誕生日(二年目)気持ちの良い風が髪の毛を揺らす。
聖地リトスの空に浮かぶ浮遊島――離宮ソラネル。
邪竜ソンブルとの戦いの最中には神竜軍の拠点となっていた場所だ。
故に常ならぬ賑わいを見せていたものだが、戦いが終わり、仲間達は祖国へ帰還、もしくはいずこかへと旅立った。
今ここにいるのはリュールと彼の守り人のみ。
ソラネルは神竜の許しなくば立ち入ることの出来ない聖地中の聖地であるが、仲間達への許可はそのままにしてあり、彼らには、いつでも好きな時に来て思い思いに過ごしてくれて構わないと伝えてあったが、訪う者は多くはない。
かくいうリュール自身も居を半壊した神竜王城に移し、リトスの復興に力を注いでいる最中であり、常にソラネルに居るということはなくなった。
それでもなるべく来るようにしているのは、彼の足元で寝ころんでいる犬のような姿をしたこの島の守り神――ソラに会うためだ。
のほほんとした雰囲気は変わらないが、急に人が居なくなって寂しく思っているのではないかと思ったのだ。
「いえ」
リュールな独り頭を振った。
寂しく思っているのはきっと自分の方だ。
元々、ここは神竜の休息地して存在し、これが本来の在り方だというのに、目覚めてからのリュールにとっては静かであることの方が稀であったためか、まるで別の場所にでも来てしまったかのような違和感と寂しさを覚えてしまっていた。
「けれど」
きっとこれが「普通」で、今は慣れなくても段々とそれが当たり前になっていくのだ。
なにせリュールは竜族。人間とは違い、悠久の時を生きる生き物なのだから。
長い時を生きていれば寂しいという感情もきっと薄らいでいく。今だけ。そう今だけ――。
――なのに、とリュールは思った。
胸の内が冷たく感じるのはなぜなのだろう、と。
そんな折だ。守り人達がリュールの誕生会をソラネルで開こうと提案してきたのは。
「皆さんを呼んでパーっと盛大にやりましょう!」
楽しい提案をしてくれるのはいつも彼女――竜の守り人の一人フランだった。
彼女の双子の兄であり、同じく竜の守り人のクランも握り拳を作って賛同し、どちらかというと二人を諫めることの方が多い年長者のヴァンドレも「良きことかと存じます」と頷いた。
「誕生会を開いてくれるのは嬉しいですが、皆を、呼ぶのですか? ……迷惑ではありませんか?」
戦いが終結してまだ間もない。皆、祖国を立て直すのに奔走していることだろう。あるいは、旅立って間もないのにとんぼ返りさせてしまうことになるのは気力を削ぐようで申し訳なかった。
「迷惑に思うはずがありません! 招待状は僕達で皆さんにお届けしますので、神竜様は楽しみにお待ち下さい」
「はい、お願い…します……」
とは言え、リュールは期待はしていなかった。
戦い終結後、かつての仲間達との交流はめっきり減ってしまった。……というか距離を置かれている気がする。その理由もなんとなくリュールは察していた。
(やはり……私は…………)
身の内から冷たさを感じて、けれどそんなものはないのだと自分を誤魔化すように、リュールは立ち上がった。
誕生会はもう明日だった。
守り人たちが休む暇もなく準備をしてくれている。自分も手伝うと彼らに言ったのだが「神竜様は主役なんですからゆっくりなさってて下さい」と断られてしまった。特に厨房には絶対に入らないでくれと念を押された。
手伝いは却って邪魔なのかも知れない。けれど、自分もせめて、来てくれた仲間達が良い時間を過ごせるように何かしたかった。
そんな彼が再び守り人に手伝いを申し入れ、何とか飾り付けを任されることとなった。
守り人が夜なべして作ってくれた旗飾りを木の天辺から木の天辺へと渡し掛ける。今は竜の姿になることは出来なくなってしまったが、かつては竜に変化し空を飛んでいたことがあるのだろう、記憶はないが、高い所は平気だった。
「神竜様ー、そんな高いところでなくても構いませんよーー! もっと下の方でーー」
神竜様に恐れ多くも飾り付けを頼んでしまったのは自分だが、まさか真っ先に一番高い木の天辺まで登ると思っていなかったクランは焦った。
「何を言っているんですか、どうせなら一番高い所からがいいでしょう?」
「神竜様ぁ~~~」
「あなた達が一生懸命作ってくれたものです。しっかりアピールしなくては」
アピールしたい相手はあなた様です、と思いながら、クランは感極まってしまった。
