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本当に、それはただの気紛れだった。
「…何かお悩みですか?」
「えっ、えぇ…と……」
平日の昼時、いつもなら高校に通っているが今日は休校日でなんと無しに買い物でもするかとふらりと外へ出る。…というのも、家に仕える従者の友も誰も連れずに外出をするのは初めてだ。
赤毛の兄貴分の幼馴染みには小さい頃から「殿下は世間知らずな所があるから気をつけて下さいよー」と揶揄われ続けてきたが、それは今も変わらない。なんなら昨日も言われた。事の発端はその兄貴分がスマホを眺めながら「新作のフラペチーノ!?うっわ気になるわ〜」と言っていたコーヒーショップ店すら俺は知らなかった。
それを知った兄貴分の幼馴染みことシルヴァンに、それはもう異物でも見る目を向けられたのである。
だからなのか自分でもわからないが、妙な反発心からこうして独りで外出をしてシルヴァンが言っていたコーヒーショップを見つけたのでふらりと入ってみた。………のだが。
「(しゅ、種類が多すぎてわからない……コーヒーだけではないのか…!?)」
メニュー表を見ても文字の羅列で、コーヒーだけではないしそういえばシルヴァンが言っていたなんたらフラペチーノとか言う飲み物もあるのだ。俺はそれを眺めてでも味が甘いのか??とか考えていると接客してくれているスタッフの男性に声を掛けられたのだ。
「お客様。コーヒーと紅茶でしたらどちらがお好きですか?」
「あ……えっと…、紅茶の方が飲む機会が…」
「そうですか。でしたらこちらのストレートティーやミルクで煮出したティーラテがおすすめです。甘い物がお好きでしたら、フラペチーノも人気でおすすめですよ」
そう言いながらスタッフの男性はメニュー表の「ティーラテ」と書かれた欄を指差す。男性にしてはやけに綺麗な女爪で、指もしなやかで長い。初めて見るのになんだか魅力的な手だ…と呆けてしまう。
「す、すみません……。こういうのは初めてで、勝手がわからなくて…」
「そうでしたか。折角のブレイクタイムに当店を選んでいただけたので、お気に入りのドリンクが見つけられる様にお手伝いさせて頂きますよ」
優しい気遣いの言葉は、きっと接客のテンプレートなのだろう。そう思いながらちらりととスタッフの顔を伺う。その瞬間に何故か心臓がどくんと高鳴った。薄緑色の髪色とそれより少しだけ濃い色を放つ瞳。眼鏡を掛けているのに透かされる程の眼光と風貌はどこか人間離れしていて、神聖さを放つオーラに息を呑む。
「…そうですね。ティーラテは個人的におすすめです。アールグレイが一般的には人気ですが、お客様にはカモミールをおすすめします」
「…カモミール…?」
「はい。リラックス効果があるカモミールにミルクの優しさが溶け合っていてとても落ち着きますよ」
その瞬間、初めて目が合った。眼鏡のレンズ越しに笑みを浮かべる彼に俺は面食らってしまう。何故、異性でもない同性にここまで胸が高鳴るのかわからない。ちらりとネームタグを盗み見ると「Byleth」…ベレトと書かれている名前が、何故か心に引っ掛かった。
「……如何なさいましたか?」
「えっ!? いや…、なんでもないです! それでお願いします!」
こてんと首を傾げる仕草にまたどきっとしてしまい、勢いで返事をする。彼はぽかんとするも小さく吹き出して「では、私のおすすめのカスタマイズにしておきます。」と言ってレジを操作していた。何故だろう、なんだか落ち着かない…。
「お待たせしました。お飲み物はドリンクカウンターでお手渡しします」
レシートを受け取り、指差された場所にはドリンクを待つ人の列がある。あそこに行けばいいのか……とその列に並ぶと急に「俺でも買えた…!!」という達成感が込み上げて来る。
「(これは後でシルヴァンに報告せねばな……そうだ、証拠の写真を一緒に見せれば信憑性が増すぞ…!!)」
なんて思っているといつの間にかドリンクが完成していたらしく、呼ばれてカウンターに行く。白い紙コップの様な容器も初めて見たので「なるほど、使い捨てとはこういうものなのか」と独り納得する。それから空いているテーブルを見つけて腰を掛ける。なんだか少し安心して気が抜けそうだが、まだ早い。
