誕生日(一年目)酷く空気の澄んだ夜だった。
満月を過ぎ、欠け始めた月が東の空に浮かび始める頃、池の畔に張った天幕の口からディアマンドは空を見上げていた。
無理矢理にでも身体を休めなければと横になっても中々寝付けず、部屋に居ることすらも耐えられなくて、急遽思い立ち、こうして野外に天幕を張ってみたものの、やはり寝付けずにいた。頭に過るのは先日のことばかりで、ディアマンドは唇を噛み締めた。
先日――デスタン大教会での戦闘、そして退却戦のことだ。
父王を助けることも仇を取ることも出来ず、それどころか戦局も正しく判断出来なかった己の我が侭のせいで神竜様や仲間を危険に晒し、挙句の果てには今まで集めた指輪を奪われてしまった。
そして圧倒的不利の中の退却戦については己は記憶すら曖昧なのだ。これほど情けないことはない。
ソラネルへ帰還して、真っ先に神竜様に謝罪をしたディアマンドを、しかし神竜様は咎めることがなかった。それどころか逆に謝り返されてしまった。「私がもっと早く兵を動かせていたなら、私がもっと警戒していたなら…」と己が非を口にし、最後に顔を俯かせて「ごめんなさい」と言った、言わせてしまった……。なんと情けないことか。そのこともディアマンドを悩ませる要因だった。
苦い顔を中空に向けると、父王の背中が幻のように思い出された。
広く大きい背中だった。
肉体的にも精神的にも逞しく、勇敢で、豪快で、暖かで、楽しい時にも苦しい時にも笑える強さを持つ人だった。
その父を……、異形兵と化したその人を、屠った感触がまだ手に残っていて、思わずディアマンドは口元を押さえた。
だが、
「ツヨク……イキ…ロヨ……」
と、父が残してくれた最期の言葉もまだ耳に残っていて、吐き気をなんとかやり過ごすと、今度は熱いものが込み上げてくるのを自覚した。
最期の最期まで自分たちを気遣い、励ましたその愛情の深さにディアマンドの心は震えた。
父の背は遥かに遠く、己にはまだまだ辿り着けない領域だ。
そこへ少しでも近づくために、眠気もやってこないし、独り鍛錬でも始めようかと立ち上がった所だった。
池の対岸の道を歩く人影に気付いた。
こんな真夜中に一体誰だろうと目を凝らすと、月明かりに長いマントが靡くのが見えた。
薄っすらと照らされ輝くその姿に「まさかマルス?!」と一瞬思ったディアマンドだったが、英雄王の指輪は奪われてしまったのだから居るはずがないと頭を振った。
入れ替わりのように仲間になってくれた、マルスに似た井出達をした紋章士ルキナなのかとも思ったが、彼女はもっと小柄だったと思い直す。
そうすると、思い当たるのは「彼」しかいなかった。
だが、長いマントは彼の戦装束だ。ここソラネルで休息を取る際に着用するものではなかった。
その人影がエントランス広場へ向かって行くことに、なぜかディアマンドは嫌な予感がして走り出した。
その方向は彼の自室と同じ方角だったが、彼が自室に帰るとはなぜか思わなかったのだ。
エントランス広場にはワープポータルが設置されている。
その光の中に迷いなく入って行く彼の腕を、彼の体が入り切る寸前にディアマンドは掴んだ。
「神竜様!」
ゆっくりと振り返った神竜リュールの目にディアマンドの姿が映った。
「ディアマンド…ですか。どうしました、こんな夜更けに」
驚いた様子もなく、そんな返答をするリュールをポータルから引っ張り出すと、
「それはこちらの台詞だ。神竜様はこんな夜更けにどちらへ行かれるつもりだ?」
と質問し返した。
「……少し…眠れないので、ソラネルを散歩していたのですが、ふと思い立ちまして…」
眠ることが多く、朝は誰かが起こしに行かないと起きることも難しい彼の口から出た衝撃的な言葉に、ディアマンドの思考は一瞬止まったが、そのことにはあえて言及せずに先を促した。
「思い立って、どちらへ?」
「……少し、異形兵を討伐しに…」
「お一人でか?!」
激昂するディアマンドに、リュールは静かな声で「大丈夫ですよ」と答えた。
「群れからはぐれている異形兵を狙って倒すだけです。油断しなければ難しいことではありません」
その手には紋章士の指輪すら嵌めておらず、自殺でもするつもりとしかディアマンドには思えなかったのだが、リュールは声のトーンを変えずにそう続けた。
その様子から、これが初めてではなく、既にそうしたことを何回もやってのけているのかも知れないと思い至り、ディアマンドは背筋が凍る思いがした。
