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    おたぬ

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    おたぬ

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    男性恐怖症な❄♀の話

    その男性は父がどうしても家を空けなければならない時などに父に代わり、私にピアノを教えるため青柳家に出入りしている人だった。父のように威圧的ではなく、物腰は柔らかく、さすがに外に出ることは父が許可していなかったようだが、それでも練習を休憩することを許してくれる人で、当時の私は優しい人だと懐いていた。

    それが始まった瞬間を私はもう覚えてはいない。いや、正確には気に止めていなかったため、わからない。最初は膝に乗せられる程度だったと思う。休憩にしようと言われ、飲み物を飲んでいたら、それが当たり前のように抱き上げられたのだ。私の近くにそんなことをする人はいなかったので不思議に思ったが、人を疑うことを知らない当時の私はそれを受け入れてしまった。今思えば、それを受け入れてしまったことで男性に「いける」と思わせてしまったのだろう。そうやって膝に乗せられての休憩が常態化した頃に今度は太腿を触られるようになり、なんでそんなことをするのだろうかと思っているうちに男の手はまだ何の膨らみもない胸にまで伸びていた。そして。

    「冬弥ちゃん、おじさんと気持ちいいことしようか」

    そう言われるまでは早かった、と思う。私の唇に男の唇が重なり、服を脱がされる。一体何が起きているのか。何をされているのか。音楽以外を取り上げられていた私には、何もわからなくて目を白黒させることしかできなかった。そこから先は思い出したくもない。ただただ床に押し付けられる体が痛くて、いつも優しかった人が息を荒らげて、私の体に腰を擦り付けている様が怖かったことだけは覚えている。

    「このことはお父さんにも、誰にも言っちゃダメだよ。いい子の冬弥ちゃんなら約束してくれるよね」

    きっと、外の世界を知っていたなら違うことを言えたのだろう。けれど幼かった私は大人の言うことへの返事をひとつしか知らない。だから、いつものように答えた。

    「………はい」

    自身が訳もわからぬまま、体を暴かれ汚されていたのだと知ったのは、クラシックをやめた中学の頃。その日を境に、私は男性に触れられることが怖くなった。



    「なぁ東雲、青柳とはどこまでやった?」
    「あ、俺もそれ気になってた!」

    夕陽に染まった校庭。人数合わせとして参加した部活を終えて門に向かうまでの道、男子2人組からの言葉にオレは出そうになった舌打ちをグッと飲み込んだ。これまで何度も聞かれたことはあるが、なぜこうも人の恋愛に首を突っ込みたがるのか。今日はこれから冬弥と練習をする予定で、こんな無駄話をしている暇はないというのに。急速に降下していくオレの機嫌には気づかず、1人が弾んだ声で言ってくる。

    「もうキスくらいはしたんだろ?」
    「………お前らには関係ねぇ」

    えー、教えてくれよ!と、騒ぐそいつらを無視してオレは校門へ急ぐ。こういう手合いは付き合うだけ無駄だ。しかし、それをどう解釈したのか、背後から「まさか何もしてねぇの!?あの青柳と付き合って!?」「それでもお前男か!?」などと聞こえてくるが、本当に大きなお世話だ。

    (……冬弥のこと、何も知らねぇくせに)

    冬弥がずっと1人で抱え続けてきた苦しみも、悩みも知らない人間が、オレたちの関係に口を出すな。そんな思いから苛立ちが込み上げてくる。実のところ、オレと冬弥はキスどころかデートで手を繋いだことすらないのだが、しかしそれは決してオレに勇気がないという訳ではなく、冬弥に嫌がられているというわけでもない。

    (………何もしてねぇのかって?当たり前だろ)

    手を出せるわけがない。あの涙を見てしまっては。
    元々組むことになった時に聞いてはいた。男性と触れ合うのは得意ではない、と。それをオレは、育ちの良さから男性に慣れていないのだと解釈していたが、そうではなかった。その次元ですむ話ではなかった。

    そうと知ったのは告白をした時。1人で悩んだ末に冬弥がオレから離れようとしたあの喧嘩の後、オレは子供たちも他の利用者もいない夕暮れの公園で、冬弥に想いを告げた。

    好きだ。
    たった一言。透き通る白銀を見つめて、そう言った。他にも言いたいことがあった気はするが、それしか言葉は出なかった。オレの人生初の告白を受けた彼女は静かに息を飲んで、目を見開く。それから、すまない、彰人、と白銀を潤ませて一筋の涙を流したのだ。

    嫌われてはいないだろうと思っていた。一緒に歌いたいと思ってくれていると知っているから。今の冬弥にとって、歌はすべてだから。ただそこに、恋愛感情があるのかはわからない。故に告白を断られる可能性も考えていなかったわけではない。

    だが、その後に続く言葉によって、冬弥の言った謝罪がそんな簡単なものではないことを知る。

    私は彰人が好きだ。だから付き合うことはできない。

    好きだから付き合えない。
    そんな訳のわからないことを、冬弥は言ったのだ。もちろん、オレは納得ができなかった。両想いであることが確認し合えた上で、付き合えない理由とは何なのか。オレの疑問に彼女はぽろぽろと零れる涙もそのままに、吐き出すように答える。

