音楽は好きだ。歌も好きだ。ただ、父に押し付けられる音は嫌だった。けれど、やはり好きなものは好きだから捨てられなくて、そんな私を拾ってくれたのが彰人だった。彰人は家にしか居場所がないのに、そこから逃げ出して行き場のなくなった惨めな私を隣に置いてくれたのだ。
それから彰人が教えてくれた世界は私がいた狭い部屋の中よりもずっと輝いていて、だけど夢を語る彼はそれよりももっと眩しくて。苦しいだけだった毎日は新しい音と、色彩に溢れていた。
そんな日々の中、彰人に相棒と呼ばれる度に胸が弾んで、視線が交わる度に心が満たされるようになるのに時間はかからなかった。その感情の名前はとうに知っていたけれど、その名を付けるわけにはいかないと、幾重にも鍵をかけて必死に見て見ぬふりをする。そうして、私は彰人の隣で歌い続けた。相棒として。それでいい。それだけでいい。彰人の夢を叶えたい。
そう思っていたのに。小豆沢の、彼女の覚悟を見て、心が揺らいだ。私は彰人の期待に応え続けてここまで来た。だが、私は彼の求める覚悟を持っているだろうか。ただ家から逃げ出してきた私に、それがあるだろうか。父に咎められても、彰人を悪く言われても、上手く言い返せない私なんかに。
そう考え始めたら、もう止まらなかった。
*
(………彰人、怒っていたな)
当たり前か、と公園のベンチに腰を下ろして陽の落ちた空を見上げる。思い出すのは初めて真正面から見た彼の怒った顔。今まで不機嫌であったり、誰かに怒りを覚えているところは見たことがあるけれど、その感情をこちらに向けられたのは初めてだった。怒らせればきっと簡単に捨ててくれると、そう思ってのことだから、狙い通りと言えばそうなのだが。
(………狙い、通り……)
そのはずなのに、どうして胸が痛いのだろう。これは彰人にとってメリットのはずで、それは私にとっても嬉しいことのはずなのに。彼のことを思って、やったことのはずなのに。どうして息が詰まるのだろう。
(二度と顔を見せるな、か)
それも言われて当然のことだろう。今まで2人でやってきたことのすべてを、私は否定したのだから。思い返しても、酷いことを言ってしまった。たくさんの幸せな思い出をもらって、感謝してもしきれないほどの恩があるのに。それらを仇で返してしまうことになるなんて。だが、きっといつかこの選択が正しかったのだと彰人も気が付くはずだ。そうして、いつかどこかで誰かと思い出話として花でも咲かせてくれれば、それで……。
(……そういえば、彰人はこれから1人で歌うのか…?)
それとも、誰かと共に歌うのだろうか。私を見付けてくれた時のように、気に入った人に声を掛けたりするのだろうか。その人とステージに立つのだろうか。そしてその人を、相棒と呼ぶのだろうか。私をそう呼んでくれたように。
(…………)
これ以上はいけない。これは自分で選んだ道なのだから。
わかっている。わかってはいるのだ。でも。
少しだけ。ほんの少しだけ。
「………いや、だな……」
相棒、と。
私ではない誰かを、そうやって呼ぶ彼は見たくない。
もう会うことも許してはくれないのだから、見ることはないのだろうが、それでも何となく嫌だと思ってしまう。
彼に憂いを残してほしくなくて、きっぱり捨ててほしくて心にもないことまで言ったのに、自分がこれではどうしようもない。
情けなく出そうになる嗚咽を、彼への想いと合わせて噛み殺す。これはもう持っていてはならない物だ。忘れなければ。捨てなければ。この想いも、すべて。彰人の邪魔にならないように。
そう思うのだが、今まで溜め込んでいたからだろうか。それは私の意思に反してぽろぽろと溢れて零れ落ち、制服へと吸い込まれて汚いまだら模様となり消えていく。
このまま、涙に溶けてこの気持ちもなくなってしまえ、と。
拭っても拭っても止まらぬ涙が重力に従い落ちていくのをぼんやりと眺めながら、私は始まる前に終わってしまったそれに別れを告げる。
さようなら。
焦がれるような恋でした。