四畳半の和室のテーブルに大きなチキンを乗せて、買ってきたケーキを食べる予定だ。
     俺としてはレストランのディナーよりもこの家での食事が何より贅沢だが、恋人と過ごすクリスマスとして外出し、食事をするのは定番だろう。彼女が気にしていたレストランに行く選択肢もあったのだが、最終的には今年は家で過ごすことに落ち着いた。

     クリスマスに欲しいものは何か? 
     俺の問いに、彼女は「丸一日仕事はオフにすること」を求めた。
     たとえ原稿に苦しむ身だとしても叶えるのは難しくない。予定のためにスケジュールを早めるか、未来の自分を地獄に堕とせば予定などどうにでもなる! そもそも俺は彼女に請われる前から仕事を入れるなど考えてもいなかった。
     これではクリスマスプレゼントのリクエストひとつ受けていないのと変わらない。
     代わりに贈るものはないだろうか? ここのところはそんなことを考えていた。

     例えばツリーの下で跪き差し出す小さな箱。
     レストランのディナーと共に差し出す真っ赤な薔薇の花束。
    (いや。俺がやったところで笑いを誘うだけだな)
     そもそもクリスマスの街中など室内も屋外も人だらけ。そんな中で贈るなど、よほど相手に断られないと自信のある奴のやることだろう。あぁ、もしくは贈り先の都合など考えてもいないんだろうか? 断れないと思わせるのが狙いか? そんなろくでもない感想ばかり出る。 
    ……そもそも俺達はクリスマスに外へは出ないのだ、話は根本的にズレている。徹夜明けの頭なんてこれだからろくなものじゃないのだ。
    必要なのはやはり睡眠。眠るに限る!

     足りない睡眠を言い訳に布団を手繰り寄せ、目を瞑る。
     三十分後に起こしてくれ、そう彼女に伝えたがこんな寝不足の様子を見せてしまっては起こしてもらえず朝まで放置される確率が高い。しばし休息の時。

     ――目覚めた後も結局プレゼントに悩まされているなんて、この時はまだ想像もしていなかったのだった。


    ウィンタースポーツ

    「見て、アンデルセン! ちょっとだけ雪積もってる!」
     朝起きて、歯磨きしながら窓の外を見るとあたり一面の雪。浅く積もった雪で白くなると、見慣れた近所の景色も一味違う。
    「雪なんてどうせ積もる時は積もるんだ。睡眠を優先させろ」
     彼は大きく口を開けてあくびをして、それから布団から出ずに腕を伸ばしてストーブのスイッチを押した。
     
     そんな彼を横目にわたしは久しぶりに積もった雪が嬉しくて、急いでベランダに向かっていた。
     狭いベランダに少し雪が積もっている。手で掬って、ぎゅっと固めて重ねれば……。
    「雪だるまできた!」
     ベランダの塀の上に乗せて見ると、ミニサイズなのも手伝ってとても可愛らしい。
    「朝っぱらから何をはしゃいでいるんだ?」
    「ええと……ウインタースポーツ?」
     彼は大きくため息をつく。
    「窓を閉めろ、ストーブの熱が逃げる。遊んでいないで早く出勤の用意をしないか」
    「……はーい」
     こういう時の彼は恋人より、お父さんみたいだなと思う。(前にそう言ったら機嫌を損ねてしまったので言わないようにしている)

     支度をして、眠そうな彼の見送りを受けて家を出る頃には道路の雪は溶け始めていた。
     帰ってくる頃には雪だるまも溶けてしまうだろうか? そう心配したけれど、慌ただしい仕事から解放されて家に帰る頃には疲れて雪だるまのことはすっかり忘れていた。


    「ただいま」
    「おかえり。……今日もまた残業か? 今後も俺の徹夜を咎めたいのならほどほどにしておいた方がいいぞ」
    「大丈夫、来週には落ち着くと思うから」
     彼もなかなかの心配性だなと思う。
     けれどクリスマスに休みを取るためには少しだけ忙しくても頑張りたいのだ。忙しくても帰ればアンデルセンが迎えてくれるから、一緒に暮らしていて良かったなと思う。
     とはいえこんなに忙しくなると体調も崩しやすい。昼は暖かいし雪も積もらないけれど夜や朝方にはもしかするとまた積もるかもしれない。今朝もベランダに積もったばかりで……。

    「……あれ?」
     ふと目をやるとカーテンの隙間から見えるベランダの景色。
     今朝作った雪だるまがまだ塀の上にあるのが見える。昼の暖かさでもうとっくに溶けているはず。
     カーテンをもう少しだけ開けて外を見てみれば――そこには雪だるまが二体。

     木の枝や赤いきのみで飾られて、今朝とは姿が違う。
     にっこり笑顔で寄り添い合う、サイズ違いの雪だるま。

    「アンデルセン! 雪だるまが」
    「……なに、ただのウィンタースポーツだ」

     わたし達も雪だるまとお揃いのように寄り添いながら、ベランダを眺める。

     今夜も冷えるだろう。雪だるまは朝まで溶けずにいてくれるだろうか? 
     寒い冬の夜、彼のいつもより冷えた手を取り温めながら温かな冬の風物詩を目に焼き付けながらそんなことを考えていた。



    サプライズ

     クリスマスに物ではなく「丸一日仕事をオフにすること」を贈るのは、俺が彼女から貰う物と釣り合いが取れない。
     他の欲しいものは特に思いつかないと彼女が言うのであれば、後は俺次第。

     サプライズのプレゼント。何ともありふれていて、馬鹿な男の考えそうなものに想いを馳せて早数日。どうせすぐには決まらないのだ、まずは買い物に向かわなくては話にならない。

     滅多に寄らないデパートの、中でもとりわけ縁のない店の並び。店の前はどこもかしこも「クリスマスフェア」。
     決して安売りを宣言するものではない。むしろ強気の価格設定だろうが需要とブランドがあるのだ、さぞ売上の跳ね上がる季節だろうな!
    「どのようなものをお探しでしょうか?」
     それ見ろ、こんな時期の客は絶好のカモ。少し店を見回った程度でも見逃されるはずがない。
    「こちらは刻印のサービスがございます」
     見えないところに名前を彫って、果てはハートマークで飾るらしい現代の流行。
     そもそも見えないのに刻印が必要か? あぁ落とした時に目印にでもなるのか。思考はズレていく。
    「こちらのデザインですと後でサイズのお直しもできますので……」
     ところでサイズも分からない、デザインもどれを見てもだんだん同じに見えてくるこの品物。まともな買い物ができるだろうか?
     ――今日は下見に来ただけなので。
     飽きるほど巡った数々の店で同じ言葉を店員に返し、店を後にする。
     どれが良いやら見当もつかない。そもそもこんな贈り物が果たして喜ばれるのかすらも分からない。
     もう無駄に悩む時間も残されていないのだ、呑気にしていられない。

     例えば彼女の好きなパンケーキ。
     店を通り掛かるたび何度も彼女が目を向けていた、美しい容器のファンデーション。
     彼女好みのアロマオイル。

     どれも、これも、絶対彼女が喜ぶだろうと分かっているのだ。それなのに敢えて、相手の反応も分からないような危険物をわざわざ見てまわるなんて無駄な時間を過ごした。

    「ただいま――」
     玄関を開けてすぐ、ちゃぶ台に突っ伏して眠る彼女が見え、帰宅の挨拶もそこそこに息を潜める。
     俺が彼女より遅く帰るのは珍しい。

     熟睡中の彼女は少し物音を立てた程度で起きない。特に最近は疲れがたまりがちで、朝もなかなか目を開けないほど。
     ふと、ちゃぶ台の上に無造作に置かれている彼女の手が目に入る。