自分達が作ったものが神竜様に触れられ、手ずから飾り付けされる。なんと幸せなことか。
「し、神竜様っ! 本当に気を付けて下さいね! 落ちないで下さいね」
「ええ、大丈夫ですよ」
旗飾りの端に縫い付けられた紐をささっと木の枝に結び、リュールは飛び降りた。
「ひえ~~~~!! なんてことを!!」
数メートルある木の天辺からヒラリと地面に着地したリュールをクランは顔を蒼白にさせて凝視した。
「大丈夫だと言ったでしょう?」
「だ、大丈夫でも止めて下さい! 普通にっ、登った時と同じように降りて来て下さい! 僕の心臓が止まっちゃいます――!!」
「はあ、すみません…」
そんなやり取りをしていると、笑い声が聞こえてきた。
笑い声は中々止まず、笑いを止めるべく口に手を当てて声を押し殺そうとしたようだったが、代わりに肩の震えが一層大きくなった。
「ディアマンド、笑い過ぎです」
「ハハハ、す、すまない、ははっ」
姿を見るまでもなく、その声の持ち主をリュールは分かっていたが、久方ぶりに見た彼の姿にリュールは顔に笑みを浮かべた。
「ディアマンド王、こんにちは。いらっしゃいませ」
クランが丁寧にお辞儀をするのを横目に見て、「あ…」とリュールは自分の失態に気付いた。
戦い終結後、祖国に帰ったディアマンドはすぐにブロディア王に即位していた。
「そうでした。私もディアマンド王とお呼びするべきでしたね。失礼しました」
「いや、どうか今まで通りで。あなたにそんな風に呼ばれるとこそばゆい」
「……それはどういう意味ですか」
「だって、あなたは、私のことを「王子」と呼んだことなど数えるほどしかなかっただろう? それなのに、今更敬称を付けられても…な?」
「…………」
そうした自分の所業を間違いだったとは思っていないが、目覚めたばかりの世間知らずな頃を思い出してリュールは少し恥じ入った。
そこへ追い打ちをかけるようにディアマンドは笑った。
「フフ。思えば、あなたは仲間になった誰に対しても呼び捨てだったな。あなたの前では誰も身分も立場も関係なかった」
「……すみません、少し気安過ぎましたね……」
「いや、良いと思った。私のことを呼び捨てにするのは両親とシトリニカくらいしかいなかったからな。斬新だった」
「良いと思ってなくないですかそれは」
「いやいやいやいやいや」
「その「いや」は何を否定しているんですか。……まあいいです。ところでディアマンド、誕生会は明日なのですが……」
何か用があるのか、それともただ単に休息に来たのか。
「ああ、分かっている。決して日付を間違えたわけではない…と、それだけは言っておこう。……まあ、なんというか…その…。……そうだな。良かったら、私にも明日の準備を手伝わせてくれないか?」
「え……」
ディアマンドの申し出に戸惑っていると、
「本当ですか?! ありがとうございます!! では、神竜様と一緒に飾り付けの方をお願いします! 神竜様が危ない事をしないようにしっかり見張ってて下さるととても助かります!」
と、クランが息もつかぬ勢いで捲し立て、飾りの入った箱をディアマンドに押し付けると、足早に去って行った。
「……うちのクランが失礼を。あの、ディアマンド。……忙しいのではないですか? 手伝ってくれなくても大丈夫ですよ」
「いや、是非手伝わせてくれ。それに、君の目付けも頼まれてしまったしな」
「~~~~っ! もう! 大丈夫だって言ってるのに…。私はそんなに危なっかしいでしょうか」
「……否定は出来ないな」
「ディアマンドまで! ………分かりました。そこまで言うのであれば、しっかりみっちり最後まで手伝って頂きましょう」
「ああ。喜んで」
* * *
「すっかり暗くなってしまいましたね」
守り人が用意してくれた昼食と夕飯を食べつつ飾り付けに精を出していたのが、今ようやっと終わった。
ディアマンドと二人だったので、島中に飾り付けを施せてとても華やかになったとリュールは満足する。
「ディアマンド、ありがとうございました」
「どういたしまして。しっかりみっちり最後まで手伝わさせてもらったぞ」
「はい、そうですね」
どうだと言わんばかりのディアマンドに、リュールはクスクスと笑みを零した。
「もう今日は遅いですし、良ければ泊まっていって下さい。あなたの部屋はそのままにしてありますので」
ワープポータルを使えば一瞬で帰れるのだが、リュールはそう言った。
