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    建河羊子

    もちもち書いて上げてます。すごく遅筆になりました。

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    建河羊子

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    赤エンド後の、野盗と地頭の話。甥御もいますが、カップリングの含みはありません(が、例のごとく限界オタムーブっぽいものはかましています)。地頭が元地頭になっていたり、いろいろ捏造しています。また書き手は地頭推しのため、お嫌いな方はご注意ください。
    ツにはまって三本目くらいに勢いだけで書いたネタを今さら形にしてみました。
    二人の間に、和解まではいかないものの何かしらの歩み寄りがあれば、という願い。

    #ゆな
    #志村
    shimura
    #境井仁
    sakaeijin

    たなごころに黎明積みて 飯を作るのもひとり分なら、食うのだって当然ひとり。洗い物だってひとり分で。夜に響く寝息も、気配も、ひとつきり。
     その空虚とは一年近い付き合いとなり、そろそろ寄り添われるのが当たり前になりつつはあるのだけれど――唐突に、どうしようもなく受け入れ難くなる時がある。
     胸中にて起こる、通りもののごとき凪いだ嵐は、自身にすらどんな契機で発生するのか予測もつかない。

     けれども、いかなる手段によるものか。この男は毎度、その瞬間を予め見越しているかのよう、姿を現すのだ。

    「久しいな、ゆな。息災であったか」
    「……あんたに比べりゃあね」
     同じ言葉をそっくりそのまま叩き付けてやりたい衝動をぐっと抑え込んだ代わりに、皮肉が飛び出てしまった。
     しかし無理もなかろう。
     なにせ、ゆなが隠れ家として用いているあばら家を来訪した仁ときたら、見えている範囲すべてが傷だらけなのだ。
     いや、その表現すら生ぬるい。身体が傷でできている、という方がよほど正しい。
     ゆなの記憶に間違いがなければ、蒙古や菅笠らとは太刀、弓といった武具で渡り合っているはずだが、はて、知らぬうちに徒手空拳――たとえば相撲だとか――で事にあたる方針に切り替えでもしたのだろうか。
    「とりあえず立ち話もなんだし、とっとと上がんなよ」
     手にしていた枝を囲炉裏に投げくべつつ促せば「うむ、邪魔をする」
     行儀よく頭を下げた仁が、斜め手に腰を下ろしざま、腰にいた太刀を下ろし、これまた行儀よくそろえる。所作は実に自然、かつ滑らかで、怪我人特有のぎこちなさは見えない。けれど、囲炉裏の熱で暖められたことにより固まっていた血が緩んだのか、むわ、と鼻についた鉄錆臭さが、男の手傷は紛れもない事実だと伝えて来た。
    「やれやれ……あんた、よくよくあたしに手当てさせるのが好きと見える」
    「いや、そういうつもりで来たのでは」
    「ふふ、冗談さ。ちょっと待ってて、確かいくらか手持ちがあったはずなんだ」
     口にしてから『確か、か』と小さく独りごちる。
     昔は――少し前までは、云い切れた。
     弟は火傷や切り傷の絶えない子だったから、彼のため、自身の飯を抜いてでも薬代を工面し、いついかなる時も手当てしてやれるよう買い置きしていたのだ。
     ゆな自身も物騒ごととは身近な生活を送っているため――野盗である上に、今や冥人の一味でもある――怪我を負うことはままあったが、どうにも自分のために使う気にはなれず、ある種、形見のようになってしまった薬包は、行李に仕舞い込まれたままになっている。
     買い足さなくなってから早一年。薬があったとして、はたして効能効果の方はいかほど残っているだろう。
    (最後に使ったのは……小茂田で仁に使って……そうだ、浅藻浦から逃げた後、あの子を手当てするのにも使ったんだっけ)
     ああ――びう、といっそう強く、風が吹き付ける。
     整理されているとは云いがたい行李の底の方に手を突っ込んで探るうち、胸に刺さったままの楔がひと穿ち、深度を増した。
    『姉さん、荷を片すなら整理して入れてくれ、って云ったよね?! こんなふうに上から適当に詰め込まれたんじゃあ、どこに何があるのかわからないじゃないか! ほら、これはここ! よく使うんだし、出しやすいところに仕舞っておいた方が何かと便利だろう? それとこっちはね……』
     めっきり買わなくなった傷薬。
     乱雑なままの行李の中身。
     こんなことでも、あの子の不在が思い知らされる。

    「っ、にしても、いったいどうしたのさ、この怪我は?」
     迷い入りかけた暗がりを振り払って囲炉裏端へ戻ると、逃げ込むよう、さっそく傷の具合をあらためた。
     大きいもの、小さいもの、深いもの、浅いものと実に様々だったが、太刀によるものはさほど多くない――多くはないが、その分少しく、いいや、かなり深い。
    「実は制圧した拠点のすぐそばで、狐と行き会うてな。ははあ、これは稲荷の社が近いのだろうと踏み、例のごとく追ったのだが」
    「ああ……まだやってるんだ、あれ、、。……それで?」
    「うむ。此度出食わした奴めは妙に遊び心を持ち合わせおって、あちらにこちらにとずい分引き回されてしまい」
     油断したつもりはなかったのだが、気付けばいつの間にか崖から滑落しておった――とんでもない答えに、軽い頭痛を覚えた。
    「藪を突っ切ったとたん、足元がなくなったのだ。いやまったく、おどろいたのなんの」
    「ばっ……『おどろいた』じゃないだろ、まったく……!」
     どれだけの高さの崖かは知らないが、下手をすれば生命を落としかねない愚行だ。神の使いにたぶらかされて死にかけるだなんて、洒落が効き過ぎていて笑えやしない。
    (それにしちゃ軽傷で済んでる方だね……そういやこいつ、金田城の橋から突き落とされてもけろっとしてたんだっけ……)
     落下による衝撃に強い体質なのか。いや、体質というよりは鍛練の賜物だろうか。幼い頃から積んできた修練の内には、受け身の取り方等も含まれていたに違いない。
     芸は身を助く、とはよく云ったものだ。――もっともこんなことのために発揮されるべき能力では、元来ないはずだったろう。
    「蒙古兵とやり合って付いたんならいざ知らず、自分の不注意が元の怪我だなんて、『冥人』の名が泣くよ」
    「ふ、耳が痛いな」
     説教がましくこぼしつつ、重げな太刀傷から優先して手当てしていく。