マルスがいたのなら、きっとリュールを諫めてくれたはずなのに……今はもう昔の話だった。
「……だとしてもだ。こんな夜中に一人きりで行くなんてことは見過ごせるはずがない。どうか留まってくれ」
「…………」
承諾する気はないとでも言うように沈黙するリュールの顔は、月の光に照らされてか常とは違う雰囲気を醸し出していて、それがどうにもディアマンドを不安にさせる。
ディアマンドは掴んでいた腕を離し、今度は彼の手を取った。
「眠れないのならば、少し付き合わないか?」
リュールの返事を待つ前に、ディアマンドは歩き出した。
今来た道を戻るようにやってきたのは釣り場だった。
「釣り…ですか」
「ここへはしばらく来られてなかっただろう?」
ディアマンドはリュールの手を離すと、小屋の中に入り、何かを手に出て来た。
「神竜様、誕生日おめでとう」
そう言われて、リュールはしばし考えるように視線を泳がせた。
「…そう、ですね。日付が変わったようですし、今日は私の誕生日ですね。以前にヴァンドレに教えてもらった気がします。……ありがとうございます」
「そうか。私もヴァンドレ殿からお聞きしたんだ。一番にあなたをお祝い出来て嬉しい」
誕生日…。記憶のないリュールには自分の生まれた日らしいということ以外なんの思い入れもないのだが、ディアマンドの言葉に胸が暖かくなった。
ようやっと顔を綻ばせたリュールに安堵したディアマンドは、続いて、持っていた包みをリュールに差し出した。
「これは私からのプレゼントだ」
「わざわざプレゼントまで……ありがとうございます」
「どういたしまして。是非開けてみてくれ」
促されて包みを解くと、真新しい釣り竿が顔を見せた。
「ブロディアに帰った際に見つけて来た。今までのは私の手作りだったからな…釣りにくかっただろう。これはちゃんと専門の職人が作った物だから、これまでよりは釣りやすいと思う」
なぜ、ディアマンドがブロディアに帰ったのか。その理由を思い、リュールは表情を暗くさせた。
空の棺を持ち帰ることになった彼らの心情は察するに余りあった。
それなのに、リュールの誕生日が近いからと、リュールのために買って来てくれたというのか。
リュールは居たたまれなくなり、俯いた。
「……そんな顔をしないでくれ。あなたに喜んでもらうためにしたことだ。……私が父を喪った時、あなたはまるで自分のことのように悲しんでくれた。あなたに非なんかないのに、あなたは最善を尽くしてくれたのに、自身を責めたあなたに……そして、今、眠れないほどに心を痛めているあなたに、何か出来ないかと思ったまでだ」
尚も俯いたままのリュールに、プレゼントしたばかりの竿を無理矢理握らせる。
「さあ、しっかり握って。水面を見て」
リュールは夜釣りをしたことがなかったが、月が明るいので水面はよく見えた。
池の端で小さく水紋が立っていることにも気付いた。
リュールがちゃんと水面を見ており、水紋にも気付いていることを察したディアマンドは、「さあ、投げ入れて」と次の行動を促す。
針は狙い通りの所へと落ち、浮きが何度か動いた後、浮きが完全に沈み、糸が引っ張られた。
「かかった! 神竜様、竿を引くんだ」
ディアマンドに言われる前にリュールは竿を引いていた。
身に付いた習慣とでも言うべきか。その行動には迷いがなかった。
魚が逃げようとする方向と逆の方向に竿を引っ張りつつ、魚の体力を削るためにわざと力を抜いたり、逆に力強く引っ張ったりを繰り返す。
いつの間にかリュールの頭には鬱々とした思いも何もなくなり、魚と真剣に向き合う心だけが残された。
今までの竿は頼りなく、リュール自身も釣りの経験が浅く、競り負けることも多かったのだが、新しい釣り竿は強い魚の引きにもビクともしない。
そう、竿の方はとても頑丈なのだ。
だが、思ったよりも大きい魚がかかってしまったのか、リュールの方がもう限界が近い。
「ディアマンド、手を貸して下さい…!」
すぐにディアマンドの手が背後から竿に伸びて来た。途端に安定感が増す。
「よし、いっきに引くぞ。せーの!」
残った力を振り絞り、二人は竿を引いた。
ついに根負けしたのか、大きな魚影が空を舞った。
「大きい…!」
「ああ、これは……、スリットヒレサケだな」
こんな大物が一体この池にどうやって潜んでいたんだと、釣り上げたことよりもそのことが気になって頭を捻ってしまったディアマンドだったが、リュールが笑っている姿を見て、どうでもいい話かと考えるのを止めた。
