星を届けてキラキラ光る星を見上げて、ヒミコはほうっと、白い息を吐いた。
「今日はクリスマス、なのだ」
その昔、『クリスマス』の事を知らなかった相手に、その意味を教えた時の事を思い出す。
赤い服を着た使者が、子ども達にプレゼントを贈る日。
その相手は「星が欲しい」と言っていた。
その時ヒミコには、何故その様な事を言い出したのか分からなかった。
けれど『欲しい』という物なら、あげたかった。本物は、あげるのが叶わなかったから、せめて自分の手で作った物をと渡したら、とても……嬉しそうに、笑っていた。
「トラちゃん、星は見つかったのか?」
空を見上げて、ヒミコはその向こう側に声をかける。返事はない。
随分昔に、旅に出てしまったのだから。
どこにいるか、いつ戻ってくるかも分からなくて、寂しくないと言えば嘘になる。
けれど、共に過ごした事を思い出す度、心がふわりと、暖かくなる。
相手も、そうであってくれているだろうか。
側にいれば、この上なく明るく笑える様にしてあげられるというのに、今は、目にする事も、触れる事も、声を届ける事も出来ない、遠い遠い所にいる。
心に星があるのなら、今すぐ届けてあげたかった。寂しくない様に。側にいるよと伝える為に。
ヒミコは、自分の胸元の前でぎゅっと両拳を握る。
目を閉じて、自分の中から拳の中へと、想いが伝わる様にと願いを込める。
「…トラちゃんの所へ、飛んでいけ……!」
パッと大きく腕を広げて、ヒミコは笑って、天を仰いだ。
自分の想いと心が、そうやって……空を、星を通じて、相手に届けばいいと、そう思った。
ヒミコは、今一度、同じ様に拳を握る。
今度は、別の相手の事を考えての事だった。
ぎゅうっと握った手を腕ごと大きく開き、再び天を仰いだ。
「ワタルの所へ、飛んでいけ……!」
白い息を吐きながら、目をキラキラさせながら、ヒミコは笑って、そうそう言った。
遠く離れた友だちは、笑顔でいるだろうか?
寂しくないだろうか?
自分がいるよ、と、その想いを届けたくて……
ヒミコは、自分の心が星へと変わり、空を通じて飛んでいって欲しいと、願った。
◆
寒風が吹く、とある夜空の下。
焚き火の前で一人座り、暖を取っていた虎王は、ふと、気配を感じて、上空を見上げた。
「………?なんだ……?」
何かが、降ってくる。
雪とも、羽根ともつかない、何か……白くて、ふわふわとして光っている物が『二つ』、虎王の元へと降り立とうとしていた。
「………?」
虎王は、二つのうち、先に降りてきた方に手を伸ばした。指先が、その光に触れた時……
フワッと、虎王の体を、温かな物が包んだ。
「……これは、ヒミコ……?」
声が聞こえる訳でも、姿が見える訳でもない。
けれど虎王は、今、ヒミコがすぐ側にいる時と同じ位の温かさを感じていると思った。
虎王にとっての、春の日差し。
どんなに寒くても、想い出すだけで心が柔らかくなる、そんな…気配を……
「……ヒミコ……」
虎王の口元が、綻んだ。周りはしんと冷えているのに、火にあたるよりも、虎王の体も心も、温かく満たされていった。
次いで、今一度虎王は上を見る。眼前に落ちてきた『もう一つ』の光に、虎王はそっと触れた。
ふわり、と、周囲が明るくなる心地がした。暗闇でも失われる事のない灯火、暗い道でも行先を照らす篝火の様な……
「……ワタル………?」
虎王は、大切な『トモダチ』の名を口にする。
本の少し、泣きたくなった。
苦難が訪れる度、迷いが生じる度、思い浮かべる顔。
道を見失わない様、虎王が支えにし続ける、消える事のない希望の光……
「励ましてくれてるのか?二人とも……」
バカだな、と、虎王は小さく呟いた。どちらにともつかず、またどちらにも伝える様に。