     世の中の男はいつ恋人の指のサイズを知るのだろう。――あくまでプレゼントはサプライズで、恋人に悟られないままに。
     そういえば世の中には適当な紐か何かでサイズを測る方法があるらしいな? そう、こんな風に確実に彼女が気づかないような睡眠中なんかに。

     狭い部屋の中、これでもかと目を凝らす。
     天井からぶら下がる電気ひも。取り外せないのでは話にならん。
     原稿をまとめ上げた綴り紐。……あれも今すぐ取り外すには面倒だ。固く締め上げてしまった上に買い置きは切らしている。
     編みかけのマフラー。――その横に、たくさんの毛糸玉。玉の真ん中から毛糸が伸びているのが見える。
     この場で一番適切な紐。

     物音を立てないようにして毛糸のひとつを手に取る。慎重に伸ばした糸をゆっくり、こっそりと彼女の指にかける。まったく他の指が邪魔で測りにくいことこの上ない。
     どうにか滑らせ一周させた糸を今度は彼女の指から慎重に離していく。一周の目印に、爪で押さえた箇所を決して離さない。

     あともう少し、ほんの数センチ――。

    「…………おかえり……?」
    「!」
     意識を浮上させる彼女を見て、つい慌てて毛糸玉を遠くに放り投げる。……まだ毛糸の端をしっかりと持ったまま。
     
     弧を描いて玄関に飛んでいく毛糸玉。
     みるみるうちに解けて、部屋の中を長い毛糸が通り過ぎる。
     ぼんやりしていた彼女はやがて目の前を通り過ぎたものに気付いてぱっと目を見開く。
    「わたしの毛糸……!」
     四畳半一間を横断する、毛糸の線。

    「もうアンデルセン、何してるの? 元に戻すの大変なんだからね」
    「……悪かった。これは俺が元に戻しておくから」 
     彼女を宥めながら、まだ毛糸の端を摘んでいる。どさくさに紛れて定規で測れば、ひとまずサイズの問題はクリアできるだろうか。
    「毛糸でいたずらするなんて、猫みたいなことして!」
     毛糸を手の中でしっかり固定しながら、偶然のチャンスを逃さないよう定規を手に取ることに意識を向ける。
    「アンデルセンってば、反省してる……?」
     うわの空の俺にさっそく、彼女のジト目の視線が向けられる。
     
     ……まずはこの毛糸より、彼女に機嫌を直してもらうのが先か?
     問題は山積み、肝心のサイズはまだ分からないまま。
     無事にクリスマスに間に合うのか?
     サプライズは不確定要素だらけだった。


    そろそろ決まった?

    「――そろそろ決まった?」
    「…………一体何の話だ」
    「白菜。どっち買うか悩んでるんじゃないの?」
     両手に持った白菜四分の一カット。
    本日のお買い得品。
     俺には違いなどよく分からないのだから、どちらでも構わない。
     野菜に悩んでいるわけではない。……未だにクリスマスのプレゼントに悩んでいるのだ。

     彼女の指のサイズを秘密裏に測るだけでも一悶着、そこそこの肉体労働だったというのに、それはスタートラインに過ぎなかった。
     あのどれが良いものなのかも分からない、皆同じに見えてくる並びの中から一つを選び、箱に入れ、手渡す。――あぁ難易度が高すぎる、やはり今からでもやめにするべきだろうか。
     野菜コーナーでカゴの中身を山積みにしながらカートを押して歩く。

     いつか彼女に相応しい指輪を贈れるほどの生活ができるようになったら。
     そんな風に未来に託してばかりでいるうちに、彼女の方が住処に舞い込んできてもうどれくらい経つのだろう。
     暮らし向きは……流石にあの頃よりはいくらかマシになっただろうか? 今は時期が悪いと足踏みしていては機会を逃してしまいそうだ。
     もう若干、停滞に足を踏み込んでいる気もする。

     クリスマス。
     イベント事に託けて時期はここしかないと言い聞かせて。
     そもそも完璧な機会など待っていてはいつまで経ってもやってこない。全てが揃っていなくとも、今ある手札で戦うしかないのだ。

     ――彼女が親類から見合いを勧められているらしい、なんて事実を友人の、そのまた友人の……とにかく遠い知人から知ったのは秋が終わる頃だった。本人からはそんな話、一切聞いていない。
     もちろん提案を彼女がバッサリ断ったことも、この部屋を出ていく気なんてないことも……余所見をするような心の隙がないことも分かっている。

     その上で果たして、彼女の見合い相手に勧められた男と比べて自分はどうか? 

     批評は飯のタネ、気にしていてはキリがないもの、一々構っていられない。せいぜい鼻で笑っていいねでも送り返してやるくらいのもの。
     それなのにどうして、彼女が絡むとこうも台無しになる。
     すでに振られた見合い相手候補と競って何になるわけでもないのだが、こんな安アパートに彼女を暮らさせている自分はどうなのか……と。
     ただ、長く続いた同棲のせいで俺はすっかりわがままになったらしい。
     自分と彼女の釣り合いが取れて無かろうが手放す気がないことを今さら自覚して、待てがきかなくなった。それがちょうど冬だったから。
     まだ至らない身でもせめて、彼女の左手の薬指を予約するくらいバチ当たりなことでもないか。ほら、何といってもクリスマスなのだから。……こじつけで傲慢なことを考える。

     足りない身分はこれから補えても、先に彼女を手放してしまえば意味がない。
     先に逃げ道を潰そうなんて野蛮すぎる話だが、諦められない。

    「……アンデルセン? どっちにするのか決まった?」
     答えは初めから決まっている。俺は指輪を――あぁいや。今は魚の話だったか?
    「俺はどっちでもいい、お前が決めてくれ」
    「もう……パック持ちながら考え事しないでよ」
     俺の手に乗った鱈のパックを取り、彼女がカゴに入れた。今日は鱈鍋に決定。
    「やっぱり今年はテーブルに置けるガスコンロ買って良かったね。鍋なら野菜もたくさん摂れるし」
    「……別にもう不摂生というほどの食生活はしていないだろう」
    「ダメだよ、アンデルセンは油断するとすぐご飯抜くんだから」

     小さなちゃぶ台にセットしたガスコンロと、食事に想いを馳せる。

    「塩と味噌どっち買う? みぞれ鍋とかもあるけど……」
     ところで毎日味噌汁を作ってくれなんてあまりに一方的な話だと思わないか? 相手に求めるばかりの文言は、今の俺には傲慢すぎる。
    「鍋のスープはまぁ、いくつか買っておけば良いだろう。どうせすぐに使い切る。……今日は俺がやるからお前は寛いでいればいい」
     カゴの中はすでにあふれんばかりだ。……二個目のカゴが必要だろうか?

     温かい鍋と、その向こうの緩んだ彼女の顔をこの冬はしょっちゅう見ることになるだろう。
     できるなら来年にはもう少し広々としたところに住まいを移せればいいのだが、さて。
     二個目のカゴをカートの下に乗せながら、そんなことを考えていた。


    トナカイ

    「ただいま」
    「おかえり……遅かったね」
    「なに、ちょっとした運動だ」

     近頃彼がわたしより後に家に帰ってくることが多くなった。
     正直なところ今まで運動習慣の全然なかった彼が、こんな寒い時期になってから散歩の習慣をつけたことにわたしは驚いていた。さらには時々ご飯のおかわりをためらう姿も見ていて……正直彼にダイエットが必要なようには全然思えない。

    (でも運動はした方がいいよね)
     彼は長時間執筆のために座り続けることも多い。どうやっても不健康になりがちなのだから、わたしが連れ出さなくても運動しているのなら良いことだ。
     外を散歩してきたらしい彼の鼻の頭が赤くなっている。外は風が強くて寒かったはずだ。色白な彼の顔色の変化は分かりやすい。