     結局、手持ちの薬が尽きても、すべてを処置しきることはできなかった。

    「今できるのはここまでみたいだね……夜が明けたら市で調達してくるから、今晩はちょいと辛抱しておくれ」
    「あいすまぬ」
     深々と下げた頭を上げしな「使いだてをするようで申し訳ないが、できれば多めに調達して来てもらえぬだろうか」
    「? 構やしないけど、どうして?」
    上県ここいらにあっためぼしい拠点はあらかた制圧し終えたので、次は厳原まで出ようと思うておる」
     なるほど、いくら小さな島とはいえ厳原を目指すとなると、ひと息にとはいかない。その道程の合間にだって牢人や蒙古兵、はたまた熊などの猛獣と遭遇する確率は高かろう――もちろん懲りもせずまた狐にうつつを抜かし、手傷を負うかもしれないことも考慮に入れておく――いきおい手当ての機会も増えるのでは、との見込みはきっと正しい。
     ゆなとは違って仁は、ご丁寧にも島全土にそのご面相が割れている凶状持ちだ。『冥人』たる彼に心酔し味方する島民も少なくはないものの、皆が皆というわけではなく、体制側へと所在を密告される危険性を考えれば、仁自らが人だかりに足を踏み入れるのは好ましからざることではあった。
     けれど「何だってまた、豊玉通り越して厳原まで。上県から追っ払った連中だって、泉から海へ逃げたんじゃなきゃ、豊玉に向かうしかないだろうに」
     むろん厳原に行き、小茂田から海に出て本国へ、という道もあるが、いずれにせよ豊玉を避けて通ることはできない。ならば先回りするより追った方が良いように思える。道なりに進むしかない蒙古どもと違って、仁には地の利があるのだ。どれだけ先行されたとして、追い付くのはたやすかろう。それに、行き掛けの駄賃と憂さ晴らしとを兼ね、無体な目に遭わされるかもしれない豊玉の民のことも懸念される。
    「故、あえての厳原だ」
    「え?」
    追躡ついじょうするよりは、こう」気持ち、ぎこちなく左手が上がり、中空に留められ「いったん追い越す形を取って、攻め上げたい」右手が下からそれを掬い上げる。
    「連中を、できる限りひとところに留めておきたくてな」
     曰く、「上県に『冥人』あり」と意識させた状態で厳原側から詰めれば、進むことも退くこともし難く、豊玉での足留めがかなうのではないか、とのことだった。
    「そりゃ無理があるよ。だって、ちょいと斥候でも送りゃ、上県にあんたがいないことなんてすぐ露見するじゃないのさ」
    「そこはそれ。……頼りにしておるぞ、ゆな!」
    「って、あたしかい!!」
     相も変わらず人使いが荒い男だ。要は、陽動役として辺りを賑やかし、『冥人』はいまだ上県に在り、と匂わせるよう頼まれている。もっとも、二手に分かれてからはこのような戦法を取ることもなくはなかったので、すっかりやり口は心得てしまっているのだが。
    「はぁ……ま、いいけどね」
    「いつもすまぬな。動きを封じておければ伯父う――……」ごほん、と空々しい咳ばらいをした後、何でもないふう、
    「志村様や地頭殿たちも動きやすかろう」
    「――そういうものなの?」
    「むろん、乗って下されば、の話ではある」
     この男にしては珍しく、自信なさげな声色になっているのはきっと、武士にとって、また鎌倉にとって、『蒙古の残党』と『冥人』のどちらが優先されるべき討伐対象なのか知れないからだろう。

     御家人であった志村に手傷を負わせたことで、仁は押しも押されぬ立派な幕敵となった。数を減ずる一方の蒙古兵らは依然、島民らにとって十分な脅威ではあるものの、それよりは、幕府に弓引いたも同然の己の方が、と案じる気持ちがありありと浮かんでいる。
     それでも、止まらないのだ、仁という男は。武士らの刃の向く先が蒙古どもではなく己になるのでは、との危険すら承知の上で。
     民草を案じ、島の安寧を祈り願い、守りし者としての本懐を遂げんと駆け続ける。
    「なるほどね。二段構えの挟み撃ちってわけかい。そりゃ面白そうだ」
     まったく大した男だ。心がけに免じて『失言』を揶揄せず見逃してやると、あからさまにほっとした顔をする辺り、まだまだ研鑽の余地はあるな――表に出さぬよう慎重に苦笑し、夜更けの寒さに備えてゆなは、囲炉裏に小枝を足した。

