溶けないクッキー2月14日のバレンタインデー。真ちゃんが「チームを作ろう!」と言ってからまだ数日、そんな矢先に浮かれていいのか悪いのか、今年もチョコをもらってしまった。元々少食な上にこうも甘いものを一度にもらってしまっては一人じゃ食えないと思い、真ちゃんのいる街へバイクを走らる。本当は真ちゃんに渡せたらいいなと思って買ったクッキーが入った缶も、それらと一緒に紙袋に入れて忍ばせた。
待ち合わせの予定もなしにいつもたむろする廃工場に行くと先約が2名。予想通り真ちゃんと武臣が居た。来て正解だった。
「あれ! ワカじゃん、連絡してねーのに! ナイスタイミング」
「うわ、なんか持ってきてんぞあいつ」
まだ制服姿のままの2人がオレに気がつくとこっちに来いと手招きする。呼ばれるがままに掛け寄れば、2人が向かい合って挟むテーブルの上に沢山のお菓子が並んでいた。
「おお。これまた随分な量だネ」
手作り感満載のチョコレートに可愛らしいラッピング。中には明らかに手の込んだものやメッセージ付きのものまである。察する。
「義理チョコ!」
「俺ら2人ともな」
真ちゃんと武臣は本気でそう思っているのだろう。だから本命が混じってるぞ、なんて言えずに「ふぅん」とだけ返した。2人のが混ざって置かれてるから一目ではわからないけど、どちらに向けた本命チョコなのだろうか。それを数秒睨みつけると、小さい紙に書かれたメッセージの中に「さのクンへ」の文字を見つけてしまう。見なければ良かった、と思うけれど、同時にやっぱりか、と納得もする。
真ちゃんが本命を貰わない訳がない。告白連敗中!だなんて言うけど彼を好意の眼差しで見つめるオンナノコは何人も見た。彼が無自覚なだけで、モテているのは事実だから。
「義理でもいいんだよ、俺は家に帰ればエマからチョコ貰えるから」
「俺も。妹から貰える……はずだけど」
2人の会話にハッと意識を戻す。平然を装い紙袋を低いテーブルの上に置く。少し重みのある箱の音とカツンと鳴る缶の音が混じる。
「高い洋酒入りのチョコしか受け付けねぇ、って言ってもコレ。食いきれねぇから一緒に食おうぜ」
何個か取り出せば、その丁寧な梱包に2人が「おお……」と声を漏らす。少しお値段の張るものだろう、とわかる煌びやかさ。学校からの出待ちで数人の女性からもらったモノ。何歳かわからないけど、時々顔を合わせてはオレを可愛がってくれる年上の人たちだった。正直彼女たちをイイなとは思うけど、やっぱり、どうしたって真ちゃんには敵わない。
「すげーなウチのモテ男は」
ウチの、なんて言う何気ない一言にドキッとしつつ、また平然を装いどこからか椅子を探して座る。ギギ、と古いパイプ椅子が鳴り、うるさい心臓の音をかき消してくれた気がした。
「じゃあ、さっそく食おうぜ」
武臣がなにも気にせず適当に袋を開けていく。「これ気になる」なんてちゃっかり1番高そうなチョコを指さしてはオレからの「いいよ」を待っていた。真ちゃんもどれにするか迷ってはひとつ手に取り、1口サイズのトリュフを口に運んでいく。
「ん、うま」
「うわ、洋酒入りのチョコってこんな味なんだ」
「おい、オマエばっか食ってんじゃねえ寄越せ」
それぞれの感想を言いながら食べ進めた。何個か小袋を空にしたところで、テーブルの端に置いていた缶に手を伸ばす。フタを開けるとクッキーが何種類か入っていて、チョコチップのクッキーや、チョコがサンドされたもの、チョコがトッピングされたもの……小さいけれど美味しそうで、そのうちの一つを手に取り真ちゃんに差し出す。
「はい真ちゃんアーン」
既に口いっぱいにチョコを頬張っていた真ちゃんはオレに「待て」と手のひらを見せ、数秒かけて噛み砕き飲み込んでからぱかっと口を開けてこちらを見た。
「あー」
「はいどうぞ」
オレはまだ食ってないけど、美味しいだろうか。もぐもぐと咀嚼する横顔すらもかっこよくて可愛いなと思ったり。まったく考えずにやってしまったけど、アーンしちまった……なんて、これ以上彼を見ていると顔が赤くなってしまいそうだったから目線をそらし自分の口にもクッキーを運んだ。無心でチョコチップをガリガリと噛み砕いた。
