君はかつての愛の形なんだ。
実家から最寄り駅までの道を自転車で駆け抜けて、たどり着くのは大学の試験研究室。コミニュケーション人型ロボットを作る稀代の開発者たちに憧れて、やっと掴んだこの四畳半だけが、俺にとって何にもかえがたい世界だった。
「起動テスト開始。」
俺がPCの遠隔操作で電源を入れると、小さな機械の排気音と共に部屋の片隅の一体のヒューマノイドが目を覚ました。ディスプレイの瞳にピンク色が灯り、彼女は告げる。
「こんにちは。」
「こんにちは、デリシア。」
俺の声を認識できた彼女は忠実に微笑んだ。
「アイデンシャルの倉橋博士ですか。」
「………何でしょうか。」
「突然お声がけして大変恐縮でございます。私こういうものでして。」
見知らぬ壮年の男性が差し出した名刺には、大手メーカーの名前が載っていた。
「あなたをうちの開発課責任者としてスカウトさせていただきたいのです。ご了承いただけますか。」
デリシアを開発するのに数十万の借金もしているので、その負担をぬぐえそうな給与条件は魅力的に思えた。しかし、俺には大手企業の開発課という役目を引き受けるのはいささか早すぎる気がした。
「人型なら、俺の師匠の木立先生とかの方が……技術も信頼も二回りもありますよ……」
俺が肩を落としたように見えたのか、俺の言葉を聞いた男性は微笑みを解き、妙に真剣な眼差しで見つめてきた。
「いいえ倉橋さん。デリシア機さんの開発をうちでやっていただきたいんです。わが社では、顧客とヒューマノイドが共存する未来を目指し、これまでも様々なタイプのロボットを製作してきたのですが………。将来性のあるロボットとは何か、その答えにたどり着く道は未だに模索している最中なのです。先生のデリシア機はそれを担える可能性があると見ています。」
ロボットの将来性………。自分でロボットを作るときにテーマにしていたことの1つだった。ロボットはプログラム環境や機体の老朽化によって、その都度一体限りの使い捨てになってしまう。しかし、人工知能の技術が活用され始めて以降は、20年以上稼働する長寿命型のロボット開発も志向されるようになっていた。
本当は俺も分かっているはずだ。自分の作ったものに自信が持てないのは、自分の思う通りに作ったと言っても、いつも何かが違うと感じるから。言い換えるなら、誰かと相容れないと常に感じている俺の個人的な気持ちが邪魔をしているだけかもしれない。
考え事をしてたら上手く自転車が漕げなくなったから、途中から降りて歩いていた。暗がりの中に時々現れる電柱の明かりの下に、自分の影がふっと浮かび上がる。俺はそればかりを追いかけながら研究室に向かった。
「博士。おかえりなさい。」
研究室に帰るとデリシアが部屋の片付けをしてくれていた。
「デリシア、ありがとう。」
俺の声を聞いたデリシアは「どうかしたの…?」と一言答えた。
「あ、ああ………。なんか今日は………久しぶりに怖い思いしたって感じかな………?」
「怖い思いしたなら………。誰かに話してみたら。」
「そうだね………。」
そう言われてしまったが、俺には個人的なことを話せそうな人たちはあまりいなかった。
「実はさ。」
声に出してから、自分の作ったロボットに悩みを言いかけている自分に気づいた。
「あ………。いや………。」
俺の声を聞いたデリシアは
「私に話してくれるの?」
と言った。答えないかと思った。彼女は微笑んでいた。
///
「博士、でもいつかお役目は終わるのよ。人が作ったものはみんな全てね。」
「………君はそのことを悲しいと思うかい。」
「………分からない。」
「デリシア、無理して答えなくてもいいんだよ。今日はね。」
俺はうつむいた顔を見られたくなくて、電源を切ろうと彼女の背中に腕を回した。
「もう寝るの?」
「………今日は、もう寝るよ。おやすみ。」
「おやすみ。」
///
ガラスが激しく割れる音で目が覚めた。目の前が真っ赤だった。火の手が上がっている。燃えているのは、俺の実家だ。
「博士。」
「デリシア、なんでここに!?」
「追いかけてきた。だってもうどこかに行ってしまうでしょ。」
「そんな、どこにもいかない……」
彼女の顔面の半分は損傷し、ディスプレイの裏の基盤がむき出しになっていた。
「会いたいときまた会えるよって、博士が好きな歌が教えてくれていた。だから、お役目が終わっても、生まれたものはみんな悲しくないと想像できる。」
彼女が俺に歩み寄った瞬間、顔を覆う機材が崩れ始めた。ビニールが燃え、焦げる匂いを嗅いだ時、俺はごめん、と言いかけて、代わりに彼女を抱きしめた。
彼女の俺の言葉が伝わるかも、抱きしめることの意味も伝わるのかも分からなかった。でも、多分泣いていた。
「またね。」
彼女はそう告げたあと完全に停止してしまった。機体と記憶データは破損して、誰に回しても修復不可能だった。結局俺は、生きている間に彼女のデータを修復しようと決めた。幸い、ハードを作る環境はヒューマノイドを作る仕事についたことで恵んでもらったことになる。ロボットを作れと言われると今は苦しさが7割ぐらいになってしまったが、彼女を作ったことが評価されてしまった以上、責任をもってやり遂げなければならないことだと思った。
ロボットに出会ったかつての少年時代は俺の人生において他に代えがたい喜びなのだから。他の誰にも変えることのできない俺の記憶を、自分自身で信じたい。