     仁はもう、志村様を『伯父上』とは呼ばない。
     先刻のよう、うっかり呼びそうになってしまうことはあっても。
     もう、呼べないのだろうと思う。
     蒙古との戦はあまねく人々から数多を奪った。仁にしたって例外ではなかった、ということだ。
     たったひとりの身内だと云っていた者と、二度とまみえること許されず別たれる孤独。
    (こいつも、あたしと同じものを抱えて)
     ああ、だから仁には、ゆなを襲う嵐の前兆がわかるのかもしれない。
     何となれば仁もまた、己と同じ嵐に見舞われる折があるのかもしれない。
    (……どう、飼い慣らしているんだろう)
     問うてみたくなったが、結局できなかった。
     ぱっくりと割れたお互いの傷から、いまだじくじく血が滲んでいたからだ。ひどく痛むとわかっていながら――否、わかっていたから、あえて手当てに踏み切る気になれなかったのだ。

     その夜、傷のせいか熱を出した仁は、ずい分とうなされていた。
     熱に浮かされた彼はずっと、うわ言の中で詫びていた。

     あの方に背いたこと、刃を向け手傷を負わせたことを、避けられぬ事態だったと了知する一方、心のどこかではどうしようもなく悔いているようだった。






    「……まさかこのような機に恵まれようとは」
    「――げ」
     人様の顔を見るなり「げ」とはたいそう失礼な話だろうが、反射的に発してしまった言葉なので堪忍してほしい。だいたいからして言葉を選れる余裕があるなら、それは反射ではなく意図的と云うのでは――一瞬の判断の誤りが命取りになる世界で生きてきたゆなをして、思わず思考を逃避させてしまうほどに、その邂逅はあまりに唐突で、そして衝撃的なものだった。
     わずか数歩の間合いを置いた先に現れた男の姿に、ゆなは全身を硬直させる。
     ――なぜ、この人が、今ここに?
    「……お待たせいたしました。やはり熱さましはその一包しかすぐに用意できないようです。幸い薬種はそろっております故、少しくお待ちいただけるようでしたら調合して――?!」
     客に尻を向け、行李をひっくり返していた薬師が云うのを最後まで聞かず、ゆなは駆け出した。
    「ま、待たぬか。確か……そう、ゆなと申したな。しばし待て」
     焦りを含んだ声が背を追って来るけれど、よる年波には勝てまい。見てきた限り、年の割に丈夫な足腰をしているようだが、同じ徒歩なら腰に下げたものの重みの分だけこちらが有利なはずだ。全力で駆ければきっと振り切れる――そう思っていたのに。
    「待て、と云うておろう!」
     はっし、と腕が取られ、たたらを踏んだ。前に推進しようとする力と引き戻される力とがせめぎ合い、軽く体勢が崩れる。
     いけない、転んでしまう――危ぶんだ結末には、しかし至らない。
     男の――志村の左手が、ゆなの肩を支えていた。
    「すまぬ、少々強く引き過ぎた。怪我はないか」
    「っ、何ともない、よっ」
     身体はどこも痛くはしていないが、その分とばかり、周りの人々から突き刺される目線がとてつもなく痛い。
     なんだなんだ、揉め事かよ? あの女、お武家様の巾着を盗りでもしたんじゃねぇか? おや、ありゃもしかして志村様じゃないのかい? ひそひそはやがてがやがやへと膨らみ、事情を知らぬ者どもからはついに、とても聞いていられないような憶測まで飛び出してくる始末――誰が誰の情婦だ、今云ったやつ前に出ろぶん殴ってやるから。
    (……くそ、仕方ない)
     手打ちにされる懸念がある以上、衆目のある場にいた方が良いのはわかっていても、飛び交う流言に気持ちが堪えられそうになく、「……あのさ、ちょいと場所を変えてもらえないかい?」
     あと、そろそろ離して欲しいんだけど。云ってから、言葉の選択を誤った、と天を仰ぐ。微妙に、恥じらいを含んで聞こえてしまったとしたら、すごく嫌だ。
    「……離したとたん、風を食らって逃げるのでなければな」
     取り越し苦労だった。口ではそんな嫌味めかしたことを云いつつ、逃げないと確信しているよう、未練なく志村の手は離れて行った。応とも否とも返答していないにも関わらず、だ。
     かつて行動を共にした短い間に見た志村の顔は、いずれも厳格で窮屈な面ばかりだったけれど、どうやら見えない根っこのところには甘さをも忍ばせていたらしい。
    (人を疑うことなく生きて来られた証だろうかね)
     育ちの違いをまざまざと実感しながら、ゆなは先に立って歩く。

