続)ファーストキッス・シンドローム※前作「ファーストキッス・シンドローム」の続きです。
若狭は真一郎と恋人として付き合うようになって以来、二人で出かける行為をデートと呼ぶようになった。
何事も形から入った方がいいだろうし、友達としての付き合いが長かったから切り替えも大事だ。
それもほとんどは若狭自身の言い訳で、何となくそう呼ぶ方が素敵な気分になるからだ。
デートと言っても、仕事終わりに一緒にバイクで走りに行くとかその程度のことだ。
まだ人前でいちゃつけるのほどの度胸は若狭にはない。
それでも、二人きりで海沿いを走るのはとてもいい気分だった。
初代黒龍時代に、チームのみんなで真一郎の背中を見て走った。当時はみんなの真一郎だった。
それを今、独り占めできるのだと思うと、若狭の胸は高鳴る。
海沿いの公園にバイクを停めると、秋の海風を受けながら歩いた。乱れた金髪を若狭はかき上げる。
遠くにカップルが歩いているのが小さく見えたが、人通りはまばらだった。
レインボーブリッジ視界の端で光っている。
今までただの風景として見ていたそれが、今日はひときわ綺麗に輝いている。
「ワカ」
海沿いの手すりにもたれて、真一郎は若狭を呼んだ。
二人で並んで海を眺める。真一郎は隣で煙草に火をつけた。
ライターの火に照らされる横顔に、やはり若狭はどきっとする。
『ワカに好きになってほしい』そういってキスをした男だ。
悪くないワ、若狭は密かに思う。
白い煙が風に消えていく。煙草の銘柄を真一郎は一度も変えたことがない。
だから、この匂いに包まれると自然と十代の記憶がよみがえってくる。
当時『告白二十連敗男』と呼ばれていた真一郎は来年三十路で、今やバツイチだった。
「…………」
手すりの上にある真一郎の手が、若狭の手に触れた。たぶん意図したものではなくたまたま当たったという感じだった。
それに気づいた真一郎はちらっと若狭を見て微笑む。
若狭はそれにどきどきする。
真一郎とは違い、若狭は女遊びもそれなりにやった方だ。
手が触れ合うくらい何なんだ、お互い童貞じゃないのに、そう思っても胸の鼓動が収まらない。
ただ、ただの恋だと一言で済ませるには乱暴すぎる。もう十代の若造ではない。
本当はわかっている、心以上に体が落ち着かないだけだ。
キスより先がしてぇ。
若狭は暗い海を眺め、密かに深呼吸する。
『この後、ホテル行く?』
女の子が相手なら、冷静にそう言えるはずだ。
ましてや、隣に立つ男とは恋人として付き合っているから、そう言ったところで何の問題もない。
しかしここで、それを言ってしまっていいのかという迷いが若狭にはある
男、つまり若狭とセックスするというのは今の真一郎のキャパに収まるのだろうか。
キスをしたのもつい最近のことだ、その先を確かめたことはない。
恋愛に関しては、過去のフラれた古傷が疼くのか真一郎からほとんど語らない。
わざわざ若狭から傷をえぐりにいくつもりもない。
敵陣に突っ込むことが得意な元・特攻隊長としては、身動きが取れないでいる。
それとも、真一郎は若狭が突っ込んでくるのを待っているのだろうか。
真一郎の方へ若狭はちらりと顔を向けた。
真一郎は短くなった煙草を捨てると、若狭の手を唐突に握った。
「ふぁ」
変な声が出た。若狭は慌てて口を押えた。
真一郎の手が近づいてきて、若狭は思わず目を閉じた。
その指が若狭の髪をかき分けると、額に口づける。少し乾いた唇は、一瞬だけ触れて離れていった。
「……真ちゃん……?」
若狭が恐る恐る瞼を上げると真一郎の手はすでに離れていた。
「ごめん、ワカ。明日朝からお客さん入ってっから、今日は帰るわ」
「え?あ、う、うん」
若狭がしどろもどろに答えるうちに、真一郎は背中を向けた。
「おやすみ。じゃ、また今度な」
「……おやすみ……」
真一郎のシャツが海風に翻る。
若狭は去っていくその背中を眺めていた。
しばらくすると、バブのエンジン音が聞こえ、それも遠くなっていった。
若狭は、切なさや寂しさというよりも、遥かに悶々とした気持ちの方が大きかった。
「大人って辛い……」
若狭は一人手すりにもたれてため息をつく。
キス一つじゃ満足できないんだよ、もう。
火照った若狭の体に海風は冷たく、その瞳にはレインボーブリッジは一層煌めいて見えた。
(続く)