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    risya0705

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    ポン中軸柏真 #6#5の続きがまだ……)ラスト

    ##ポン中軸

    #6 サイケ・ブルードアを閉めて、助手席に座る男を見遣る。左ハンドルの車だと、こちらからは真島の表情が眼帯で隠れてしまうのがもどかしい。大人しく座って窓に凭れる男の肩上からシートベルトを引っ張り、きちんと装着させてやる。その動きのまま、真島の顔をじっと見つめた。

    頬は痩せこけて肌色は蒼白、健在な右目も酷い隈で落窪んで見える。目尻の皺が増えた。もうずっと何年もかけて見つめ続けてきた、愛おしい狂人が静かに眠っている。

    ドアをロックしてエンジンをかける。車がゆっくりと動き出すのに、んん、と真島が吐息を漏らした。

    「起きたか。気分はどうだ」
    「……どこ、いくん?」
    「どこに行きたい?」
    「…………」

    駐車場を出て、自然と導かれるように神室町への経路を辿っている。それきりまた黙ってしまった真島をちらと伺いながら、踏切に引っかかったタイミングで煙草に火をつけた。カンカンカン、と警報音が聞こえるのになぜか不安な気持ちになる。真島が嗤いながら飛び出して行ってしまうようなビジョンが浮かんだ。そんな杞憂を鼻で笑うかのように、真島は隣で静かに目を瞑ってぐったりとしている。始発電車が通過していくのを横目に真島の口元に吸いさしを宛てがうと、条件反射のように薄く口を開いてそれを受け取った。遮断機が上がる。冬の夜明けはまだ遠い。

    「そういや、海に行きたがってたよな、昔。覚えてるか?」
    「……」
    「行ってみるか、今から」
    「……埠頭?」
    「それじゃああんまりだろう。どこへでも、お前が行きたい所に行くよ」
    「…………ワシは行かれへん」

    ぽつり、と隣で呟く声を聞く。

    「神室町から出られんのや」
    「俺が連れて行く」
    「……さよか」

    紫煙とともに吐き出されたそれは、どうせできやしない、という諦めを孕んでいた。

    「……ほんなら、着いたら起こしてや」
    「ああ」

    アクセルを踏み込む。気が付けばなぜか神室町の入口まで来ていた。わざわざここを通過する必要など無かったのに。経路を選んだのは自分であるはずなのに、ひどく落ち着かない気分になる。見えない力に吸い寄せられているようで嫌だった。早くこの街を出よう。全てを捨てて、お前と海に行こう。

    ──本当に?

    「……今更、なにを……」
    「……」

    顔を撫で付けて更にアクセルを踏み込む。本当に、本気で、俺は真島と一緒に生きてみたかった。

    得体の知れないずっしりとした重苦しさを振り払うように車を走らせる。ようやっと神室町も新宿もその境目を超えて、ほっと安堵の息を吐いた。

    「ほら、出られたろ、真島……」
    「…………」
    「……真島?」

    真島の様子がおかしい。眠っているにしても静かすぎた。いつの間にか渡した煙草は足元で燻っている。

    「なあ、真島。もう神室町に縛られてやることはねえんだ。……真島!」

    ドクドクと心臓が嫌な音を立てる、口が乾く。辛抱できずに男の肩をグイッと引き寄せる。

    「あ……」

    真島の服を纏っただけの白骨が鎮座していた。手に力を込めた衝撃で、触れた箇所から次々に、さらさらと骨が粉になって崩れていく。

    「やめろ……」

    崩れ落ちる白い砂を必死に抱きとめようとするが、指と指の間をすり抜けるだけだった。

    「いやだ……」

    ガラガラと音を立てて周囲の世界が崩壊していく。車も街もそこには無い。あるのは砂になった真島と自分だけだ。足元が無くなって落ちていく。いやだ、とまた無意識に呟いて、その砂を両手の掌に掬い上げる。こぼれていく骨の砂を夢中で口に運び、ザラついたそれをむさぼるように嚥下した。







    「……ぅ…………あ……」

    (……最悪の目覚めだ)

    飛び起きる気力も無かった。頭は痛いし身体中に鉛を流し込まれたように重い。

    (今、何時だ……真島は……)