     ――しかしこの邂逅は、いったいどういう巡り合わせによるものだろう。しゃく、しゃぶ、と溶けかかってぬかるんだ雪を踏みしめる二人分の足音を聞きながら、思うともなく考え込む。
    (なんだってこの人が、こんなところに)
     戦の事後処理が落ち着いて後に彼は、身内の不始末や己の力不足などを理由として地頭職を退き、御家人の立場をも幕府へと返上した。今や一介の武士になり下がった志村の持つ領地はと云えば、日吉や青海村といった、新体制下の武士たちが『扱いが難しい』と避けた土地のみと、風の噂で聞いている。
     むろん蟄居を命じられているわけではなく、また床に臥しているわけでもなく、堂々日の当たる表を出歩ける身だ。豊玉でならば納得できなくもない遭遇だが、しかしなぜに上県で。
     むろん『冥人』の動きが活発化しているこの地に、武士たちが哨戒に来るのは当たり前のことだろう。特に城岳寺周辺は、かつて『冥人』が拠点としていた経緯から、現地頭の厳重な管理下にあるほどだ。故にゆなもそこへ向かうのは避け、さほど豊かとは云えず、また品揃えも悪いと分かりきっていたここ、白滝の集落で手を打ったのに――仁を仮住まいに寝かせている都合上、あまり遠出したくなかった、という理由もあるけれど。
    (だっていうのに、これか……)
     どういう因果で、どれだけの不運が掛け合わさったら、こんな辺鄙な場所で、唯一ゆなの顔を見知っている志村と出食わす、だなんて羽目に陥るのだ。己の日頃の行いはそんなに悪いのだろうか。
    (……だいたい、供のひとりも連れないで、何をやってるのさ)
     物見遊山にしろお役目にしろ、元地頭ともあろう者がひとりでほっつき歩いているとはどういう了見だ。せめて馬上にあってくれれば相応に目立ち、接近される前に勘付けたものを。筋違いな八つ当たりを胸中で浴びせつつ集落を出、川岸へと降り立つ。
     この寒空だ、好んで寄り付きたい場所ではないがその分、野次馬が集まる心配も少なくなる。集落へとつながる橋から伸び上がって見れば目に入れられなくもない位置取りだが、さすがにそこまでする物好きもいまい。

    「……それで? 地頭様があたしなんぞに何の用だい」
     真っ向から対峙するのはいかにも気詰まりで、川の方を向いたまま口火を切る。云ったとたん、我ながら馬鹿なことを、と笑いがこぼれそうになった。
     聞くまでもない。たまたま見かけたのでちょっと立ち話でも、なんて気安い仲にない――むしろ真逆だ――己をわざわざ呼び止めた理由など、ひとつか二つくらいしかないではないか。
    (やっぱり逃げときゃ良かったかな……)
     恥を忍び、腕を取られた際にきゃあと悲鳴のひとつでも上げ、このお侍があたしに乱暴しようとするんだ助けておくれ、とでも喚き立てて周りに助けを求めれば良かった。志村にしてみれば冤罪もいいところだが、かの城でのひと幕を思い返せば、お相子と云えるのでは――否、やらなくて正解だった。返す刀で己すら派手な痛手を負ってしまう。主に、心に。
    「まさか銭払ってもののやり取りするのが罪科つみとがになる、ってんじゃないだろ?」
     おどけて出方を見たが、志村は反応を示さずにいる。ち、と小さく舌打ちし、ゆなはしぶしぶ、触れたくない本題を切り出した。
    「ああ――それとも非のありなしはどうでもさておき、故なく引っ立てて、『冥人』の居場所を吐かせようって魂胆?」
     『伯父上ではないが、誰かに追われることになろう』。かつての仁の言葉通り、ゆなの知り得る範囲では、志村が『冥人』捕縛に動いている様子はこれまでなかった。しかして端くれとなっても武士は武士、地頭から命ぜられれば好むと好まざるとにかかわらず動かねばならない――そういう仕義になった――なってしまったのかもしれない。
     不自由な生き方だと、わずか、哀れに思う。
     だが同情はしないし、出来ない。しようとも思わない。したところで何にもならないからだ。
     彼ら体制側の望みは『冥人』の処断。そして己はそれを善しと出来ぬ者。双方の利害の一致が永遠に訪れぬ以上、相手をおもんぱかったとて何になる。無駄な感傷を得るだけだ。
    「云っとくけど、仁とはずっと前に分かれたっきりだし、その後のことはあたしも」
    「お主に云い損ねていたことがあった」
    「知らな……え、?」
     少しく不躾に言葉尻が奪われる。今、言葉を発したのは誰だろう? そう首をかしげたくなるほど神妙な声音で。
     志村ではあるまい。この男が己にそんな声を向けるわけがない。理由がない。だから空耳か何かだと、そう思って目を向けた先。
     妙にかしこまった立ち姿でいた彼は、どうしたわけか一歩足を退き、ひと呼吸おいてからやおら、その形の良い頭をすうっと下げた。
    「弟御のことは――気の毒をした」
    「――…………!」
     なぜ、が全身を埋め尽くし、息が詰まらされた。

