嫉妬(7柏真)町内会なんて組織は自分にはてんで馴染みのないものだが、そういえばこの人は昔からそういった組やら会やら──所謂極道組織のそれに留まらず──管理がマメだったなと思い返す。ただ、自治会費等は納めるより納められる側ではあったが。
サバイバーの店先で中年の女性と何やら話し込んでいるマスターを、クローズドにした店内からここぞとばかりにじっとみつめる。その表情は穏やかだが、人から見れば厳つい強面にも見えるのだろう。自分としては、あの垂れ目がこちらの名を呼ぶときに更に細まるのが堪らないのだ。当然ながら今はその目はこちらを見ない。はよ戻ってこんかなあ、と些か退屈になって頬杖をついた。
ふと視線の先、何か言われたマスターが照れたように笑うのを見て、大人気ないことだが機嫌が一気に急降下した。
「……。」
それから少しして回覧板を手にした彼が店内に戻ってきた。それをテーブルに置いて、カウンターの中ではなく隣のスツールに座る。
「……なんや、話し込んどったな」
「ああ、悪い。ほら、前に鴨肉貰って鍋したことあったろ。それが彼女で、ちょっとお礼の物をな」
「歳はそれなりやけど、結構な別嬪さんやないか。アンタ、オッサンなってもモテるのお」
「こら、人妻だぞ」
「ひひっ、やらしい響きやなあ」
おどけて笑ってみせるが、声のわざとらしさに何か感じたのだろう。マスターがこちらの隻眼を覗き込んでくる。
「なんだ、妬いたのか?」
「……あかんか?」
冗談めいた声に、至って真面目なトーンとむすくれた顔で返せば、向こうは目を瞠って驚いた表情で黙ってしまった。
「俺らはもう、互いのモンやろ。何も無いって分かっとっても、俺のモンに……好きな相手に色目使われてやきもち妬いたら、あかんか?」
昔は、嫉妬なんて間違っても口には出せない関係だった。そんな権利もないと思っていた。いつ手を離されてもいいように、引き留めないように。甘えたがりの心は既に依存の片鱗を呈していたが、束縛しないことがせめてもの思い遣りだった。きっとそれは向こうも同じだったのだと、今なら確信を持って言える。
「俺も、男なんやで」
そこまで勢いで言い募ってしまったが、急に不安になって顔を見られなくなってしまった。反応が怖い。重いと思われただろうか。折角の心地好い関係に傷をつけてしまっただろうか。
真島、と呼ばれるのにも黙ったままでいると優しい掌が頬を撫でた。思わず目線を上げれば、なんとも言えない表情をしたマスターと目が合う。
あ、知っている、とふいに感じた。
よく知った柏木修としての顔が、眼鏡越しに浮かんでいる。なんだか懐かしくなって、愛おしくなって、唐突にその後ろへ整えられた前髪を掻き乱してしまいたい衝動に駆られた。
俺は、と柏木が口を開く。
「俺はお前のモン……なら、お前も俺のモンか?真島……。」
「ああ、当たり前やろ。アンタしかおらん。もう、この先ずーっとや」
一瞬、柏木が泣き出しそうな顔をして、それに手を伸ばすと力強く抱き締められた。痛いくらいの抱擁に、渦を巻いていた不安と不機嫌がすっかり霧散する。我ながら現金なものだ。誰より愛されていることなんて、もう十分わかりきっていたのに。
「…………真島、俺は重いぞ」
「ヒヒッ、ふらふら浮ついとる俺にはちょうどええわ」
漬物石くらいじゃあ足りひんで、と笑って軽く背を叩くと身体を離した柏木もつられて笑う。情の篭った瞳の色合い。ああ、この顔がたまらんのや、と年甲斐もなくどきどきしてしまう。蕩けるような表情のまま自然と顔が近付き──と、つい流されそうになったが、慌ててその唇にぴたりと指を押し当てて止めた。
「……ここやと外から丸見えやで」
「そうだったな……。」
柏木がちらりと壁掛けの時計を見遣る。開店までまだ時間は優にあった。
「……上、行くか」
その少し掠れた声の色気に期待で背中がぞくぞくする。触れた指先にちゅっと軽く口付けられて顔が火照る。気付けば飛び跳ねるような勢いで階段を駆け上っていた。背後からかかる穏やかな笑い声と、はよう、とこちらの急かす声が二人きりの店内に静かに溶けていった。