それはディアマンドも分かっていたが、あえてその申し出を受けることにした。
「そうか。ではお言葉に甘えさせて頂こう」
「守り人達は神竜王城に帰ったので、誰に気にすることなくくつろいで下さいね」
「君も神竜王城に帰るのか?」
「いえ、私も今夜はここで過ごそうかと思います」
「そうか……」
ならば、とディアマンドはリュールに向き直った。
「少し、歩かないか?」
飾り付けで島中回り、十分に歩いた後ではあったが、リュールは誘いに乗った。
陽が沈み、気温は少し下がったが、年中安定した気候のソラネルでは、夜も心地良い風が吹いている。
「あ……」
空が輝いていた。否、二人で飾り付けた様々な飾りが光り輝いていた。
「魔法が施されていたのか。綺麗だな」
「ええ。とても綺麗です」
守り人達が自分のために作ってくれて、ディアマンドと二人で飾り付けた。
その事実だけでも嬉しいことなのに、更にはこんな仕掛けまであったとは……。リュールはしばしその光景に見入った。
メインとなるカフェテリア前の広場は最も華やかに装飾が施されていて、キラキラと眩しいほどだった。
ディアマンドは広場を見まわしながら、ゆっくりと通り過ぎ、広場の下方に設置された青い光を放つ陣に近付いた。
「もう一年になるのか」
ワープポータルを見詰めながらそうポツリと呟いた。
「覚えているか? 一年前の今日。あなたは夜中に一人、異形兵を討伐しに行こうとしていた」
「あ、あの時は大変ご心配をおかけしました…」
デスタン大教会で大敗を喫し、這う這うの体で逃げ帰った後の話だ。
ディアマンドは父であるモリオン王を亡くし、失意の底であった。
それなのに自分のために気を遣わせてしまったとリュールは反省していた。
「それはいいんだ。……今も、しているのか?」
「しているとは?」
「今も、独りで異形兵を討伐しに行っているのか?」
思わぬことを聞かれ、一瞬リュールは動きを止めた。が、表情に動揺を浮かばせることなく口を開いた。
「行ってませんよ」
「嘘だな」
すぐに嘘を見破られ、リュールは黙った。
戦いは終わったばかりで、エレオスには未だに異形兵が溢れている。聖地であるリトスからも完全に掃討出来ていない始末。そんな状況なのだ。戦うのは当たり前のこと。
だから、ディアマンドが気に掛けているのはそこではなかった。彼が気に掛けているのは、リュールが「独り」で戦っているということだ。
「君は強い。独りでも何も問題はないのだろう。だが……」
何かを言い掛けて、だが言葉にすることが出来ず、ディアマンドは頭を振った。やがて、
「……嘘はついて欲しくなかった」
それだけ言い置いて、スタスタと歩き始めた。
慌ててリュールは追いかける。
「う、嘘をつきました。ごめんなさい。あなたの言う通りです。私は今も独りで異形兵討伐に赴いています」
ディアマンドは足を止めて、後ろを振り返った。俯いているリュールの赤青のつむじが目に入った。
ディアマンドは己の不甲斐なさに唇を噛んだ。
一年前、眠るリュールの隣でディアマンドは人知れず「強くなる」と決意をした。
鍛錬を怠らず、誰よりも努力したつもりでいる。結果それなりに強くなったとも思う。けれど、そのずっと先をリュールは行った。
それが本来の姿であったのだろう、戦いを経験するごとにリュールはめきめきと強くなった。特に紋章士となってからは異次元の強さを見せた。
だから、例え独りでも大丈夫なのだとは分かっている。
しかし、独りでは紋章士になることは出来なかったはずだ。
守り人すら連れて行っていない所を見ると、紋章士になる必要もないくらいリュール自身が強くなっていると推察出来た。
身体能力の高さは、木の天辺から軽々と地面に降り立ったことからも窺い知ることが出来る。
けれど、紋章士になった方が戦いは遥かに有利なはずだ。それをせず独りで戦っているのは、きっと守り人たちには復興に専念して欲しいからなのだろう。
壊滅状態のリトスの復興は容易ではないのは誰が見ても明らかで、異形兵討伐まで手が回るとは思えなかった。
(分かっている――)
彼がいつも他人を思いやって行動しているということは。
ディアマンドに嘘をついたのも己に心配をかけぬためだと。
だが、それがとても歯痒くて仕方なかった。
一年前のように彼が自暴自棄の風体で討伐に赴いていないだけマシと言うべきか。
「ほ、本当にごめんなさい……」