「すごいです! この釣り竿すごいです!」
「そうだろう、すごいだろう」
「……あ。いえ、ディアマンドの手作りの竿が悪いというわけでは決してないのですよ」
「はははっ、そう言ってもらえると作った甲斐があったというものだ」
二人笑い合う。
出会って日も浅いというのに、なんだかとても久しい感覚だった。
お互いに後ろめたくて、遠慮して、気付けば避けてしまっていた。
相手のことを嫌ってのことではないとは言え、やはりそんなのは嫌だとディアマンドは思う。彼とはこうやって気楽に話をして、出来れば笑い合っていたい。
「そうだ。折角釣ったんだ。これは生でも食べられる魚だし、食べないか?」
小屋からまな板を持ってくると、懐から取り出したナイフでディアマンドは手早く捌いていく。
リュールは月明かりの下でも危うげなくナイフを動かす手際の良さに見入った。
「流石、慣れていますね。お魚があっという間に身だけになっていきます」
「この魚はブロディアでよく獲れる魚なんだ。私も小さい頃から父に連れられて釣ったものだ。捌き方も父が教えてくれてな。暗くてよく見えないだろうが、身は淡いピンク色をしていてとても綺麗なんだ」
父の話をしたせいか、またリュールの顔が沈痛な面持ちに沈んだことにディアマンドは気付き、しばし言葉を止めると、再度口を開いた。
「……父は、たくさんのものを私に遺してくれた。こうしているとそのことに気付かされるな。……神竜様、私はもう父の死を悲しんではいないんだ。父の仇は必ず討つが、父が遺してくれたものを噛み締めて、大切にして行きたいと思う」
ディアマンドは一口サイズに切った切り身に木の串を刺し、リュールの口に放り込んだ。
「んぐ」
「どうだ。美味いだろう?」
「は、はい。とても美味しいです」
思わず笑んで目を輝かせたリュールの口にもう一つ放り込んで、ディアマンドも笑んだ。
「こうやって神竜様を笑顔にさせることが出来る。父には感謝だな」
リュールの口に更にもう一つ放り込み、ディアマンドも自身の口に一つ放り込んで「うん、美味い」と舌鼓を打つ。
しばし、二人食べることに夢中になった後に、ディアマンドはポツリと聞いた。
「……ルミエル様はどんな方だったんだ?」
「…………母さんとは2日しか一緒に過ごせませんでしたが……、とても明るく優しい方でした。初めて会った時に私を抱き締めてくれて……。最期に、指切りをしてくれました」
懐かしむリュールの横顔をディアマンドは無言で見つめた。
言葉の端々に彼が記憶のないことを示す表現が含まれており、痛まし気に思ったが、顔には出さなかった。
「……そうですね。もう少し話をしてみたかったとは思いますが、今はもう然程悲しくはありません。思い出される母さんはいつも笑顔ですから」
「……そうか」
ディアマンドも父の顔で一番よく思い出されるのは豪快に笑う姿で、自然と口角が上がった。
故人が笑っているのに遺された者が悲しんでいるわけにはいかないな、と改めて思った所に、欠伸が聞こえてきた。
「お腹がいっぱいになったからでしょうか…。なんだか眠くなってきました」
「それは良かった。部屋まで送ろう」
「いえ……、部屋には戻りたくありません」
きっぱりと拒否したリュールがまるで駄々っ子のようだとディアマンドは噴き出しそうになる。が、なんとかこらえると、「そうか」と頷いた。
神竜様のその気持ちはきっと今のディアマンドと同じものだ。
「ならば、あそこで寝るか?」
と、池の対岸を指し示す。
「私の今晩の寝床だ。自室があるのにあえて外で寝るというのも乙なものだ。予備の寝具も持ってきているから、神竜様さえ良ければ」
「本当ですか? では、お言葉に甘えさせて頂きます」
ディアマンドは内心胸を撫で下ろした。
どこかで一人で寝たいなどと言われ、ソラネル内ならまだ安全だが、ワープポータルでどこかにでも行かれたらと思うと気が気でない。
一人で異形兵を討伐しに行こうとしていたあの神竜様の姿はとても見ていられるものではなかった。
リュールの気が変わらぬ内にと、ささっと後始末をし、天幕に連れて行く。
予備の寝具を敷き、どうぞと促すと、リュールは武装を解き布団に潜り込んだ。
ディアマンドは天幕の入り口の布を降ろし、彼の隣に敷かれた己の布団に潜り込む。
「神竜様。朝は私がちゃんと起こすから心配しなくていい。ゆっくり休むといい。もっとも、私が起こさなくても起きることになると思うが……」