「(これを写真に撮って…、と。よし…)」
使うのに慣れたとはいえ、カメラはあまり使わないから上手く撮れているのか不安になる。確認して、ちゃんと撮れているしこれでいいかとスマホをテーブルに置いて、俺はよし…とそれに向き直る。
「(出来たてだから少々熱いな……この上の蓋を外して…、よし。……おお、ミルクの泡立ちがすごいな…)」
依然、後輩のアネットが見せてくれた雑誌のラテアートの様にふわふわのミルク泡に謎の感動を覚える。まだ飲んだら熱いだろうかと少し冷まし、ほんのりと香る華やかな香りにどこか懐かしく感じる自分がいる。その香りに癒やされつつ、ようやく口をつける。
「……!」
思ったよりも熱くなく飲み頃な温度に驚くのも束の間、口内に広がるミルクと甘さと華やかな香り。身体の中がじんわりと暖かくなる不思議な感覚に思わず息を吐く。なんだろう、いつもはお茶でこんなに落ち着く事などないのに…。
「…お口にあったようでなによりです」
「あっ…! 先程はありがとうございます…! すごく飲みやすいです」
いつの間にか先程のスタッフの方が近くで来ていた。テーブルの吹き上げに回っていたのか、カウンタークロスとアルコールスプレー片手に微笑む彼は先程よりなんだか人懐っこい様な笑みを浮かべている。
「それはよかった。お飲みになる際、熱くなかったですか?」
「ちょうど良くて飲みやすかったです」
「……よかった」
どこかほっとしたかのように微笑む。その表情にまた、俺は胸が高鳴ると同時にその微笑みに懐かしいとさえ思えてしまった。この人とは初めて会ったのに、何故そう思うのか不思議で堪らなかった。
「それでは、ゆっくりお過ごし下さい。では」
「あ……」
そう言って仕事に戻る彼が背中を向けると同時に、嫌だと思った。こっちを、俺を見てくれと思わずにはいられない程に。何故そんなに彼に見て欲しいのかわからないが、そう思わずにはいられないのだ。手を伸ばした際にどさ…、テーブルに置いてあったバッグが重々しい音を立てて落ちた。
「大丈夫ですか? お荷物が…」
「あっ、すみません…!」
「…参考書」
どうせなら勉強でもやろうかと持って来た参考書がバッグから飛び出してしまったらしい。俺は恥ずかしいと思いながら彼から参考書を受け取り礼を言う。
「受験生?」
「あ、来年です…。今、高校2年生で。まはえだ志望大学は決まってないんですけど…」
「高校2年生…そう。勉強、大変だな」
いつの間にか砕けた口調になる彼。だけど、不思議と嫌ではない。むしろしっくり来るというか…、兎に角不思議な感じだ。俺が参考書を持ちながらあたふたしていると、何を思ったのか彼はその参考書を「見せて」と言って取ると付箋がしてあるページを開いた。
「ここの問題、わからないの? …ディミトリにも分からない事があるんだな」
「それは俺も人間だから………、って。名前、教えました…?」
「…………ほら、参考書の裏に書いてあるだろう?」
明らかに不自然極まりない、会話の応酬。俺は何かがおかしいと再び思う。不思議とか、おかしいとかこの短時間で感じるものだろうか。俺がひとりでうんうん考えていると「座って」と彼は席に着く様に促す。続いて彼が俺の隣に座るといつの間にか取り出した小さなメモ帳とボールペンで、俺の分からない問題を解き始めた。
「……で、この公式を使って…」
「! なる程、そういう訳か……。ありがとう、せんせ…」
ばちり、至近距離で絡む視線。俺は無意識に出た言葉に息を呑む。今、明らかに彼に向かってその呼称を使ってしまいそうになった。だけど、その理由が分からない。でも、確かに分かるのは俺はこの人の事を知っているという事だけだ。
「わかった…?」
「うっ…、えっと……」
「この問題も、……俺の事も」
「っ、あ………?」
どこか寂しそうな表情と、頭の記憶が重なる。薄靄がかって、はっきりと見えない心の残像。俺は、この人を知っている。現代ではなく、遠い昔…そうだ、それも前世で出会っている様なそんな不思議な感覚。心が、魂が覚えている。揺れる翡翠の瞳をはっきりと見たくて、彼の眼鏡に手を伸ばした時だった。
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