冬の夜に 文字通り歯の根が合わなくなる寒さのせいで、吐いた白い息が大げさではなく端から凍りつくのではないかと思うほどで、終いには眩しくもないのに視界がチカチカとしてきた。一枚しかない毛羽立ったホコリ臭い毛布を二人で分け合い体に掛けるも、処々の隙間から、なけなしの熱が容赦なく逃げていく。いっそのこと頭からすっぽりと被った毛布の中で恥も外聞もかなぐり捨てて抱きしめ合い、互いの体で暖を取りたいくらいだ。そうやって相手の胸に耳をあて心臓が動く音を聴くことができれば、巡る血の温かさを想像し、まだ生きていることを実感させてくれるのではないだろうか――。けれども、まだかろうじて残っている理性が、そうすることを止めている。しかし如何ともしがたいこの寒さを耐え凌ぐために、「ここいらが落とし所」とどちらともなく伸ばした左手と右手を、これは妥協の範囲内であると黙って握りしめ合った。指の跡が付く程きつく握りしめている掌だけが、ジンワリと熱くなる。
「おい、蜜柑。なんか喋れよ。黙ってたら死んじまったかと思うだろ。おい!」
「聞こえている」
「だったら」
「檸檬、お前が喋れ。いつもは黙れといっても話し続けるくせに、こういうときに限って静かなのは、どういうわけだ」
「やだよ、さみいもん。口が回らねえ」
「それは俺も同じだ」
蜜柑は、息を吐くのと同時に自分の体温が外へと逃げていくのが腹立たしかった。だからといってさすがに呼吸を止めるわけにはいかず、少しでも外気に熱を奪われないようにと、鼻からゆっくりと静かに呼吸する。
「最後になるかもしれないから、本当の話をしてやる」
蜜柑はぼそりと呟いた。
「俺は自分から話をするよりも、お前の話を聞くほうが好きだ」
「最後ってどういう意味だよ! 嘘でもいいから、最後なんて言うなよ!」
いや、嘘でも駄目だろ! と、檸檬は眉間にシワを寄せる。
「じゃあ、本当ならいいのか。いやいや、本当に最後になっちまったら駄目か。もう、どっちなんだよ!」
子供みたいに口を尖らせ地団駄を踏む檸檬の姿に、蜜柑は堪らず声を上げて笑った。すると、肺を突き刺すような冷え冷えとした空気が喉元に飛び込んできて、そのせいで咽るように咳き込んでしまう。
「大丈夫かよ」
「お前が可笑しなことを言うから」
「俺のせいかよ! そもそもだな」
「檸檬!」
蜜柑は空いているほうの手を真っ直ぐと突き出し、曇り気味のフロントガラスの向こうを指差した。
「やつら、やっと来たぞ」
「俺たちのこと、どんだけ待たせるんだよ。待ち伏せがバレないようにエンジンを切ってたおかげで、危うく車の中で凍死するところだったじゃねえか。ぜってえ鼻毛が凍ってるぜ!」
蜜柑は「それは言い過ぎだ」と苦笑いをする。
「それにしても、お前が遭難ごっこをしようと言い出したときは馬鹿らしいと思ったが、暇潰しにはなって、案外面白かったな」
「嫌がっていたわりには蜜柑、やってみたらノリノリだったもんな。あいつらが来るのがもうちょっと遅かったら俺、あまりの寒さにお前に抱きついていたぜ?」
「冗談は顔だけにしとけよ。それよりも檸檬、さっさと片付けるぞ」
近づくライトに目を細めた蜜柑は、シートから腰を浮かせドアハンドルに手をかける。仕事は、ここに来るはずの車を待ち伏せして後部座席に座る男を誘拐し、それ以外の人間は撃ち殺す。という極めて楽な仕事。な、はずだった。ところが予定していた時間になっても目当ての車は現れず深夜零時を過ぎてしまい、おまけに「お前の分も用意しておいたぜ。気が利くだろ?」と得意げな顔で檸檬が差し出してきた携帯用カイロは、なぜかちっとも温かくはならなかった。その詫びのつもりなのか、蜜柑が銃を持つ右手を檸檬が温めてくれたというわけだ。けれども、檸檬があまりに強く握りしめてきたせいで手を離したあともジンジンと痺れる感覚が残り、これでは却って使いものにならないんじゃないかと危ぶんだ蜜柑は、引き金を引くのに支障がないか、手指の動きを何度も確かめた。
「なあ、蜜柑」
「なんだ?」
「さっきの、俺の話を聞くのが好きだってやつ。あれは本当か?」
蜜柑は目を丸くし、真面目な顔つきで訊ねてくる檸檬をまじまじと見やった。
「そんな事、言ったか?」
「言ったよ!」
「お前、寝ぼけていたんじゃないのか?」
「起きてたよ!」
蜜柑は開きかけたドアを静かに戻し、檸檬の大声のせいで相手に気取られたのではないかと顔を顰める。フロントガラス越しに前方を睨みつけ様子を伺い、やがてその目を檸檬に向けた。
「静かにしろ檸檬。そんなことよりも仕事が優先だ」
「あんな話を聞いたら、気になるだろうが。蜜柑こそ、さっさと喋っちまえよ。本当は俺が教えてやるトーマスくんたちの話を聞くのが好きなんだろ? なあ、そうなんだろ」
ずいと近づけてくる檸檬の顔を、蜜柑は咄嗟に掌で押し止め、声を落とす。
「聞きたいか?」
「ああ、聞きたい」
こくりと頷く檸檬の姿に、仕事もこのくらい素直にやってくれたらいいのにな、と蜜柑はため息をついた。
「だったらこの仕事を終わらせろ。帰りの車の中で教えてやる」
(終わり)