カルデア捜査本部に栄転したと思ったらヤバい奴と組まされた ーー俺、こいつに何かしたっけ?
シャルルマーニュは頬を撫でるピリピリとした敵意に頬を引き攣らせた。無論、全く心当たりはない。そもそも初対面だ。
正面の執務机に座していながら自分を存在していないもののように無視して何かを読んでいるこの男。歳の頃は二十代半ば、己と同年代だとあたりをつけた。
まず目を奪われたのは手入れの行き届いた輝くプラチナブロンドだ。やや伏せ目がちに資料を追うと髪と同じ色合いの長い睫毛が陶器のような頬に影を落とす。着ているスーツも公務員にしては華美で、全体的な第一印象としてはまるでどこかの貴族のように見えた。少なくとも刑事らしくはない。
その刑事らしくない男は部屋の入り口で突っ立っている異動者に目もくれず、全身から敵意ーーというよりも拒絶の意思を発散していた。
「少し……あー、かなり…その、変わり者だが……腕は確かだ」
この男と組めと指示した署長の何とも歯切れ悪い説明を思い返す。さらには「歳が近いのだからきっと大丈夫だろう!」と厄介払いでもするかのように最初の指示をされた。
青年は相変わらず資料に視線を落としているので軽く部屋を見回す。
普通なら四、五人で使っても十分余裕がありそうな部屋だがとにかく物が多いので狭く感じる。しかし散らかっているという印象は受けない。壁際の棚には地球儀やら、何に利用するのかもよく分からない機械やらが偏執的なほどにきっちりと並んでいる。大きな本棚にはファイルや本が詰め込まれているが、こちらも整理整頓が行き届いていた。
彼の机の上も多い。物というよりも情報量がだ。
一般的な事務机よりも大きめの天板には資料や機械、果ては実験器具のようなものまで並んでいる。
さらに異様なのがその背後に並ぶモニター。大小十を超える画面があらゆる情報を映し出しているようだった。彼の背後にも机があり、その映像の元となっているのであろう大型のパソコンがいくつか低い唸り声をあげていた。なるほどパソコン仕事をする時は椅子を回してドアに背を向ける形になるのだな、と想像した。
この部屋は、まるで蜘蛛の巣のようだ。部屋の奥の青年は資料を読んでいるのではなく、蜘蛛の巣にかかった情報を喰らっているのではないか。そんな妄想を払拭するために一つ頭を振り、ここに来た本来の目的を思い出す。
「ええと、そうだ! 殺人事件があったんだろ? 署長にアンタと捜査するように言われたんだ」
「ああ……それか」
今朝方、オフィスビル内で変死体が発見された。被害者は証券会社の社長で腹を刺された事による失血死だという。詳しいことは彼に聞くように言われたが、この調子でまともに教えてもらえるかどうか。いくらシャルルマーニュのことが気に食わなかったとしても刑事だ。私情で捜査の妨害はしないと信じたいが。
必死で言い募るシャルルマーニュとは対照的に、青年はさも興味なさそうに読んでいたページを捲った。
「先ほど重要参考人を任意同行したと連絡が入った」
「へ?」
重要参考人、つまりは有力な被疑者だ。署長と話していた時にはそんな話はなかったため、本当につい先ほどの話なのだろうと察した。
ここにきて初めて青年は顔を上げた。黒々とした底知れない瞳といかにも気が強そうなきつい眦が印象的だ。
上から下まで、シャルルマーニュの全身を値踏みするような視線を寄越す。フン、とさもくだらなさそうに、しかし挑戦的に唇を歪ませながら大量の画面のうちの一つを指し示した。
「通報があったのは午前八時。事件が起こったのは午前六時半から七時の間と思われる。早朝なので守衛は出勤していなかったが、監視カメラはある。被害者が六時前に出勤している様子が映っていた」
画面にはスーツを着た壮年の男性がビル内に入っていく様子が割と鮮明に映し出されていた。それなりに古そうなオフィスビルで、出入り口以外はカメラがないらしい。