    ハッと目を開ける。ベッドの上ですらなかった。冷たいフローリングからなんとか身を起こす。黒い遮光カーテンが引かれているが、その隙間から漏れる僅かな日光すら刺すように眩しかった。

    (真島は……もういねえんだ)

    壊れた足枷とちぎれた鎖が廊下に打ち捨てられている。張りぼては役目を終えて死んでいた。飽きて捨てられた自分そのもののようで酷くみじめだった。

    淫靡で強烈な夜を最後の思い出に、真島はこの部屋を出て行ってしまった。きっともう二度と俺の腕の中に戻ることはない。それは確信だった。

    『傘、おおきにな……柏木さん』

    真島の置き去りにした言葉が頭の中で何度もリフレインする。俺の傘なんてエゴは何の役にも立ちやしない。俺はお前を救えなかった。鼻の奥が熱く痛む。みっともなく逃げられてなお、考えるのはあいつのことばかりだった。

    「……ぅ、ぐ……」

    なんとか立ち上がれば、真島に盛られた薬の副作用で目眩と吐き気が襲う。手を着いたシーツはぐしょぐしょで酷い有様だった。

    けれどその醜い残骸すら愛おしかった。









    2005年12月1日

    12月になった。
    もうすぐ、桐生が出所する。

    風間からは何もするなと言われたきりだ。ただ、近いうちにことが起きるだろうからいつでも兵隊を動かせるようにしておけ、とは前々から命じられている。風間組としては桐生を大々的に迎え入れることはせず──堂島組を吸収しているのだから当然ではあるが──何か独自で画策しているらしい。自分の組の若頭の俺よりも、錦山組に潜らせているシンジのほうが腹心として使いやすいようだった。そのことに微塵も嫉妬や苛立ちを覚えていない自分に苦笑する。憧れていた。敬愛していた。傍で支えていたかった。だが所詮、こんなものなのだ。確実な線引きがそこにはあった。いっそ命を投げ出せと命じられたほうが二つ返事で従えるのに、と煙草をふかす。

    それにきっと、真島を飼っていたことだって、傍から見れば離叛と言えるのだろう。情報を何より重要視する風間が、俺のしていたことを何も知らないとは思えない。

    (……ちゃんと眠れてるんだろうか)

    あの日から、神室町で真島を見かけない。探し求めるべきではないとは流石に分かりきっている。向こうから関係を断ち切られたのだ。ただ、寒い夜に独り行き倒れていなければいい。

    (また、余計なことばっかり考えちまうな)

    眉間を揉むように押さえる。今はそれどころではないのに。

    成り上がりたい錦山は、既に風間組を追い落とそうと目論んでいるだろう。そしてそれを黙って見ている嶋野ではない。錦山については、もともとがヒマワリの子供で、身から出た錆のようなところはある。ただ嶋野、そして嶋野組と真っ向から対峙するとなると、今まで水面下で争ってきたように穏便にはいかないだろう。風間の一言さえあれば、ついに全面戦争、武力行使もやむを得ない。きっと、東城会の歴史が動く。

    (死んでこいと命じられるのは構わねえ。だが、あいつを──)

    未だ、風間からの連絡は無い。









    2005年12月7日

    何だと、と思わず携帯電話を引っ掴んだまま立ち上がる。

    昨日、世良の葬儀会場で風間の親父が撃たれた。嶋野組が桐生を追い回しているうちに、事情も現場の状況もよく分からないまま救急車に同乗し、病院で処置を待っている間、顔を蒼くしたシンジに風間と桐生との密会の件をようやく知らされた。すみません、柏木さんにも内密にと親っさんが……と言葉を濁すシンジに、分かってる、とだけ告げた。

    『いいか、柏木。その時が来たら──それはいずれ、そうと分かる。その時が来たら、お前は俺の元に侍るな。もし俺が誰かの肩借りなきゃならねえ状況になったら、シンジを寄越せ。お前は組の連中まとめ上げて、誰も先走った馬鹿を起こさせねえようにするんだ。分かったな。……あいつが動くのを、待つんだ』
    『……はい』

    世良が殺される前、緊急幹部会に向かう風間に呼ばれて下知されたことだった。奥歯を強く噛み締める。もはや、賽は投げられたのだ。

    なんとか一命を取り留めた風間をシンジに託し、風間を撃った犯人を捜そうと躍起になる者、嶋野組に違いないと勝手に早合点する者、桐生を捕まえて話を聞こうとする者など、それぞれをなんとか抑えつけているところへの、シンジからの電話だった。