「あー、コレうめぇ」
「……そう、良かったネ」
そう言って真ちゃんはオレが持つクッキー缶の中からいくつか手に取り、それをまたぽいぽいと口に入れた。
良かった。美味しいと言ってくれたことが嬉しくて思わず笑ってしまった。
「何笑ってんだぁ?」
武臣がそれに気づいて指摘してきたのに驚いて、恥ずかしくて、困る。
「いや。野郎3人揃って甘ぇモンを食って……なんか、おもしろくねぇ?」
別に面白くもないけど、自分が笑っていた嘘の理由を咄嗟に口にした。
「まあ確かに?」
自分から聞いてきた割に興味なさげな返事に、今だけはほっとして肩の力が抜けた。ギイ、となる椅子がまた心臓の音を誤魔化してくれた気がする。
「そろそろ飽きてきたかも。コーヒー飲みてー」
「近くのコンビニって公衆電話あったよな。買ってくるついでにベンケイん家電話してこよ。アイツにも食わせようぜ」
「それがイイ。オレも飽きてきた」
武臣がよっこらせらと立ち上がりバイクのキーを手にして建物から出ていく。真ちゃんと2人きりになってどうしようかと考えていると、つんつん、と手の甲を突かれる。
「なあワカ、それもうちょい貰っていい?」
クッキーの入った缶を指さして「お願い」と言わんばかりの眼差しを向けてくる。お願いもなにも、真ちゃんのために用意したのだからいいに決まってる。缶ごと真ちゃんに渡すと「やった!」と大袈裟にはしゃいで、また美味しそうに口に運んでいく。
いい気分だな、と思いその姿を見ているとふと目が合って、またドキッとしてしまう。今日は心臓に悪い日かもしれねェ。
「はい、アーン」
目の前に真ちゃんの手とクッキー。
「……お、?」
「あれ? 食いてぇンじゃねえの? はい」
クッキーと真ちゃんの目を交互に見る。ドキドキと高鳴りっぱなしの心臓が苦しくて、やばい、と脳みそが危険信号すら出してしまいそうだった。
「ん」
パクッと彼の手のクッキーを口で受け取ってから顔を逸らしてもぐもぐと食べる。背もたれに寄りかかる椅子の音とクッキーの咀嚼音が、またうるさい心臓の音を紛らわせてくれる。
「うめぇよな、これ。食べやすい」
上機嫌な声が聞こえてきて、耳までやられてしまいそうだった。ダメだ、自分がコンビニに行けばよかったと思うほど。我ながら拗らせていると思う。くそ。
「胸焼けしてきた……」
「確かにワカが甘いモン食うイメージ無いかも。あ、いっぱい食ってる俺の方が勝ち?」
ギブアップか? ってにこにことオレを見る真ちゃん。ああ、好きだな、と何度も思ってしまう。惚れたもん負けだ。
「ウン、オレの負け」
「よっしゃー! 喧嘩じゃ勝てねぇけど、バレンタインデーで食えるチョコの量なら勝てるってわかったぜ」
嬉しそうにしてる。良かった。
「じゃあ来年も楽しみだネ」
「じゃあ来年も集まろうぜ!」
小指を立てて「約束な」と笑う。そんなの、約束なんてしなくてもいつでも集まるって言うのに。彼はそういう小さな約束も大事にするんだろうなぁ、って思うから。
「はは、オレが負けちゃう日だ」
「うん。俺が勝っちゃう日!」
たぶんずっと勝てないな、って思った。
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「はい、真ちゃん、バレンタインデー」
「え? いいの?!」
2月14日、バレンタインデー。真ちゃんのいる店に紙袋を持っていく。
「ワカ、今年もいいのか!ありがとう」
「ウン。ホワイトデー楽しみにしてる」
「任せろ」
うん、と大きく頷いて嬉しそうに笑った真ちゃんはオレ からの紙袋を受け取る。店内の椅子に腰掛けてさっそく袋の中身を覗いては頭の上に「!」を浮かべていた。
「あれ? なんかこのメーカー知ってるかも」
真ちゃんが知ってるなんて珍しい、と思いながら彼の隣に座る。今年はクッキーの入った缶。かつて真ちゃんに、オレが用意したとは言わず内緒で食べさせたあのクッキー缶と同じメーカーの物を買ってきたのだ。容器の装飾や柄は違えど、人気のクッキーの味は変わらないままらしい。
「こういうメーカー覚えてるなんて珍しいじゃん」