彼が謝っているのはディアマンドに嘘をついた、その一点のみだというのも分かる。
止める気はないのだと。
ディアマンドが発するべき言葉はなかった。
「……もういい」
ディアマンドは再び歩き出した。
行き先のことなど何も考えていなかったのだが、足は自然といつもの道を選んでいた。
水のせせらぎが耳に入った。
「一年前…、あなたは私に釣り竿をくれましたね。あの時釣ってあなたが捌いてくれたお魚は、私の人生で一番美味しかったです」
「そうか」
ディアマンドは反射のように空返事をした。
もし、ディアマンドがしっかりとリュールの言葉に耳を傾けていたら、彼の言葉の違和感に気付けたことだろう。
竜族であるリュールの人生は長く、これからも続いていくというのに、彼はもう確定したものとして過去形で言っていた。
ディアマンドは足を止めず、桟橋の前を通り過ぎ、そのまま池を回り込んで裏手まで来た。
よく天幕が張られ、ソルムの面々が仲間になった後には歌に踊りに大変賑やかだった場所だ。一年前に二人で夜を明かした場所でもある。
それも今は何もなく、原っぱが広がるばかりだ。
「……天幕、張ってみますか?」
隣に並んだリュールがディアマンドと同じ方を見ながら言う。
「あるのか?」
「小型の物でしたら、釣り場の小屋にしまってあります」
二人は来た道を戻り、小屋に入った。
中は綺麗に整頓されており、目的の物はすぐに見つかり、二人は手分けして持った。
ふと、ディアマンドの目に壁際に立てかけられた釣り竿が飛び込んできた。
一年前にリュールにプレゼントした釣り竿と、その隣に初めにプレゼントしたディアマンドお手製の釣り竿があった。
手製の釣り竿は、東方で採れるしなりの良い木に糸を括り付け、先っぽに針と浮きを結んだだけの簡易的なもので、今見ても御粗末なものだと思う。
「まだ捨ててなかったのか」と見遣ったのだったが、よく見ると二つとも埃など被っておらず、すぐに使えるようきちんと手入れされているのが分かった。
自分のプレゼントしたものが大切に扱われていることにディアマンドは嬉しくなった。
きっと戦い終結後も釣りを楽しんでいるのだろう、とそう思った彼は気付かなった。手入れはされているが、全く使われた痕跡がないことに。
原っぱに二人で協力して天幕を立てる。
その天幕があの時と「同じ物」だとディアマンドは気付いただろうか。
同種の天幕は複数あったから、ただの同系統の物だと思ったかも知れない。
同じく、小屋に保管してあった寝具も持ってきて、中に敷く。
ここまで来たら、何も言わなくても当たり前のように二人は天幕の中に入った。
しかし、天幕に入ってもお互いに発する言葉はなく、大分時間が経ってから、リュールが口を開いた。
「……ディアマンド。聞きそびれてしまいましたが、私に何か用があったのではないですか?」
ディアマンドはリュールを横目で見遣り、しばらくしてから目を離した。
「……いや、大したことではないんだが……」
言うべきか言わぬべきか逡巡した後、ディアマンドは観念したように続きを言った。
「その……、プライベートなことを聞くが、神竜様は未だにパートナーをつくっていないのか?」
「パートナーですか? つくっていませんが」
「そ、そうか。……実はな、即位してから縁談の話が絶えなくてな…」
「ああ。まあ……、そうでしょうね」
「いつかは私も誰かと婚姻を結ぶことになるのだろうが、今は国を整えるのが精一杯でそんなことを考える余裕はないというのに、しつこくてな」
「戦いが終わったばかりです。疲弊した民は明るい話題が欲しいのでしょう。……それに、世継ぎをつくるのも王族の務めですしね」
「……君の方はどうなんだ?」
特段、表情を変えない様子のリュールにやきもきしながら、ディアマンドは聞く。
「縁談の話はないのか? 世継ぎをつくるのが務めだというのならば、私よりも君の方が深刻だろう? 私に世継ぎがなくても最悪、国がなくなるだけだが、あなたに世継ぎがなくば……」
神竜のいなくなったもう一つのエレオスを思い浮かべ、ディアマンドは眉をひそめた。
リュールが健在であるこのエレオスにおいてはまだまだ先の話、それこそディアマンドが死んだ後の話になるのだろうが、あのような未来をディアマンドは望まなかった。
望まないからこそ、ディアマンドは自分の気持ちに諦めを付けるために、したくもない話題をしていた。……のだが、