    「例の娘が、真島組に拉致られただと!?」

    100億事件の容疑者が澤村由美だということ、その共謀者が妹の美月とやらだというのも昨日届いたばかりの情報である。そしてどうやら事件の鍵を握るのが美月の娘の澤村遥という少女だということも幹部間では既に知れ渡っており、各勢力が桐生の連れているその子供を手中に収めようと躍起になっていた。

    ひとつ思うのは、全てが──この事件に関する人間や流れた血の全てが、風間の思い描いていた絵図通りなのではないかということ。だがその風間の命も危うい今となっては、そんなことは言っていられなかった。

    『はい。でも、もう事は済みました。桐生の兄貴がバッティングセンターで真島組長たちとやり合ったそうですが……。その間に、風間さんの指示で動いていた寺田が、女の子逃がしてやったみたいで。今はまた、兄貴のところに戻ってます』
    「寺田が……そうか。いや、それよりも……」

    今、風間組としての最優先事項は組長の安全と澤村遥の保護だ。だから本来ならば「それよりも」なんてある訳がない。電話越しのシンジに、動揺が悟られていないだろうか。

    「やり合ったって、その……無事なのか?」

    どっちが、とは流石に言えなかった。

    『ええ、子供は無傷で、兄貴も大した怪我はないそうです。なんでも、真島さんは自分の組の子分に腹刺されて、さっきバッセンに救急車来てたらしいですが……』
    「──え?」
    『誘拐は嶋野組の差し金でしょうかね。とりあえず、親っさんは以前話したあの女のところで休ませておきます。桐生の兄貴には?』
    「……」
    『柏木さん?』
    「……あ、ああ。いや、まだ桐生には伝えるな。どこから聞かれてるか分からねえからな……。お前も気をつけろよ」
    『はい。また連絡します』
    「ああ」

    電話を切る。風間の意識が戻ったことを喜んでいられる余裕もなかった。

    (真島が、腹を刺されて──救急車──)

    何度も悪夢に見た、血の海に転がる真島の姿がフラッシュバックする。それはただの夢だと首を振ってみても、いずれ数日のうちに東城会の幹部連中が次々と討ち合いになり倒れていくのが、いよいよ現実味を帯びてきた。

    (せめて、死ぬ前に……俺かお前、どっちが先かは分からねぇが、くたばる前に一目会えたら……)

    会って、どうしようというのだろう。最期の一言、何を話したいかなんてさっぱり思いつかなかった。ただどうしても、指一本触れられなくてもいいから会いたかった。顔を見たかった。

    (桐生との喧嘩は楽しかったか。そんなに夢中になるくらい……)

    もはや自分でも誤魔化しがきかないくらい、心配と同時にジリジリと湧くのは紛れもなく嫉妬だった。あんなに蕩けた顔をして善がっていた癖に、首筋にしがみついてきた癖に、結局他の男の手で死んでいくのかと思うと強い憤怒のような感情が煮えてくる。

    (俺はとっくにお前のモンだ。お前も……お前と──)

    お前を殺して死んでやろうか、なんて陳腐で浅はかな言葉さえ浮かんでは消える。それができればこの半年間、悪夢に魘されることなどなかったのだ。

    (それでも……)

    後悔先に立たずだろう。事態は一刻一秒目まぐるしく変化している。そんなことをしている場合じゃないのは分かりきっていたが、ほんの少し、取るに足らない自分のために人生を費やしてやりたくなった。








    2005年12月9日 深夜

    消灯時間をとうに過ぎた暗い病棟を、我が物顔で静かに歩く。目的の扉の前で立っていた男がポケットの携帯電話を取り出そうと視線を落とした隙に、躊躇なく後ろから首を絞め落とした。口から泡を吹いて白目を剥く男を廊下に落とさないようにして、そっと扉を横に引いて開ける。

    広い個室の部屋に入ると、入口の内側に男を転がしてドアを閉じた。奥にカーテンが引かれていて、医療機器のライトがいくつか点灯しているのが透けて見える。シャッと一息にカーテンを払い除けた。

