カラーの花束主の部屋を訪れる。柄にもなく、緊張する。
「……やあ」
「大般若、さん?」
主が振り返る。いろんなことがあったあとだ、真っ赤に腫れた目許が痛々しい。
「あんたに手紙を預かってきた」
「……あの、すみません。目が痛くて、今はちょっと」
「じゃあ、俺が読んであげよう」
カラーの花が好きなんだよね、と言った少女の声が頭のなかでこだまする。
その声を思い出しながら、手紙を声に出して読み始める。自分の声ではないような気がする。
* * *
その日も、目が痛い、というのが彼女の主張だった。
「とにかく眩しくて痛いし、ものがよく見えない」
近侍の前田藤四郎に手を引かれて、食堂にあらわれた彼女はそんなことを言った。確かに、彼女は黒目がひとより色素が薄く、昼間はよく眩しがる。その紙製ののれんにどれほどの効果があるのか定かではないが、光を遮断するということは、こちらからも彼女の顔がよく見えないということでもある。大般若長光の胸にはだが、違和感がよぎった。
大般若長光は起床して、すぐその姿の彼女を見かけた。この界隈ではよく見かける、だが本丸内で彼女がつけているところはほとんど見たことがない、顔を隠すための、紙製ののれんのようなもの。それを彼女がつけていた。
とはいえここは、政府から62振りが一度に配布され、発足した本丸だ。政府もはじめての試みだったがゆえに、発足して半年、実にさまざまなことが起きた。まず、自分のからだというものの新感覚、他の本丸であれば少しずつ顕現されるが一度に顕現したがゆえに他人という概念にも苦労した。一段落してからは、顔や名前、刀派をおぼえることもままならない大所帯、それゆえの混乱、衝突、果ては諍いにまで発展する。さらに平行して主の戦なれしていないがゆえの出陣での采配ミス、厨当番での抗争、馬当番での死闘、手合わせを越えた戦闘、などなど。数ヵ月でようやく形を成したが、苦労話なら枚挙に暇がない。
だから、彼女の目が悪くなり、いつもは着けないのれんをつける。そんなことも、他の本丸であれば、あるかも知れない。だが、この本丸でははじめてのことだった。大般若長光は胸に手を当てた。
「なんかここんとこ、主、現世でどたばたしてたもんな」
「……あいつ、本当にうちの主か?」
「なんだよ鶴さん、魂の匂いからして主だろう?」
「いや、似ているは似ている。だが、違う気がするんだ」
これは驚きかもしれない、と鶴丸国永が太鼓鐘貞宗に話しているところに出会した。やはり、違和感をいだくものは自分のほかにもいるようだ。しかも、鶴丸国永は、発足当時から主に好意的で、かなり親しくしていたほうだ。そのかれと、同じことを感じている。大般若長光は確信を強め、普段は訪れない主の仕事部屋に向かった。
「入るよ」
「はあい」
ひとこと声はかけたが、主は明後日の方向を向いていた。近寄って咳払いをすると、誰? と尋ねられる。
「大般若長光さ」
「ああ、大般若さん」
なにかご用ですか、と彼女は尋ねた。喋り方が平常と明らかに違う、ということはない。声の感じも、のれんのせいで少しくぐもって聞こえるが、かけはなれたそれ、というわけではない。
「なにしてるんだい」
「手紙を書こうと思ったんですけど、そもそも便箋とか、持ってたかなあって、探してました」
「そうか」
「はい」
そこで会話が途切れた。かといって、ほかに話すこともない。主と、鶴丸国永のように特別親しくしていたわけではないから、その空気に気まずささえ、ある。
「あんた、病院とか行ったほうがいいんじゃないかな」
「2、3日でおさまりますよ」
「じゃあ、せめて薬研に診てもらうとか。呼んでくるよ」
「ええと大丈夫です、お手を煩わせるほどじゃありません」
お仕事休んじゃいますけど、と彼女は元気よく言う。元気はありそうだが、と考えながら、大般若長光はあることを閃き、心持ち明るく言った。
「そりゃあいい。あんたはすぐ根を詰めるからな、いまのうちに休みな」
