盃から唇までサンジは酔うとキス魔になる。
これは彼が仲間になってすぐに判明したことだった。決して酒に弱いわけではないが、ゾロやナミのようにザルという程強いわけでもない。毎度酒に溺れるほどだらしなくはないが、同年代の気心知れた若者と飲む機会など海賊になるまでのサンジには全く経験がなく、楽しさのあまりついへべれけになるまで飲んでしまうということがたびたび起こった。
キス魔、というより甘え上戸になった結果キスまで発展すると言ったほうが正しいかもしれない。
面倒見がいいとは言え表面上男に塩対応なサンジだが、酒に酔うと距離感がおかしくなる。肩を組まれたが最後、サンジが満足するまで離してはもらえない。ひげをじょりじょりこすりつけられるところから始まり、そのまま頬に、額に、酷い時は唇までキスの嵐に見舞われることとなる。
そして質の悪いことに、そのことを翌日のサンジ自身は覚えていないのであった。
酔っているとはいえ紳士として最低限の理性はあるのか、ナミやロビンに狼藉は働かない。(とは言え何度かビンタはもらっているのだが。)そもそも女性がいる場においては、正体をなくすほど酔うことは極稀だ。
チョッパーはサンジが泥酔するまでに寝てしまうことが多い。ゾロはかつて頬にキスをされた際、驚きのあまり抜刀からの一触即発になってしまった出来事があったからか、どれほど酔っぱらっていても、サンジがゾロにキスをしに来ることはない。フランキーに対しても、一度唇にまでキスが及んだ際、フランキーも出来上がっていたために激しいディープキスに発展したことがあり、その結果サンジが泣かされてしまう事件が起こり、こちらも記憶をなくしていても、以降サンジがキスを仕掛けることはなかった。ブルックは時々被害に遭うが、感触が気に入らないのか「何か違う」と不満そうに身を離され、一方的に絡まれフラれるブルックは、そのたびに弄ばれたと頬骨を濡らしている。
故に、被害者は大抵の場合ウソップかルフィとなる。
否、明確に「被害者」であるのはウソップだけである。何故ならばルフィはサンジの過剰なスキンシップを嫌がってはいないからだ。
後ろからおぶさられても頭をぐりぐりと撫でられても首に腕を回され頬にむちゅむちゅと吸い付かれても、ほとんどの場合ルフィは動じない。唯一唇へのキスだけは、酒の味が嫌いなのか、食べる邪魔になるからなのか眉根を寄せ止めようとするのだが、しなだれるようにサンジが寝落ちてしまっても、膝枕を貸してやりながら宴会は続行される。
最初は呆れていた仲間たちも、もはや見慣れた光景だ。
そんなわけで、一味の再会後、ウソップがサンジの気配を察知しうまくかわせるようになってからは、泥酔したサンジの相手はルフィの役目となっていた。
昼は自然と甲板に集まるが、夜は寝る時間がまちまちなこともあり、思い思いの場所で好きに過ごしている一味だが、宴でなくともごく自然と集まって酒盛りなることは多い。特に男部屋は、最終的に男たちが戻ってくる場所であることと、ナミとロビンの目がないことから、ついついはめをはずしやすかった。
今日もそのよくある一日で、ゾロが飲み始めたのをきっかけに男部屋に戻ってきたフランキーとウソップが便乗したことから始まり、楽しそうな様子に気付いてルフィが騒ぎ出したため、一度は休むために男部屋に戻ってきたサンジが、キッチンへ舞い戻ることとなった。
文句を言いながらもサンジは楽しそうにキッチンと男部屋を往復する。皆も部屋で飲んだりサンジとキッチンで談笑しつまみが出来上がるのを待ち運ぶのを手伝ったりしながら、夜が更けていく。食べ物に手を出すのはルフィくらいになった頃、しばらく男部屋からは姿を消していたサンジがキッチンから戻ってきた。
部屋に入ってきたサンジを見て、彼がいなかったことに気付き、多少の申し訳なさも感じながらウソップはねぎらいの言葉をかけようとした。しかし、戻ってきたサンジが当たり前のようにルフィの膝の間に座ったことにより、反対に息を飲むことになった。
――いつの間にかできあがってる!