    病院のパジャマを着た真島が眠っている。眼帯は着けたままだった。

    「……」

    コポポポ、と酸素マスクから伸びるチューブの先についた加湿器が微かな音を立てている。心電図の機器は見方こそ詳しくはないが、時折波打つような赤色を不穏なアラームと共に点滅させてはすぐに平常に戻るのを慣れたように繰り返していた。

    「……起きてるんだろう、真島」

    もう一歩、ベッドに歩み寄る。とっくに気配に気付いるはずの真島だが、なかなか瞼を上げない。

    「……本当に寝てんのか?」

    こちらを無視するのが真島の意思表示なら、それはそれで構わなかった。しかしどうにも、その寝顔は狸寝入りというよりあの同居生活でよく見知った昏睡のようなそれに似ていた。ちら、と真島の腕から伸びる点滴に目を遣る。こいつのことだから、安静にできない身体をなんとか抑えるために鎮静剤やら何やらを盛られていてもおかしくはなかった。

    「真島……」

    顔を見るだけ、声をかけるだけで帰るはずだった。しかし姿を見てしまえば傍に寄り添っていたい欲が出る。たった二週間かそこらの空白が、こんなにも飢餓をもたらすなんて想像もつかなかった。

    ベッドの横に片膝をつき、親指を右目に沿わすようにしてそっと頬に手のひらを押し当てる。する、と指先で撫でるようにすると、真島が何度かまばたきをして、重そうに瞼を持ち上げてこちらを見つめた。無言のまま見つめ返す。

    ふと、真島がとろんとした顔で笑った。

    「おはよぉ」
    「……っ」

    息を呑む。こちらが戸惑って固まっている間に、真島は「ん?」だの「あ?」だの言いながら目をしぱしぱさせて邪魔そうに酸素マスクを外していた。どうやら寝惚けていたようで、身を起こしてこちらに向き直ってから「ヒヒッ」と照れたように笑うのが、彼に不似合いでいとけなく可愛らしかった。

    「平気なのか、起きても」
    「屁でもないわ。こんなんその日のうちに傷は塞がっとんねん。ワシが面倒起こすん厄介やから、ここに寝かしつけとるだけや。……ああもう、やかましいのう」

    ポイポイと心電図を外したせいでアラームを鳴らす機器に舌打ちして、真島がコンセントを引っこ抜いて電源を落としてしまう。看護師が駆けつけて来るんじゃないかと思ったが、真島は「死んどっても夜には巡視に来んようよーっく言いつけてあんねん」と言ってのけた。

    「んで、なんや?ワシのケツでも恋しゅうなったんか?」
    「いや……ただ、心配で。顔が見てぇと思って」

    会いたかった、と重ねて言えば、真島は虚を突かれたような顔をして片眉をヒョイと上げた。

    「また、えらくド直球やな」
    「もう意地張って格好つけてられる時間もねえんだ」
    「ま、せやろなぁ。ワシには跡目も100億もどうでもええことやが。こないなお祭り騒ぎ、楽しまな損やで」

    イッヒッヒッ、と懐かしい笑い方をする。

    「……なんだか、スッキリしたな、お前」
    「うん?」
    「憑き物が落ちたような顔して……」
    「ま、久しぶりにゴツい獲物相手に喧嘩できたからのぉ。それに、街も輩もみぃんな血ぃの匂いさせてギラギラした目ぇしとって……俺の好きな神室町に戻ったみたいや」
    「……楽しかったみてぇだな、アイツとの喧嘩は」
    「そら、もぉ。まだまだ愉しむでぇ。……はーん、なるほどなぁ」

    真島の右目がすうっと蛇のような眼差しでこちらを射貫く。唇の片端をきゅっと歪ませて意地悪げに笑うのが、堪らない気持ちにさせた。

    「男の嫉妬は醜いで?」
    「……」
    「そこで否定せんのが、アンタのかわええところなんやけどな」
    「……真島。もう、桐生との喧嘩は十分楽しんだだろう」
    「何アホ言うてんねん。こないだはウチのあほんだらのせいで消化不良やったんや。……桐生チャンとの喧嘩のケリ、つけに行かな」
    「どうしても、か」
    「くどい」

