タイトル未定『俺はお前とは違う』
正真正銘初対面でそんなことを言ってのけた男、冨岡義勇は今神妙な面持ちで七色に染まったかき氷を見つめている。
普段はほぼ動かない表情筋がわかりやすく神妙という形で固まっている様はなかなかに小気味がよく、謎の達成感があった。
約1ヶ月前、実弥の世界は変わってしまった。
というのは極端は言い方だが友人からは最近イライラしてない?ビタミンB取りなよと言われ、妹からは顔がいいは正義なんだよと言われ、母親からは実弥は本当に面倒見がええんねと言われ……。
全ては向かいのマンションに越してきた冨岡一家、引いては冨岡義勇に起因している。
細かい事情はあるのだが簡単に言ってしまえば冨岡さんちの義勇くん実弥と同じ高校に編入するんやって、越してきたばかりでこの辺のこともわからないし色々教えてあげたらどう?ということだ。
今日の夏祭りもその一環であるのだが、冨岡は相変わらずの人を見下す傲慢で、何を考えているかわからない宇宙人でいいところを上げるとすれば顔だけ。
それは変わらないはずなのに冨岡は今実弥の見たことのない顔をしている。
それはそうだろう。同じ高校だとしてもクラスは別、廊下ですれ違っても華麗にスルー。なんならその立ち振る舞いからあっという間に孤高の王子様などと言われクラスでは浮いているらしい。
実弥はあくまでも母のおせっかいに付き合っているだけのそれだけの関係。
深入りするつもりもなければどうこうしてやるほどお人好しでもない。
だが完璧ですが何か?みたいな顔をした冨岡が夏祭りのシロップかけ放題のかき氷すら知らないことに好奇心、そういう類のものが顔を出したというのもまた事実。
佇んだままの手を握って引いた。
振り払われるだろうと思っていた手は思っていたよりずっと熱くて湿っていて、予想に反して大人しく実弥の手のひらに収まっている。
きっと動揺している、そう考えると悪くない。
「楽しみ方教えてやるよォ」
左から順にいちごにメロンにレモンにコーラ、かけるごとに動揺で揺れる声に自然と口角は上がる。
なんなら後ろでごちゃごちゃと冨岡が過去一声を張っている。
だからもう全ての味をコンプリートする勢いでシロップをかけた。
色のバランスも悪くない、我ながらなかなかの出来栄えではないかと思う。
「ほらよォ」
振り返って見た顔はまさに傑作で神妙と顔にそう書いてあった。
冨岡はおずおずとかき氷を受け取ると神妙な顔のままぎゅっと眉間に皺を寄せる。
普段であれば見下してんのかァ!?となる動作なのにそれがやはり悪くなくてだからこそ魔が差した、という表現が適切なのだろう。
暑さのせいもある。最高気温37℃の太陽はいけすかないとか何でこんなことしているんだろうとかそんな余計な思考を削ぎ落とす。
きっと真剣さ故に幼くすら見える表情に7人兄弟の長男としての顔が出てしまったのだ。
「めんどくせぇ、アーンしろ」
冨岡の疑問符のついた小さな声の意味を理解するのに約2秒、時が止まる。
これ以上体温の上がりようがないくらいなのにそれでも顔がカッと火照るのを感じる。
アーンしろってなんだよ。言い訳のしようもねぇじゃねぇか。
冨岡はといえば鬼の首でも取ったかのように嫌味でも言うかと思えばかき氷の方がよっぽど大事なようで、揶揄うでもなく素直に小さな口をぱかりと開ける。
会ったことはないが歳の離れた姉がいることは母から聞いている。だからこういうことには案外慣れているのかもしれない。
甘やかしすぎはよくねぇと思いますという気持ちとでもこの顔だもんなという気持ちが交差して何故だか冨岡の解像度が上がる。ふざけんなクソがァ。
餌付けなんてふと浮かんでしまった言葉を誤魔化すように冨岡の口にストローを押し付けた。