「私は子をつくる気はありませんよ」
リュールの言葉に目を剥いた。
「それはどういう…? 理由を…聞かせてもらえないか」
リュールはディアマンドに目を向け、一呼吸置くと、話し始めた。
「知っての通り、私は神竜ではありません。邪竜の子です。私が子をつくっても神竜は生まれないでしょう」
「それは……」
神竜リュールが実は邪竜ソンブルの御子であったことは戦いの最中に判明した。が、皆、変わらずリュールを神竜として認め敬っていた。
神竜ルミエル亡き後もエレオスが滅びてない所を見るに、リュールは神竜としてエレオスにも認められているということなのだろう。しかし、出自は変えられない。
遠い未来、リュールが身罷ればエレオスは滅びるということなのか。
「ああ、心配しないで下さい。時が来たら、私は神竜ルミエルより譲り受けた力を然るべき者に託します。私が死んでもエレオスが滅びることはありません」
いつもは「母さん」と親愛を籠めて彼女のことを呼ぶのに、リュールは「神竜ルミエル」と言った。
まるでそこに変えようもない絶対の線引きをするように。
「それならば、君の子でもいいのではないか? 託す相手は竜族であれば構わないのだろう?」
リュールは俯き、首を横に振った。
「……言ったでしょう。私は、邪竜ソンブルの子だと」
そして、苦しそうに声を吐き出した。
「ソンブルは自分の子を決して裏切らない自分のために尽くす道具としか見ていなかった。扱っていなかった。そして勝手に使えないと判断しては無残に殺した。私はそんな男の血を引いているのです」
過去に飛んで、自分の意志なく戦う千年前のリュールを皆見ていた。
「けっかんひん」「しょぶん」と自分を含めてきょうだいのことを物のように言っていた。いつかは自分も殺されるのだとも。
痛々しいその姿を皆沈痛な面持ちで見たものだ。
「私に子が出来たら、同じことをしてしまうかも知れない……。そんなのは絶対に嫌です」
そんなことは……、と言い掛けてディアマンドは口を閉ざした。
軽々しく気休めのように掛けていい言葉ではなかった。
「ごめんなさい。あなた達の世界のことなのに私が勝手に決めて」
その「世界」には君も入っているんじゃないか、と思うのに、あくまで仮に「預かっているだけ」とでも言いたげな言い様にディアマンドは胸を痛めた。
邪竜ソンブルは倒したというのに、彼の心は未だに邪竜ソンブルに囚われている。
父親の存在というのは大きいものだ。ディアマンドにも覚えがある。
けれど父に対する想いは全くの真逆のベクトルだった。
リュールの父に対する想いは、己をも否定してしまうほど酷く、重い。
父を敬愛するディアマンドの言葉など何も届かないのかも知れない。
けれど、今にも壊れてしまいそうな彼を目の前にしては、何か言わずにはいられなかった。
「ぱ、パートナーは…? 君が子をつくる気がないのは分かった。が、パートナーはつくってもいいのではないか」
すると、リュールは更に表情を曇らせた。
「……私にはきょうだいがたくさんいたようです。母親だった方もおそらく複数いたのでしょう。ですが、今現在そういった方は一人もいません。おそらく、彼女たちも同じような扱いを受けていたのでしょう。彼女たちの場合は、そこへ慰み者としての役割と子と産む役目も追加されていたのでしょうが…。いずれにせよ、ソンブルが彼女たちに愛情などという感情を抱いていたとは思えません。きっと私がパートナーをつくってもパートナーを慈しむことは出来ないでしょう」
ディアマンドが言葉を失い、茫然とリュールを見つめると、リュールはディアマンドを安心させるかのように口元に笑みを浮かべた。
「心配しないで下さいね。パートナーも子もつくるつもりはありませんが、この身は朽ち果てるまでエレオスに尽くします。朽ちた後は、紋章士として未来永劫エレオスを守っていきましょう」
居ても立ってもいられず、ディアマンドは立ち上がった。
「……君の考えは分かった。誤魔化さず話してくれて感謝する。だが……、だが……。今の話を聞いて、私は、とても…寂しいと、思った……」
独りで生きていくつもりの彼の姿はすごく寂しく、寒々しくディアマンドには思えた。
まるで、雪原で会った彼の過去の姿のように。
誰も連れず、頼れる相手もおらず、使役する異形兵に怯えながら、逃げ出すことも許されず、独りきりで戦っていた千年前の彼。
「……君は、寂しくはないのか?」