    真島がベッドサイドから煙草を漁ろうとする、その手首を掴む。

    「ケリつけるってのは、お前が満足するまでか?……それとも」
    「それとも?」

    眉間に皺を寄せるこちらを、真島はなんとも言えない妖艶な表情で笑ってみせた。

    「せやで、分かっとるやろぉ……他でもない、誰より俺を見てきたアンタなら」
    「真島……」
    「せやから、アンタは今日ここに来たんやろ?」

    俺に掴まれているのとは反対の手で、真島がこちらの顔に手を伸ばして、先程俺がそうしたように頬に手を添えてくる。掌は記憶のままひんやりと冷たかった。目を閉じてされるがままになる。掴んでいた手首を離すと、真島は両手で顔に触れてきた。

    「……困った人やな」

    せっかく逃がしてやったんに、と指先が目元を擽る。

    「そう、そのまんま、目ぇ閉じててな。……アンタが覚悟決めて素直さんになってくれたんやから、俺もちょっとは腹割らんと不義理やな」

    少しの間、沈黙が落ちる。それから真島が動いた気配がして、不意に唇に柔らかな感触がふれて思わず目を開けた。

    唇を重ねたまま、合わさった目線で真島が『黙って』と伝えてくる。肌の表面を押し合わせただけの色気の無いキスが何より愛おしかった。押し寄せる感情の波を全て注ぎ込むように、真島の身体を強く抱き締めた。

    「……」
    「……」

    吐息が互いの鼻先を擽る。真島が目を閉じる。その近すぎる毒気の無い表情をどうにか心に焼き付けようとした。そうしてから、こちらも目を閉じて唇の感触と腕の中の温度に浸った。

    ゆっくりと真島が顔を離して、長い初恋のようなキスが終わる。

    「…………俺な、アンタのこと好きやで」

    掠れた声で真島が呟く。

    「お節介で、世話焼きで、お人好しで、せやけど惚れる相手の趣味が悪くて──。この街のヤクザにしては、あんまり優しくてきれいで」

    自分はそんな善良な人間じゃない。けれど、真島がそう思っていてくれるなら、それを好きだと言ってくれるのなら、いくらでも見栄を張ってそうしてやりたかった。

    「アンタは桐生チャンに嫉妬したけどなぁ、今日この日まで生かしてくれたんが誰なんか、分かっとらんのはアンタのほうやで」
    「真島……」
    「さっきもそうや。アンタの気配に慣れてしまったせいで、心地ようて、さっぱり全然起きられへんのや。なんや、でっかいシロクマにでも抱っこされとる気分や。……嶋野の狂犬が聞いて呆れるで、ホンマ」
    「真島……真島。好きだ。ずっと好きだった」
    「知っとるって……」

    鼻先がツンと痛んで情けなくもじんわりと視界が滲んでくるのを、真島が目尻を指で拭ってふっと笑う。

    「俺もアンタが好きや。けど──けど、それとこれとは話が別やねん」
    「……」
    「自分の命の張りどころくらい、自分で決めさせてや。俺は……俺にはもう、枷も首輪もいらん」
    「……ああ。もう……分かった」

    あれだけ蹂躙された鳥は、ネオンの光を受けて見事なギラついた羽根で飛び立つ。この男が何よりも飢え求める自由への飛翔を邪魔したくはなかった。

    (そんなお前だから、心底惚れ込んだんだ)

    「……アンタなら、分かってくれるって信じてたで」

    すり、と真島が頬擦りしてくる。そうしてそのまま愛しい体温は離れて行った。

    「真島……これ、やるよ。いらなかったら捨てろ」
    「ん?」

    自分の腕に嵌めていた腕時計を外して真島の左手に勝手に付ける。真島はじっとしてされるがままになっていた。

    「高いやつや」
    「大したもんじゃねえ。……重いか?」

    二重の意味での問いだったが、真島はヒヒ、と笑っただけだった。

    「……せや」

    真島がベッドの反対側から裸足で降りて、ロッカーをごそごそと漁る。見慣れた蛇革のジャケットの内ポケットから、掌に収まる程度の小さな小袋を取り出してきて、こちらに渡してきた。

    「これ……」
    「見覚えあるか?なんか名残惜しそなカオしとるけど、アンタにあげられるようなモン、ワシ持っとらんからのぉ」

    それはいらんでも道端に捨てたらアカンで、と言われるのにどういう顔をしたらいいか分からなくなる。

    (あの夜の……)