    「アンデルセン、鼻がトナカイみたいになってる」
    「童謡の話か? お前は本当にクリスマスの童謡が好きだな。……俺がトナカイならお前はサンタといったところか」
     赤くなった鼻を手で押さえながら彼は言った。大人っぽい彼の仕草が時折幼く見えるのが少し、可愛いなと思う。

     トナカイと、サンタ。
     いつの日だったか、俺は作家、お前は出版社と言っていたっけ。それよりもさらに近い存在になったと言われた気がして、顔が熱くなった。

     凍えるような外から帰った彼を抱きしめて、熱を分ける。
    「どう? 温かい?」
    「……ストーブの火力を上げた方が早いだろうが」
     非効率だと文句を言う彼の顔色は鼻に負けないくらいの赤。

     ――顔色と同じくらい素直で分かりやすければ苦労はないのに。

     顔色以外は相変わらずつれない彼が「いいかげんに離さないか」と言うまで、わたしはストーブに負けないくらいの熱量で長くゆたんぽ代わりになったのだった。


    温かい飲み物

     珍しく狭い台所に自ら立って、沸騰する小鍋を睨んでいる。台所なんてせいぜいが湯を沸かす程度で、そこまで自炊の習慣はない。
     とは言え彼女を一人でずっと台所にどうか。そう思って時々手伝いを申し出ていたら、今では野菜を切るくらいのことはできるようになった。

    「アンデルセン、わたしも何か手伝おうか?」
    「いいからお前は座っていろ。沸騰させて混ぜるだけだ」
     やや心配そうな顔で俺を見張る彼女を見るに、俺はまだ料理の腕があるとは言えないレベルらしい。
     それでも今日のように材料を量って、火をつけながら鍋の中身を混ぜるくらいならそう問題はないと思うのだが。

     沸騰させた液をマグカップに注ぐ。
     小洒落たガラスの容器でもあればもっと雰囲気が出ただろうか? 
     それでも大きなマグカップになみなみ注いで、二つ揃って並べるころにはまぁこれもそう悪くはないか……そう思えた。

    「できたぞ」
    「ありがとう! いただきます」
    「冬のグロッグは俺の故郷では定番だ。あぁ、お前にはホットワインと言った方が馴染みがあるか?」
    「ホットワイン……」
     マグカップの中に浮かんだワインの中にはスパイスと、それからオレンジ。
     久しぶりに故郷の物を飲む。
     彼女好みだろう甘いワインは俺にも馴染みの深いもので、目の前で彼女が口にしているのは不思議と感慨深いものがある。

     
    「そっか、これがアンデルセンの故郷の味なんだね」
     彼女から笑みがこぼれた。
     それがあまりに自然に、とても嬉しいと疑いようのない様子だから思わず俺もこぼしそうになる。

     ――そんなに興味があるのなら俺の故郷に来てみるか?

     出かかった言葉を熱いワインで一気に流し込む。
     やれやれ少し酔ったか? もともと酒にはあまり強くない。
     
    「そんなに一気に飲んだら酔っちゃうよ」
    「なに、自宅なら酔ったところで帰り道の心配もない」
     
     酔いを言い訳に少し彼女に身を寄せ、ワインを口に運ぶ。
     どうせ彼女を故郷に誘うのなら、せめてシラフの時にしなければ。酔っているんだろう、なんてからかわれてはたまらない。

     換気扇をかけてもまだ部屋に香るワインと爽やかなオレンジの香りに包まれながら、俺は遠い故郷に佇む彼女について考えていた。


    ベル

     駅前のクリスマスツリーにもそろそろ見飽きた頃、彼女が小さなベルの飾りを買って帰ってきた。
     この時期に雑貨屋でよく見かけるオーナメントの中でも小ぶりのクリスマスベル。上に真っ赤なリボンを結んだ、スタンダードな鐘。
     ベルは机の上の小さなツリーに寄り添うように置かれた。四畳半の和室で俺の机の上だけが、原稿にまみれながらもやたらとクリスマスめいた季節感を演出していた。
     
    「厄年などまだ先の話だろうが……少しは厄除けにも効くか?」
    「厄除けって?」
    「知らないか? クリスマスベルは魔除けのアイテムだ。音で魔を祓うとされている」
    「そうなの?」
     小さなベルを指で摘んで、彼女がベルを鳴らす。
     飾りのベルからささやかで、鈍い音が鳴る。
     聖なる、なんて言えたものじゃない安っぽい音色。

    「来年もいい年になりますように!」
    「……おい、神社の鈴とは違うぞ」
     初詣のように両手を合わせる彼女にそう言いながら、まぁ和洋折衷のこの世で今さらそんな指摘も必要ないかと思い直す。

     つられるように俺も小さなベルの音色にあわよくばと密かな願掛けする。

     ベルに災いを避ける効果があるのなら、どうか――。

     クリスマスまでもう少し。
    『来年も』と当たり前のように願った彼女に絆され、らしくもない願いをかけながらカレンダーの日付を目で追った。


    電話

     彼が外に出ている時は原稿から逃げている時が大半だ。電話なんて取りたくもない、らしい。彼への連絡手段は固定電話以外になかった。
     しかし彼はある日「電話を持ち歩くのも悪くはないか」と急に言い出して、新しく携帯電話を持つようになった。

     便利になった代償に編集(シメキリ)から家の外にいても追われるようになった、と彼はこぼしていた。

    「あれ、今日はケータイ持って歩いてるんだ」
    「これは元々携帯するためのものだろうが」
     スーパーからの帰り道、彼の視線の先に携帯電話があるのに気がつく。
     彼はスーパーにちょっと買い物しに行くくらいなら平気で家に電話を置いていくのだ。
     でも今日はずっとそわそわと携帯電話を気にしている。
     仕事の連絡があるのだろうか? 休日はできるだけ仕事の電話を取りたくないと言っている彼なのに、珍しい。

    (……作品を応募してるって聞いてたけど、もしかして)
     そろそろ連絡が来るのだろうか?
     そうだとすると彼がずっと携帯電話から目を離さない理由も分かる。
     しょっちゅう徹夜で机に向かって、ギリギリまで書き続けているのだ。わたしも良い連絡が来るのを願っている。

     住宅街のど真ん中。
     古めかしい型の、彼の電話が音を鳴らす。
     どんなに原稿に集中しても耳に入るような大きな音。
     彼が慌てて電話に出る。
     もしかして、とわたしは黙って見守っていた。

    「――もしもし」
     電話の相手の声はわたしにはよく聞こえない。ただ、電話の向こう側からも大きな声で何かを喋っているのが分かった。

     大きな声を聞いて、彼は震える手で買い物袋を落とす。
     漫画みたいにお洒落な紙袋から果物が転がり落ちる……のとは比べ物にならないほど庶民的な、豆腐のパックが落ちて潰れた。
     彼の表情を見る。……ぐ、と唇に力を入れている。

     ――これは良くない連絡かもしれない。
     何か支えになりたいのに、わたしにやれることはなかなか思いつかない。
     ただ、彼の隣にわたしがいるのだと思ってほしくて、地面に散らばった荷物もほったらかしのまま彼を抱きしめる。
    「アンデルセン、あのね……」
     彼は下手な慰めは必要としていないだろう。何を言ったら良いのか悩む。それでも辛い時にわたしを頼ってほしい。

    「引越しだ!」
    「…………ひっこし?」
     彼はまだ震える手で、また電話の向こうから声が聞こえているのにもかかわらず電話を切り、瞬きの間にわたしの両肩を揺らす。
    「え、わ……い、一体何⁉︎」
    「引越しをするぞ、次はセキュリティがまともで治安の良い閑静な住宅街だ!」
     てっきり応募作品の選考についての連絡だと思っていたのに、違ったのだろうか?