「被害者が入ってから三十分後、男が入ってきている」
深めにキャップを被った姿の男だ。早朝にランニングする時のようなスポーツウェア姿。歩き方の特徴などもなく中肉中背だろうということくらいしかわからない。よくランナーが利用している細身のスポーツリュックを背負っている。
「そして七時に出て行った」
ビルから出た男はそのまま裏路地の方へ歩いて行った。上着を脱いでいる。おそらく返り血を浴びたためだろう。
「周辺の防犯カメラを探ったがそれらしき人物は見つかっていない。この辺り、裏路地にはほとんど監視カメラも無いからな。おそらくリュックには着替えが入っていたのだろう。
服装はまあ……ビジネススーツ辺りか。周辺はビジネス街、一時間も息を潜めておけば人混みに紛れて逃げることができる」
なるほど、とシャルルマーニュもその様子を想像する。出勤時間帯の混雑時、スーツを着た中肉中背の男なんて何千人といる。都会なので監視カメラはいくらでもあるがその中から見つけるのは骨が折れそうだ。
「さて、これが現場の写真だ」
隣のモニタ映像が変わって発見時に鑑識が撮ったらしき写真が表示される。
「被害者は八間壱周一郎、五十八歳。この八間壱証券の社長兼代表取締役だ。三十年以上証券業界に身を置くベテランだな。三年前勤めていた大手証券会社を退職し、八間壱証券を創業した。従業員は十人ほどの小規模会社ながら業績は順調だったらしい」
モリアーティの話す情報はあまり頭に入らなかった。シャルルマーニュの意識はその写真に釘付けとなってしまったからだ。
なんの変哲もない事務机。パソコン用のモニターが一つだけあり、周囲には刺された拍子に崩れたのであろう資料が散乱している。しかし、一番大きく目を引いたのは被害者の格好だった。
「……いいね?」
シャルルマーニュがそう呟いたのも無理はない。
事務机のすぐ横でうつ伏せに倒れた被害者の右手は、SNSでよく見かける「いいね」を形作っていた。しかもその手を首の後ろに持っていって、まるで死体を見つけた人間にその形を見せつけるような姿になっていたのだ。
「死因は腹部刺創による失血性ショック。被害者が死の間際にこのポーズを取ったということは、自分の死を悟って何か情報を残そうとしたのだろう。俗に言うダイイングメッセージ、という奴だネ」
ここまで語って彼はじっとシャルルマーニュを見つめた。デスクに座ったまま上目遣いで、こちらの全てを観察している。
「さて、ここまで分かれば犯人はかなり絞り込める」
「は?」
まだ基本的な情報を一部出されただけだ。詳細な検視結果も凶器も聞いていない。
「君はどうだ。ここまでで何を理解した?」
デスクに肘をついたまま、相変わらず人の表情筋の動き一つ一つをつぶさに観察するような視線だった。その唇にはうっすらと笑みが抄かれている。シャルルマーニュの実力を試そうとしているのを隠そうともしない。
「お前……! 人が死んでるんだぞ!?」
被害者のいる殺人事件でこんなクイズゲームじみた真似をするなど、人の心がないのかと詰め寄る。しかし男は「現在取り調べ結果待ちで我々にできることはない。であれば君の実力を少しでも把握する時間に当てた方がいい」と澱みなく宣った。
悪趣味が過ぎる。だがここで何も言わなければ自分は侮られたままだ。
考えろ、と唇を噛んで二つのモニタを凝視する。
「……犯人は、……多分手ぶらだ。せっかくスーツに着替えたのにあのスポーツバッグを持っていたら目立つ。おそらく近くに凶器や服を入れて捨ててるんじゃないか」
「ああ、現場近くの路地裏のゴミ箱の中に捨ててあった」
彼は頷いて、また別のモニターの画像が切り替わる。薄汚れた路地裏に置かれたゴミ箱の中、生ゴミに隠すようにしてバッグと凶器と思しきナイフが入っている様子の写真だ。