「それはどういう意味ですか?」
「それは…まあ……、朝になれば分かる」
少しだけ「それ」を思い浮かべ、ディアマンドは渋い顔をさせた。
"彼ら"には悪いが、今は思い浮かべたくない。
「お休み、神竜様」
「お休みなさい、ディアマンド」
しばし、無言の時が流れる。
だが、二人とも寝入ったわけではなかった。
「……ディアマンド。あなたの方に寄ってもいいですか?」
聞こえてきた言葉に、ディアマンドは「どうした?」とも「寒いか?」とも聞き返さずに、「ああ」とだけ言った。
了承され、リュールはごそごそと掛け布団を動かし、ディアマンドに寄った。
お互いの息遣いが聞こえるどころか、息そのものが当たるような距離だった。
ディアマンドは腕を伸ばし、リュールを引き寄せた。そうされることをリュールが望んでいるように思えたからだ。そして、自分もそうしたいと思ったからだった。
お互いの距離がゼロとなり、体が密着したが、リュールが嫌がることはなかった。
「……あったかいです……」
「そうか」
人の体温に安心したのか、リュールの目は閉じられ、静かな呼吸音だけが天幕内に響く。
「……眠ったか」
言葉を発しなくなったのを眠ったものと判断したディアマンドは、リュールの背中を優しく撫で、それから静かに決意の言葉を口にした。
「……神竜様、私は強くなってみせる。大切な者たちやあなたを守れるくらいに。もう二度と後れは取らない」
あの日の自分の無力さを二度と繰り返しはしない――。
言葉はリュールの耳に届いていた。
リュールはまだ寝入ったわけではなかったのだ。
しかし、無言を貫き、聞いていないふりをした。口を開いたら、もしかしたら言ってしまうかも知れなかったからだ。
リュールには秘密がある。
あの日。デスタン大教会へ向かう最中、リュールの心は不思議なほどに落ち着いていたこと。
その理由は、紋章士の指輪の半数がリュールの手の内にあり、気が大きくなっていたから…などではないこと。
紋章士達が邪竜の気配を感じて警戒する中、リュールもただならぬ気配を察知してはいたが、少しも恐怖を感じなかったこと。
そして、実際に邪竜ソンブルを前にしても、何ら恐怖を感じなかったこと。
1000年前に対峙し、退けた過去があるから、恐怖に値しないのではないかと、初めリュールは考えた。
けれど、頭の片隅から否定の言葉が聞こえてくる。
考えたくはないが、リュールは邪竜ソンブルに対して「親しみ」を感じたのだ。
それもルミエルに対するもの以上のものを。
そのことが何よりもリュールには恐かった。
(私は……もしかしたら私は…………)
もしかしたら、彼らとはいつか違う道を歩むことになるかも知れない。
そんな恐ろしい未来を予感しながら、けれど今だけは、温もりに包まれることを許してほしいと、ディアマンドの腕の中で意識を手放した。
* * *
「いち、に!」
『いち、に!』
「さん、し!」
『さん、し!』
耳をつんざくような元気な声が聞こえてくる。
すぐ傍から溜息も。
数を数える声が段々近付いてきて、そして止んだ。
「おや? 天幕があるね。誰が寝てるんだろう」
「アルフレッド王子、失礼ですわよ」
「ちょっと覗くくらいいいじゃないか」
ディアマンドの体が緊張に強張るのをリュールは感じた。
「……ディアマンド……、どうしま……ンぐ」
「静かに」
声を発したリュールの口をディアマンドの大きな手が塞ぐ。
天幕の入り口の布が揺れた。
「王子、ダメですってばー!!」
至近距離で声がする。布が大きく波立ち、だが、めくられることはなかった。
どうやら従者二人が全力で止めてくれたらしい。
不満気な呟き声が聞こえたが、やがて、それも聞こえなくなり、静寂が帰ってきた。
「ふう……」
「なるほど……こういう意味だったんですね」
「ああ。外で寝る際の唯一の残念ポイントだな」
「ぷ」
その物言いにリュールは吹き出した。
きっとこれまでも何度かその残念を味わったのだろう、げんなりとした表情が浮かんでいる。
「神竜様、よく眠れたか?」
「はい。おかげさまで」
「そうか、それは良かった」
ディアマンドは起き上がると、リュールと向かい合った。
「神竜様。眠れない夜があったならいつでも私の所へ来るといい。マルスの代わりになれるなんて自惚れてはいないが、こんな私でも、一緒に釣りをしたり、話をしたり、こうやって一緒に夜を明かすことなら出来る」
