紐解く ドン、ガシャン。
裏のガレージから大きな音がしたのは、オレが閉店作業をしている真っ最中だった。不良の世界から離れて久しいが、ここを訪れるのは一般人以外に、そういう奴も多い。もちろん昔の仲間だったりその連れだったりもするが、どこからか噂を聞きつけて集まる、新時代の不良たちも最近では多くて。
まるで真一郎くんの店と同じだ。彼の黒龍を求めていたオレにとって、それは喜ばしいことだった。やんちゃな奴らの集まれる場所、それがオレの始まりだったんだから。
だから、どうせそういう奴なんだろうなと思った。ちょっと暴れて、それでガレージのシャッターにぶつかって。どうせ見たことある顔だろう。オレはなんの警戒もなくガレージへ行き、シャッター脇にある勝手口から外に出た。
今日は、ずっと雨が降ってる。店の中からも聞こえるくらいうるさくて、台風でも来てるんじゃないかと思うほど。常連なら少し雨宿りでもさせようかと、シャッターにもたれかかる存在に近づく。
だが、それは見たことがなかった。雨に濡れた長い銀糸は随分と重たそうに地面に向かって垂れているし、羽織ったコートの先から出ている足は細く、女か、と一瞬思った。
それは一瞬。顔を上げたその存在は、見間違うわけがない。十二年という長い歳月を違えた存在。それまではいつだって、一緒にいたのに。
「……コ、コ」
顔を上げた存在は、ぼんやりとオレを見つめた後、ようやく気がついたのか目を見開いた。そして、そのまま意識を失った。
倒れる前になんとか体を支え、その身を抱えた。自分が濡れることなんて構うわけもなく、背負ってなんとか店の中に入れる。仮眠スペースのある二階に運ぶのは重労働だったが、重いガラステーブルを運ぶよりは雑に扱えたからまだ楽だった。
仮眠スペースとはいえ、あるのはソファーとテーブルと冷蔵庫、狭い風呂場程度の設備だ。オレはココをソファーに下ろし、座らせる。濡れたコートを脱がして、風呂場から持ってきたバスタオルで髪を拭ってやる。
ただ伸ばしているだけだと思った髪は、そうではなかった。左側頭部は十二年前と同じように刈り上げていて、その真ん中あたり、には墨が入ってた。見たことある。数日前に解散し消滅した反社組織のマークだ。
「……梵天……」
この十二年、ココは一切姿を表さなかった。そりゃ、反社組織の人間なら会いには来ないか。だが梵天は警察も正体を掴みきれていないほど、内部構成が不明だとニュースでも言っていた。特に幹部は、名前すらわからないと。わかっているのは首領が佐野万次郎ということ。あと兵隊ばかり。
佐野万次郎、マイキーが首領ならココは幹部である可能性が高い。ココと道を違えたのは天竺との一件の後だ。あのときマイキーの元へ行ったなら、つまり、そうとしか思えない。
そもそも梵天のマークには覚えがあった。元八代目黒龍総長であり、横浜天竺総長の黒川イザナ。アイツが耳につけていたピアスの柄だ。ニュースでそのマークを見たときはありきたりなものだと思っていたが、首領がマイキーだと知った瞬間、イザナの意思を持った組織なんだろうな、と思ってはいた。
そして、ココがいた。つまり梵天は天竺の続き、なんだろう。ここまで想像しておいてなんだが、反社組織と関わろうという気は一切ない。オレはもう、カタギの人間だ。ただのバイク屋、しがないアラサーというやつで。
だけど想像するのも、コイツのせい、だった。オレとは関わりのない世界が違う組織にココがいる。それだけで十分関わりがあった。オレは十二年、ココのことを忘れたことなんてない。忘れればよかったんだ。だけどできなかった。だからこうして、部屋に連れ込んで。
「……ン……」
漏れた声に髪を拭う手を止めれば、ココが目を開いた。驚いている。だからオレは、言ってやった。
「お客さん、店に用なら開店中に、表から来てくれねぇか」
少しだけぶっきらぼうな声になってしまったと思う。仕方ない、十二年、会ってないんだから。
「……そう、だな、次はそうする」
「ああ」
次があるのか、オレは胸の奥がうずいた。だが今はまだそれを問うタイミングじゃないと思って、俺オレ止めていた手を再び動かした。濡れた髪は、まだ濡れたままで。
「……なにやってんの?」
「濡れてたから」
「じゃなくて、なんで、オレのこと家に入れてんの」