言われてリュールは一瞬顔を強張らせたが、すぐに笑みを湛え、「寂しくありませんよ」と言った。
ああ。君は自分で気付いていないのか。
「ならば、なぜ、君は泣いているんだ」
「え……」
リュールは自分の頬に触れ、不思議そうに手に付いた液体を見た。
「ち、違うんです。これは目にゴミが入っただけで」
「神竜様……、嘘はつかないで欲しいと言ったはずだ」
「ち……、ちがう、ちがうんです…! これは……これは……」
ぽろぽろと赤青の瞳から止めどなく涙が零れる。
神竜様が流せば涙も宝石のように綺麗なのだな、とディアマンドは思わず見惚れてしまったが、彼が見たいのはこんな哀しみに満ちた涙ではない。こんな涙など見たくないのだ。
ディアマンドはリュールの正面で膝を付いた。
「神竜様。私を君のパートナーにしてくれないか?」
「……何を言って……」
「慰み者でいい。私は人間だからそんなに永くは付き合えないと思うが、後6,70年くらいは生きられるだろう。その間だけでも君の寂しさを埋めさせて欲しい。私が死んだら、別の者をパートナーにすればいいから」
驚きに涙が止まる。リュールは信じられない思いでディアマンドを見た。
真っ直ぐにリュールを見つめるその目に嘘はない。
嘘偽りなく、彼は自分のパートナーになると言っているのだ。こんな嬉しいことがあっていいのだろうか。
けれど、頷きたい気持ちを振り切って、リュールは首を横に振った。
「ディアマンド……それは……いけません」
「なぜだ?」
「私はあなたにそんなことを言ってもらえるような者ではないんです」
「どういうことだ」
「…………懺悔を、します……」
そう前置きをすると、リュールはポツリと話し始めた。
一年前、デスタン大教会での戦いの話だ。
邪竜ソンブルと邂逅を果たしたリュールの胸の内にあったのは……。
「私は邪竜ソンブルに恐怖を感じませんでした。もしかしたら敵だとも認識出来ていなかったのかも知れません。味方を不利な状況へ追いやったこと、指輪を奪われたことをあなたは自分の責任だと言いましたが、違います。私が警戒を怠ったのです。なぜなら、私は邪竜ソンブルに対し『親しみ』を感じていたのですから」
「し、た…しみ…?」
「はい。私はあの時から自分が神竜ではないのではないかと疑っていたのです。いえ、はっきり言いましょう。私は自分が邪竜なのではないかと半ば確信していました。……本当はもっと早くに気付けたはずでした。モリオン王が私と戦いたいと言われた時に、私は自分が竜になれないことをもっと疑問に思うべきだったのです。記憶がなくても、剣での戦い方は身体が覚えていました。ならば、竜へのなり方も身体が覚えているはずなのです。ですが、私は竜になるのに竜石が必要であることすら知りませんでした。ですから、その時は竜になれないのは私が竜族でないからと、竜族であるか否かを疑問に思っていたかも知れません。竜になれない竜族もいると知ったのは後々のことです。しかし……」
ある光景を思い出し、リュールは顔を歪ませた。
邪竜の姿には親しみを感じたのに、あの時見たあの竜に自分は……。
「私が目覚めて間もない頃、ソラネルより神竜王城に向かう最中、私と守り人は異形兵の襲撃に遭いました。マルスの力を借り何体かは何とか仕留めましたが、次々と湧き出る異形兵に為す術もなく追い詰められた所に、白い竜が現れて助けてくれました。神竜ルミエルです。けれど、私はその竜に対して恐怖を感じたのです。私も神竜であれば……、あるいは神竜でなくとも神竜側に属していた者であれば、恐怖など感じるはずもないというのに……」
ディアマンドは驚愕に言葉もない。
「始めから…、始めから、私は気付いていながら気付かないフリをしていたのです。気付いていたのならもっとやりようがあったはずです。モリオン王を亡くすこともなかったかも知れないのに……。私のせいで、ごめんなさい」
リュールの話を聞き終わり、ディアマンドはようやっと合点がいった。
「そうか、君が思い悩んでいたのは、……そういうことだったのか」
記憶をなくし、右も左も分からない状態で、目の前のことを片付けるだけで精一杯だったろうに、そんなことをリュールは思っていたのか。
(全く、この方は―――)
他人の事ばかりで、自分の事を顧みないにもほどがある。
「神竜様は、そんなに早くに自分が邪竜だと気付いていたのに、どうして神竜側で居てくれたんだ?」
