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    yokko_odakura

    @yokko_odakura

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    yokko_odakura

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    穣さんとつかさの日常風景
    絵ではないけど前に書いたやつ

    表から車の音が聞こえる。
    穣さんにしては帰りが早いから、何か荷物でも届いたのかな。最近はこんな田舎で近くにお店がなくても、なんでも通販で買えるから便利な時代になったなあと思う。
    俺は人の多いところが苦手で滅多に買い物には着いて行かないから、穣さんに頼むか通販で買うかのどちらかが多い。
    庭、という名のほぼ畑から道路の方に回って、誰が来たのかを確かめに行く。
    あれ、郵便とかの配達じゃなくて、普通の車だ。しかも県外ナンバーなんて、珍しい。
    車からはスーツ姿の男の人が降りてくる。
    スーツの人も、久しぶりに見た。見た感じ、穣さんよりも少し年下くらい?
    どうしよう、誰かが来るなんて予定は聞いていないし、今日の帰りは夕方くらいになるかもって言っていたから、まだしばらく帰ってこないんだけどな。
    この家の住所はごく近しい人にしか教えていないらしいので、変な人が訪ねてきたというのではないと思う。
    もし穣さんに用があるなら、時間が大丈夫そうなら上がってもらって、帰るまで待っていて貰えばいいか。県外からじゃ、また来るのも大変だろうし。その間に昔の穣さんの話とか、聞けたりしないかな。聞けたら嬉しいな……。
    どっちにしても、家の前で待たせるのは悪いよな。
    「こんにちは、穣さんの知り合いの方ですか?」

    俺の記憶は、朧げだ。
    ここに来るまでの俺はあまり調子が良くなかったようで、ここに来るまでのこと、来たばかりの頃のことは、ほとんど思い出せない。
    ただ、いつも何かが怖くて、家に誰かが訪ねてくるたびにいい歳をして怯えて、隠れていたような気がする。
    もっとも、その頃の俺は既に自分のことすらもロクに分かってはいなかったけれど。
    当時の俺に理解できていたのは、いつも自分の側にとても大切な人がいること、その人の側にいれば何も心配はないこと、それだけだった。
    もう帰ったから大丈夫だ、という穣さんの声に、腕の中に飛び込んで落ち着くまで抱えてもらっていたことも、一度や二度ではなかった。
    今は当初よりは落ち着いて出来ることは増えているものの、正直自分に関してのことはほぼ分からないまま、ほとんど変わりはない。
    近所の人や、荷物を届けに来た配送の人と顔を合わせられるようになったのも随分と経ってからのことだ。人目を避ける俺のことを近所の人にどう説明していたのか、俺に詳しくは分からない。
    ただ一緒に暮らすのには身内の方が何かと都合がいいから、対外的に穣さんと俺は兄弟ということになっている、とは聞いた。
    少し前の俺はしょっちゅう病院の世話になっていたし、緊急事態には身内でないと立ち入らせてもらえないこともあるというから、俺の面倒を見る上でも兄弟であるという関係が必要だったのだと思う。
    なので、もし近所の人に兄弟だと言われても俺たちの関係を否定している訳ではないからあまり気にしないように、とも言われている。穣さんが兄ちゃんだなんて、なんだか不思議な感じがする。
    だから俺の名字も穣さんと同じで、小田倉だ。どういう手続きをしたのかとか、そういう難しいことは俺にはわからないし、あまり人に会わない俺にはそうそう名乗る機会もない。
    実感するのは今もたまに定期検診として訪れる病院で、名前を呼ばれるときくらいだ。
    それでも、大好きな人と同じ名字を使えるのは家族だって感じがするから、すごく嬉しい。

    少しずつ外に出られるようになって、穣さんと一緒なら、人と会っても大丈夫になって。
    今では庭に出て花や野菜の手入れをしながら出かけた穣さんの帰りを待つことも、訪ねてきた近所の人と軽く話をすることも、問題なくできるようになった。
    来るのは近所の顔見知りばかりだし、知らない人といえば稀に穣さんの知り合いが来るくらいで、その時は家に居るようにしてくれるし。
    最近では、穣さんの妹さんが遊びに来てくれた。以前の俺の状態も知っていたようで、ずいぶん元気になったようでよかった、とほっとした顔をしていた。
    がっしりとした穣さんと違ってすらりとした女の人だというのに、やはりどことなく穣さんに似ているな、という印象を真っ先に持ってしまうあたり、やはり俺の生活は穣さんを中心に回っている。
    作って持ってきてくれたアップルパイが今まで食べたことがないくらいに美味しくて、思いつく限りの言葉で美味しさを伝えたら、少し驚いたような顔をしてから、だって本業だからね、と嬉しそうに笑っていた。
    その表情が、笑い方が穣さんにそっくりで、俺とは違って本当の兄妹であるこの人が羨ましいな、と少しだけ思った。

    時々ふっと、今よりずっと若い姿の穣さんと話をしている様子が思い浮かぶ。
    それが実際にあったことなのか、穣さんの若い頃を知りたいと思う自分が見せた幻なのかは分からない。
    でも穣さんによれば、俺とは子供の頃からの付き合いではあるらしく、たまにぽつりと昔の話をしてくれることはある。本当に、日常の一部のような出来事。
    そういう思い出を、どうして忘れてしまったのか、以前の俺はどうやって暮らしていたのか。
    落ち着いてきた頃に聞いてみれば、昔の俺のことについてはあまり話したくないようで、少し難しい顔をしていた。
    教えてくれたことといえば、俺たちは少し離れて暮らしていた時期があったこと、その頃に俺が心と体に大きな傷を負って今のような状態になったらしい、ということだけ。今の俺が色々と忘れてしまっているのも、その影響らしい。
    そういえば、体にもいくつか傷痕が残っている。一番大きなものは今でも時折じくじくと痛むほどなのに、何が原因だったのかは全く思い出せない。正直、自分でも見ていて気分の良いものではないくらいに、酷い残り方をした大きな傷痕だ。
    けれど、穣さんはそんな醜い傷でも、痛んで辛いとき、近くで互いの体温を感じているとき、まるで大切なもののように、そっと労わるように触れてくる。
    それだけで、今生きていてよかったなと思えるのだから、俺は単純にできていると思う。

    俺が忘れてしまったものの中には、以前の知り合いや自分の家族、働いていたのだとすれば仕事のことなんかもあったのかもしれない。
    もし、穣さんが思い出してほしいというのなら自分にできる限りのことはするつもりだし、穣さんとの思い出があるのなら知りたいとは思う。
    けれど穣さんが望まないのなら、別に何も思い出せないままでもいい。穣さんとの思い出は、これからいくらでも作っていけるのだから。
    穣さんはずっと、何もできない俺にも優しくしてくれた。俺の世話を焼きながら、お前が幸せで、元気になってくれるならそれだけでいいと言って、俺の頭を撫でて、いつも穏やかに笑っていた。穣さんに撫でられると落ち着くし、心が温かくなるから大好きだ。
    どうして穣さんがこんな俺を選んでくれたのかは分からない。
    でも、ひとつひとつ出来ることが増えるたびに、何かをやりたいと口にするたびに、とても嬉しそうに目を細めて笑うのだ。
    ずっとこの人の側にいて、そんな顔を、もっと見ていたい。
    それだけが、俺の望みだ。
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