    『姉さん』
     脳裏で、幻が、手を振り笑んでいる。

     もうずいぶんと前の話だ。ゆなにとっては昨日のよう生々しい喪失ではあるが、他人にとってみれば一年という月日はずい分長く、遠い。
     ましてや卑しい野盗で、その上『鑓川』出の者のことなぞ、『志村』にとっては歯牙にもかけぬ存在でしかないだろうに、どうして。
    (あたしはこの人と、ろくに話しちゃいない)
     幾度か言葉を交わしこそすれ、いずれ穏やかとは云いがたい内容ばかり。
    (あの子とだって、きっと同じのはず)
     何となればたかとは顔を合わせたかどうか――その姿形を目に収めたかすら怪しい。
     認識していない、知らない、ということはすなわち、存在していないということ。
     ああ、その通り。
     彼の統べる『誉れ』の世に、己らのごとき卑賤なる者の身の置きどころなど、あろうはずがないのだ。
     だのに、なぜ? 鼓動と同期して内なる己がくり返し問うている。
    (……まさか、憐れんでおいでだ、ってのかい?)
     思い付いたとたん、足元にくゆる寒気が消失し、突発的な怒りが焔となって思考を灰にした。けれど意に反して唇は笑みを象る。おそろしくいびつな形で。
    (冗談じゃない……あんたごときにそんな権利、あるもんか……!!)
     たかの死を軽々しく語るな、おこがましい。あんたにはこれっぽっちも関わりのない話だ。あんたがあの子を差し向けたんじゃない、あの子はあの子の信念でもって、あの結末へと至った。すべてはあの子の意志だった。あんなに臆病だった子が島のため、民のため、『冥人』……いや、仁のために、持ち得る勇気をすべて、搾りかすも出ないくらい振り絞って起こした行動だ。
     その気高さを汚すな。冒涜するな。
     おお可哀想にと高慢なる憐憫をかけ、あの子の最期を辱しめるなど、決して――「あ、んたにっ」
    「唯一の身内であったと聞いておる」
     突沸は予想されていたのか、機先を制するよう続いた言葉。それを綴る声音に含まれる粛とした労りに、剥いた牙が噛み付く宛を失う。
     いったいどういうつもりだ。顔も知らぬ男へ手向けた、通りいっぺんの同情からなる弔意にしては、過剰なほどの実がこもっているではないか。
    (何でよ……? どうしてさ……?)
     内側のすみっこで、らしくもなくおろおろと己が狼狽している。
     気付いてしまったのだ――差し出されているのが、惻隠そくいんと呼ばれる情だということに。
     馴染みが薄いからつい忘れてしまいがちになる、思いやりと呼ばれるものだということに。
     細かな震えが髪先まで伝う。
     寒いのではない。怖いのでもない。
     発生源はおそらく、失望、と称すのがもっとも近いもの。

     向かう先は、志村にではなかった。
     自分自身に対して、だった。

    (……あたしは……この人を見誤っていたんだろうか)
     大義がためならば――戦に「正しく」勝てるならば、多少の犠牲なぞ厭わぬし、頓着せぬ男と思っていた。大勢たいせいに影響するとあって、敵方と手勢との多寡を引き比べはするだろうけれども、そこには駒を並べ動かすような冷徹さしかないと思い込んでいた――志村に限った話ではなく、そも侍というものは皆そうだ。所従だの下人だのを統べ、用いる立場なのだからして、使い減らすのには慣れているに違いない。ましてや己が埒外で出た人死にになぞ、何の痛痒を覚えるもんか、と。
     見誤った、というと語弊がある。初めから一瞥だってくれちゃいなかった。
     きっとこうだ、こういう奴に決まってる、と思い描く『侍』の枠に押し込め、一方的に見なしていただけだ。
    「…………」
     下げられた頭は微動だにしない。深々と腰を折り、地を臨む彼の目は何を映し出していることだろう。
     浜で死んだ武士たちか。蒙古に弑された民人か――そこにはたかもいるのか。
     もしも志村のまなこが人を『人』として見、『数』としてのみ認識しているのでないとすれば。
     取りこぼしたもの。やむ無しと切り捨てた生命。死地へと送り出した麾下。
     武士としては飲まざるを得なかった犠牲を、人としての志村は、悼み続けているのかもしれない。
    「そのような者を喪うのがいかほどに耐えがたきことか……よく、わかる」
    「ぁ……」
     と、思い出す――そうだ、わかって当たり前じゃないか。実がこもって当たり前じゃないか。
     風の噂に聞いたことがある。
     確か彼はかつて、妻女とお子を。
     お父上と弟たちを。
     妹を、その夫であった己が右腕を。
     そして、
    「故に、ひと言なり弔辞を、と」
     ――仁を。

     愛する者が喪われる苦しみを、ゆなはいやと云うほど思い知っている。胸裂けそうな、血をも吐かんばかりの絶望。知らずにいられたならどれだけ良かったかと思うほどの煩悶。打ちのめされ、押しつぶされ、なぜあの子が死んだのにのうのうと息をしていられるのだと、己におぞましささえ感じた。
     ならばことごとくを喪ってきたこの人はどれだけ――いや、何となれば彼は、『地頭』へと祀り上げられた瞬間に『己』すらをも奪われている。そうしていまや、その座からも追われ――なんてこと。
     推し量ることはできないがきっと、彼の抱える空虚は、己のそれより格段に深く、広く、重い。
     いや、比べたりするのはおかしい、と思い直したゆなは、小刻みにかぶりを振った。
    (……すべきじゃ、ない)
     そうすること自体、間違っている。
     軽重も、深浅も、人それぞれの内に尺度があるけれど。胸苛む痛みは、吐き気をもよおすほどの無念、無力感はきっと等しく同じ。
     故にこそ、己の孤独は彼の孤独をしかと理解するのだ。
    「……あんたも」
    「む?」
    「あんたも、だし、あたしにも、わかる」
     とてもではないが向き合ってなどいられなくて、足元を睨みつけながら云った。
     語調がぶっきらぼうを通り越して乱暴になってしまったが、涙じみた色を隠すにはちょうど良かった。
    「……そうか」
     空気が揺れる。誘われるよう上目遣いで盗み見た志村の顔は、ゆなと同じよう、あらぬかたを向いていた。
     下郎ごときが知ったふうな口を叩く、と蔑む様子はない。
     面貌に乗っているのは、初めて目にする色。
     ほほ笑む、というよりはほとんどべそ顔みたいになりながら、それでも志村が「わかる、か」
     咀嚼するようにつぶやいた。