    あのトリップとサイケデリックな浮遊感でいやらしく交わった夜の、確かセックスの合間にでも手慰みのように嗅いでいた匂袋だった。その中身が香料なんかではないことは、身をもって知っている。

    「中身、あの日でほとんど無ぅなってしまったかもしれんがのお。他のがええなら、適当に選んで取ってってや」
    「いや、これがいい。お前の選んだモンがいい。……ありがとな」
    「もう、行くやろ」
    「ああ」

    匂袋をスーツの内側に仕舞い込み、立ち上がる。後ろを向いてカーテンに手をかけて、躊躇い、もう一度振り返って、真島に覆い被さるように思い切り抱き締めてキスをした。

    「……じゃあな、真島」
    「……おおきにな、柏木さん」

    真島の手が背中を押す。今度こそ一歩進んで後ろ手にカーテンを閉じた。

    「……なあ」

    女々しい奴と笑われても構わない。最後にひとつ、未練を負わせて欲しかった。

    「ことが済んだら……全部終いにしたら、お前を海に連れて行くよ。血の赤ばっかりじゃ見飽きるだろう。目の覚めるような真っ青な海に、連れて行くから」
    「……楽しみにしとるわ」

    入る前とはまるで違う心情で、静かに病室を出る。
    もう、夢はみなかった。









    2005年12月14日 深夜

    風間組の組員を総動員したトラックが次々と夜道を抜けていく。いよいよ決戦の日だ。総動員といっても、己の命も全てここに掛けて親のために戦おうという気概のある男だけを連れてきている。

    (俺も、ここが命の張りどころだ)

    ようやく穏健派の看板を下ろせる日が来たのだ。逸る心に急かされて、さらにアクセルを踏み込む。急ぎ、芝浦埠頭へ。

    「いよいよですね、カシラ」
    「ああ」

    助手席の子分が浮き足立った声色で話しかけてくる。後ろに詰めている若衆たちも、血気盛んにあれこれと盛り上がっていた。

    「嶋野組には、今まで散々世話になったからな」
    「本当になァ。ウチでケツもってる店にみかじめせびりに来たり、ほらあの、親っさんが面倒見てたホストクラブもそうだろ」
    「それになぁ、若いモンは知らねえだろうがもっと古くから嶋野とは因縁があってなあ」
    「そうだそうだ、あの時も──」

    士気が上がるぶんには構わないと聞き流していたが、不意に「嶋野の狂犬」という言葉が聞こえてきて耳を傾ける。

    「ああ、真島組長か。いつも人殴っては血塗れになってたな」
    「キレたらヤバいプッツンなんだろ」
    「アイツも埠頭に来てんのか?」
    「いやでも、夕方に桐生さんとサシでやり合って負けたって聞いたぜ」
    「そうだ、なんでも桃源郷ってデカいソープにダンプ突っ込んだとか……」
    「──その話、本当なのか」

    黙って聞いていられず、つい口を挟んでしまった。こちらも組員の動員に走り回っていたため、日中の神室町の騒動については初耳だった。

    「ええ、といっても実際に見たワケじゃあないんですが。ソープは車突っ込まれたとこだけじゃなく、ホールの床も崩壊したとか……なんだか酷い有様らしいですよ」
    「……真島は、どうなったんだ」
    「いえ、詳しくは、あまり……」
    「そうか……」

    分かっていたことだった。覚悟していたから──だからこそ、無理をしてでもあの夜病院に忍び込んだのだ。

    『分かっとるやろぉ……他でもない、誰より俺を見てきたアンタなら』
    『自分の命の張りどころくらい、自分で決めさせてや。俺は……俺にはもう、枷も首輪もいらん』
    『……おおきにな、柏木さん』

    ぐっと唇を噛み締めてから、何でもないふうに続ける。

    「まあ、アイツはサシの喧嘩が好きなんだ。たとえピンピンしてたとしても、親の喧嘩に顔出す柄じゃあねえよ。世良の葬儀のときにも顔出さなかったしな……」
    「へえ、そうなんすか」
    「そんなら、向かうところ敵無しっすよ!」
    「嶋野組とのケリ、つけてやりましょうや!」
    「……ああ」