「……は?」
「ルミエル様は崩御され、我々神竜を崇める人間側は圧倒的に不利だった。邪竜側に付けばきっと楽に勝てただろうに。どうしてそうしなかったんだ?」
「……母さんの遺言でしたから」
「それだけではあるまい? 君は自分が納得しないと動かない性質だろう?」
「…………。……邪竜の側に付くだなんて考えもしませんでした」
グリによって自分が邪竜の子だと判明した時ですら、リュールは邪竜側に寝返るという発想が出なかったほどだ。
「私はただ、皆が傷付くのが恐かっただけです。邪竜によって町や人々が蹂躙されていくのを黙って見ていることなど出来ませんでした。私に神竜の力があるのならばその力で皆を守りたいと思ったのです」
「そうか。そうなのだな。やはり君は邪竜ソンブルとは違うじゃないか」
どこまでも優しく、いつくしみ深い。
だからこそ、あなたは「神竜」なのだ。
「人間の立場から言わせてもらうと、君には感謝しかない。それも君にとっては当たり前だと言ってしまうのだろうが……」
我々には彼しかいなかった。彼しか皆をまとめ上げれる者はおらず、彼の想いがなければ邪竜ソンブルを討ち果たすことも出来なかった。
リュールが居たからこそ勝ち取ることの出来た平和であり、リュールが居るからこそエレオスがある。
「先程、君は『あなた達の世界』と言っていたが、違うぞ。『あなたが統べる私達の世界』だ。このエレオスを統べる王よ。王ならば少しくらい己が望みを叶えてもいいのではないか?」
否定の言葉を口にしようとするリュールの口に、ディアマンドは悪戯っぽく人差し指を当てた。
「神竜様。どうか本当の気持ちを教えてくれ。寂しいのは嫌だと私を望んでくれ」
「ディアマンド……」
尚も躊躇うリュールに、ディアマンドは両手を広げてみせた。
「おいで、神竜様。君が好きだ。君をあたためたい」
その誘惑にはリュールは勝てなかった。堪らずリュールはディアマンドの胸に飛び込んだ。
「さびしい、です……! さびしいのは、いや、です……。でぃあまんど、そばにいてくださいっ…」
「よしよし……」
「うっ、う……ひぐ……」
抱き締めて頭と背中を撫でてやると堰を切ったように泣きじゃくり始めたリュールを、ディアマンドはずっと撫で続けた。
しばらくして、嗚咽の合間にリュールは言葉を発した。
「一年前、あなたは何も言わず私を抱き締めてくれましたね。嬉しかったです。頼ってほしいと言ってくれたこと、忘れていませんよ。私はあなたのおかげで前に進むことが出来たのです」
「頼るのがちと遅すぎる気もするがな」
「う……すみません」
しおらしく項垂れるリュールの髪をそっと撫でた。
ずっと触りたかった髪だった。さらさらとした感触が手を通して伝わってくる。
リュールは気持ち良さそうに目を細めさせ、また言葉を紡いだ。
「私が邪竜の子だと判明した時、支えると言ってくれましたね。嬉しかったです。私を本当の神竜にしてみせると言ってくれて、私がどれだけ嬉しかったか分かりますか。それから、私が異形兵になった時あなたは―――」
言葉は途切れ、やがて寝息に取って代わってもディアマンドはリュールを撫で続けた。
* * *
鳥のさえずりに、リュールは薄っすらと目を開けた。
とても頭が痛い。なんでこんなにも頭が痛いのだろうと、よく回らぬ頭で視線を彷徨わせた先に、リュールは見慣れぬ物を己の左手に見つけた。
薬指に見知らぬ指輪が嵌まっている。
黄金の地金に、石座に石はなく代わりにブロディアの国章が刻まれていた。
誰が贈ったのか嫌でも分かるあまりにも自己主張が強い指輪だった。
「気に入ってもらえたか? 私からのプレゼントだ。誕生日おめでとう、神竜様」
「……ありがとう…ございま…す?」
リュールは背後から半ば羽交い締めのような形で横抱きにディアマンドに抱き締められていた。
後ろから伸ばされた手が指輪を確かめるようにリュールの左手を撫でる。
「ディアマンド……指輪を贈る意味はご存じで?」
「無論だ。結婚してくれ、神竜様」
「…………」
呆然として言葉が出ず、しばらくしてから「指が重いです……」と呟いたら、「純金製だからな」と弾んだ声が返ってきた。
「それで、返事は?」
「……ちょっと時間をもらえますか…。私の一存では決めかねます」
「構わないが、なるべく早く頼む」
「相談するだけなのでそんなに待たせはしませんが…………というか! 結婚? 結婚ですか!?」