「周囲に争った形跡はない。ほぼ正面から、ろくな抵抗もせずに刺されているから、きっと被害者とは顔見知りだ。わざわざこの時間の犯行ということは、社長が早朝から仕事をしていたことを知っていた。この会社の内情に詳しい人物だろう」
「ふむ。それは同意見だ」
彼はそう言って偉そうに脚を組んだ。
鍵は明らかにダイイングメッセージだ。しかしここが一番分からない。SNSに関係しているのだろうか。だが、なぜ背中を向けているのかが全く分からない。時間だけが過ぎていく。
ぎり、と歯を噛んだと同時に青年が立ち上がった。
「タイムアップ。六越商事の関係者が関わっていると思われる」
「……何でそんなこと分かるんだ?」
六越商事といえば、この国の人間ならば誰でも知っているレベルの総合商社だ。現場に散らばった資料も見たが、そんな社名は書かれていなかった。
カツ、と良く磨かれた革靴が机を回り込んでこちらに向かってくる。ほぼ同じような身長と体格だが、妙に偉そうな分あちらの方が大きく感じた。
「今は勿論システム化されているが、かつて証券取引においてはハンドサインが用いられていた」
昔の記録映像を見たことがあるのでシャルルマーニュもそれはぼんやりと知っていた。大勢の男達が集まり揉み合うようにして株の取引を行っていた。我先に取引を確定しようと、隣の者を押し除け前に出て……今のハイテクな証券取引所オフィスとは相当印象が違っていて驚いたものだ。
確かに被害者が若い頃はまだその習慣はあっただろう。だが、それがどうしたというのだろうか。
「そのハンドサインにおいて、コレが『六』」
モリアーティの右手の親指が立つ。サムズアップだ。そのまま手を引いて肩の後ろへと持っていく。
「『六』を『追い越す』ことで、『六越』という意味になる」
「あ……!」
今の彼のポーズのままうつ伏せに倒れれば、まさに被害者と同じ格好になる。
死の間際、メモも取れないほど衰弱した被害者はとっさに、若い頃に染み着いたこのハンドサインでもって自分を殺した相手を示したのだ。
「被害者の交友関係に六越商事の関係者がいないかを確認したところ、一人いた。六越商事の系列会社社員で、この会社へは度々事務機器の営業に訪れていた」
中肉中背、社内の実情に明るい、そして六越商事の関係者。その条件に合致した人間がいたのだ。まだ否認しているが、任意同行を依頼した際の様子から、何か事件に関わっていたらしい印象を受けたと所轄の捜査員の報告も上がっている。
通報があって今まで二時間程度。青年はこの部屋から一歩も出ずにそれらを推理して事件を解決に導いてみせた。傲慢かつ性格の悪い男だが、それを埋め合わせるだけの能力がある。だからこそのカルデア捜査本部で一チームを今まで任されていたのだ。
「私一人で十分だとも」
それがシャルルマーニュと彼ーージェームズ・モリアーティーとの出会いだった。
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かつてこのカルデア署には奇跡のように有能な刑事達が揃っていた。彼らはいずれも推理力、洞察力、作戦実行能力に長け、数々の迷宮入り間違いなしであろう事件ですらいとも簡単に解決してみせた。いつしか人々は彼らのことを「カルデア特捜班」と呼んだ。
数年前にあの班は解散したが、その流れを汲むのが「カルデア捜査本部」。各所轄から集められた有能な刑事ばかりが集う部署だ。二人一組を基本とした組織の中でバディを頑なに拒絶する男の相方として勤務を始めて二日目に突入していた。
「きみ、」
「シャルルでいいぜ!」
めいいっぱいの笑顔でそう返事すると、モリアーティは盛大に顔を歪めた。なぜへこたれないのだとその表情が雄弁に問いかけてくる。
正直に言うと初日のアレで、シャルルマーニュも心が折れかけた。だが、ここで異動願いを出すなんて負けたようでカッコ悪い。なにより頑張れと送り出してくれたかつての同僚達に顔向けができない。ならば精々食らいついてやろうと腹を決めた。