     脱稿後にも等しいテンションでわたしを抱き上げ、まるで子どもをあやしているみたいにぐるぐる回る。わたしは急なテンションにも動きにも、ついていけないまま。
    「ちょっ、アンデルセン……!」
    「これで、ようやく、指輪を選べる‼︎」
    「指輪? …………っ!」

    応募作品、連絡、引越し。――指輪。
    言葉の流れにさっきとはまるで違う、キラキラした「もしかして」を想像する。
    未だテンション高く回転している彼はまだ、わたしの様子にも自分が口走ったことにも気がつかない。

     ――冬の日に暖かな春を迎えるような連絡。

    とうとう今度は私のケータイが鳴り響き、彼の担当からお叱りの連絡が届くのは、この後すぐのことだった。


    鍋料理

    「たくさん食べてね!」
    「……ん」
     普段の鍋には入れないような高い鶏肉を俺の取り皿にこれでもかと盛り付けられる。
    こんなに食べられるか! と飛び出しそうになった文句は彼女の笑顔を前に消えていく。
     鶏の水炊き。
     庶民的な鍋の中身に、普段は入れないような品物がいくらか紛れている。さらに型抜きされた桜型のにんじんを見ると、桜咲く、なんて言葉もあったかと思い出す。


    「――いいですか? 先生、もういい大人なんですから電話は要件が終わるまで切らないでください。しかもこれお祝いの連絡ですよ?」
     そう言いながらも編集の声もいつもよりいくらか機嫌が良かった。……内容はともかく。

     応募選考の結果連絡。応募先から出版社、編集を通して俺に届いた通知。
     ……めったにない仕事の朗報。
     夢でも見ているかと思うような音声に、脱稿直後でもこうはならんというほど浮かれまくった。

     住宅街のど真ん中。
     突然の朗報に思わず滑り落とした買い物袋の中身を散らかし、彼女を捕まえた。担当からの電話など、この時点で切っていた。
     彼女に止めに入られなければ脱ぎ出していたかもしれない。精神面は脱稿後と同じで細かいことは記憶に残っていない。
     とにかく人生が変わるほどの朗報には、ここで馬鹿にならなければいつなるのか、そのくらいの気持ちが湧くものだ。

     彼女が律儀に俺の担当からの電話に出た後、電話を代わってお小言を喰らい、その上で我に返ってみればあたりは崩れた豆腐やら何やらでひどい有様。
     それでも気にとめていないらしい彼女はとびきりの笑顔で言うのだ。
    「スーパーに戻って買い出ししようか!」

     いつもより少し高い鶏肉が入った鍋料理が食卓の中心でぐつぐつ煮えている。今日は発泡酒じゃない、ビールの泡がグラスの中で弾けて液の上に上がっていく。……身分相応の中でも一等良い食事風景。
     きっと毎日こんな風景は浴びるほど、擦り切れるほど繰り返しても飽きるものではないだろう。

     咳払いする。
     口に入れた鶏肉を噛み締めたまま、彼女がこちらを見ている。
      
     例えば山のような薔薇の花束。
     はたまた手のひらに収まる小さな箱。
     そんなもの、今は両方手元にない。

     正月でもない、誕生日でもない。
     挙句、もう少しで来るだろうクリスマスすらも待っていられない。
     ああでもない、こうでもないと色々考えていたサプライズひとつ成せないままなのを棚に上げて、口が自然と発してしまうのだ。
     であればこれはきっと、今がタイミングだろう。

    「俺と――」
     ……こぼれた台詞に被せるように、玄関のチャイムが鳴った。
    「はーい!」
     慌てて鶏肉を飲み込み、玄関まで駆けていく彼女を目で追いながら、彼女に見えていないのをいいことに頭を抱える。
    (なんだってこんなタイミングで……そもそも何も届く予定はない、誤配送じゃないだろうな?)

    「アンデルセン! 担当さんからお花届いたよ!」
    「…………そんなバカでかい花、一体どこに置くんだ」
     
     彼女は当事者の俺よりも嬉しそうだ。
     彼女の腕の中の大きなフラワーアレンジメントは青色とオレンジ色であふれかえっている。

    「……いつまでそうしている気だ、寒いだろう。早くこたつに戻れ」
    「うん」
     すっかり出鼻を挫かれた俺は何事もなかったかのようにまた鍋の取り箸に手を伸ばした。
     ……鍋に集中しようとしても視界の端に見える大きな青とオレンジ。

    (まったく、こんなものをわざわざ贈ってくるくらいならタイミングくらい合わせたらどうだ!)
     思いつつも少し反省する。……まさか勝手に祝いの電話を切ったからバチが当たったとでも言うのか? 

     ……まぁそう慌てることもない。
     ――クリスマスまであと少し。

     とりあえず担当には後で連絡のひとつくらい返しておくか、俺はそう思いながら黙って箸を口に運んだ。

     
    こたつ

     部屋の真ん中におかれたちゃぶ台は冬の間こたつとして活躍する。
     わたしがこの部屋に住む前、彼はこたつだけで冬を乗り越えていたらしい。今はこたつの横の灯油ストーブも一緒に稼働している。

     けれど、部屋が少し寒い時の方が嬉しいこともある。冬になると時々彼が「隙間風が寒い」と文句を言いながら私の横にぴったりと身を寄せることがあるからだ。
     寒いだなんて理由付けしなくたって隣に座ればいいのに、彼もなかなかいじっぱりな人だなと思う。
     ストーブを買ってからはそんな風に隣に来ることがなくなって、ちょっと寂しい。

     ――ところが今日は夕食の皿洗いから戻った彼がなんの言い訳もなくわたしの隣に来た。びっくりして彼の方を見つめる。
    「……なんだ、俺が隣に来たらまずいのか」 
     心外だ、と言わんばかりの態度。 
    「まずいことないけど! 珍しいなって」
     狭いこたつの中、二人並んで暖をとる。
     わたしは手持ち無沙汰で、みかんの皮を剥き始めた。

    「……前々から考えていたことだがこの部屋のセキュリティの程度は底辺だ」
    「えっ今更? 前は外の鉢植えに鍵隠してたし、アンデルセンはそんなの気にしてないと思ってたよ」
    「とにかくだ。オートロックもモニターホンもないこんなアパートの一階からは早々に引越した方がいい」
    「うん、引越すのはもう聞いてたし全然良いんだけど……」
    「そうか、それは……待て。引越しの話は初めてしただろう?」
    「担当さんがお祝いの電話くれた時に言ってたじゃない」
    「………………」
     目を白黒とさせる彼はあの時のことを思い出しているらしい。彼はテンションが上がると結構見境なしだ。シャツを脱ぎ捨てて外に出ようとしたりして、いつも止めるのに苦労する。

     仕事の吉報と、引越しと、それから指輪。
     そんな話が飛び出したあの日以来、引越しの話も指輪の話も何ひとつ聞いていない。まさか、ともしかしてを行ったり来たり。……なんだか自分から確かめるのは少し気恥ずかしくて。

    「引越しの話は……まぁ異論がないのなら年明けから物件を探そう。それから、なんだ……」
    「!」
     こんな風に彼が言い淀むたび、もしかすると彼がようやく選べると言っていた指輪の話なんかが飛び出すのではないかと気が気でない。
    「…………俺もみかんを食べるか」
     結局あれから、そんな話は一度だって出ていないのだけど。

     こたつの上のカゴにみかんを積んで、温まりながら食べる。果物は少し贅沢。
     年が明けたらこの部屋から引っ越すのか、と思うとみかんよりも贅沢だなと思う。

    「引越してもこたつはこれが良いなぁ」
    「どうせ部屋が広くなろうと人数は変わらないんだ、家具を変える必要はないだろう」

     広い部屋に越してもまた今日みたいに隣に並んでこたつに入れるならいいな。
     引越しの頃にはなんてことない顔をして自分から聞けるだろうか? 彼が選んだ指輪の話を。

