捕縛 縄で拘束した手首を強く縛り上げる。
自分でどうでもできる力がある悟が私に抗わずにされるがままになっていることに優越感を感じ、
しかし渇きは止まらない。
縄を握る手に力を入れて一層強く引けば、白い肌からじわじわと血が滲んできた。
私はそれに躊躇いなく口を付けた。
誰のものとも変わらない鉄の味が口に広がる。
顔を上げると、何ともない風を装っているであろう顔が存在している。目元はマスクで隠されている。
表情を窺うことは叶わないが、おそらく冷めた目で私を見下ろしているだろう。瞳の奥に欲望を宿しながら。
禁欲的だと言われる。これは私の話だ。
教祖として袈裟に身を包み、老若男女分け隔てなく接する。
逆に悟は我慢が効かない、好き放題やりたい放題。
人に迷惑をかけてかき乱す。
私達は似ているようで正反対だ。
人に思われるものとは真逆。
私は目的で欲を満たすために禁欲を装い、悟は満たしたい欲を我慢する代わりに横暴に振る舞う。
それを見て私は思うのだ。
どちらも我慢せずに欲を満たせばいい、と。それだけの力があるのに何故そうしないのか、と。
目元を隠したところで隠しきれない圧は余裕を感じさせる。その抑圧的な行動の下に眠る欲望にまみれた姿を映したいという私の欲。
悟は体を剥いた所で動揺はないはずだ。興奮したって不敵に嗤う。十年前だってそうだった。簡単に変わりはしないだろう。
傷だらけにした肢体。
ここに連れてくるまでに私の家族がいくらか悟に傷をつけた。無限を敢えて解いてそうしたことの意図は私には分からない。
動揺を誘うためか。今も拘束具は彼には意味を為さないはずだがそのままだ。
縄が血で染まる。
私は流石に抵抗も罪もない男に暴力を振るうのにも飽きて縄を切っていく。
血は服をも染めていた。赤が黒を濃く濡らす。
傷に布が張り付いても面倒だろうと服もナイフを使いつつ脱がしてやる。
目の前にいる悟が身に着けるのはマスク一つだけだ。
隆起する良質な筋肉が覆う肢体があまりに無防備に投げ出されている様が可笑しくて、私は笑いがこぼれる。
そんな私の声を聞いて、悟はようやく言葉を発した。
「こういうプレイが好きとか、見た目だけじゃなく危ない大人になったんだな」
動揺が見られない落ち着いた声がする。俯き加減に座る悟の顔が私を見上げた。
「そう言う君は落ち着いているね。普通はこんなことされたら羞恥で卒倒しそうなものだが」
「脱いだって僕は芸術的だからね」
口元が弧を描き、楽し気に首を傾げる。
人を煽るのが好きなのも相変わらずだ。見下ろしているはずなのに、見下されているように感じる。
「こういうのは慣れているってことかい? 学校教師なんてやってると上から色々言われたりもするだろう」
私も馬鹿にするように言葉を発する。彼が誰かに命令されてこんなことするとは思えないし、適当に口にする言葉遊びみたいなものだ。
「どう思う?」
「君もこういう下品な冗談にも乗るようになったんだね」
「冗談、か。傑はあの腐ったミカンのことを知らないもんな」
悟は自由になった手足を体に寄せて頬杖をついた。彫刻のように様になっている姿をもっと見たいのに、その言葉の意味の真意が理解できなくて視界がぼやける。
「アイツら僕のこと人間じゃないと思ってんだよ。傷もつかないからって面倒ごと押し付けてさ」
ケラケラと笑う。何もなかったように、動揺は見られない。けど、私は動揺していた。
そんなことはない。だってこの男がそんなことを許すはずがない。
「じゃあ、触られたりもしたのかい?」
手にしたナイフの切っ先を尖った顎先に向ける。私の手は震えていた。
しかし、ナイフは悟には届かない。私と悟の間には目に見えない壁が存在している。
悟は自ら、マスクをずらし、思っていた通りの余裕綽々とした瞳が覗いた。
「傑も上の奴らみたいに僕に酷いことしたいと思ってんの?」
小憎たらしく言い放ち、悟は続ける。
「傑は僕にばっか仕事させて、特級として帰ってきてくれないから、ずっと酷い奴だな」
この世界は、私の大切なものを搾取するようにできていて、どこまでも反吐が出る。
それなのに、この美しい男は冗談めかして言葉を口にしながら、何でもないことの言うように笑うのだ。
何を考えているのか、今の私には分からない。
「ここで暫く休みでもとるかい?」
「それは断る。休んで戻ったところで仕事が山積みになってるだけだろ」
そう言って悟は手を振った。
「服よこせよ」
「嫌だと言ったら?」
「傑が破いたからだろ。渡さないならオアエの家ぐちゃぐちゃにしてありったけの服とって帰ってやる」
それはそれで愉快だと思った。
「ご自由にどうぞ」
私の声を聞いて立ち上がった悟が立ち上がり、するっと身を翻す。その腕を掴むと悟は楽しげに笑って私を見つめる。
「行かせてくんねえの?」
緩く下がったまなじりが甘く、吸い寄せられるように口付けた。
「仕方がないから今日はこの辺で勘弁してあげるよ」
「それはこっちの台詞」
言葉が終わるころにはもう悟はいない。
自室に戻ると、部屋は出たままの片付いた状態で、たった一つ、布団の上に置いておいたスエットだけが消えていた。
柔らかい唇の暖かさを指でなぞる。
「触れられたくないのか、触れられたいのか、はっきりしろよ」