頭がようやっと回ってきてリュールは大声を上げた。
「あなたは私と結婚するつもりなのですか!? 昨夜、世継ぎの話をしましたよね?? あなた、世継ぎはどうするつもりなんですか! ……まさか、国を亡ぼすつもりではありませんよね?」
「ああ、そこはスタルークに任せようかと…」
「それは、スタルークは了承しているのですか?」
「いや……、まだ何も話してないな」
信じられない、とリュールは飛び起きた。
「ではそちらの方が先でしょう。それと、ご親族の了解は? あなたのところは議会制でしたよね? 議会の承認は得ているのですか?」
「……それもこれからだな」
「はぁ…。それでよく私にプロポーズしましたね」
「これでもずっと機会を窺っていたんだ」
「窺っていただけですね。出直して来て下さい」
私はブロディアを亡ぼした王配になるつもりはないと、リュールは会話を切った。
けれど指輪を外すことはせず、立ち上がると、ディアマンドに祭壇まで来て欲しいと言った。
祭壇の傍のチェストを探り、目的の物を手に取ると、リュールはディアマンドと向かい合った。
「左手を出して下さい。あなたにこれを」
「……いいのか?」
リュールが手にしていたのは約束の指輪だった。
「私のパートナーになってくれるのでしょう? なら受け取って下さい」
ディアマンドの左手薬指に青い石の美しい指輪が嵌められた。
「それと、一つ言っておきますが。あなたが死んでも私は新たにパートナーをつくるということはしません」
「それでは私が死んだ後寂しくなるのでは…?」
「そうなるかも知れませんし、ならないかも知れません。ですが、私が隣にいてほしいと思う人は…、私が隣にいたいと思う人はあなただけです。ディアマンド」
「神竜様…!」
堪らずディアマンドはリュールを抱き締めた。
「神竜様、今すぐ結婚してくれ! 抱きたい…!」
ちょうどすぐ傍には祭壇という名の寝台がある。
リュールは抵抗する間もなく押し倒された。
「ディアマンド! 性急過ぎますよ! ディアマン…んっ」
唇を塞がれる。リュールのファーストキスだった。
ファーストキスなのに、舌まで侵入してきた。
口付けられたまま服に手をかけられる。
(あああ、私このまま抱かれてしまうのでしょうか…っ)
と、天を仰ぎ見た時、バタンと扉が勢いよく開いた。
「神竜様、おっはよーございます~~!! 起きてらっしゃいますか~~~!!」
ああ、なんてお約束。
けれど今はとても有難い。
「って、きゃー!! し、失礼しましたーーー!」
惨状を見て、フランは部屋からすぐさま飛び出て行ってしまったが、もたらされた隙を見逃さず、リュールはディアマンドの頬を張った。
* * *
浮遊島ソラネルは久しぶりの活気に溢れていた。
数か月前に別れた仲間達が一堂に会している。
皆、リュールを祝うために来てくれたのだ。
まさか全員来てくれるとは思わなかったと、リュールは驚いた。
リュールの背後にはうず高くプレゼントが積み上げられている。
料理が並べられ、全員に飲み物が行き渡った所で、リュールは口を開いた。
「本日は、お忙しい中、私の誕生会にお集まり下さりありがとうございます。私も久しぶりに皆の顔が見れて嬉しいです。たくさんのプレゼントありがとうございます。ですが、一番のプレゼントは皆にまた会えたことです。良ければこれからも気軽に遊びに来てくれると嬉しいです。……寂しいので」
ああ、言ってしまった言ってしまったとリュールは内心ドっキドキだ。
しかし、次に言う言葉はそれ以上のドキドキものだった。
「それと、この場を借りて、ご報告があります。わたくしリュールはこの度パートナーをつくりました。紹介します。私のパートナー、ディアマンドです」
驚きの声はなかった。
皆、リュールの左手薬指に大変主張の強い指輪が嵌められていることに気付いていたからだ。
リュールと、その隣に並んだなぜか片頬を手の形に腫れさせたディアマンドに、惜しみない拍手が送られた。
一月後、スタルーク含む親族の了承と議会の承認を引っ提げて、再度ディアマンドはリュールにプロポーズをし、無事承諾されることとなる――。
終。
自分の誕生日=リュールの誕生日なので自分のために書きましたパート2。
伏線回収出来てない所がありますが、力尽きました。
後で追記するかもです。
リュールが幸せであってくれればなんでもいいです。