「いやー、だってさ、覚えてる? 武臣とワカと、後からベンケイも来たけどみんなでバレンタインデーのチョコ食べた日あったじゃん? 黒龍の創立直前の年」
頭の中にあった記憶を真ちゃんが喋り始める。真ちゃんも覚えてたの? という驚きで顔を上げるとあの頃と変わらない横顔が、また嬉しそうに眉を下げ目を細めていた。
「そん時のさ、ワカが持ってきたこのクッキーの缶のやつが1番美味くてさ。これとは缶の模様違うけど、同じメーカーだろ?」
ぱかっと音を立て缶の蓋を開け「そうそう、これこれ」と一人頷いている。クッキーを手に取り、口に運び、もぐもぐと咀嚼しては「んまい」と言葉を漏らす。
「へー、それが1番、美味しかったんだ……」
あれだけ数があったモノたちの中で過去に溶け込まず、彼の中に記憶として残っていたことが嬉しかった。心の中がポカポカと熱を帯びてたまらない気持ちになった。
「おう。でもよー、あれってワカがオンナノコから貰ったやつなんだろ? 今思うとちょっと嫉妬しちゃうな」
真ちゃんはちょっとだけ口を尖らせていた。可愛いな、と思っていると真ちゃんはチョコチップのクッキーを1つ手にして俺に差し出す。
「はい、アーン」
「ん」
お互いへのアーンも慣れっこだが、あの日の事を思い出しているせいでいつもよりドキドキとしてしまった。あー、今も変わらず好きだ。
「……あのクッキーさ、誰が用意したと思う?」
「え? ワカの学校で出待ちしてたオネーサンじゃねえの?」
ぱちくり、と瞬きをして今度は頭の上に「?」を浮かべている。気分が良くてたまらなかった。
「違ぇよ」
「違うの?」
真ちゃんはどういうこと? と首を傾げてクッキーを見つめている。それをまた口に運びもぐもぐと頬を膨らませていた。
「あれ、オレが用意してたヤツ」
「…………おお? そうなの?」
10年越しのネタバレに対して真ちゃんはピンと来ていなかったみたいだ。ぐるぐるとその頭の中で思考回路が巡っているのが伝わる。真ちゃんは少し時間を置いてからまた「え?」と声を出した。
「なんでワカが用意してるの 」
「……真ちゃんイマイチ理解してねぇな?」
「え〜……俺の中にある期待と現実が一致してるのかどうかわかんなくて」
「ふうん?」
真ちゃんは少し赤くなった頬を隠すように手で口元を覆う。
「え……俺に食わすために忍ばせてた……? 俺のために……?」
ドキドキ、という言葉が彼の周りに溢れているように見えた。嬉しい気持ちと愛おしい気持ちでたまらなくて口元が緩んでしまう。もう、彼に出会ってからずっとたまらない。今ではそれを隠さなくていいや、と思えるのも幸せだと思った。
「だから武臣には食わせてねェだろ?」
「あ……っ!! たしかにッッッ」
今度は両手で顔を覆っていた。その姿が面白くて笑ってしまうと、真ちゃんは指の隙間から目をのぞかせて「笑うな」と言う。
「……え、えっと……ワカはその時から、お、俺の事……?」
真ちゃんの中にある期待は現実と一致、してるよ。
「どうだろうネ?」
「え、え……! ど、どうしよ!? 俺ってまじで愛されてんな!?」
デケェ図体した野郎の癖に顔を隠しバタバタと乙女のように足をバタつかせている。こんな動きエマちゃんがしてたな、なんて思うとまた笑ってしまう。
「そうだよ、真ちゃん。オレずっと真ちゃんのこと好きだぜ」
ピタリと動きの止まった真ちゃんはゆっくりと手を下ろすと、そのままオレを強く抱き締めた。冬の少し冷えた店内では真ちゃんの温度が心地よくて、その熱をもっと受け取ろうと自分も彼の背中に手を回した。
「ワカにはかなわねぇかもしれねぇけど、俺もめっちゃワカ好き」
髪の隙間に彼の指が入り込み優しく梳かれる。心地よくて目を瞑ると。真ちゃんの鼓動をより強く感じた。
「ねえ、ワカ、もう1回言って?」
囁くような彼の息が耳にかかると、さらに体温が急上昇するようだった。ドクン、と心臓が一際大きく鳴って、ああ、くそ、やっぱり勝てねぇ。
「真ちゃん、好きだ。オレ、もう真ちゃんには勝てねぇ」
「えー、どうして?」
「惚れたモン負け」
「じゃあ、ワカは俺にだけ最弱王?」
「かもネ」