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    おたぬ

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    おたぬ

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    22歳ノンケ🍁×30歳ゲイ❄

    訳もわからないまま振るわれた暴力は、結局彼の気がすむまで行われた。玩具のように蹴られ続けた俺の意識は途中で途切れ、目が覚めると、その日の客にばら撒かれた紙幣と共に彼の姿は消えていて、朝焼けの中に俺だけが惨めに転がっていた。

    まだ、生きている。

    判然としない頭でそんなことを思って、同時に、このまま消えてしまえばよかったのに、とも思った。男を喜ばせるためだけにある体と、恋人と言える関係であるはずの彼が、どこかの誰かと遊ぶために利用される人生。心は、初恋の彼を傷つけてしまったあの日で止まったまま。時間と共に彼との温かい交わりが薄れ、彼が触れてくれた温もりを見知らぬ男達に上書きされて、思い出が汚されてしまうくらいなら、まだ彼を覚えたままの俺で終わってしまいたかった。

    けれど、俺は生きている。息をしている。

    (……まだ、終われないのか……)

    この地獄から、抜け出すことは許されないのか。

    落胆しながらも癖のように時間を確認して、もうすぐ出勤しなければならないことがわかると、痛みを訴えるそれを無視して俺の体は勝手に出かける準備を始めていた。

    「……いっ、つぅ……」

    そうして、普段の倍以上の時間をかけ、歩くだけで痛む脇腹を押さえながらカフェまで辿り着いた俺は、出番まで椅子に座り今日弾く予定の曲目を確認する。視界が僅かにブレるが、これならまだ弾けるはず。怒り狂った彼が狙ったのが腹部だったのは、不幸中の幸いだった。この状態であれば、まだお客さんに隠し通せる。

    「青柳さん……その、もう時間だけど……」
    「……っ、すみません、行ってきます……!」
    「あ、いや……体調悪いなら休んで……」

    かけられた言葉にハッとして立ち上がり、激痛によろめきながら出入口へと足を向ける。慌てた声が背後で聞こえた気はしたが、それに答える余裕は申し訳ないことに俺にはなかった。消えるどころか動くたびに増し続ける痛みに倒れそうになりつつ、壁に手をついて普段ならばなんてことのない距離をフラフラと歩く。そしてコーヒーを片手に談笑するお客さんの時間を寄り良いものにするため、俺はピアノの前に立った。

    俺の存在に気がついた数人が、こちらを見る。その瞳の中に期待の色を見つけて、痛む脇腹をそっと撫でた。

    (……大丈夫)

    やるべきことはすべて体が覚えている。そう自分に言い聞かせて、椅子に腰掛けた俺は鍵盤に指を乗せた。



    トンネルを抜けるとそこは……というのは、とある有名な小説の書き出しとして知られているけれど、俺が目を開けると、そこには見知らぬ白い天井が広がっていた。

    (……ここは、どこだ?)

    首を傾げて目線だけで辺りを見回してみるが周囲はカーテンで仕切られており、状況はよくわからない。けれど、自身が寝かされている白いベッドの形はどこか見覚えがあり、さてなんだったか、とぼんやりする思考をゆっくりと時間をかけて巡らせ、あぁ、病院のものだ、と思い至る。しかしながら俺の中にある最後の記憶は、カフェでいつも通りピアノを弾いていたというところまで。こんな所に来た覚えはない。

    「青柳さん、起きてますかー?」
    「……えっ、あ、はい……」

    何があったのだろうと思案していると、看護師だろう女性の声がして、それに反射的に答えると「入りますよ」とひと言あった後にシャッ、と音を立ててカーテンが開けられた。人の良さそうな柔和な顔立ちのその女性は俺を見て、ホッとしたように息をつく。

    「よかった、目が覚めたんですね」
    「……はい、あの、俺……どうしてここに……?」
    「あー、そうですよね」

    困ったように笑った彼女は「先生を呼んできますね」と言って出て行くと、暫くして医師であろう若い男性を伴い戻って来た。

    男性が言うには、俺は突然カフェで倒れてこの病院に運び込まれ、その時点で酷く衰弱していた俺は昏々と3日ほど眠り続けたらしい。そして体の状態なのだが、過労に栄養失調、それから肋骨にヒビが入っていた、とのこと。なるほど、道理で脇腹が痛むわけだ。

    「すぐに退院させてもらえるのでしょうか……?」
    「それは難しいですね、かなり免疫も落ちてますし……今青柳さんには静養が必要ですから、1、2週間といったところですね」
    「……そう、ですか……」

    それで治るわけではないので、その後も自宅でしっかり療養してくださいね、と不思議と有無を言わせぬ圧を感じる笑顔で言われ、俺はこくん、と頷く。しかし、俺が3日眠り続けた、ということは、事実上俺の体を売って生活している彼の懐にはそれだけの間、お金が入ってきていない、ということだ。機嫌を損ねていなければいいが。