     わかってくれるか、と云われた気がした。



    ‡‡



    「ところでそなた、先ほど熱さましを所望しておったようだが」
    「あー……」
     忘れてくれているのではと思っていたが、そこまでうまい話はないらしい。ゆなは少しく気まずいものを感じ、うんとも否ともつかない返事を口の中で転がす。そうなんだよ、ここいらはうんと冷えるもんでちょいと熱っぽくてさ、と誤魔化すにしても、手遅れ感がひどい。何せ元気いっぱいに駆けっくらをしようとしたのは、つい先刻のことなのだ。
    「……具合を悪く、しておるのか」
     案の定、と云うべきか。志村の目線はゆなの上に据えられていたけれど、双眸に映しているものは、今ここにはない影。それと容易に悟らせるほど、静かで、かつ明瞭な憂慮の色が湛えられていた。
     しかして安易に乗るのはためらわれる。志村という男の本質がどういったものであるかうっすら飲み込めた部分はあるけれど、あくまでも「うっすら」とでしかなかったし、だいたいからして今なお、彼がどの立場でここにいるのか知れない以上、迂闊なことは口にすべきでない。
    「……いや、あれはその、ただの備えでね」
     我ながら苦しく下手な云い訳だ。お守り代わりに過ぎないのなら、一包あれば当座のところは十分事足りる。そもそも決して潤沢ではない懐事情が、ただちに要さぬ薬包を――決して安価ではない――買い込むことを許すものか。むろん下々の者の事情など知るよしもない男が相手であるからして、「そういうものだ」と云い張れば勢いで押し切れそうな気はする――というのはいささか見通しが甘いだろうか。
    「あの、一応云っておくけどさ、もしお訊ねの向きが仁のことなんだったらおあいにく様、くどいようだけどあたしは」
     志村の出方を探り探り、締めも思い付かぬまま言葉を選り継いでいると、
    「そなた、少しばかり早飲み込みの気質があるようだな」あからさまな苦笑が、やんわりゆなを押し留めた。
     鷹揚な目線は、たいそう上からのものだったけれど、嫌な感じはしない。
     それがあたかも、子のやらかした悪戯を目こぼしし、わがままを許す親めいて見えたから。
    「その……無理は、するでない」
    「……は?」
     こほん、と絡まってもいない喉を意味なく整えて間を稼ぐ様に、ありありとした云いつけなさが察される。
    「動けぬ時は、身を潜めることも肝要だ」
     人を思いやってこなかったわけではなかろう。けれどきっとこれまでは、励まし、奮い起たせるのがもっぱらで――それが将としてあるべき形だったから。
    「我らはともに在らざるとは云え、蒙古の残党どもと相対するという点では、同じ寄る辺にある」
     ましてや「敵」にそのような慈悲満ちた言葉をかけるなぞ、彼の世界の中ではとうてい起こり得なかった選択に違いない。
    (――……少し、変わった?)
     いいや、変わらざるを得なかったのだろうか。
     これが、この人の空虚のやり過ごし方なのかもしれない。
     幾度もの悲劇に打ちのめされても、折れることなくしなやかに立ち上がり、これまでの自身と新たな自身とに折り合いをつけ、ここまで歩んで来た――歩んで来られた男の。
    (……何と云うか……つくづく腹の立つ御仁だこと)
     僻み、かすかな妬心、そして率直な憧憬で、ゆなは眉間に淡く力を込める。
    (あたしには、出来ゃしない)
     己は、志村ほど強くない。何より己は、志村ほど多くを持たない。変わることを是とし、握っている唯一のものを手離す決心が付けられない。
     いいや、根本的に起点が違う。
     やり過ごしたくはあっても、決して手離したいわけではないのだ。
    (だって)
     この空虚は、他ならぬ――「……ゆなよ」
    「っ、な、にさ、」
     自分勝手な後ろめたさと、名を呼ばれた驚きとで尖った声を差し向けた先、志村は何とも表現し難い面持ちを浮かべていた。
     口先に上りかかっている言葉を、告げるか告げまいか、たいそう悩ましく思っているような風情。踏ん切りを付けようと決意したはいいが、はたしてその選択は正しいのかと自らに問いかけるような。
    「……あの折の約定はまだ生きておる」
    「? 約定?」
     躊躇は、さほど長いものではなかった。
     重いものを振り切った果て、努めて平板な口調は「本土へと渡る話だ」と云い、そうして少しだけ間を置いてから「……『二人で』な」と続けて寄越した。
    「――今のわしにも、まだそれくらいの力は残っておる。その気になったなら、いつでも訪ねて来るが良い」
     二人――それが誰と誰とを指すのか、あの頃と今とでは異なってしまっていることを悲しい、と思うより前に、ゆなの中にある血気盛んな部分が、きゅっと鎌首をもたげた。
    「……そりゃ、脅しかい? この島にはあたしらの居場所なんてない、とっとと出てかなきゃきっと仕置くぞ、って、そういう?」
     遠回しに、まだ仁と繋ぎを取っていることを肯定したような返答になってしまったけれど、この際構うまい。志村だって本気で信じたわけではなかろう。承知の上で、長らく茶番じみたやり取りに興じている――つまり、それは「それともお情けってやつ?」
    「否」
     穿って取るな、と苦言のかたわらこぼされた笑みは、あまりきれいな形をしていなかった。困ったような、宥めすかすような、かすかに歪んだ下手くそな、やっぱり泣きべそみたいに見える笑みだ。
    「一度約した事は違えぬ。……そうだな」
     と、その色が目の前で変じる。

    「……云うなれば――『誉れ』だ」

    「…………」
     それは、男にとって何にも変えがたい大きな寄る辺なのだと聞いていた。
     彼の送る生において、真芯を通るもの。
     誰に足蹴にされても、どれほど蔑ろにされても、今なお共に――まなこを開かれた想いに、ゆなは音にせぬまま息をく。

