明けた秋の夜「どーもぉ」
水色の、まるで空のような髪を揺らして革張りのソファーへ座る男。その顔面は甘く幼子のようだが、長身であるがゆえにギャップが発生して人気なのだろう。出勤した日の指名数はダントツである。
ただ、出勤が不定期なためナンバーワンにはなれずにいる。しかし本人はさして気にしていないようだ。
「なにか飲む? ボトルだって入れちゃうよ?」
「んー、俺オレンジ」
「え〜? お酒じゃなくていいの? 環くんかわいい〜」
「オレンジもたけーよ? 俺専用価格だから」
彼は笑いながら言う。それでも彼女の入れたがったボトルより何倍も安い。足を組んで飲むオレンジジュースは、どんな高級ウイスキーより高級に見えたことだろう。
甘い顔で女性に言葉を放ち、時折肩を抱いて距離感を縮めてくる彼。しかし彼──四葉環には秘密がある。誰も知らない、秘密が。
それは深夜、店も閉まった朝方である。他のキャスト、スタッフが帰ったあと、環はそこにいた。バックヤードの事務机に。
「そーちゃん」
「ふふ、今日もお酒飲めなくて可愛かったよ」
「……だって!」
そーちゃん、と呼んだ男は逢坂壮五。なにを隠そうこの店のオーナーである。いくつか経営する店のうちのひとつで、ファミリーレストランやクラブ、小料理屋などが系列店にある。そんな彼がわざわざ店に来る理由はただひとつ。環の存在だ。
「強がらないで未成年だって言えばいいのに」
「なんか……それはシャクじゃん。こんな店にいるのにさ」
環の秘密。それは女を魅了してやまない存在がまだ、未成年だということ。客との会話で年の話をするわけでもないから、おそらく誰もが成人済みだと思っていることだろう。高校は卒業しているため違法ではないが、その代わりに飲酒ができない。できないということは酒の場で稼ぐ手段が乏しいということだ。
なにもこの店でなくともよかった。良かったはずなのに、環は手っ取り早く稼げるこの店、この職種を選んだ。
「じゃ、車出すから店の前で待ってて」
「ン、ありがと」
お礼を言うも、帰る場所は同じである。環が店で働き始めて半年が経ったつい先日、家に引きずり込まれたから。その表現は語弊があるが、概ね間違ってはいない。
それは環の住まうボロアパートの大家が、深夜の水商売に難色を示したと愚痴ったら、それならうちにおいでよ。そんな誘いかたをされたのだ。
駐車場から車を出した壮五は店の前で待つ環を車に乗せ、家へと走らせる。それなりの有名店を経営するだけあって、グレードの高いマンションに住んでいるのだが、環は未だに、自分がそこに帰っていくということに慣れずにいる。今だけ、住まわせてもらってるだけ、そんな思いで暮らす家なのだ。
だからエレベーターのボタンを押すのも、部屋の鍵を開けるのも、環の仕事だと思っている。壮五はそんなことを頼んできたことはないのに。
「環くん、君はまた……」
「だって、いそーろーなのになにもしないのは無理……」
「まったく……」
ただ、住まわせてもらっているから、という理由だけではなくなっていた。自分が彼にそうしたい、こうしてあげたい、そんな気持ちが混ざり始めていたのだ。
自分より何倍も生活力があり、資金力もある。店がひとつ潰れようと、なんの苦労もしないだろう。しかし環は、出勤しなければ給料は出ないし家事も苦手だ。彼を支えるにはどう頑張っても弱すぎる。
二人は並んで歯を磨き顔を洗い、交互にシャワーを済ませる。朝とはいえ、そもそも起きる時間の遅い二人にとってまだ眠るような時間ではない。
「そーちゃん」
「ん?」
「よんだだけ」
世間一般とは違う世界で、世間一般とは違う暮らしをしていることは間違いない。だが、環はこの時間が好きだった。だからこの家に来て稼ぎが増えても、ここを離れようとはしない。
その理由は不確かだが、いつかなにか、わかるはず。それまではただこの時間を享受していたい。ただそれだけを願い、感じることのない長い秋の夜を、ただぼんやりと過ごす。