「そんな風に言ってくれるんですね……。ありがとうございます。ですが、あなたは誰かの代わりなどではありません。代わりにする気もありません。ディアマンドはディアマンドです。私がよく眠れたのはあなたのおかげです。本当にありがとうございます」
「そうか」
微笑むディアマンドの顔がリュールには眩しかった。
「さあ、また彼らが来る前に……」
素早く身支度を整えると、ディアマンドはリュールを促した。
何もコソコソする必要はないのだが、なんとなく彼らには見つかりたくないとディアマンドは思った。
神竜様と過ごしたこのひとときは二人だけのものにしたい。
「そうですね」
リュールも同じ気持ちなのか、頷くと、身を整える。
一人で甲冑を付けるのは時間がかかるのでディアマンドも手伝った。
リュールの身支度が済むと、ディアマンドは入り口から外を窺った。
「よし、いないな。声も聞こえない。神竜様、今なら大丈夫だ」
「はい。ディアマンド、本当にありがとうございました。……また後で」
「ああ。また後で」
ディアマンドに背を向け、歩き始めようとしたリュールの手を咄嗟にディアマンドは掴んだ。
「神竜様! どうか、一人で思い悩まないでくれ。私を頼ってほしい。私では力不足のこともあるだろうが、あなたの力になりたいんだ」
「ディアマンド……」
真摯な眼差しがリュールを貫き、リュールは顔を歪ませた。
自分にはこんな風に言ってもらう資格なんかないかも知れないのに、その眼差しから逃れたくないと思ってしまう。
「そうだよ、神竜様。僕達のことも遠慮なく頼ってほしいな」
「くぁwせdrftgyふじこlp!!!??」
奇怪な声がディアマンドの口から漏れた。
天幕の入り口とは逆の方からアルフレッド主従が現れる。
「あ、アルフレッド王子?! なぜここに!!」
「なあに、景色が良かったからね。少しここで休憩していたんだよ。寝てると思って、なるたけ静かにさせてもらったよ」
気付かなかっただろう?、と得意気な顔でのたまうアルフレッドを、「景色を楽しみたいなら見晴らしの丘に行けばいいものを」と憎々し気にディアマンドは見た。
「神竜様、おはよう」
「おはようございます、アルフレッド。朝から精が出ますね」
「神竜様も走るかい?」
「またの機会に」
やんわりと断るリュールが戦装束に身を包んでいることに、アルフレッドも気付きながらも言及はしない。
「そうだ。今日は神竜様の誕生日だそうだね。おめでとう、神竜様」
「ありがとうございます。アルフレッドも知っているのですね。アルフレッドもヴァンドレから聞いたのですか?」
「『も』ということは、先を越されてしまったようだね。……ヴァンドレ殿がカフェテラスの暦の今日の日付に大きな印を付けていたから聞いてみたんだ。皆知ってると思うよ」
「ヴァンドレがそんなことを……」
「後でプレゼントを持参するから楽しみに待っててくれ」
そう言ってウインクをしたアルフレッドの服の端をディアマンドは掴み、「アルフレッド王子、ちょっと……」と裏へ引きずっていく。
「それでは、私は行きますね」
「神竜様、また後で~~」
引きずられる主と手を振る二人の従に見送られ、リュールはその場を後にした。
ふと振り返ると、こちらをずっと見ていたらしいディアマンドと視線が合い、二人小さく笑みを浮かべる。
そして、リュールは今度は振り返ることなく自室の方へと歩みを進めた。
心地良い風が髪を揺らす。
ぽてぽてと馴染みのある足音に視線を落とすと、いつの間にか足元にはソラがいた。
ソラにも朝の挨拶をして、リュールは早朝の青空を見上げた。
『何があっても、何を思い出しても……』
母の最期の言葉が頭を過る。
恐くて、先を知りたくなくて、リュールは進軍を躊躇っていたのだが、もうそれも止めにしようと胸を定めた。
もしも「その時」が来たとしても、精一杯自分の出来る限りのことをしよう――。
そう、自分の生まれた今日という日にリュールは誓った。
了。
リュールの誕生日は自分の誕生日なので、自分のために書きました(爆。
リュールとディアマンドはまだそれほど親しくないので、ディアマンドはリュールと二人きりでも「あなた」と呼ぶし、敬語を使っています。
誕生日一年目なので、月齢は一年前のものを参照しています。
本当はもっと明るい話の予定でしたが、蓋を開けてみればこんなことに…汗。
リュールの誕生日話なのに、ディアマンド視点が多いとか意味わかんない(爆。
お読み下さりありがとうございました。