「……貴様、何故ついてきた?」
「そりゃあ、バディだからな」
「私は認めていない」
いくらモリアーティが有能であっても一人で二十四時間の張り込みなんてできるはずがないので仕方なくだ。いけ好かない男ではあるが個人の好悪と仕事は切り離して考えるべきだ。だからシャルルマーニュは肩をすくめて苦笑するに留めた。
「それは上に言ってくれ。俺が希望したわけじゃない」
「チッ…」
しかし、嫌味や暴言を間に受けるよりもこうして軽く返してやった方がモリアーティにとって都合が悪いらしかった。ほんの少しだけ昨日の分を返せた気がして溜飲が下がる。しかし少なくともあのカルデア捜査本部に異動だと言われて喜び勇んで向かったのはやや後悔しはじめていた。
「それにしてもあの社長が脅迫かぁ……そんな男には思えなかったんだけどなー」
昨日のことを回想すればどうしても事件のことを自動的に思い出してしまう。
被疑者の六越商事子会社の社員は、最初は否認していたがその日の内に口を割った。曰く、六越の未公開情報を渡すよう脅されて困り果てた末にナイフで刺したのだという。
未公開情報があれば値上がりしそうであれば事前に株を買って利益を得ることも売り抜けることもできるーーインサイダー取引というものだ。あまりにも派手なことをすれば明るみに出るが、売買額が少なければ捜査は難しいだろう。それも公私共に数々の株を並行して購入する証券マンなのだから。
「人は見かけによるまい」
シャルルマーニュの感傷をモリアーティはにべもなく切って捨ててみせた。被害者の知己でもない自分が言ったところで何の説得力もないのは当然だが。
「そんなことよりあちらに集中しろ。そしていざとなれば盾くらいにはなりたまえ」
今二人が話をしているのはファミリー向けマンションの一室。大きな掃き出し窓からは向かいにあるアパートの室内がよく見える。住むのであればお互いカーテンは必須だろう。
そのカーテンを薄く開けて二人は外を覗き込んだ。もちろん室内にはカーテンがかかっているが、中に人がいる気配は感じ取れた。
近頃世間を騒がせている窃盗グループ、その主犯格と目される男の住まいだった。
警戒心の強い男らしく、仲間にすら姿を見せず国内外の仲間と暗号で連絡を取り合い指示を出すことで窃盗を成功させている。下っ端は数名逮捕できたものの半年以上活動しているのに尻尾を掴ませないその手腕は明らかに素人ではない。この男が主犯らしいと判明するまでモリアーティもかなり調査に手間取ったようだった。
「奴は今日、次のターゲットの家を下見に行くようだ」
仲間とは顔を合わせないが、下見にだけは自ら赴くのだという。尾行して不審な動きがあれば逮捕に繋がる証拠を得られるかもしれない。だからこうして二十四時間体制で行動を監視している。
監視に最適な真向かいの部屋がちょうど空きになっていたので、特別に短期間借りることができたのは幸いだった。
もちろんリビングダイニングにあるような家具など無く、数日間の籠城に耐えられるだけの寝袋や簡易テーブル、買い込んだインスタント食品だけが雑然と置かれていた。
「大変だったんじゃないか、こんなに調べるの」
「君には関係ない」
テーブルの上に置かれた分厚い資料を捲り、最低限の情報を頭に叩き込んでいく。これでもごく一部だ。印刷して持ち運べる限度を超えた資料はデータ化されていた。
能力があるといえども、いったいどれほどの時間を下調べに費やしたのか。昨日は気付かなかったが窓の外を睨みつける目元にはうっすらと隈ができていた。
「……昼間は動かないだろ。代われ」
「だから、私一人で……」
頑是ない子供のような彼に、一つため息をついてぴしゃりと言い聞かせる。
「寝てないくせにホシと追いかけっこする気か?」
「う……」
「せっかく時間かけて調べたのに、今日ヘマして台無しになってもいいのか?」
「うぅ……」