降る日ふわりと、花びらが目の現れる。ひらりひらりと揺らいではゆっくりと降下して、既に床一面に広がっていた花の上に優しく落ちる。もう一度顔を上げると、今度は花びらだけじゃなく、色鮮やかな花がたくさん降ってきた。真一郎は花に囲まれた場所で微笑んだ。
「すげーな、今日は。こんなのは年に1回くらいしか……あ」
そういえば、と手を叩く。たぶん、今日は俺の誕生日。だからか。
真一郎は1人納得した。そう考える間にも、雲ひとつない真っ青な空から降り注ぐ花は耐えない。この幻想的な景色は何度見ても感動モノだった。見る度に「おお……」と声が漏れる、手を差し出せば、またそこにゆっくりと花びらが乗っかった。
「んー。……これはエマと万次郎!」
オシロイバナ。可愛らしい花が落ちてきて、真一郎は1人で答えを言う。まだガキだったころ、3人で庭に植えて育てたっけ。俺と万次郎のは上手く育たなくて、エマがキレイに育った花を俺と万次郎にくれたっけ。その後、万次郎はなぜか、種だけくれたけど……。よくわからない記憶だが、やっぱり……あいつらの元気な姿を思い出せることは、愛おしいものだ。
「こっちは……武臣だな。相変わらずその辺の花を……」
呆れ口調でそうは言うものの、真一郎は古い記憶を辿り、その表情を緩める。幼少期、武臣とよく遊んだ公園。春になると咲くたくさんのたんぽぽを眺めては、咲き終えたその綿毛をたくさん飛ばしたこと。ひらりと降りてきたたんぽぽを一つ摘むと、その時と同じように、めいっぱい肺に空気を入れて、その綿毛を飛ばしていく。ふわふわと緩やかに風に乗って舞っていく様子は、やはり何度観ても懐かしくて、ジン、と胸が温かくなった。
今度は誰だろうか。
「……んー、こりゃ黒龍のやつらだ」
ぐわっと影が出来るほどの大量の花びらが、どっさりと真一郎に降りかかる。
「あはは! 相変わらず、すげー量」
どうせアイツら、花になんか詳しくないんだ。仏壇に添えるような堅苦しい花かと思えば、情熱を感じる赤い薔薇なんかも、色んな花が数え切れないくらい、大事な仲間の数だけ、どっさりと。
髪の毛や肩に花びらが乗っかり、微笑ましそうにその一つ一つを優しく手に取り眺めていく真一郎。
その次はベンケイであろう、綺麗な形の満開のひまわりだ 。「 背が高くて、太陽みたいなお前にピッタリだ」とかつて言われたことがあったから。相変わらず、毎年大きなひまわりを茎ごと降らせて来やがる。ははっ、と笑う真一郎は、足元に広がった花たちを丁寧に掻き分け、その地面に挿し自身の隣に並べた。ピッタリ、同じ背丈だった。
それからも沢山の花が降り注ぐ。一つ一つ、誰かの事を思いながら受け止めて、心を温めていった。
「さーて……そろそろかな?」
真一郎はソワソワとしやがら空を見上げた。この世界に時間経過があるのかよくわからない。けれど太陽は無いのに、空は静かに色を宿し、鮮やかな青から神々しいオレンジ、神秘的な濃い紫、そうして深い夜空の色へ移り変わっていた。
ふと視界の端で、キラリ、と一筋の光が頭上を過ぎる。
「お!」
毎年この日になると現れる流星群。目を凝らしてよく見れば、ゆっくり、静かにキラキラと光を放っては消えていくのがいつも楽しみだった。かつて生前、この光景を見たことをハッキリと思い出す。
「たしか21の頃だったか…… 」
──病院で夜勤を務めていた時だ。こんな夜中に……と連絡が来たその送り主はワカだった。「会おうぜ」という一言のメールと同時に、静かだった病院の敷地内のロータリーにエンジン音を響かせて車が入って来たのが休憩室の窓から見えた。艶やかな黒塗りのセダンから降りてきたのは、それが良く似合う品のある男。どうして急に、と思ったが、それは建物を出てすぐにわかった。
病院の外に出ると、少し機嫌が良さそうにワカはタバコを口に咥えながら「ん」と顎で空を指す。見上げれば、ぼんやりと白い光が一瞬で過ぎ去る。見間違いか、と目を凝らせば、また一筋光が走っていく。
「すげぇ……」
「だろ? ま、街中だから見にくいけど。大きいヤツくらいはちょっとは見えるからサ」
そういえば昼間の待合室で、今日は流星群が──なんてニュース番組で言ってたっけ。だとしても、こんなにも簡単に流れ星が見えるとは思っていなかった。おそらく山奥や灯りのない場所に行けばもっと鮮明に見れるのだろう。さすがに仕事を放って行くことはできないが、それでも今はこうやって空を眺めていてもいいかな、と思った。
「ちょっと冷えるな…… 」
「ワカ、上着はそれだけ?」
「車にある」
