やきもち 最初は気付かなかった。いや、気付けなかったという方が正しいのかもしれない。所詮例愛偏差値Fランクだったのだからそういう、恋愛に対しての感はかなり鈍いほうだと思う。自分にも相手に対しても。
いつだったか、これという何かがあった分けじゃないけれど、ふとした拍子に視線を感じた。顔を向けるとかならず黒沢がいて、目線が合うと少し狼狽したかのような罰の悪い表情をするのだ。そうかと思うと、ふいっと視線が外されることもあった。
無意識なのかなと思うのは、二人で会う時はまったく普段と変わりないし、別々に過ごす夜の時も電話越しでは変わった様子は微塵も感じなかった。恋愛偏差値が低かろうが高かろうがこちらが好感を抱いている相手の変化にはさすがに気付く、と思う。いや、思いたい。
(何、一人でモヤモヤしてんだ俺は)
こういう時はぐだぐだと考えるより行動した方がいい。そう過去で学んだはずだ。
「黒沢!」
「安達? どうかした?」
「今晩さ、ちょっと話が…」
「お! 安達ぃ! 探してたんだよ」
廊下を歩いていた黒沢を見つけ約束を取り付ける前に運悪く浦部さんにつかまってしまう。
「え、あ、浦部さん。何かありましたか?」
「この資料なんか数値がおかしいから見直せって課長から言われちゃってさ。これ安達が作った奴だよな? なんか急いでるっぽいんだよ」
「え? あ、はい」
「黒沢、話してるとこ悪いな。安達ちょっと借りてくぞ」
浦部さんはそういって俺の肩に手を回した。その瞬間、黒沢の表情が固まりこちらに向けられる目に力が入るのが分かった。
(これだ、この視線)
「黒沢?」
俺が声をかけると、黒沢がはっとして視線を少し外す。
「大丈夫です。また後で安達と話をするので行ってください」
(もしかして、もしかしなくても)
「悪いねぇ、ほんと」
本当にそう思っているのかいまいち掴めない浦部さんから肩に体重をかけられ、盛大に傾きながら執務フロアに足を踏み入れるころには、モヤっとしていたものが形をもって言葉になっていた。
嫉妬、だ。
あの視線の意味はそうだと思う。
嫉妬というとなんだかあまり良いイメージはないし、そこまで重くはない。どちらかというと焼きもちをやいている。そんな感じなんじゃないだろうか。
(あの黒沢が、俺に対して?)
誰かに触れられる度、誰かに声を掛けられ話す度、もしかして黒沢は焼きもちを焼いていた、とか。
(皆、同僚じゃんか。馬鹿だなぁ)
でも、気持ちは分かる。俺だって、うん、そうだ。どっちもどっち、だと思う。
告白されて付き合って、紆余曲折を経て恋人同士になって。
嬉しくて楽しくてフワフワした気持ちは変わらないんだけれど、でもだからこそ気付いたこともあった。
俺たちが付き合っていることを公言しているわけではないから、モテオブモテを極めた黒沢に群がってくる女性は相変わらずで、以前なら見慣れた光景だったはずなのに、なんだか胸がチクチク痛いと感じたのはいつだったか。
この三十年生きてきて、誰かに対してそんな感情を抱くことがあるなんて思ってもみなかった。彼を好きになるまでは。
(あー、でもお姉さんに俺、焼きもち焼いてたんだった、そういえば)
黒沢の気持ちが変わるのが寂しいと感じたあの時と似ている。
時計を見るとあと五分で定時だった。
黒沢は急遽外回りになり出かけていた。携帯を取り出し勤怠管理システムを見ると直帰と入力されていて、急いで待ち合わせの時間と場所のメッセージを送る。
するとすぐさまオッケーとスタンプが送られてきた。
黒沢に、今の俺の気持ちを伝えたらどんな顔をするだろうか。
「俺だってやきもち焼いてんだぞ」
黒沢の表情を心の中で思い描きながら、俺は下階へ行くエレベータへと一歩足を踏み出した。
END