自分は大丈夫だ、と、言い切れるほど何かを見つけた訳ではなく。
それでも、前に進もうという気持ちが失われる事はない。
その力を、与え続けているのは………
「………」
虎王は目を閉じて、胸元に手を当てる。
先ほど、自分が感じた暖かさを思い出す様に。
感じた暖かさをそのままそっと掴む様にして、緩く拳を作る。
少し腕を上に上げて、静かに手を開いた。
同じ事を、今一度繰り返す。
今度は、自らを照らした光の明るさを思い返した。
緩く握った手を、再び上に掲げて手を広げる。
そこから飛び立ったののが何かは……今は虎王のみが、知ることだった。
「……そんなに、心配するな」
苦笑して白い息を吐きながら、虎王は星が瞬く空を見上げていた。
◆
ワタルは塾の帰り道、クリスマスの音楽が流れる商店街を抜けて、一人帰路についていた。
喧騒から離れた住宅街には、いくつか、クリスマスにふさわしい電飾が灯っている家がある。赤や黄色に青などの光が、チカチカと瞬いていた。
かじかむ手と手を擦り合わせ、ふうっとワタルは、自らの手に息を吹きかけた。温い自分の吐いた息が、一瞬、手を温める。
ふと、空を見る。
今夜は寒くて、もしかしたら雪が降るのでは、と思ったが、上空にはわずかな雲があるばかりで、星と月が、よく見えた。
凍える夜の空にひっそりと輝く月と、その周りに散りばめられ、小さいながらも強い光を放つ星。
それらはまるで、寒い中、互いを温め合う為に寄り添っている様にも見えた。
さながら………
「……ん?」
ワタルは、上空へと目を凝らす。
最初は、雪が降ってきたかと思った。
けれども『それ』は、雪というには大きくて、淡く光を放っているように見えた。
「なんだろ……、あれ……」
『大きめの綿帽子』という表現が、ワタルにはしっくりときた。
月の白い光の一部が溢れ落ちたような『それ』は、ふわりふわりと漂いながら、ワタルへと降りて来る……
「……?」
どうやら『それ』は二つあるようだった。ワタルは先に降りてきた光へと、手を伸ばした。
指先が、光へと触れた、その瞬間、
『ワタル!』
「え?」
ワタルの脳裏に、明るく眩しく笑う姿が、思い浮かんだ。
「これ……ヒミコ……?」
指先から伝わってきた感触を、どう表現して良いのか分からなかった。けれどワタルの中には、ふつふつと、明るい気持ちが湧き上がって来る。
まるで、たった今、とても楽しい思いをしたかのようだった。
いつもいつも、どんな時も、ワタルの傍で眩しく笑い続けていた、彼女と過ごした時の様に……
「今のがヒミコなら、こっちは……?」
ワタルは、後から落ちてきた光へと手を伸ばした。淡く白い光が、指先へと触れると……
『ワタル』
「?!」
ワタルの心に、一陣の風が吹く。
迷いやためらいを、一瞬で吹き飛ばしていく様な……
「……虎王?」
心に浮かんだ名を口にする。
先ほどの風を思い起こし、最後に別れた時の笑顔が蘇ってくる。
今、どこでどうしているのかは、分からない。
その旅路が、虎王にとってどんな物か、ワタルには知る由もない。
けれど、今、確かに感じた風の力強さは、
あの時のままで……
「………元気なんだろうな、ヒミコも、虎王も……」
けれど、と思う。
だから、と想う。
ワタルは目を閉じて、胸元に手を当てる。
明るい笑い声を思い出し、それを掬い上げる様にして、手をすぼめた。
手のひらを自分の口元に寄せ、ふうっと、上空に向けて、息を吹きかける。丁度、綿毛を飛ばす様に。
再び、ワタルは手を胸元に当てて、目を閉じる。
風を、力強い笑顔を思い起こし、掬い上げた想いを、息を吹きかけて上空に飛ばした。
白い息は周囲に溶けて消えていく。
けれど、届けたい想いは、消える事はない。