    遠いな、と思う。こんなにアクセルを吹かしてしるのに、芝浦はまだ遠い。

    ハンドルを握ったまま、反対の手でスーツの内ポケットを探る。かさ、と指先に真島から貰った匂袋が触れる。

    全ての躊躇や思惑を振り払うように、深くそれを吸い込んだ。










    風間新太郎と嶋野太の合同葬儀は東城会本部にて行われた。通夜は別々だったが、大物幹部の直系組長ふたりとあってはそれぞれに縁深い者たちも多く、世良会長の葬儀に引けを取らないものとなっていた。

    合同葬儀とは言うものの、それぞれの組でおおよその仕切りは分かれて執り行っている。嶋野組は先日の内紛で若頭を喪い、ろくに話したこともない舎弟頭が音頭をとっていた。

    参列者に頭を下げてお決まりの挨拶をしながら、主であった故人に思いを馳せる場にそぐわず、先日の真島の通夜を思い出していた。不謹慎を咎める者もいない。真島の通夜は、嶋野の通夜の後ということもあり、生前の荒くれた存在感に比べたらいやにひっそりとした通夜だった。

    真島の遺体にはほとんど痛ましい外傷は無かった。あの日若衆から伝え聞いた通り、桃源郷で桐生とサシで戦い、力尽きて、それきりだったという。あの強い真島が、という者も──特に真島組の組員たちは──多くいたが、真島の鋼のような身体の内側が薬物や暴力で既にボロボロだったことを、俺だけは知っていた。きっかけさえあれば、いつ崩れてもおかしくはなかったのだと。

    真島は綺麗な白い死装束を着せられて納棺されていた。黒い眼帯は生前のままだ。すっきりとした穏やかな、満足そうな顔をして眠っている。

    これは悪夢の続きではないのだと、どうにも実感が湧かなかった。目を覚ましたら、眠そうな目をした真島が煙草を吹かしながらこちらの背を撫でているのだと、そう信じていたかった。







    桐生が東城会四代目会長の座を受け継いだと同時に蹴り飛ばし、不運にも生き残ったこちら側は大層繁盛していた。次から次へと仕事が舞い込み、既に自分の処理できる業務量はとうに越していたが、ある意味では多忙なほど助かった。煙草一本吸う時間も惜しいが身体はニコチンを求めてやまない。事務所の灰皿は子分たちが替えるので意識していなかったが、自宅のすぐさま山となる灰皿を見ると明らかに度を超えていた。本家や他所から寄越される仕事の他にも、個人的にやっておかなくてはならない引継ぎのことなどもあるから、どうしたって休んではいられない。グイ、と眠気覚ましに栄養ドリンクを飲み干した。

    ここ数日、帰宅は夜中の3時過ぎになっている。いっそ事務所で夜を明かしたほうが手っ取り早いのだが、部下の手前そうもいかない。

    自宅の至る所に、真島と暮らしていた痕跡や残り香が散らかっていた。真島がこの家を出た日から、結局部屋を片付ける余裕も暇もなくて、汚れたシーツや洗濯物は流石に手をかけたが、それ以外はほとんどそのままになっていた。

    真島に着せていた寝衣や洗面所の歯ブラシなんかを見る度に、半年間の白昼夢のような暮らしが浮かんでくる。ベッド下に押し込んだだけのあの壊れた足枷付きの鎖を手に取ると、確かな重みとじゃら、という音に真島の気配を思い出す。ソファで死んだように屈葬のように手足を丸めて眠っていた横顔や、ベッドで乱れていた黒髪の一本一本でさえ、今でも鮮明に蘇ってきた。焦げ付いた情念が行き場を喪って気が狂いそうだった。だからこそ、思考を紛らわせるためにも許容量以上の仕事が必要だった。

    一度用足しに立って、集中が切れたのを自覚してベッドに腰掛ける。無意識にまた煙草を吸っていた。シャワーも億劫だ、今夜はこのまま寝入ってしまおうか。

    短くなった煙草を揉み消し、ふと自分の指先が視界に入る。かつては真島の噛み癖のせいで刺したような赤みがいつも指に残っていたのだが、今ではすっかり消え去ってしまった。ぼうっとした頭で、ガリ、と自分の指に犬歯を突き立ててみる。鈍い痛みと滲む血が滑稽だった。