    私は、男性に触れられるのが怖いんだ。
    キスも、ハグも、その先も。私は彰人に何も与えられない。何も恋人らしいことはできない。

    冬弥の白磁の肌を滑り落ちる涙が夕陽に煌めく様は、まるで絵画のように美しかったのを覚えている。けれど。

    触れ合えなくてもいい。それでも、オレはお前が好きだ。

    そう伝えた後に見せた、世界を染上げる沈み行く太陽にも負けないほど頬を真っ赤にした彼女の方が何百倍も可愛らしかった。

    こうして男性恐怖症である冬弥との交際が始まったのである。

    「じゃあ、おつかれ」

    くだらない話を切り上げて、オレは冬弥が待っているであろう店へと急ぐことにした。彼らは、またなー、だの、宿題教室に忘れた、だのとまた騒ぎ出したが、興味も関心もないため意識の外に捨てる。ようやく面倒な奴らから解放されたと溜息を吐き門を抜けると、そこには門に寄りかかって佇む人影があった。見間違えも、見逃しもしない青のツートンカラーの人影が。

    「…………冬弥?」
    「………あっ……あき、と……」

    それは先に店へ行っているはずの冬弥だった。彼女は緩慢な動きで一度こちらを見ると、眉根を寄せて俯く。

    「冬弥、何かあったか?」
    「いや……」

    何でもない。おそらくそう言おうとしたのだろう。いつもオレが聞くと、冬弥よくそう答えていた。だが、彼女は言いかけたまま何かを考えるように口を噤んで、それから唇を震わせながら口を開く。

    「……すまない彰人……キスもできない、恋人で」

    聞いているこちらが泣きたくなるような、震える声だった。ともすれば、誰の耳にも届かず空気に溶けて消えてしまいそうな小さく弱々しい声色だった。

    (そりゃ……聞こえてるよな)

    どうして彼女が今ここにいるのかはわからないが、校庭からここまではそう離れてはいないし、部活動をする生徒も帰宅を始めているこの時間帯はそう煩くもない。耳のいい冬弥であればあの男子2人組との会話を聞き取るくらいはわけないだろう。

    オレはどうして冬弥が男性を恐れるようになってしまったのかは聞いていない。しかし、そうなるほどに恐ろしい目にあったことがあるのだろうということは容易に想像ができた。冬弥は何も悪くない。彼女が負い目に感じることなど何もないのだ。だというのに、くだらない詮索を許してしまったせいで冬弥にこんな顔をさせてしまった。

    (………クソっ)

    内心で悪態をつく。その心を苛むすべてのものから彼女を遠ざけることができたら、どれほどよかっただろう。父親に母親。ピアノにヴァイオリン。それからさっきの2人組のような男。それらの声が、音が冬弥を傷つけないよう彼女の耳を塞いで、それらが冬弥に触れないよう彼女を腕の中に閉じ込めてしまえたら、どんなによかっただろう。

    「盗み聞きをするつもりはなかったんだが……その、聞こえてしまって……」
    「あんだけでけぇ声で喋ってたら、聞こえもするだろ」

    根っから真面目な冬弥にとっては聞くつもりのなかった会話がたまたま聞こえてしまったことも気になるらしく、どこかオロオロとした様子で謝罪してくるのにオレは気にすんな、と返す。そうは言っても彼女の気はあまり晴れてはくれないのだろうが。

    (男性恐怖症の治し方、帰ったら調べてみるか)

    触れ合えなくても冬弥を愛している。その気持ちに嘘はないし、無理をして治す必要はないとも思っている。けれど、冬弥がここまで気にするのであれば話は別だ。



    それはすべて過去の記憶である。あの人はもういない。もう私はクラシックの世界にはいない。私は彰人やみんなと共に歌っていくと決めた。

    なのに、どうして怖い?
    どうして私の体は震える?
    何に怯えている?

    デートで、練習で。様々な場面で不意に触れるたびにビクリと跳ね上がる自分の体に嫌気がさす。
    私に触れているのはあの人ではない。彰人だ。私を愛してくれている人だ。

    彰人は私の体を押さえつけて、キスを迫ってきたりしない。私の体を無理やり暴いたりなんかしない。酷いことはしない。それなのに、どうして?
    彼に触れたい。彼の愛に応えたい。愛し合ってみたい。私だって他の恋人たちのように愛を確かめ合いたい。
    そう、たしかに思っているのに。これは私の本心なのに。
    放課後に聞いたサッカー部の人たちの言葉が離れない。

    『それでもお前男か!?』

    違う。そんなことを言わないで。彰人は悪くない。彼は私を思って手を出していないだけ。悪いのは私。私なのに。私のせいで、彰人が悪く言われてしまった。

    何が怖いんだ。彼は優しいのに。真っ直ぐに愛してくれているのに。私自身が触れることを望んでいるのに。何が怖いというんだ。何も、わからない。もう。

    彰人を体が怖がるたびに心と体が乖離していき、妙な気持ちの悪さを感じた。それに何より、愛する人を何度も拒絶はしたくない。

    思い悩んで自室で覗いたインターネットにそれはあった。

    「………マッチング、サイト?」

    『男性恐怖症を治すには男性と関わることに慣れること!』
    そう題された記事にあったそれ。見知らぬ人と会話や食事をするサービスらしく、これを利用して恐怖症が治った、と執筆者は綴っていた。

    前例があるのなら、私もこれで治るのだろうか。彰人と触れ合えるようになるだろうか。

    方法は何だってよかった。彼と愛し合えるなら。
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