    まだヒビが治っていない脇腹について説明を終えると、床頭台の鍵を置いて医師も看護師の彼女もいなくなり、辺りが静寂に包まれる。医師達が出ていく際にカーテンの隙間から見えた限りここは数人でひと部屋のようだが、あまり騒ぐ人がいないのか、それとも不在なのか。廊下から人の声は聞こえてくるものの、それはどこか遠い。

    (……1、2週間……か)

    彼は俺の入院を知っているのだろうか。カフェで倒れたのなら、確実に知っているのはあの日のカフェにいた従業員と店長ということになる。それなら、昔から俺の恋人の気質を心配してくれていた店長のことだ。伝えてはいないだろう。

    (そうだ、携帯)

    何か連絡が来ているかもしれない、と上半身を起こして座り、床頭台の引き出しの鍵を開けて携帯を取り出す。切られていた電源を入れて、起動までの時間を妙にもどかしく思いながらホーム画面を開くと、ピコン、ピコン、と溜まっていたメッセージ達が次々に届いた。その表示された通知の内容に俺は目を見開き、息を飲む。

    『どこにいる』
    『金はどうした』
    『まさか浮気してないだろうな』
    『誰が居場所を作ってやったと思ってる』
    『お前みたいなビッチを愛してくれる男なんて他にいないってわかってるのか』

    それは、言ってしまえばただの文字の羅列。俺がよく読んでいる書籍と同じもので形成されているそれ。俺を傷つけるためのナイフとなったそれらの一番下。最も新しいメッセージが目に入り、俺の口から乾いた笑いが漏れた。

    『可愛い子見つけたから、もういいわ』

    こんなに簡単に終わるものなのか、と。たったこれだけで何年も縛られて、犯されて、それでも尽くして、尽くし続けた俺の時間はすべてなかったことになるのか、と。

    こんな終わりのために、あの日芽生えた恋の花は無惨に摘み取られてしまった、なんて。

    ふと窓から見上げた空はいつも見るそれよりもどこまでも澄んでいて、あまりにも綺麗なそれに目の奥が熱くなり、脇腹が痛むのも気にせず蹲る。

    彰人、俺はもしかしたら都合のいい男なのかもしれない。虫が良くて、我儘で、自分勝手な、一度彰人を傷つけてしまった、そんな男でも、彰人は言ってくれるだろうか。こんなにも汚れて、あれからたくさんの時が過ぎてしまったけれど。

    また、手を握ってくれるだろうか。



    これまで彼と過ごした年月と比べると短すぎる3日という空白で、その支配から呆気なく解き放たれた俺は、病院での治療に専念した。と言っても点滴を受けながら体を休めているだけで、苦労としたことと言えば、ずっとまともな食事をしていなかったからか、胃が普通の食事量を受け付けてくれなかったり、動くとヒビの入った脇腹が痛んだ程度。そうして1週間、2週間と日は進み、腰のコルセットも取れて、ゆっくりであれば普通に食事を取れるようになり、数日経った今日、俺は退院の日を迎えることができた。ちなみに入院している間、彼からは一度も連絡は来ていない。本当に、俺にはもう興味がないらしい。

    恋人に浮気の末捨てられたはずなのに、病院の廊下を進む俺の足取りは軽やかで、清々しささえ感じている。お世話になった看護師の女性に頭を下げロビーに行くとベンチに店長が座っており、彼は俺に気がつくと軽く手を上げた。

    「青柳くん、退院おめでとう」
    「はい、ご迷惑をおかけしました」

    店長には倒れた日はもちろん、頼れる人がいない俺の身の回りのサポートまでしてもらい、元から恩義は感じていたが、より一層、それが深まった。けれど店長は「いいんだよ」と笑って、そっと俺の腰に手を回す。

    「……店長?」
    「退院はできたけど、やっぱりまだ細いね」

    昔から細かったけど、これはさすがに……。
    そう言いながら、すり、とそこを撫でられて、俺は首を傾げた。そんな俺に苦笑した店長は、そう言えば、と声を上げる。

    「青柳くんを探してる子が店に来てたんだ」
    「……俺を?」

    一瞬、俺を捨てた彼かと心臓が跳ねたが、それにしては店長は明るい顔をしており、何となく違う人なのだろうな、というのがわかった。だが、その他に、俺を探すような人はいただろうか。

    「なんでも、『もう一度だけでいいから、会いたい』とかで……」

    その後に続いた言葉に、俺の心臓はドクンと大きく脈打ち、早鐘を打ち始めた。恐怖とは違うもので呼吸が僅かに乱れ、頬に熱が集まる。それを俺に言うのは、たった1人。愛しい太陽のようなオレンジを持つ彼。