皆が同じ言葉を脳裏に浮かべたのか、ほぼ同時に目の前の杯に口をつけた。今日はそんなに飲んでいたかと思い返せば、男部屋でもキッチンでも、酒を運んだついで、つまみを作るついでに、サンジもコップを持っていたような気がする。一緒に乾杯もした記憶もある。今もしばらくいなかったから、キッチンで片づけの合間に一人で飲んでいたのかもしれない。
一瞬面食らったものの、事情が分かればいつものことなので部屋はすぐに元の空気に戻る。何よりルフィが全く動じないので、他の皆は精神衛生のために、サンジは知らんふりをする。
「ル~フィ~満足したか~」
「まだ食えるぞ」
「何だよ、満腹って言えよ。夕食の後にどんだけ作ったと思ってんだ」
「足りねェとは言ってないだろ。ありがとな、サンジ、うまかった!」
言い損なっていた礼をさらりとルフィが口にするので、自分も言わねばと視線を向けた先のサンジの顔を見、ウソップは再び口をつぐむこととなる。
「へへ、当たり前だろ~」
嬉しそうにふにゃりと笑いルフィの頬にキスを始めるサンジ。自分が被害者となっていたころなどは翌日に文句を言ったものだが、当人に記憶がないため「男にキスなんてするわけねェだろ」とあしらわれていた。それは全くその通りで、サンジが覚えていたのならば、海へと身投げをするレベルではないだろうか。見慣れたとはいえ男にデレデレするサンジは普段の様子からすればそれほどに気味が悪く、できるだけ視界に入れたくない。
いや、気味が悪いとはまた少し違うのかもしれない。
呂律の回らない甘えた口調で、ルフィの首に腕を回してついばむようにキスをするサンジ。背中に腕を回してサンジの身体を支えながら平然と受け入れているルフィ。ルフィが普通にしているからか、酔っぱらいの悪ふざけのノリや迷惑なギャグに思えなくなるというか、まるで恋人同士がじゃれあっているような――見てはいけないものを見ている気になってくるのだ。
ルフィの首に回していたサンジの腕がほどかれ満足したのかと思えば、その両手がルフィの両頬をがしと包み、あ、という一文字以外の全ての考えが消える。
顔中に降り注いでいたキスが、ついに唇に狙いを定め、むちゅう~と音がするのではないかというくらい長いキスが落ちる。ぷはっと息継ぎとともに口を離したサンジは、何故か勝ち誇ったかのような顔だ。
「どーだルフィ、気持ちいいか?」
「口当たっただけで気持ちよくはなんねェだろ」
そんな煽るようなこと言ったら余計にキスされることになるぞと思えば、案の定サンジは悪い顔をしながら「何をォ?」と笑い、ルフィの口の端に親指を突っ込み、頬を引っ張る。
「ルフィのくせに生意気だなァ、触れるだけのチューじゃ足りねェってか?!じゃあちゃんと気持ち良くなるキスしてやるよ」
それ以上はそろそろ止めとけ、とウソップが制止をかける前に、今度こそぶちゅうと音を立ててサンジはルフィの唇に吸い付いた。
「おい、いい加減見苦しいぞ」
「ヨソでやれヨソで!」
「お熱いですねェ」
さすがに他の皆からもヤジが飛ぶも、聞こえていないのかしばらく熱烈で濃厚なキスを見せつけられるはめになる。
ようやく唇が離れた頃には二人の息も上がっており、妙に生々しい空気を打ち消すように、ウソップはサンジに声をかけた。
「サンジ、悪酔いしすぎだぞ」
「ん~?ヘーキヘーキ、おれ全然酔ってないぞ~?」
「ルフィも好きにさせすぎだろ。一回外の空気吸いに連れ出してやったらどうだ」
「ん?別に大丈夫だろ?」
お前が気にしなくてもこっちの目の毒なんだけど!?と訴えるはずだったウソップの悲鳴は、続くルフィの発言によって、再びたった一文字に変換されることとなった。
「だってサンジ今日はそんなに酔ってないよな?」
「…………は?」
男部屋が一瞬、しん、と静まる。固まっているのはウソップだけではなかった。
ルフィの首に腕を回していたサンジも、何故か目を丸くしていた。ルフィがその顔を至近距離でのぞき込むと、先ほどまでとは打って変わったか細い悲鳴のような疑問符のような声が漏れ出る。サンジの口がわずかに開いたのを見るやいなや、ルフィが唇をゼロ距離まで寄せた。
かぶりつくようなキスは、舌が咥内まで侵略し、捕食するように味わっているのが見て取れる。
驚きのあまり制止もかけられずにいるウソップの代わりに「ヒュー!見せつけてくれるねェ!」とフランキーのヤジと「あらあらあらまあまあまあ!」とブルックの楽しそうな黄色い声が上がる。
――なんでルフィは一滴も酒を飲んでないのに何でサンジにキスしてるんだ?口へのキスはルフィも嫌だったんじゃないのか?というか、酔ってないならなんでサンジは男にキスしてるんだ??