「家じゃない。店の二階だ」
オレがココの質問に答えて返すと、大げさな溜め息をつかれた。そんなに呆れなくてもいいのに。なにも言わないのはそっちじゃねえか。
向けていた視線がオレの思っていたことを話したのかもしれない。ココは「なにから話せばいい」と呟いた。まずオレは聞いた。「飯は食ってるのか」と。
「十二年ぶりに会ってそれ?」
「さっきおぶったらめちゃくちゃ軽かった。多分異常なくらい」
「あー……気をつけてはいたんだけど。どうしてもほら、忙しいとサプリとか、そういうのになるじゃん……」
「オレもドラケンも、飯はちゃんと食う。忙しくてもな」
「あ、そ……」
自分の状況が受け入れてもらえなかったことにショックを受けたのか、ココは大きく肩を落とした。そんな姿も久しぶりだから、内容はどうあれ、心の中はホッとしてる。
「……オレ、反社にいたんだ」
うつむいたまま紡がれる言葉。話すのか、と思いながらもそれは口にせず、溢れる言葉を逃さないようオレは神経を集中させた。そしてはた、と、その言葉が過去形であることに気づく。ココはオレの反応から問いたいことを感じ取ったのか、「それを今から話すから」と笑った。
「首領が、……ああ、マイキーな。マイキーがさ、もうやめるって言って。それからあっという間だった」
「は、反社ってそんな簡単にやめられんのか……?」
まるでバイト辞めてきた、のノリで反社をやめたと言われても困る。警察が血眼になって探す、日本の裏をすべて牛耳ると言われてる組織なのに。そしてそんな組織にいたココ。赤音を救うために得た金稼ぎの技術を買われ、そうしてココは裏の世界に足を踏み入れた。それが、オレたちの道を違えた。
「もちろんそんな簡単じゃねえよ? カタギイヌピーに話すのははばかられるようなことばっかりでさ」
「……ココがオレより暴力的になってる……」
「ま、反社だし……」
苦笑いを浮かべるが、それを免罪符に使わないでほしい。ここが望んでそうなっていないことくらいわかる。オレは、ココのことならなんでも分かる、はずだったから。
それから少し、静寂。ココはオレの身体に少しだけもたれかかって来た。そうしたことなんてないのに懐かしい気持ちになるし、昔より細くなった体に腕を回したくなった。
だが、どこまでを許されているのかわからなくて、オレはそうできなかった。そうしていたらココがもう少しだけ、オレに寄り添ってきた。まるで、甘えるように。
「最期に、」
「……え?」
「会いたくて、来た」
オレは、ここからオレたちが新たに始まるんだと思っていた。それなのにココはサイゴ、という。そんな思惑、絶対に認めたくなかった。もたれかかるココの体に腕を回して抱きしめる。許されるかどうかなんて、関係なかった。
「……嫌だ、ココ」
「だめなんだって……、オレの手は、もう汚れきってる」
「それでも!」
ココがオレを抱きしめ返してくれないのは、オレだからとか、男同士だとか、そんな理由じゃなかった。そんな理由のほうが、まだ良かった。
体を離して、オレはココの手を取った。汚れてなんかない、きれいな手だ。オレの姉を愛し救おうとしてくれた手。オレと花垣を守るために自らを賭した優しいココ。なあ、そんなオマエの手が汚れてたって、誰がオマエを非難できるんだよ。
「いいよ、それでも」
「っ……イヌピー……!」
「オレの、そばにいてくれよ、ココ……!」
もう離したくなかった。もう、離れたくなかった。オレはずっとオマエだけを好きでいて、オマエだけを愛していたから。十二年、長い歳月をかけて、この想いは熟した。もう二度と会えないとしても、ずっと想い愛し続けていた存在が、目の前にいてどうして手を離せるというのか。
「会いたくて、会いに来てくれたんだろ。それでどうして離れる選択肢が生まれるんだよ。自分の気持ちに素直になればいい、オレみたいに」
「……イヌピー、随分、喋るようになったな」
「接客してるからな」
「はは、関係ある? それ」
そう言って、ココはオレの体に触れた。抱きしめるにはまだ程遠いそれ、だけどたしかに、オレたちの十二年が埋まったような気がした。
オレたちはまた、ここからそばにいられる。だからオレは、ココにこの言葉を送りたいと思った。
「ずっとずっと、愛してた。これからも、ココをずっと愛していたい」