冷たいと文句を言う冨岡にもう一口、もう二口……上目遣いの圧に手元が狂うが知ったこっちゃない。80パーセントは冨岡が悪い。
「お前それでどうしてベタベタになんだよ!?」
結果として色々なものを棚に上げたままウェットティッシュを取り出してベタついた口周りを拭ってやった。
それにしても何故口を拭かれるのに目を瞑るのか、そのまつ毛の分厚さはなんなのか。
やはり冨岡は宇宙人なのかもしれない。
「茶色になってしまった」
そんなことをしているうちにほとんど溶けてしまったかき氷を見下ろして冨岡がそんなことを言う。
うちの3歳児と言っていることは変わらないが、さっきまで稼働していた表情筋は鳴りを潜め絶賛スンとしている。
「いいこと教えてやろうかァ?」
これは深い理由なんてない、あえて言うなら好奇心の延長。
「かき氷のシロップって実は全部同じ味らしいぜ?」
冨岡が静かに、だが確かに目を見開く。
これは優越感というやつなのだろうか。
とにかくにもやっぱり悪くないと思うわけだ。
人間とは恐ろしいもので一度嫌いと思えばそういうフィルターがかかるし、悪くねぇと思えばそういうフィルターがかかる。
何が言いたいかというと絶賛実弥の中の冨岡感が揺らいでいるということだ。
まぁ初対面の相手に俺はお前とは違うなどとのたまうやつなのであくまでも可能性の話だ。
相変わらず表情は滅多に動かないし思考回路は理解不能、だからこそたまに見せる変化がグッとくるわけだがそこは追求しないでおこう。
だがお綺麗な顔を実弥にだけ歪めるのがイイなんてそういう趣味でもあったのかと悩みに悩んだのが最近のダイジェストだ。
断じてそんな趣味などないが結局自分からファミレスになど誘っているのだからそれが答えなのだろう。
思っていた通り冨岡はファミレスに慣れていないらしい。
メニューを一通り見るまでもなく焼き鮭定食に決める判断の早さは見せたが、表情を変えないまま店内の様子を伺っているのがわかる。
お高くとまりやがって半分、あの冨岡がということにほくそ笑みたい気分半分。
今は土曜日の14時台。
同じような駄弁り目的の客でそれなりに店内は賑わっている。
実弥は駄弁りとはいえ長居をするつもりはないのでさっさと今日の目的を果たすことにする。
「ドリンクバー奢ってやるよ」
そう、今日の目的はドリンクバー。
かき氷のシロップかけ放題に神妙な顔をしていた冨岡は果たしてファミレスのドリンクバーにはどんな反応をするのか、興味がある。
店名で確認をしたところ行ったことないと言っていたし、仮にドリンクバーという存在を知っているとしてもジュースを混ぜるという発想はきっとない。
すまない、なんて武士のようなことを言う冨岡を引き連れてドリンクバーコーナーへと向かった。
各種ジュースのサーバー、コーヒーを扱うサーバー、緑茶や紅茶などのティーパック、実弥からしたら見慣れた光景であるが冨岡にとってはどうなのか。
「何飲むんだ?」
「烏龍茶だが」
「あっそォ」
聞いといて何様という返しだが何を言っているんだ?とでも言いたげな反応がお高く止まりやがって岡すぎるので情状酌量の余地はあるだろう。
言い方とそれに伴うリアクションをなんとかしろ。そういうところだよクソがァ。
お綺麗な顔は大いに結構だと思うがそれだけではやはりつまらない。だからこその楽しみを実弥はもう知っているのだ。
「俺のおすすめ飲まねぇ?」
「結構だ」
反射的に凶悪になる顔面を取りなしてなんとか言葉を搾り出すもにべもない。
友情は別段ないが努力(忍耐)、勝利だ。耐えろ。
「いいこと教えてやるよォ」
「いいこと……とは」
少しだけ揺れる語尾に再び顔面を取りなす。
「やっぱわるいことかもしんねぇ」