そう願いながら、ワタルは、いつの間にか雲がかかり始めた夜空を見上げていた。
◆
周囲の闇が濃くなり、夜空には気付けば雲が多くなってきた。
けれど創界山の虹が隠れる事はない。
きんと冷える空気に、七色の輝きは一層美しく輝いている。
けれどヒミコは、星が見えなくなってしまった事を残念に思った。雲の隙間が出来ないだろうかと、ヒミコは白い息を吐きながら、じいっと、空を見上げていた。
すると……
「なんか落ちて来たのだ!」
曇り空から、ふわりふわりと、ほの白い『何か』が降って来た。まるで雪の様に、くるりくるりと、弧を描いている。けれど、雪ではないと、ヒミコには分かった。
わくわくしながら、ヒミコは『それ』が降りてくるのを見守っていた。
手の届く所まで来た時……ヒミコは『二つ』の『それ』に、手を伸ばす。
ヒミコが、それに触れた時……
光が、弾ける様に溢れた。
◆
眩しさに一瞬、ヒミコは目を閉じた。
そうして、目を薄く開き……
すぐさま、目を丸くした。
夜のはずだった。
けれど、周囲はほの白く輝いていた。
上空は暗いのに、地面だけが光っている様だった。
ヒミコの目の前に、人影があった。手を伸ばして掴むには遠く、けれど、とても近い距離に。『二人』とも、ヒミコと同じ様に目を丸くしている。
喜びが、
嬉しさが、
幸せが、
ヒミコの中に満ち溢れていく。
「トラちゃんっ……、ワタル!」
顔一杯の笑顔で、ヒミコは二人に笑いかけた。
虎王もワタルも、それぞれの顔を見て、戸惑った様子だった。
けれどヒミコの呼びかけに、顔を向けて……
二人とも、ヒミコに笑いかける。
とても、嬉しげに。
次いで二人は、互いの顔を見る。目が合うと、少し気まずそうに…それでも、やはり嬉しげに、笑った。
三人は、その場から動かなかった。
虎王とワタルが、今一度ヒミコを見る。
三人で共に過ごした日々が、思い起こされて……
幸せな気持ちで、ヒミコは再び、虎王とワタルに、笑いかけた。
二人もまた、ヒミコに笑いかける。ヒミコが大好きな笑顔だった。
ほの白い光が、一層、輝きを増す。三人を温かく包み込む様に、視界を白く染めていった。
◆
気付くと、ヒミコの周囲は暗くなっていた。
辺りを見回しても二人はいない。
遠くに創界山の虹が見える。
知らず、ヒミコはその虹を見つめた。その目端に、白いものが掠めた。
上を見上げると……
「……雪、なのだ!」
キラキラと光る息を吐きながら、ヒミコは弾んだ声を上げる。
夜空を隠した雲が、ふわり、ふわりと雪を降らせていた。
ヒミコは、手の平で雪を受け止める。一瞬手の一部を冷やした白い結晶は、すぐに溶けて温い水へと変わった。
ヒミコは、しんしんと降る雪を見上げた。耳や指先が冷たかったが、心はとても……温かだった。
虎王とワタルの上にも、今、雪が降っているのだろうか?
だとしたら、今三人は、同じ光景を見ている事になる。
違う空の下でも、同じく雪を見て、そうして……
きっと、ここにはいない『二人』の事を、想っていて……
「………」
少しだけ、ヒミコの笑みが寂しげな物となる。
寂しくないと言えば、嘘だった。
いつも、いつでも、会いたい時に会えるのなら、どれだけ良いだろう。
けれど、それでも、
笑った顔が見れた。
元気そうな姿だった。
それを知る事が出来た……その事が、
ヒミコを、なによりも幸せな気持ちにしてくれた。
雪は、後から後から降ってくる。地面を、木々を、そしてヒミコの髪や肩を、ゆっくりと白く染めていく。
雪を降らす雲の向こう側には、星がある。
星空がある限り、きっと三人は繋がっていられる。
そう信じ、湧き上がる喜びと幸せな想いのまま……
ヒミコは、雪空に向かって、とびきりの笑顔を向けた。