     剥いたみかんをひとつ彼に分けながら、そんなことを考えていた。


    イルミネーション

     クリスマスの当日は家で過ごすから、イルミネーションはそれより少し前に観に行こう。彼女がそう言うので厚着をして駅前まで歩いた。 観に行こうもなにも彼女はどうせ毎日この駅を使っているのだが、そこはそれ。この季節に風情のひとつくらいは付け足して良いはずだ。
     それに引越しを控えているのだ、住まいが変わればこの駅前の景色も見納めかもしれない。

     クリスマス当日でなくとも駅前の通りはよく混み合う。それこそ「はぐれるから」と彼女の手をとれるくらいには賑わっている。
     コートのポケットに入れたままそんなことを考えていたら、彼女が無遠慮にポケットへ手を突っ込んできた。

    「……手が冷たいぞ」
    「温めてくれれば冷たくなくなるよ」
    「仕方のないやつだ」
     俺は彼女を温められるほど手が温かいわけでもないが、積極的に彼女の手をポケットから追い出そうという理由もない。

     俺と大差ない温度の小さな手。
     ポケットの中でしっかり握りしめると、彼女が珍しいものでも見たかのように目を見開き、それからはにかんだ。
    (そう珍しがるものでもないだろうが……)
     普段なら俺の手を引いてあれを見たい、これを見たいと連れ回すくせに。
     こんな些細なことで照れるのは今さら、さすがに、反則ではないだろうか?
     イルミネーションの光に酔ったか? こんなものシラフではとてもやっていけない。

    「引越しがあるからこれが最後のイルミネーションかなぁ」
     しみじみと、彼女が俺と同じような感想をこぼす。もうすぐ離れると思うと、こんなありふれた風景も少しは名残惜しい。

    「……気に入っているなら来年もここに来ればいいだろう。そこまで遠くへ越すつもりはない」
    「うん」

     曇るメガネの先に見えるイルミネーションはぼやけて、綺麗かどうかの判断もつかない。
     しかし、なかなか悪くはない。
     露天のアクセサリーを横目に見ながら、あぁ流石にそろそろ贈り物を決めなくてはクリスマスに間に合わないな、とそんなことを考えていた。

     ――クリスマスの贈り物。
     今日見たイルミネーションに負けないくらいの実力は欲しいところだが、さてどうだか。

     
    クリスマスカード

     クリスマスが近くなったら雑貨屋はたくさんのクリスマスの飾りであふれている。
     それを眺めながらふと、クリスマスカードがあることに気がついた。赤と緑の、美しいデザイン。

    (カード……カードかぁ)
     文字を書くことを仕事にしている人にカードを贈るのは緊張する。特にあんな、綺麗で繊細そうな文字を書く人に宛てる時は。
     だけど書くことを仕事にする人に贈るのなら、きっと気持ちはいつもの倍伝わる。完成したマフラーに添えて彼に渡そう。
     編みかけのマフラーのことを考えながら、受け取った彼の顔を思い浮かべる。ちょっとは照れた顔が見られるだろうか? そう思うと嬉しくなった。

     そんなわけで買ってきたカードの前でペンを持って、さあ書くぞと張り切ったまでは良かった。
    (全然上手くいかないっ……!)
     何を書くのか、その問題だけでも時間を費やしたのに、いざ書き始めると文字がヨレる、見栄えが悪い。書き直しの連続。
     普段わたしの横ですらすらと原稿用紙に文字を綴っている彼を改めて尊敬する。

     気持ちが伝われば良い。
     それは、そうなんだけど見栄えだって良ければもっと良いに決まってる。

     カードを持ち上げて目を凝らす。
    「うーん……なんか右に寄りすぎ?」
    「――ついでに文字が右上がりだな。書き慣れていないから癖が出やすい」
    「え!」
     いつの間にか彼が後ろから覗き込んでいた。

    「わ、いつ帰ってきたの!?」
    「もう帰ってきてから五分は経っている。何をそんなに集中しているかと思えば……クリスマスカードか」
     もう、こんなタイミングで帰って来なくたって良いじゃないか!
    「さて、ネタバレは趣味ではないが目に入ってしまったものは仕方ない。誰宛てだ? ん?」
    「…………友達に」
    「……なるほど?」
    「じゃ、なくて。その、アンデルセンに」
     友達に、と言った途端に彼の返事のトーンが変わって、観念してネタばらしする。
     カードを見られたのは一瞬だと思ったのに、どうやら内容を細かく見られてしまったらしい。
    「そうか、それは何より。相手がどこの友人でどんな関係なのか問い詰める手間が省けた。省エネで良いことだな」
     とびきりのサプライズの予定が、早速崩れる。
     折角文にするのだからと、普段は書かないようなことを散りばめたカードの中身は、こんな何でもない日に見られると恥ずかしい。

    「お前がカードを書くのなら、俺も一枚見繕うか」
    「えっ書いてくれるの!?」
    「元々カードは交換するものだろう。お前が書くというのなら俺も用意する」 
     彼からのクリスマスカード。
     普段は原稿用紙の上でしか見られない彼の綺麗な文字が、わたしにだけ宛てたカードに書かれる。何だか、とても贅沢なことに思えて。

    「……わたしもさっきよりもっと良いのを書くから」
    「なんだ、ネタバレは厳禁か? 仕方ない」
     ふ、と意地悪そうに笑う彼が目を見張るほどのカードが返せたら、きっと今年のクリスマスは大成功。

     とびきりのカードと、お返しに期待する。
     クリスマスはもうすぐそこ。

     あぁ、その前にマフラーを完成させるのが先だろうか。まだ編んでいる途中のマフラーを眺めて、わたしは気合を入れるのだった。

     
    靴下

     クリスマスに靴下を吊るしておく習慣はないが、スーパーで売っている「クリスマスの靴下」にはわりと縁がある。
     菓子が山ほど詰められた、大きなフェルトの靴下。
     真っ赤な靴下は彼女の顔より大きくて、毎年それを買ってくると彼女は「また子ども扱いする……」と不機嫌になりながらも、中の菓子に目を輝かせた。
     子ども扱い……というより単に彼女の好きな菓子がこれでもかと詰められているからという理由で買っていることを彼女には教えていない。

     すっかり定番となった毎年の靴下。今年も十二月になる頃にはスーパーから一つ買ってきていた。

    「今年の靴下も大きいなぁ」
     彼女は靴下の中身を取り出しながらちゃぶ台の上に菓子を並べる。どうせ中身はすぐに腹の中に消えるだろう。
    「今年はこの靴下にアンデルセンのプレゼントを入れようかな」
     中身がなくなり空っぽになった靴下を見ながら彼女が言った。
    「もう中身が分かっている物をわざわざか?」
    「でも靴下に入れるとクリスマスっぽいでしょ」
     クリスマスの朝、枕元にはパンパンに膨れた靴下。それを想像する。絵面はなかなか悪くはないが……。
     
    「靴下には入れなくて良い。入れると貰えるのが遅くなるだろう」
     靴下に入ったプレゼントは二十五日の朝に開けるものだ。入れなければ一日早く俺の手元にマフラーは届く。クリスマスらしさよりも優先したいものはたくさんあるのだ。
    「急がなくたって他のマフラーもあるでしょ」
     言葉の意図を分かっていないわけではない、彼女の表情。
    「他のマフラーより優先度は高い」
    「……アンデルセンってたまにそういうこと言うよね」
     どうせ彼女が勢い付いたら俺には不利だ。たまには少しくらい翻弄されていてくれないものか。