「どういうことなんだ」
グラスに氷を入れ手始めに冨岡希望の烏龍茶を少し入れる。そしてオレンジジュース、カルピス、ジンジャエールの順に注ぎ足し冨岡に手渡した。
「奢りだけど味は保証しねぇぞ」
「どういうことなんだ……」
「どういうことなんだろうなァ」
小粒な氷がグラスを傾けるのにあわせてカラカラと音を立てる。
上を向くのに従いあらわになる喉仏に知らず視線を向けていることに気付いて思わずそっぽを向く。
俺は一体何がしたいんだ、ふと自問しては考えるのをやめるこの問い。
深く考えたら負けだ。そもそと同性の同級生と一緒にファミレス行くくらいでそんなもん必要ねぇ。
「感想は?」
「飲んだことがない味がする」
元より冨岡に食レポなんて期待していないが、あまりにも冨岡らしい感想に思わず吹き出しそうになる。
いや急に芳醇な香りがとかそれぞれのハーモニーがとか言い出しても無理だが。
雑に咳払いで誤魔化して吸い込んだ息を感嘆の声として吐き出した。
「へぇ」
「……美味くはない」
突然の追い討ちだ。
不味いと言わないあたり育ちの良さが垣間見えるがそういう問題じゃない。
無理やり飲み込んだ空気で喉が熱くなる。
「未熟ですまない」
「んな不味いもん飲んで未熟もなにもねぇだろォ」
その不味いものを飲ませたのは実弥なのだがここは一旦棚に上げておく。
やはり冨岡は宇宙人で前世はきっと侍か何かで実弥とは物事の物差が違う。
だから知りたいと思う。つまり結論は好奇心、俺はなにも間違ってねぇ。
「ほら、口直しやるよ」
実弥の目の前には期間限定お店一押しのクリームたっぷりプリンパフェがある。なんとその高さは約25cm、男子高校生の胃袋も納得のサイズ感である。
無意識にあーーんしてしまったのには目を瞑ることにして、相変わらず無防備に開けられた口内にパフェを突っ込んだ。
◇
クラスに転校生がやって来る。
担任が知らせる前からどこからか広がるそんな噂。
今日転校生来るらしいよ、すごいイケメンなんだって。しかも海外帰り!進学校で私立でもある我が校に編入してくるくらいだからきっと頭もいいしお金持ちだよ。
匡近だったら白目を剥いてしまいそうな前評判だ。ハードルが高すぎる。
担任の先生の転校生がいます、入ってきなさいなんてお決まりの文言に騒つく教室。なんならまだ見てもいないのに上がる女子の黄色い声。
転校生とはありふれた日常に変化をもたらす貴重な存在である。期待したくなるのもあれこれ言いたくなるのもわかる。だが鬼ようにハードルを上げられた後では悲劇でしかない。
それなのに同情と共に向けた視線の先にいた転校生は驚くことにそのハードルなんて簡単に飛び越えていたのだ。
女子の声にかき消されたが思わずうわぁなんて情けない声が出た。
だってイケメンなんて表現じゃ足りないほどの美少年。いや性別を超越した美しさというのか儚い、儚い男子高校生ってなに?未亡人?匡近の日本語力では表現できそうにない。
少なくとも匡近の周りにはラーメン牛丼二杯は余裕、炭水化物と肉は正義、日々女子のスカートに一喜一憂するような野郎ばかりである。
小さな顔も大きく切れ長の目も、それを取り囲む恐ろしいほどのまつ毛も人間としての作りが違う。実はモデルなんですと言われても納得しかしない。
担任のチョークがカッカっとリズミカルに動いて黒板に名前を記していく。
『冨岡義勇』、へぇちょっと古風な気もするけどかっこいい名前。
続けて自己紹介、じゃ冨岡くんよろしくねに続く声はなんなの?完璧なの?と言いたくなるような落ち着いていて透明感のある声。
すごすぎてもう嫉妬が生まれないレベル、だって同じ土俵とかそういう話ではない。