     何かを得るというのは、何かを失なうことなのだと思っていた。
     それ即ち、何かを失なわねば、何をも得ることができない、ということなのだと。
    (だって、あたしの手は二つっきりで)
     そこに握っていられるものなど、数が知れているから。

     手離さぬまま、積み重なるものも、あるのか。
     知らなかった。






     さらしの結び目は長すぎず、大きすぎず。巻きはきつすぎず、さりとて緩すぎず。曲げ伸ばしする箇所ではちょっぴり布の当て方も工夫して――「ん、これでよし」
     我ながらいい仕事をした、とゆなは満足しいしい、けが人の様子をざっと見分する。
     まだ熱が引いていないせいか、仁の顔色はあまりよくなかった。けれど受け答えはしっかりしているし、何よりその双眸に宿った力強さに陰りはない。飯と薬、寝床をあてがってもう一晩過ごせば、きっと明日にはいつもの調子を取り戻していることだろう。
    「何から何まで世話になってしまってすまぬな」
    「おおげさに云うじゃないか。礼なんざいいから、も少し横になっておいで」
     今お粥をこさえてやろうね。声をかけると、上掛け代わりの筵の下で、仁がくすぐったげな笑いをもらすのが聞こえた。
    「何だい? あたし、何か変なこと云った?」
    「いや……ゆなは、時々母上のようだな、と」
    「――なら、おっかあたっての頼みだと思って聞いて欲しいんだけど、仁坊」
    「いかがなさいました、おっ母」
    「この先、稲荷詣でする時ゃあくれぐれも足元に気を付けておくれ」
    「……善処しよう」
    「ふん、親に向かってなんて口のきき方をするんだろうね、この子は」
     久方ぶりに無垢な笑い声を上げ、囲炉裏に土鍋をかける。前夜の残りの固粥を多めの水にさらし、ほどほどに柔らかくなったところに梅干しを二つ。煮込むかたわら、市で仕入れてきた干し穴子に魚串を刺しとおし、灰に立てれば、後はのんびり待つのみだ。

     囲炉裏端にて胡座をかき、ちらちら揺れる炎を、それを挟んだ向かいで平臥している仁を、見るともなし目に映す。すきま風の吹き込む屋内に、粘っこさを伴ったものが泡立つ低い音と、くべた枝のはぜる音だけが響く――久方ぶりに感ずる穏やかで温やかな空気の中、奇妙な邂逅について思い返していたゆなは、ふと口を開いた。
    「ねえ、仁。起きてる?」
    「ん……何かあったか」
    「あのさ……もしもの話なんだけど。もし、あたしが『本土に行くから、あんたも一緒にどうだ』って云ったら……あんた、来るかい?」
     寸刻前、いかにも寝入りばなですといったとろりとした声を出していた者とは思えぬほど機敏に筵をはねのけ、仁が上半身を飛び起こさせた――そして直後に前屈した。おおかた、勢いが良すぎて傷に響いたのだろう。さもありなん。
    「っ……ぅぐぅっ……」
    「ちょっと、してよ。灰が舞うじゃないのさ」
    「いや、のんびり横になっておられぬようなことをお主がっ……」
     前屈みになりつつ首だけをねじりもたげ、こちらに向けられた仁の面貌は、しとどに汗を伝わせていた。ひどく辛そうな様子である――しかしゆなは介抱に向かいはせず、立った灰けむりから逃れるべくまぶたを伏せるに留めた。
    「そんな、おどろくようなことかい」
     仁の見せる痛々しさは、十中八九、傷が引き起こしたものに違いあるまい。
     けれど「……もし、の話だよ」
     もしも、それが愁いによるものだとしたら。
     頑強不屈の冥人が、あたかも迷い子のごとく、伸べられた手に飛び付こうかどうか躊躇するような、そんな心情が元だったら。
     まんざらあり得ぬ話ではない。きっと仁にとって今の己は、お互い大切なものを喪った傷を、その痛みを分かり合え、そして口にせぬまでも「分かり合っている」と心を預けられる存在だ。
     それを失う心細さ。
     彼の内に、そのようなものを懐く隙が出来てしまっていないとも限らない。
     何となれば仁は、そういったやり口で、自身の内なる空虚を飼い慣らさんと――「いや、」
     さしたる間も置かず、ふ、と空気が揺れた。
    「行かぬよ、俺は」
     まったくもって杞憂だった。
     見やった先で仁は、毛ほどの陰もなく、からりと笑っていた。
     しかも「行けぬ、、」ではなく「行かぬ、、」――誘いかけたこちらの胸中なぞ、ちらとも気遣わぬ答えは、いかにも仁らしさに満ちていて。
    (……いや、こいつの場合、こういう無神経なところはむしろ、変わった方がいいんだろうけどね)
     あたしはいったい何を案じて、試すみたいな真似を仕出かしたんだろう。考えれば考えるほど己の馬鹿馬鹿しさが無性におかしくなって肩を揺らすゆなに何を見たのか、仁も喉を鳴らして笑いつつ、筵を背に再び横たわった。
    「そうだな……いつか穏やかな旅に出たいと思わぬでもないが、それは今ではない。何せまだ、なすべきが山とある。骨休めをするには時期尚早というものだ」
    「――そうかい」
     それでこそ仁だ、と安堵し。
     そのいらえを平らかに受け止められる己に、重ねて安堵した。