     靴下一つ、たった一夜を待たされるのも惜しいクリスマスの贈り物。

     部屋の片隅にあるマフラーはもうそろそろ首に巻くのに余裕のある長さになりそうだ。
     緩い毛糸のそれは、多少手作り感があるものの俺には身に余るほどの防寒具。

     靴下に押し込まれるには惜しいそれが完成に近づいていくのを見るのが、最近の俺の楽しみだった。


    プレゼント

    (よし、後もうちょっと……!)
     慣れない編み物に挑戦し始めてから、どうにか形になるまでにかなり時間がかかった。慎重に編み上げて、後もう一息。

    「あっ……!」
     油断して編んでいる途中のマフラーが解けてしまった。
    (どうしよう、えーと、ここで棒針にかけて……?)
     もうちょっとで修復できるはず。
     あれこれと試行錯誤しているうちに毛糸がどんどん解けてしまう。慣れない毛糸を摘んでは、ネットの動画とにらめっこ。
     数時間の格闘の末、さらにこんがらがってしまった毛糸を前にため息をつく。

    「……こんなんじゃ間に合わないかも」
     そもそもマフラーを贈ろう、となった時点でクリスマスまでに残された時間は初心者には少なかった。
     それでも彼が想像以上に楽しみにしているのが分かって、何としても当日に間に合わせたくなったのだ。
     けれどこの進捗では怪しい。

    「……なんだ、まだ起きていたのか?」
    「あっごめんね。起こしちゃった?」
    「別に構わない。これから執筆だ。お前もほどほどで寝た方がいい、明日も仕事だろう?」
     目を擦りながら彼が起きてきた。這うように布団から出てわたしの横に並び、私の手元を覗き込むようにしてわたしの肩に頭を乗せる。
     眠い時の彼はいつもより少しだけ、ガードが緩い。その動作だけで彼が眠いのは明らかで、重ねて申し訳なくなる。

    「……マフラー、クリスマスに間に合わないかもしれない」
     手元の毛糸はすでに絡まって取り返しがつかないほど。とてもどうにかできるように思えない。
    「そう気を張らなくてもいい。仕事の納期じゃあるまいし、不調を起こしてまでやることでもない」
     彼は大きくあくびをして、なんてことないかのように言った。
     彼にしては珍しく、分かりやすいくらいにマフラーを心待ちにしているのは知っている。それでもこういう時、何とも思っていない風にしか見えないのが彼の大人なところだなと思う。
    「でも……」
    「それでも気になるのならまぁ……クリスマスは何か……別のものをくれ」
     彼はうとうとと今にも眠りそうな様子。もう寝ぼけているに近いようだった。
    「別のもの?」
     そうは言っても彼はあまり物欲がない。せっかくだから形に残る物を渡したいけれど。
    「そうだ、別のものを……」
     彼はわたしにもたれかかっていないと今にも崩れ落ちて眠りそうだ。

     そんな意識も覚束ないふわふわした状態で手元だけはしっかりわたしの手を握っている。
     相手が寝ぼけていると言っても、こんな状態ではとても落ち着かない。

     ――別のものを、と言う彼の指が無意識なのか、わたしの左手の薬指をしきりに撫でているのだ。
    (別の、ものって……)
     気にしすぎだと言い聞かせても、撫でられた指から意識が逸れてくれない。

     別のもの。
     彼を追いかけてこの部屋まで押しかけた日にわたしの答えは決まっている。
     けれど彼は普段鋭いくせに、こういう内容になると自信がないみたいな態度を取るのだ。
     ずるい人だなと思う。
     そもそもわたしは彼に黙って声をかけてもらうのを待ってばかりじゃない。待っていてばかりでこの人を逃してしまってはたまらないから。
     
    「あのね、アンデルセン。指輪とか、記念日とかこだわらなくたってわたしは――」
    「………………」
     わたしの首元から規則正しい寝息の音。

    (……もう、ほんと、そういうところ!)
     ここぞって時に限って締まらない。
     でもあんまり完璧にされても外で彼がモテたら嫌なので、これはこれでいいのかもしれない。

     クリスマスプレゼント、未定。
     ぐちゃくちゃになったマフラーと格闘しながら、考えている。

     クリスマスじゃなくても薬指の予約は簡単に叶う。……他のものをリクエストした方が絶対お得だと思うけど、どう思う?

     
    チキン

     クリスマスイブ。
     長らく縁のないイベントだったが、ありがたいことにここ数年は忙しくて仕方ない。

     オーブンの中で焼けるチキンの香り。
     冷蔵庫の中にはケーキが待っている。
     流石に大掛かりな食事の支度を座って待っているのもどうか、と台所の近くをうろついていたら料理よりも部屋を飾り付けてくれと、体よく追い出されてしまった。
     そもそも調理技術で補助どころか作業を倍に増やして返す可能性もある自分では、戦力として数えられていない。

     いつの間に揃えたのか、押し入れから出てきたクリスマス柄のテーブルクロスや壁掛けの飾りを物色する。
    「その飾りね、去年クリスマスが終わってからすごく安くなってて買ったやつ」
    「は、通りで見覚えがないわけだな」
    「高いところに引っ掛けるやつもあるの。わたしじゃ届かないからお願いね」
    「……ん」
     和室には違和感のある飾り付け。まぁ今日くらいはと飾りに手を伸ばし、足元の畳は見なかったことにする。

     ささやかで贅沢なホームパーティー。
     机の引き出しには散々迷ったプレゼント。
     俺に手が届く限りの安物に、果たして駅前のイルミネーションに負けないほどの実力があるかどうかは未だ分からない。

    「アンデルセン、仕事を頼みたいんだけど」
    「なんだ、何かあったか?」
    「うん、シチューの味見」
     小さな皿に盛られた一口サイズのシチュー。台所での仕事はほとんどこれだ。後は皿洗い、配膳程度のもの。
    「たくさん作ったから明日も食べられるよ」
     元はそこまで料理を得意としていなかった彼女が、今となっては精密機械も顔負けの精度で俺の好みを叩き出す。
     その努力に見合うものを返せているだろうか?

    「調理は終わったんだろう? 俺が持っていくから後は座っていればいい」
    「じゃあ、お言葉に甘えて」
     こたつの定位置に座る彼女を横目に、さて切り出すタイミングはいつかと考えている。

     ホームパーティーは最早戦場。
     今日を逃せば一生チャンスは来ない。
     そうでも思わなくてはずっと「いつかチャンスがある」と見送ってしまう。
     こんな豪勢な食事をちゃぶ台に並べながら、考えるのはそんなことばかり。 
    「――食事の前に、少しいいか」
    「……どうぞ?」
     食べてからでも遅くはない。分かっている。
     だがこの日のために用意したワインを口にしたら、他のものも全て飲み込んでしまいそうで。
     冷める前にと急いで大きなチキンをかき込み満腹になって、テレビなんかをつけて、今日よりもっと良いタイミングが別にあるはずだと思ってしまいそうで。
     
     ――だから食事はもう少しだけ後にしてくれないか。
     ……よく考えれば断られるだなんて思ってもいないような言い分だ。それくらい自分をごまかしていないと俺は机の引き出しを開けられもしない。

     机から細長い箱を取り出す。
    「靴下に仕込むにはまだ早いが……クリスマスのプレゼント交換には早くないだろう?」
    「クリスマス、プレゼント……」
     俺の差し出した箱をまじまじと見つめて、はっとしたように彼女は続ける。
    「そうだね、プレゼント! わたしもマフラー、どうにか間に合ったから……交換しようか!」
     クリスマスらしい包装紙に包まれたマフラー。包装紙の飾りに大きなクリスマスカードが挟まれている。
     俺は彼女に箱を差し出しながら手汗で箱が台無しになっていないかと気になるばかり。
    「あの、編んでる途中を見てたと思うけどあんまり上手くなくて……次はもっといいのを編むから、今日はこれ、受け取ってください!」
     彼女から何かを受け取るのは今も慣れない。
     全力の好意、贈り物なんてあまりに縁がなかったものだから、手を伸ばすと簡単に手に入ってしまうのが少し恐ろしかった。
     マフラーを受け取り、俺はお返しにと箱を手渡す。