    「……馬鹿なことを……」
    『ほんまに、無意味やのぉ』
    「……ッ」

    ああ、まただ。
    いつの間にかベッドの隣に腰掛けた『真島』が寄り添って俺の手を取る。

    『アンタが欲しいのは「俺が」噛んだ痕やろぉ?自分で傷付けても意味ないでぇ』

    ぺろ、と俺の赤い指先を舐めとる。湿った感触がした。その身体をベッドに押し倒す。こちらの濃い隈のある目元に冷たい手を伸ばしてきた。

    『可哀想になぁ』
    「……」
    『可哀想な人や。惚れた相手も、渡世の親の死に目にも会えんで』
    「──違う!」

    埠頭での乱闘の果てに風間の最期に立ち会えなかったことなど、真島が知る由もない。これは自分の意識が真島の似姿に喋らせている幻覚に過ぎない。目をぎゅっと瞑り、真島じゃねえ、真島は死んだと言い聞かせて目を開くと、よれたシーツが広がっているだけだった。指の血など舐め取られる筈もなく、僅かにシーツを汚していた。

    (……死んでなお、お前を辱めたくねえのに)

    真島の幻覚を見るのはこれが初めてではなかった。日に日に見える頻度が増えていく。とうに気が触れていた。

    (約束は果たすから、もう少し待っててくれ)

    崩れるようにベッドに俯せになるが、眠気などやって来なかった。いつしか定位置になったサイドテーブルからスコッチを瓶のまま呷る。

    真島の好きな酒だった。












    風間らの四十九日の法要を粛々と終えたその夜、正確には翌日の夜明け前、東城会幹部の歴々が眠る墓地に不届き者が現れ、あろうことか墓泥棒をしていった。

    盗人は恍惚を通り越してひどく穏やかな顔をして情人の遺骨を取り出し、何事も無かったかのように丁寧にカロートを閉じた。













    「どうにも、雨続きだな。まぁ、俺たちらしいっちゃらしいか」
    「せやなぁ。アンタと会うときはいっつも雨やった」
    「だからだろうな、お前に渡そうと思って、傘がやけに増えちまった。お前は受け取らねぇし」
    「俺がそないに素直やったら気色悪いやろ」

    助手席の真島が鼻で笑う。そうしてジャケットから取り出した不思議な煙草をふかした。煙をぷかぷかさせて遊ぶその様子を心底愛おしいと思い、目を細めて見つめる。

    「なんや」
    「いや、いいなあ、と思ってな」
    「ほれ」

    すい、と吸いさしを差し出してくる。煙草自体を欲した訳ではなかったのだが、こちらは素直にそ煙草を口に貰った。

    ぷか、と車内にピンク色の煙が広がる。真島の吐息にはキラキラとした金箔の光が混じっていて見ていて愉快だった。顔を寄せてキスをすると真島が擽ったそうに首をすくめる。逃げる首筋に噛み付いて赤い歯型を残すと楽しそうにけらけらと声を立てて笑った。

    「なぁ、この車で最期までいくん?」

    真島がいつの間にか赤い飴玉を舐めている。真島が物を食べていてくれて嬉しい。いつもの甘い匂いが漂う。

    「そうだなぁ、どっかで乗換えるか……。今更、俺なんか追いかけても意味ねぇのにな」
    「ナンタラってえらい腕のええ情報屋がおるんやろ?」
    「まぁ、隠す気も無かったし、あいつが捜そうと思えばすぐに見つかるだろうな。あいつに依頼するだけの金や気概のある奴がいるかは分からねえが。部屋はもぬけの殻にしたが事務所には引継ぎを残していったし、もしやりたい奴がいれば後は好きにやればいいさ」
    「ヒヒッ、アンタらしくないのぉ」
    「いいんだ、これで」

    もう大切なものの間で揺れ動くことも、悩みや葛藤で眠れない夜もない。俺の隣にお前がいて、今度こそ夢でなく本当に、お前を連れて遠くへ行ける。

    「……海までは、まだ遠いな」
    「わざと遠回りしてへんかぁ?ま、それもええけどな」
    「……真島」
    「ん?」
    「愛してる」
    「ヒヒッ、知っとるって」

    真島が身体を寄せて肩に頭を乗せてくる。首にかかる髪を撫でながら、その愛おしい空虚な残り香を胸に吸い込み、強くアクセルを踏み込んだ。



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