疑問が何一つ口に出せないでいるうちに二人の唇が離れる。自分は好き勝手にキスしてくるくせに、やり返されて目を丸くしているサンジの前で、ルフィは自分の唇を舐めた。
「うん、酒の味はするけど、やっぱいつもより飲んでねェな。何でサンジは酔ってないのに酔った真似してるんだ?」
沈黙はどのくらいだったか。
「あ、でも顔熱くなってきたからやっぱ酔ってんのか?」
その台詞を言いきる前に、目にも留まらぬ速さでルフィは壁際まで蹴り飛ばされてしまい、ついでにサンジも部屋から姿を消した。
あっけにとられるウソップの耳に、ボンクからチョッパーの「わたあめの雲もう食えねェよ~」と平和で幸せそうな寝言が聞こえてくる。その声に我に返るも、一緒に飲んでいるルフィ以外の男たちは平然としていた。
「今のはお前が悪い」
「デリカシーが足りませんよね」
「……は?」
頭の回路がつながらないウソップを置いて、他の皆は通じ合って会話をしている。
「なんでだよ!サンジが酔ってないときにチューしてきたからうれしかったのに!」
「素面じゃできねェから酔った真似してんだろォ?それをお前は、おれらの前で言っちまうしよォ」
「え?……えっ?」
今まで想像もしていなかった考えが頭に浮かぶもすぐにそれを受け入れることができない。
酔っぱらったサンジがこれまでしてきたこと。素面でできないこと。酔った真似しないとできないこと。
「じゃあサンジは酔ったフリしてまでルフィにキスしたかったってことか?」
ようやく発したウソップの台詞に、ルフィ以外の三人は「何を今更」と呆れた顔をした。
「それよりルフィ、追わなくていいのか。あいつきっとキッチンで酒飲む気だぞ」
「げっ!まだ酔ったフリすんのか!?そりゃ困る!!」
言うや否や男部屋を飛び出したルフィの背に、気のない「がんばれよ~」の声がかけられる。きっと聞こえてはいないだろう。
口直しとばかりに酒を注ぎ直す三人は、やれやれという雰囲気だ。
「往生際が悪ィな」
「もう観念して素直になったらいいでしょうにね」
「ま……待ってくれ、いつからだ?」
震える声で問うウソップに、不思議そうな顔で「どっちのことだ?」と返される。どっちって、そうか、サンジだけではないルフィもだ。ルフィがサンジのスキンシップを遠ざけなかったのも、そのくせ口へのキスは嫌がっていたのも全部――
「私たち仲間になったのは皆さんより後ですからね」
「サンジの方は、お前にはキスしてこなくなった頃からじゃねェか?」
ガツンと頭を殴られたようにめまいがした。じゃあそれ以降のサンジの甘え上戸は、全部演技でそれで、あのキスは酔っぱらいの悪ふざけじゃなくて――
コップから酒瓶に持ち替えたウソップは、ゾロの非難の声を聞きながら一気に酒を飲み干す。しかし残念ながら、酒はこの衝撃の記憶は消してくれず、代わりに翌日酷い二日酔いの頭痛をもたらすのであった。
フランキーの忠告を受けすぐにサンジの後を追ったルフィだったが、残念ながら時すでに遅く、キッチンの扉を開けると、サンジも男部屋のウソップと同じく、勢いよく酒瓶をラッパ飲みしているところであった。
「あーーーっ!!」
慌ててルフィが腕を伸ばすも、奪い取った酒瓶はほとんど空になっている。ゲップの息は酒の臭いが濃くなって、口元を拭うサンジはにやりと笑い、反してルフィは口をへの字に曲げる。
「まだ酔ったフリすんのかよ!?」
「フリじゃなくて酔ってんだよ!いっぱい酒飲んだから~」
確かに、それなりの量は飲んでおり、今また一気に一瓶空けたのだからさすがに身体が揺れ始めているが、まだ瞳に正気が残っていることにルフィは気付いている。以前はどちらか分からないこともあったが、今はサンジが「フリ」をしているのかそうじゃないのか見分けがつく。そして、それでもサンジがまだ演技を本当だと押し通そうと知っていることにも気づく。
伸ばされたサンジの腕から遠ざかろうとしたものの、その足元がふらつくのでとっさにルフィは支えてしまう。サンジは先ほどまでと同じくご機嫌な様子だが、ルフィは顔をしかめながら寄せられる唇を拒む。
「何だよ~さっきはチューさせてくれたじゃねェか~?」
「酒臭ェ!サンジのアホ!酔っぱらいサンジは嫌いだ!」
「つれねェこと言うなよ~、おれはお前のことこんなに好きなのに~」
好き、の言葉にうっかり抵抗をゆるめてしまい頬に吸い付かれるのを許してしまう。そのままはむはむと頬を甘噛みされる感触に葛藤しながら、ルフィはまだ怒っていることを伝えようとする。
「明日になったら忘れたフリするくせに!」
「忘れないって~だからチューしようぜ~?」
「嘘つけ!サンジはずるい!酔っぱらいとはチューしねェ!!」
「ホントに?おれとチューしたくねェ?ルフィはおれのことキライ?」
酒のせいだろうが何だろうが、好きな奴に至近距離で、赤らんだ頬に潤んだ目で見つめられながら、舌っ足らずにこう言われて、落ちない男がいるのだろうか。
果たして今宵、ルフィはサンジに完敗し、苦手な酒の香に染まったその唇を受け入れる。
しかしこれでごまかせたつもりのサンジは、その後も同じことを繰り返し、堪忍袋の緒が切れたルフィから、素面の真昼に仲間に見せつける形で熱烈なキスをお見舞いされ逃げ場をなくすのだが、自業自得のハッピーエンドはもう少し先の話である。