    「まぁ、なんだ。この箱の見た目でお察しといったところだろうが……」
    「これって、ネックレス?」
    「……まぁ、そのようなものだ」
     細長い箱はネックレス用。細長く、チェーンが絡まないようにしまうことができる。
    「ありがとう! 中見てもいい?」
    「もうお前のものだ。好きにしろ」
     彼女が箱をスライドさせる。
     俺の感想は正直この部屋から出てどこかへ隠れていたい、ばかりだ。
    「……わたし、実はアンデルセンはクリスマスに指輪をくれるのかもなって勝手に思ってたの」
    「……っ!」
     箱を開けながら、軽い打ち明け話がこぼれる。
     息を呑む。心臓の音がうるさい。
    「もう、ネックレスなら早めに言ってくれればわたしも……」

     軽やかだった彼女の言葉が途切れる。
     スライドされた箱の中身――チェーンをかけた、指輪がひとつ。

    「…………これって、指輪?」
    「馬鹿め、他の何に見えるんだ」
    「だってさっきネックレスだって!」
    「首にかければネックレスと同じだ」
    「もう、ほんとに! そういうところ!」
     彼女は箱の中身と俺を交互に見て、みるみるうちに顔色を変える。

    「その指輪は――」

     腕によりをかけた料理が待っている、あまり時間をかけるものではない。
     けれど、必要なものばかり削り取ってしまっては元も子もない。

     本番はここから、チキンはしばしお預け。
     クリスマスイブのパーティーはまだまだ始まったばかりだった。
     
     


     ささやかなホームパーティー。
     いつもより少し豪華で、品数の多い食事。
     食卓に全ての料理が並んで、さぁワインをあけようか――そんなタイミングだった。

    「――食事の前に、少しいいか」
    「……どうぞ?」
     こたつの中で手を握りしめる。
     仕事の朗報の電話が来た日、脱稿直後のようにはしゃいでいた彼がこぼした言葉を思い出す。
    (これで、ようやく、指輪を選べる!!)
     やっぱり、このタイミングで急に彼が真面目な顔をするのは、そういう話なんだろうか。
     詳細も聞かないうちから浮かれている。
     仕事の朗報、引越し、指輪。
     点と点を繋いで線にする。

    「靴下に仕込むにはまだ早いが……クリスマスのプレゼント交換には早くないだろう?」
    「クリスマス、プレゼント……」
     彼の手元を見る。
     紺色のベルベット。細長いケース。
     明らかにアクセサリーが入ったケースだと分かる。ネックレスを入れるものだ。……てっきり、真四角の箱が出てくるものだとばかり思っていた。
     クリスマスに指輪を贈ると言われたわけでもないのに、勝手に思い込んでいたのが恥ずかしくなる。

    「そうだね、プレゼント! わたしもマフラー、どうにか間に合ったから……交換しようか!」
     間に合ったのは奇跡だと思う。けれど既製品とは比べ物にならないほど拙い出来のそれを彼に渡していいのかとも悩んだ。
    「あの、編んでる途中を見てたと思うけどあんまり上手くなくて……次はもっといいのを編むから、今日はこれ、受け取ってください!」
     まずは今の全力の結果を渡す。
     この冬にもっと上達すれば、バレンタインデーにはもっと良いものを渡せるかもしれない。
     彼はマフラーを受け取って、それからケースを差し出した。
    「まぁ、なんだ。この箱の見た目でお察しといったところだろうが……」
    「これって、ネックレス?」
    「……まぁ、そのようなものだ」
    (やっぱり、ネックレスなんだ)
     身構えて少し強張った肩を緊張と一緒に緩める。指輪でないにしろ、彼がアクセサリーをプレゼントしてくれるのは初めてだ。きっと今回だってわたしの好きなものをピタリと当ててくるだろう。
    「ありがとう! 中見てもいい?」
    「もうお前のものだ。好きにしろ」
     ケースをスライドさせる。
     ネックレスのチェーンが隙間から見える。
    「……わたし、実はアンデルセンはクリスマスに指輪をくれるのかもなって勝手に思ってたの。もう、ネックレスなら早めに言ってくれればわたしも……」
     わたしも勘違いしなかったのに。……言葉は続けられなかった。

     スライドされた箱の中身――チェーンをかけた、輪っかがひとつ。

    「…………これって、指輪?」
    「馬鹿め、他の何に見えるんだ」
    「だってさっきネックレスだって!」
    「首にかければネックレスと同じだ」
     こんな大事な時に、まるで「大きな違いはない」みたいにさらりと言うのだ。
    「もう、ほんとに! そういうところ!」
     中身はお察し? とんでもない! 
     彼がそんな顔で渡してくるのが指輪か、ネックレスかでわたしにとっては全然違うのに。

    「その指輪は――まぁ、ただの人生の予約だ」
    「人生の、予約?」
    「いいか、よく聞け。作家というのは先の知れない職業だ。たかがひとつ賞を取ったからと、今後の暮らしを保証するものは何もない」
    「うん……?」
    「引越して治安が良くなろうが、食卓に魚が出る回数が増えようが、それは今後の絶対を約束するものではない」
    「そうだね……?」
    「まぁ、この反応は予想していたが……何か思うところはないのか?」
    「もうずっとこのアパートに住んでるのに、今さら?」
    「今だからこそだ。生活は良くなるだろうがまだ作家としては軌道に乗り始めただけの話。とてもお前と釣り合いは取れないだろう。……それでも俺は、その指輪をお前に嵌めてほしい。まぁ実際に叶えるには時間がかかるかもしれないがそのネックレスは予約として――」 
    「アンデルセンって、本当に……」
     ケースの中のネックレスを掴む。ネックレスにぶら下がった飾りの指輪を見る。

     親指には小さい。
     小指には大きい。

    「おい、一体何を……!」
     チェーンを外して、手に取る。
     それは迷わず左手の薬指へ。
     
     サイズがほんの少しだけ緩いかも。
     だけどほとんどピッタリサイズ。
     彼が目の前でぽかんと口を開けている。

    「アンデルセン、わたしの指のサイズ知ってたんだね」
     教えたことはなかったと思う。
     一体いつ? とても気になる。
    「……チェーンで保険をかけなくてもちゃんと受け取るのに」
     まだ知らないんだろうか? この指輪がわたしにとってどれほど、嬉しいものなのか。
    「アンデルセンが気にしてることは分かるよ。でも、作家じゃなくたって人生の先が見えないのは同じでしょ」
    「それは、まぁそうだろうが……」
    「生活の事はきっと何とかなるよ」
    「……いや。そういう話ではなく」
    「欲しいなら『今』にしてくれなきゃ嫌! ……今、手を伸ばしてくれないと困る」

     いつかじゃない、今の気持ちが欲しい。
     この部屋に来た時からずっと。

    「手を伸ばして、離す保証はないぞ」
    「『黙って俺についてこい』くらい言っても良いよ」
    「なんだそのブレまくりのキャラ設定は! 大体俺は役者じゃない、作家だ。貰った台詞を馬鹿正直にそのまま綴るわけがないだろう! ……欲しいものくらい台本の言葉ではなく自分で綴れる」
     聞き慣れたため息がいつもより少し掠れている。

    「お前がこれからの苦労を観念するなら……多少の無茶は叶えてやる。病める時も、貧しき時も、死が二人を分かつ後も。……お前が色良い返事を返すのなら夜空の星を軽く取ってくるくらいに」
    「わたしは星よりも朝も夜も曇りの日も見える気持ちがほしい」
    「またお前はそういう……」
    「代わりにわたしは執筆中も脱稿の後もいつだって一生変わらず見える気持ちをあげる」
    「…………それは」
    「アンデルセン?」
     深いため息。呆れたポーズとは裏腹に染まる彼の顔色。