    「したがそれは、あくまで俺の都合に過ぎぬ。『もし』とは云うが、さような腹積もりがわずかなりあるなら遠慮は要らぬ、いつでも申せ。力になろうぞ」
     またいつもの安請け合いが出たよ、と眉をしかめたのが見るともなしに通じたのか、「任せよ、宛はあるのだ」と力強い弁解が飛んでくる。
    「知り人に、たいそう腕の立つ船乗りがおってな。あやつならば素性は確か故、お主を安心して預けられる」
     いやしかしあやつ、本土から戻ってきたという話を聞かぬな……などと独りごちる仁を、「それじゃあ頼もうにも頼めやしないじゃないのさ」と笑い飛ばし、
    「あたしの伝手つてが胡散臭いんじゃないか、って心配してくれてるなら無用だよ。きっとこの島一番、安心な伝手だから」
    「? というと?」
    「……実は、さっき市で偶然、志村様に出食わしてね」
    「なっ……――?!?」
     今度は、上半身を飛び起こさせる、どころの騒ぎでは済まなかった。その名を聞いたとたん、仁と来たらまるで宙に浮いたよう跳ね上がり――いかなる膂力をもってすればそんな挙動が取れるのやら――、そしてまたもや前屈している。いや、沈没と云った方が適切か。筵に爪を立ててぶるぶる震え、身を丸まらせている様子からすると今度こそ、手当ての甲斐なく傷が開いてしまったかもしれない。
    「んなぁぁあっ?!?」
     とはいえ、鳴き声はやたらと元気だ。いや、事によるとこれは悲鳴なのだろうか。
    「――……ふ、ふふ、……あんたさぁ……」
     予想していたものの、あまりといえばあまりの反応に、気遣わしさよりも面白さが先立ってしまう。とうとう腹を抱えて笑い転げるゆなに、じっとり、実に恨みがましい視線が向けられた。
    「お主っ……俺で遊んでおらぬ、か……っ!?」
    「誤解だよ、誤解。悪かったって。ほら、大人しくしておいで。今、傷の具合を見てやるから」



     あの子の後がまよろしくやって来て、この胸いっぱいを占拠した空虚は、冬の嵐みたいな寒々しさ、重苦しさ、やるせなさしかもたらさなかった。
     けれど、癒したいとは、埋めたいとは思っていなかった。
     痛み、辛さは副次的なものだけれど、それも含めて、あの子が生きた証。
     そいつを失ってしまうというのはまるで、あの子を忘れてしまうようで――そんなの薄情だと思ったから。
     だから永遠に打ちのめされたまま、ここにうずくまり、どうにか上手く飼い慣らして、寄り添い、耐え忍ぶのみが道なのだと、己に云い聞かせていた。

     でも――あのいけすかないお武家様が、教えてくれた。見せてくれた。
     真っ向から相対するだけが方策でないこと。
     何より、手離すだけがすべでないこと。
     手は二つしかなくても、乗っけていられるのはそれきりじゃあない。
     元々握っていたものだって、ちゃんと残しておくことはできるんだ。
     後悔も、罪悪感も、あの子の面影、尽きせぬ思慕も、けじめも、全部一緒くたにして携えたまま。
     新しいかたちを結び、進んで行くことは出来るんだって。

    「あのね、仁」
     幸いにして傷は開いておらず、少しく緩んださらしを締め直してやり、垂れる汗を拭ってやりながら、ゆなはささやくよう云った。
    「……『伯父上』様が、さぁ」



     仁、あんたはまだ知らないだろうか。
     知らないなら、教えてやりたい。

     積み重なるものは、あるんだよ。



    【了】




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    建河羊子

    DONE赤エンド後の、野盗と地頭の話。甥御もいますが、カップリングの含みはありません(が、例のごとく限界オタムーブっぽいものはかましています)。地頭が元地頭になっていたり、いろいろ捏造しています。また書き手は地頭推しのため、お嫌いな方はご注意ください。
    ツにはまって三本目くらいに勢いだけで書いたネタを今さら形にしてみました。
    二人の間に、和解まではいかないものの何かしらの歩み寄りがあれば、という願い。
    たなごころに黎明積みて 飯を作るのもひとり分なら、食うのだって当然ひとり。洗い物だってひとり分で。夜に響く寝息も、気配も、ひとつきり。
     その空虚とは一年近い付き合いとなり、そろそろ寄り添われるのが当たり前になりつつはあるのだけれど――唐突に、どうしようもなく受け入れ難くなる時がある。
     胸中にて起こる、通りもののごとき凪いだ嵐は、自身にすらどんな契機で発生するのか予測もつかない。

     けれども、いかなる手段によるものか。この男は毎度、その瞬間を予め見越しているかのよう、姿を現すのだ。

    「久しいな、ゆな。息災であったか」
    「……あんたに比べりゃあね」
     同じ言葉をそっくりそのまま叩き付けてやりたい衝動をぐっと抑え込んだ代わりに、皮肉が飛び出てしまった。
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    たなごころに黎明積みて 飯を作るのもひとり分なら、食うのだって当然ひとり。洗い物だってひとり分で。夜に響く寝息も、気配も、ひとつきり。
     その空虚とは一年近い付き合いとなり、そろそろ寄り添われるのが当たり前になりつつはあるのだけれど――唐突に、どうしようもなく受け入れ難くなる時がある。
     胸中にて起こる、通りもののごとき凪いだ嵐は、自身にすらどんな契機で発生するのか予測もつかない。

     けれども、いかなる手段によるものか。この男は毎度、その瞬間を予め見越しているかのよう、姿を現すのだ。

    「久しいな、ゆな。息災であったか」
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