    「まぁ、彼が来たのは1週間くらい前なんだけど……その顔を見る限り、どうするのかは決まってるみたいだね」
    「……はい」

    迷うことなく頷く俺を、楽しそうに見つめる店長は秘密話をするように、俺の耳元へ唇を寄せた。

    「フラれたらいつでも家においで。お酒の席でも、ベッドの上でも、好きな方で慰めてあげる」

    茶化すような声色にくすりと笑って、初めて会った時のように、けれど、その時よりもはっきりと俺は言葉を返す。

    「それは、遠慮させていただきます」

    この気持ちを彼に受け取ってもらえるかはわからないが、それでももう、彰人以外にこの体を許すつもりはない。

    「そう、それは残念。でも困ったらいつでも連絡くれていいからね」
    「はい、ありがとうございます」

    肩を竦めながら店長は笑い、俺も釣られて笑みが零れる。こんな風に笑ったのは、いつぶりだろう。そんなことを考えながら、頭の片隅で伝え聞いた言葉を反芻する。店長へと託されて、たった今届いたそれ。

    『あのバーで待ってる』

    彰人、それはそういうことだと、期待して、夢を見てもいいのか?



    何時、という指定はなかったが、不思議と時間帯は予想がついて、その時間に俺はまたあの通りを抜けた先の脇道にあるその店の前に立っていた。初めて彰人に出会い、恋に落ちて、そして1年前に心を置き去りにした、すべての始まりの場所。

    この場所で、きっと何かがまた動き出す。それが何かはわからないし、もしかしたら、1週間も待たされた彰人はもう待ってはいないかもしれない。けれど、それならそれでいいと思った。この気持ちを抱えて、彼の幸せを願いながら生きていこうと、そう思えた。何がどう動いても、きっと今までの人生より幸福な未来が待っている。

    その確信を持って、俺は運命の扉を開いた。

    宝物のように大切な思い出と同じジャズが流れる店内は、あの日と同じようにオレンジ色の照明で落ち着く暗さに調節されている。たかが1年。されど1年。大昔、というほど前ではないのに感じる懐かしさに、胸の辺りをギュッと握って、かつて彼が座っていたカウンター席に目を向けた。

    「………………あっ……」

    そこにいたのは、オレンジ色。照明に照らされ、色を濃くした明るい太陽が、そこに座っていた。

    体が震える。何度、その姿を瞼の裏に描いただろう。何度、犯されて折れそうになる心を、その温もりに支えてもらっただろう。何度、その腕に抱かれたいと、夢を見てきただろう。足を1歩前に出せば、彼との距離がそれだけ縮まり、それを咎める人も、振り下ろされる拳も、どこにもない。何かに突き動かされ、1歩、もう1歩と歩を進めて、彼のもとへと駆け出すと、彼もこちらに気づいてくれて、澄んだ青朽葉が俺を写してくれた。

    あの日取りたかった、握りたくて仕方がなかった手を俺は自ら伸ばす。すると彼も席から立ち上がって、あの日のように俺に手を差し伸べてくれた。

    「………っ、彰人!」
    「冬弥さん!」

    触れ合った指先を絡めて、決してもう離れないように、俺達は互いのそれを握り合う。節くれだった男らしい手からじんわりと温かな温もりが伝わり、その熱が今まで想いを堰き止めてきた何かを溶かして、俺の頬を伝い落ちた。

    「……あき、と……」

    両手で彼の手を包む。ポタポタと彰人の手に落ちた涙が弾け、彰人の指がそれにピクリと反応した。

    「……ごめっ、ごめん、なさい……」

    怖い、けれど、言わなければ。
    たくさんの勇気を振り絞ってくれただろう彼の思いを、俺は一度踏みにじってしまった。臆病風に吹かれて目を背け、逃げてしまった。だから、1年も待たせてしまったけれど、今度は俺から。

    「俺は一度、彰人を傷つけて、逃げてしまった……」

    ギュッと彼の手を握ると、震える俺のそれに彰人のそれが添えられて、まるで大丈夫だと言うように、彼はそっと優しく握り返してくれた。それに背中を押され、情けないほどか細い声で俺はそれを音にする。

    「だが、まだ……間に合うだろうか……」

    彰人の息を飲む音が聞こえる。

    「今からでも、いいだろうか……」

    彼がどんな顔をしているのか。それは、怖くて見ることができない。そうやって俯いていると、俺の手に添えられていた彰人の手が離れて、下を向いている俺の顎に彼の指が当てられ、少しだけ上を向かされる。そして、あっ、と思う暇もなく、涙でボヤけた視界を埋めつくしたのは、一面のオレンジと少しの黄色。

    「ダメなわけ、ねぇだろ」
    「……あき……んッ……」

    塞がれる唇に頭がふわふわとして、体が火照るのは、彼から感じるアルコールのせいか、それとも。どちらかはわからないが、俺はマスターの無言のクレームが来るまでの暫しの間、初めて味わう感覚に酔いしれた。
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