    「……プロポーズしているのは俺の方だが?」
     そんなことを言うから、思わず笑ってしまう。やっぱり締まらないなぁ、と思いながらそれもわたし達らしいのかな、とも思う。

     クリスマスイブ。
     降り出した雪も見えないささやかな四畳半の一幕。

     星を掴むよりもっと難しくて、わがままで、切実なクリスマスプレゼント。
     彼の真似をするようだけど、靴下に入れて明日まで待つには惜しかった。



    ホワイトクリスマス

     クリスマスプレゼントに散々迷って、彼女に渡したアクセサリー。 
     曲がりなりにも作家の自分が選んだ指輪はとても給料三ヶ月分なんて基準に満たない安物。さらに指輪を手渡す男は狭いボロアパートの一室で場違いな彼女を囲おうとしている。

     自分ではまだ彼女に指輪を贈るにはふさわしくないのではないか?
     いつだって頭をよぎる。
     渡した指輪を、自信を持って彼女の指に嵌めることができるのか? そんな見通しはつかなかった。そのくせ指輪を渡すことを諦められない。
     だからこんな時ですら、せめてチェーンをかけてネックレスにすれば……と保険をかける。

     ――それなのに彼女は何ひとつ迷うことなくチェーンから指輪を外し、左手の薬指に嵌めた。
     まるで前から彼女のものであったように、指に収まった指輪が光る。

    (まったく風情だの、段取りだの少しは気にして欲しいところだが……)
     まぁそんなものをさほど気にしない彼女だからボロアパートにまで飛び込んできたのか。それも考えると文句ばかり言っていられない。
     俺が「いつか」と尻込みしたものは、いつも彼女に「今」と引っ張られ、転びそうな勢いで目的地に辿り着く。

     ワインで乾杯した後も、少し冷めたクリスマスのメインディッシュに手をつけ始めた時も、彼女の目線がしきりに左手に向いているのが分かってしまう。
     なんせ長い付き合いだ、普段と違うところがあれば気がつくに決まっている。
     左手に向かった視線と、それから緩む目元と口元。
    (分かりやすいやつめ……)

     本当は指輪にチェーンなんて保険をかけなくともそんな顔が見られる事は分かっていたが、俺にも気にしたい体裁くらいはある。
     ただ、毎回彼女がそれを破ってしまうだけで。
     俺の考えている体裁は彼女にかかれば吹いて飛ぶようなものだ。そう思ったのはもう何度目か。

    「アンデルセン」
    「……なんだ」
    「外、ちょっとだけ雪が積もってる!」
     さっきまで大人しく食事をしていたかと思いきや、カーテンをめくって外の様子を見ている。忙しない彼女はクリスマスの積雪よりも明日の朝に雪だるまが作れるかを気にしているのだろう。
     ところで先程まで俺達は人生に関わる重要な話をしていたように思うのだが、もうそんな雰囲気はどこにもない。

     外に薄らと積もる雪。
     ホワイトクリスマスなんて柄ではないが、思い出の景色に少しばかり箔をつける白。
     メルヘンなんてもううんざりだというのに、やけに空想にでも出てきそうな風景。
     彼女につられて窓際に寄る。
     当然窓の近くは寒い、ストーブの熱源では足りないほどだ。

     彼女の手を覆うようにとる。
     俺の指に掠める金属の、少し冷たい感触。
     
    「雪だるまを作るつもりならその前に指輪は外しておけ。手が余計に冷えるだろう」
    「冷えても外したくない」
    「……しもやけになっても知らんぞ」

     本当に、まったく。これだから。 
     
     あまり雪が積もると寒さが堪える。
     彼女は喜ぶだろうが俺にとってはなんのありがたみもない。

     ただ、真白な雪を喜ぶ彼女の指に当たり前のように指輪があるのなら、明日くらいは我慢しておくか。
     ほら、なんといってもクリスマスなのだから。
     そんなことを思っていた。


    ゴール

     クリスマスの朝。
     眠い目を擦りながらカーテンを開ければ、いつも通りの景色。
     昨日降った雪は朝方にはすっかり溶けてしまって、幻想的だった景色は日常に戻った。

     けれど戻らないものもある。
     ――薬指に、銀の指輪。
     今年のクリスマスプレゼント。

     朝になっても薬指に昨日貰った指輪があるのが見える。昨日のことが夢ではなかったと、今さら実感が湧いてくるのだ。
     昨日だって何度も見て確かめたのに、今日になってまたこの指輪を見て思わずにやけている。ずっと欲しかったものが目の前にあるのに喜ばずになんていられない!

    「もう雪は溶けただろう。いつまで窓を開けているんだ」
    「あ、おはようアンデルセン」
    「……おはよう」
     わたしのすぐ後ろからやってきたアンデルセンが片手に歯ブラシを持ちながら窓を閉めた。

     さっきまで窓に向いていた彼の目線がわたしの手元に落ちる。
     わたしはすかさずテレビの女優がやるみたいに、手の甲を彼の方に向けて見せる。
    「執拗にアピールしなくても見えている」
    「でもこの方が見えやすいでしょ?」
    「わざわざ時間を作らなくともこれからいつでも見られるだろうが……」
    「………………」
     たまに彼が何の気無しに見せる独占欲というか、わたしの気持ちへの絶対的な信頼のようなもの。……照れるなという方が無茶な話だ。
     そろりと手を下ろす。

     こんなにわたしが彼に向ける気持ちに自信がありそうなのに、彼は想像以上に体裁とか、世間体とか色々考えているらしい。
     それが脱稿後は脱いで玄関を飛び出して行こうとしているくらいだから、脱稿というのは恐ろしいものだなと思う。

     彼は歯磨きを終えるといつになくテキパキと着替えて、しまいにはコートまで引っ張り出す。
    「あれ、出かけるの? もしかして仕事?」
    「いや。必需品の買い物だ、すぐ戻る」
     私も一緒に――そう言う隙もなく、彼はブーツに足を突っ込んで駆けるように玄関を出て行った。

    (クリスマスの朝で、しかも指輪をもらったばっかりなんだから……もうちょっと、なんか、こう……)
     指輪を貰えたこと自体が奇跡なのだと分かっていても、クリスマスに託けて贅沢な感想をこぼす。
     こうなっては仕方ない。気を取り直して布団を畳んで、そしたら朝からケーキを食べてしまおう。……昨日の残り物だけど、ケーキはほんの少し贅沢。

    「ん……?」
     布団を畳んでいると、近くにあった大きな靴下が目に入った。フェルトで作られた真っ赤なそれは、妙に膨らんでいる。
     何か入っているのだ。ついさっき見た時はぺたんこだったのに。

     クリスマスの朝、靴下とサンタクロースのプレゼント。

    「……わたし宛て? 中身は何かな」
     サンタクロースの心当たりがひとり。
     このサンタは煙突ではなく玄関から、鍵を開けてやってくる。

     靴下をこれでもかと膨らませるお菓子の詰め合わせと、それから。

    「これ、クリスマスカード?」

     数え切れないほどのカードが飛び出してくる。
     そういえばクリスマスカードを交換しようと話していたけれど、指輪の話で色々あってカードのことをすっかり忘れていた。

     中には見慣れた文字で綴られた、見慣れない言葉の数々。
     それはもう、ストーブの熱でも勝てないほどの熱量で――。

    「……もう、だからって別に急いで出て行かなくても良いのに」

     あぁ、すぐ戻るなんて言って、多分これはしばらく帰ってこないんだろうなぁ。
     朝ごはんも食べずに出て行った彼が散歩しながらお腹を鳴らしているのが目に浮かぶ。

     朝日の中、クリスマスの終わり。
     ……彼があまりにも帰ってこないようならわたしから迎えに行ってしまおうかな。
     ――カードに負けない熱量の感想をお供にして。
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