だがクラスの女子から飛び出した『好きなタイプは?彼女いますか?』なんて早速のアピールへの返しはなんというか大物だった。
「烏滸がましい」
表情一つ動かさず冨岡くんはそんなことを言ってのけた。
一気に凍る空気、担任の海外暮らしが長いからなんてフォローではどうにもならない。
烏滸がましいなんて単語を実際に聞いたのは初めてだ。でもそんな発言すら説得力を伴ってしまう冨岡くん、あな恐ろしや。
良くも悪くも匡近のありきたりな日常は変わるのだろう。
こうして我がクラスの転校生、冨岡くんは伝説となったわけだ。
そんな冨岡くんだが最近丸くなった気がする。
相変わらずの無表情だし言葉遣いはアレで数々のアピールには烏滸がましい、正気か、俺はお前とは違う。でもなんだか空気が違う。
そしてまさかのまさか、匡近にはその理由に心当たりがあるのだ。
匡近には不死川実弥という友人がいる。
珍しい生まれついての白髪に目の大きさ故か見事な三白眼、弟を守るための名誉の勲章であるとはいえ顔に大きく走る数本の傷、父親譲りのガタイの良さもあってすでにあっちの界隈の人のオーラを漂わせている。
実際は家族想いのいいやつだしよく見たらまつ毛が長くて猫のような可愛らしさがあるし、実を言えば結構顔も整っている。
しかもやだあの人怖いからの実は……のギャップがえげつなく結構女子にモテたりする。
まぁ当の本人は激にぶであり恋愛音痴と言ってすらいいレベルの人間なので残念ながらそういう類の話は何一つない。
そんな実弥だが最近浮かれている。
いや本人に浮かれているという自覚はないのだろう。
だが付き合いの長さの割に妙に反りが合い、家族をのぞけば一番実弥を理解していると自負している匡近からすれば明らかに様子がおかしい。
最近浮かれている実弥と最近丸くなった冨岡くん。
世の中にはなんの関係性もないと思われる点と点が突然線として繋がることがある。
その心当たりとやらはまさにそれ。
「冨岡って意味わかんねぇよなァ」
帰り道にしみじみと吐き出された一言。
え?実弥どうした?なんの脈絡もない突然すぎる冨岡くんの登場。
転校したての頃にいけすかねぇだとか文句を言っていた記憶はあるがそれがなんかおかしな方向に進化している。
何よりその言葉に乗せられた感情というのか表情、目線。だてに女子の観察に心血注いではいない。
実弥って面食いなんだなぁなんて思わず天を仰いだ。
そして極め付けの冨岡くん。
メンタルが強すぎるクラスメイトの女子たちは今でも会話の糸口を掴もうと負けじと冨岡くんに話しかけている。
だいたいはそうか、時には暴言まがい。成果はいまいちのようだ。
それなのに——。
「なんか最近楽しそうだよね」
(狙ってるだけあってよく見てるねぇ)
「私お祭りで2組の不死川くんの一緒にいるの見たよ」
(え?何それ初耳)
「冨岡くんと仲良かったっけ?」
(詳しく、めちゃくちゃ興味ある)
珍しく目をぱちぱちと瞬かせた冨岡くんはまたもや爆弾を落とした。
「悪いことを教えてもらっている」
お茶を飲んでいたら間違いなく大惨事になっていただろう。
わるいこと、とは。
とりあえず実弥を締め上げてもいいだろうか。
あまりの言葉に女子たちも思わず言葉を失っている。それなのに冨岡くんは容赦がない。
「いや、いいことか……」
言い方!!!!とクラスメイトの何人かは心の中で突っ込んだであろう。
伏せられた悩ましげなまつ毛も少しだけ上がった口角も意味深なんてもんじゃない。
心当たりとかそういうレベルじゃない確かな方程式が匡近の中で爆誕してしまった。
まぁ当の友人は激にぶなので諸々含めて意味わかんねぇという結論に至ったのだろうが。
どうせ聞くなら黄色い悲鳴(対匡近)がいいのだが、全くこの世は無情である。
(続)