「え、いまからですか?」
「ああ、寝たほうが早く治るだろう」
布団を敷いてあげよう、と戸惑っている彼女の背を押して、仕事部屋の奥にある仮眠室に送り込もうとする。が、彼女はこれ以上押されまいと踏ん張っていた。
「私、寝付き悪くてすぐ寝られないですし」
「ほう? 添い寝が必要かな?」
「それにそろそろ……」
「ご主人様、これはどうかな? 歌仙からもらってきたのだけれど」
そう言って仕事部屋にあらわれたのは、亀甲貞宗だった。手に幾枚もの、色とりどりの便箋を抱えている。
「おや、大般若長光じゃないか」
「やあ」
「亀甲さん、ありがとうございます」
「ご主人様の命とあらば。さあ、どんな絵柄がいいんだい?」
「白いカラーの花とかあったりしませんか? 好きなんです」
「へえ、あんた、植物苦手じゃなかったかな」
「えっと、これは別で。花嫁さんが持つ花だから」
「うーん、カラーは無いみたいだ。歌仙の趣味だからね」
机に便箋を広げ、3人で囲むようにして座る。主はそれを注意深く触ったり、のれんの顔に近づけたりしていた。
「見えるかい?」
「みえません……」
「じゃあ、机に置いておくから、見えるようになったらゆっくり選ぶといいよ」
そうします、と彼女は申し訳なさそうに言った。
潮時か、と大般若長光は思った。亀甲貞宗に目配せしてから、彼女に暇を告げようとすると、その彼女が机に突っ伏していた。
「ご主人様?」
「……なんか、ねむくなって……だいじょうぶ」
ねる、と言い終わらないうちに、彼女は寝息を立てはじめた。大般若長光は亀甲貞宗と顔を見合わせる。
「……電池が切れたみたいだな。とりあえず、奥の仮眠室に運ぶよ」
「僕は薬研に知らせてくる。ご主人様のこと、頼んだよ。大般若長光」
本当に眠ってしまっただけならいいのだが、と思いつつ、願ったり叶ったりだな、とも思わずにはいられない。大般若長光は主を抱き上げ、訪れた好機を逃さず捕まえた。
2
大般若長光は、夢路を渡りながら、もしこの先にいるのが主でなかったら、と考えた。魔であれば斬る。そうでなかったら、どうするか。
人間の男のからだであれど、付喪神であることがこれほどまでに役に立つこともあるまい。大般若長光は柄を握った。無意識のなかに意識を持って潜り込めるのだから。
彼女の夢の中は明るかった。そしてあたたかい。見通しがよく、彼女の性根は明るいんだなあ、と思う。
歩みを進めると、人影があった。後ろを向いていて、誰だかはわからない。
「やあ」
「わあ!」
声は主に似ているが、振り返った顔は知らないものだった。大般若長光は柄に手をやる。
「……お前、誰だ?」
「だ、大般若さんだあ」
「俺を知ってるのかな」
「知ってる」
「で、お前は?」
「え、ええと……あなたの、主の妹」
「……妹?」
柄から手を離し、顎に手を当てて、大般若長光はまじまじと夢の中の女の顔を見た。正直、主とはまったく似ていない。
「俺を知ってるのかい」
「お姉ちゃんから聞きまして」
「主はどこだい」
「お姉ちゃん、しばらく帰ってこられないと思います」
「どうして。なんで知ってる」
話しながら、大般若長光はなるほど主の血縁者か、と合点していた。魂がそこまで違う、と思わないわけだ。
だが、主以外のものが、主の招待なしに(仮に招待で連れてこられるとしてだが)、本丸に潜り込めるものだろうか?
新たに浮かんだ疑問を目の前の「妹」に向けると、彼女は照れくさそうに視線をしたにして、言う。
「私、死んじゃったから。今頃手続きとかお葬式とかでばたばたしてるんだと思う」
「へえ! よくわかるなあ」
「今は、いわゆる、初七日ってやつなんだと思います。確証はないけど」
大般若長光は「妹」の顔をもう一度、改めて見る。
「というか、大般若さんはどうしてここに?」
「あんたの夢から入ってきた。……さて、どうしたものか」
夢から入る、と「妹」は神妙な顔で繰り返した。大般若長光は顎に親指をかける。