猫が一人 うちの庭にはよく猫がやってくる。一匹でやってきて、我が物顔でくつろいでいるのだ。青色の目がとても綺麗。首輪をしていないから野良猫だと思う。
触ろうとするとどこかに逃げてしまうし、餌をあげてみても一切食べない。猫は一定距離を空けたままこちらを観察するように見ているだけだった。
何としても、懐いてほしい……! あわよくばうちの子になってくれないだろうか。
けれど数ヶ月の間試行錯誤を繰り返し、雪の降る季節になった頃――猫はぱたりと庭に現れなくなってしまった。
(もしかして野良猫じゃなかったのかな……)
現れなくなった理由を前向きに捉えるなら、寒くなってきたから外には出ず自分の家にいるということ。
(けど、野良猫だったら)
この寒さで雪まで積もって、外で生きていけるのだろうか。来なくなったのは、もしかしたら。……元気に暮らしていることを願う以外にできることがない。
外はかなりの吹雪で、庭にもたくさん雪が積もっていた。雪かきをしようかと庭に出る。
「あっ……!」
外に出てすぐ、視界に入ったのは黒い塊だった。雪が降る前にはよく見かけたシルエット。雪に埋もれながらこちらに寄ってくる姿を見て、安堵する。良かった、ちゃんと生きていたんだ……。
しかし、雪で濡れた身体は痩せこけて見える。こんな大雪の中、外を歩いているのはやっぱり飼い猫じゃないからだろう。
「おいで、中は暖かいよ」
懐かれているわけじゃない。けれどこの大雪の中なら絶対に家で保護したほうがいい。あわよくば、そのままうちに住み着いたりしないだろうか。
返事をするように猫は小さく鳴いて、初めてわたしの家の中に入ってきた。
猫は濡れた毛をタオルで拭いている間、大人しく膝の上に乗ってくれたので助かった。暴れられるかもしれないと思っていたけれど。……もしかして大雪で体力を奪われているんだろうか。
ちょうどタイミングよくお風呂も沸いたところだし、お湯で温まった方が良いだろう。
「一緒にお風呂入ろうか」
「!」
その途端、今までおとなしかった猫が一目散に玄関の方へ走り出した。
「え、ちょっと! どこ行くの⁉︎」
追いかけてみると猫は玄関のドアをカリカリ引っ掻いていた。
「もう、引っ掻いたらダメだよ!」
慌てて猫を抱え上げる。抱え上げた身体はとても冷たくて、やっぱりお風呂に入れた方が良い気がする。あぁ、でも猫は水が嫌いなんだっけ。
「大丈夫だよ、身体温めるだけだから」
賢そうな猫に言い聞かせるようにしながら脱衣所へ向かう。猫があまりにも暴れるので落ちないように胸元に抱えると、急に大人しくなった。
猫を抱えたまま脱衣所のドアをどうにか開けて中に入る。ドアを閉めてようやく猫を解放したらさっそくドアノブに飛びついたので、この猫はよほど勘がいいらしい。水場を避けようとしているのだろう。
――そんな猫の様子を見ながら着ていたセーターに手をかけ、脱ごうとした瞬間だった。
「脱ぐのをやめろ!」
「えっ」
この場所で聴こえるはずもない低音。男の人の声だ。セーターを脱ごうとする私の手を掴んでいる大きな手。
「え、な、なに……?」
「男の前でいきなり脱ぎ出すとは、お前どういう神経をしているんだ!」
どういうも何も、私は猫をお風呂に入れようとして、それで。……目の前にいるのは猫ではなくどこからどう見ても成人男性で。
「不法侵入っ!」
ケーサツって百十九番だったっけ? スマホは居間に置きっぱなしだ……!
「不法侵入だと? やれやれ、招き入れておいて責任も取れないのか」
「ま、招いてなんかない!」
だってわたしが部屋に入れたのは……猫一匹で。
「拒絶する俺をここまで連れてきたくせに、知らぬ存ぜぬ。はぁ、これだから人間というやつは……お前が強引にするせいで俺はこんな姿を晒すことになったんだぞ」
男性の目は青色。そう、偶然にもさっき招いた猫と同じ。……偶然にも。
(そうだ、猫は……?)
あたりをいくら見回しても、狭くて隠れる場所のない脱衣所に猫の姿がない。
鍵のかかった密室、消える猫一匹、増える成人男性一人。いやいや、そんなまさか。
「まだ状況が理解できないのか? そら、ヒントをくれてやろう」
目の前の彼の頭から突然生え出す黒い耳。ゆらゆら揺れている黒い尻尾が目に入る。
「とにかく風呂は遠慮するが……雪が落ち着くまではストーブの前を借りるぞ」
そう言ってドアを開けて彼が出ていき、わたしは状況も飲み込めないまま立ち尽くす。
保護した猫が男に化けたんです、なんて話を一体誰が信じるのか。とにかく見知らぬ男を一人にするわけにもいかず、後を追う。
猫一匹、時々成人男性。このように不思議な同居人との生活が始まったのは大雪がきっかけだった。