パタン、と車のドアを開けて上着を取ると、スーツ姿のヤクザには似合わないモコモコのパーカーが出てくる。
「ふは、それまだ着てるの?」
「あったけ〜からイイの」
10代の頃に「チョーあったけぇの」と自慢げに見してきたワカの上着。当時は白豹と呼ばれていた由縁である明るい髪色と同化し、それはもう大変可愛らしかった白いモコモコのパーカー。それを厳つい墨入りヤクザが羽織っているのだから、おもしろい。
「かわいいね、ワカ」
「そー言うのは真ちゃんだけ」
笑いあっているとするりと自然に指が絡まって、気づけば恋人繋ぎになる。そのまま病院の敷地にあるベンチまで歩くと2人は腰を下ろし、また空を見上げた。深夜の冬の空気、鼻の奥がツン、と冷えた。澄んだ空、とは言えない街中の夜空だが、淡く見える流星群はたしかにそこにあった。
「流れ星って、こんなにたくさん見えるもんなんだな……」
「……そうだネ。綺麗」
ふとを横を見れば、若狭の目はまっすぐに天を向いていた。綺麗に通った鼻筋も、薄い唇も、それから真一郎の目線に気づいて表情を和らげながら視線を合わせてくれる、その目も。愛おしくてたまらないものの1つだった。
「ありがとう、ワカ」
「ん。少しは気晴らししねぇとな。真ちゃんこういうロマンチックなの好きだろ?」
「よくお分かりで」
ちゅ、と軽くキスを交わした。そのあと、珍しく若狭の方から距離を縮めた。真一郎の胸に包まれるように身を寄せ、温もりを分け与えるようにもう一度指を絡め直した。
「……ふふ、みて、暴走流星群……」
「……言うと思ったぜ」
「カッコイイよ。まじで。今でも大好きだよ」
「……そう、ありがと」
懐かしい記憶を呼び覚まして2人して笑った。寒かったけれど、確かに温かかった。辛い日々の中にあった確かな幸せだった。
そんな景色を忘れるわけが無くて──
「あー……。懐かしい……」
小さな声はほんの少し震えていた。
真一郎は最初の世界線の事を思い出す。万次郎の介護があって、愛し合う関係だったというのに全然構ってやることが出来なかった。それでも若狭から与えられる愛情はしっかり感じていたし、同じ量の愛を返せないのがもどかしいと思うほど、それはもうたくさん。
命を絶つ直前、あの時、あの後、若狭に感謝の言葉も謝罪の言葉も、別れの言葉も……なにも言えないままだったことへの後悔。それだと言うのに、万次郎が元気に生きている世界でもまた会うことが出来て、全て打ち明けて、それでも受け入れてくれて──ほろり、と真一郎の目から涙が一筋零れた。
真一郎が忘れることが出来ず、こうして死後の世界でも反映されてしまうほどに濃く焼き付いた、美しくてこの上ないほどに温かかった光景。今日とは日付こそ違うものの、ずっと忘れられない夜。
世界が変わってしまった今、残された若狭は裏社会に足を踏み入れず真っ当に生きている若狭だ。当然、覚えてるとは思えない。
けれど、いつもより花がたくさん降ってくる日にこうして、あの頃見た景色と同じよう星が降ってくるんだ。どこかで、最初の世界線の若狭が花の代わりに星を降らせてくれているのかもしれない。真一郎が居ない世界、もう消えてしまった世界でも、もしかしたらあの若狭なら今でも俺の事を……なんて、そんな都合のいい理想を抱いてひとりで呆れて、でも、それでいいと思った。
自身の腕で強く涙を拭った。彼のことを思いどれだけの時間が経っただろう。真一郎が再び空を見あげる頃には、その流星群の光は明るい空に消えていった。
「あー、今年も綺麗だった」
真一郎ふう、と小さく息を吐いた時だった。
ひらり、と再び花びらが落ちてくる。それに気づいて顔を上げれば、鮮やかなとピンク色、淡い白色……相変わらず、今日も綺麗な花が降ってきた。それはかつてまだ10代の頃、1度若狭に買ったことがある彼の誕生花だった。本当は、死ななければ……またその花を彼の誕生日に渡して祝いたかった……。
「……ったく、毎日毎日、花降らせやがって」
やれやれ、と言いながらも、愛する人を思い浮かべ穏やかに微笑む真一郎は、アザレアの花を一つ手にして胸に抱いた。
こうして今日も、昨日も一昨日も、おそらく明日も明後日も、その先もずっと……ふわりふわりと穏やかに降り注ぐその花はほんの少しの量だったけれど、だけど、それは真一郎のいる世界に辺り一面に広がる花と同じだった。
8月1日は、そのアザレアの上に真一郎を慕う人たちの気持ちが花となり降り注ぐ日。そうして無限に続くほどに敷き詰められた花たちの中──牡丹の花びらが混じっていることに、真一郎はまだ気づいていなかった。