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    ゆげ🌷

    @penapena91

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    ゆげ🌷

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    6月の進捗

     長い睫毛が伏せられて、それから意思の強い瞳がきらめく。ネクタイをぐいと解いて、ユキは低く尋ねた。
    「これで帰れる、とか思ってる? あんたの仕事、まだ終わってないから」
     前髪の隙間から、意地の悪い笑みが覗く。愉快そうな表情に、ドクンと胸が高鳴った。
    「手伝ってくれるならなんでもするって、あんたさっきそう言ったよね?」
     真っ直ぐに見つめる視線に射抜かれて、深夜のオフィスに言葉もなく立ち尽くした。
     
     *
     
    「キャー! ユキ、イケメンすぎるよーーッ!」
    「わ、何?」
     あまりの格好よさにクッションをギュッと抱きしめる。耐えきれずに叫び声を上げたところで、キッチンから驚いた声が聞こえてきた。
     イヤホンを耳から引き抜いて、背後を振り返る。当時よりも随分と髪が伸びたユキに向かって、ごめんごめん、と笑ってみせた。
    「ドラマのユキが格好よすぎて、つい盛り上がっちゃった」
    「髪を解いた途端に言われたから、背中に目でもついてるのかと思ったよ」
    「あーんそっちも見たかった! 今度は解く前に言ってね」
    「ふふ、今度ね」
     柔らかな笑顔に、絶対だからね、と念を押す。ユキが髪を解くところを見逃したなんて、オレとしたことが一生の不覚だ。サラサラの髪が流れる様子は、それだけでうっとりするほど様になる。役目を終えて手首にかけられたヘアゴムに口を尖らせてから、しょんぼりと肩を下げた。
     映像のユキと本物のユキ、どちらか一方しか見られないなんて泣きたくなるほど不便だから、本当に背中にも目がついていればいいのに。数々の業界人から見事だよね、と褒められるぴえん顔で見つめると、ユキは可笑しそうに頬を緩めた。
     エプロンの紐を解きながら、ユキがこちらに近づいてくる。ソファの後ろからひょいとタブレットを覗き込んで、ユキは苦そうな声を上げた。
    「うわ、懐かしいもの見てるね」
    「えへへ、これ好きなんだ!」
     本心からそう返して、にぱっと心からの笑みを浮かべる。いまだ流れ続ける映像を見て、ユキはちょっぴり顔を顰めた。
     不満そうな声色に少し笑ってから、画面をタップして一時停止する。いいところだったけど、そろそろ夕飯の時間らしい。ひとまずはここでお別れかあ、と名残を惜しみつつ、映像の中の不敵な笑顔をじっと見つめた。
     第二話はあと二十分ほど残っている。ユキは観たくなさそうだから、続きは家に帰ってから観よう。心の中でそう決意して、肩越しにユキを振り返った。
     渋い顔をしているところを見るに、少し恥ずかしいのだろう。初めて主演を務めた恋愛ドラマとあっては、多少面映く感じるのも頷ける。指先で小さく頬を掻いて、ユキは複雑そうにつぶやいた。
    「今より下手だし、なんか必死でおかしくない?」
    「ちっともおかしくなんかないし、ユキの演技は前から最高だけど!?」
     そりゃもちろん、今のユキの方が演技力に磨きがかかっているに決まっている。とはいえ、昔のユキにもおかしいところなんてあるわけがない。映像の中のユキを庇うように背後を見上げると、ユキは「モモはそう言うと思った」と苦笑して、ひょいと肩を竦めた。
     呆れたような表情に少し笑って、画面に映るユキの顔を再度眺める。王道のお仕事ラブストーリーは、放送から何年経っても古びた感じが一切しない。この後のシーンもたまんないんだよなあと頭の中に思い浮かべて、ひっそりと胸を高鳴らせた。
     深夜に二人っきりで残業だなんてそれだけでもドラマチックなのに、その上、仕事を手伝う代わりに何でもする、なんて約束まで交わしているのだ。そんな最高のシチュエーションに、このオレがときめかないはずもなかった。
     あーあ、少女漫画的な展開って、なんでこんなにキュンとくるんだろ。
     翌朝に迫った企画書の提出締め切りを前にして、ユキ演じる川瀬くんが憎まれ口を叩きながらも主人公をサポートするところもイケメンだし、強気な口調にもドキドキする。それでいて、甘いものが好きだからお菓子メーカーに就職した、なんてギャップもあるから最高だ。
     仕事を手伝った見返りは体で支払ってもらうからな、と主人公を脅しておいて、実際は流行りのスイーツを食べに行くのに付き合えって、簡単すぎる要求をしてくるところが、まためちゃくちゃ可愛いんだよなあー……。
     放送日にはSNSのトレンドを埋め尽くすほど大評判だっただけに、反響も思っていた以上にすごかった。この頃はファンレターと一緒に事務所にお菓子がたくさん届いていたっけ。山積みになったお菓子に驚いていたユキの顔を思い出して、心の中で小さく笑った。
    「てかこの人、いまだに共演NGなのウケるよね」
    「あー……そういやそうだったねえ」
     本当にウケると思っているのか、なんとも微妙な台詞を口にして、ユキはタブレットを指差した。
     相手役の俳優は今でも映画やドラマの主演に引っ張りだこだ。このドラマも続編を望む声は多かったけれど、残念ながらこれ以降、ユキとのツーショットは一度も実現してない。放送から数年が経った今でも共演NGのお達しが解除されていないのだから、相手の恨みは相当根深かった。
     確か、撮影中からしつこく言い寄られてうんざりしていたところに、オールアップの打ち上げで許可なくベタベタされたのがトドメだったはずだ。
     興味のない相手からのボディタッチが不快なのは確かに理解できる。この点については、ユキは全く悪くない。だけどどうやら、断り方がまずかったらしい。
     気持ち悪いから触らないで。ユキの一言で二人の間の空気は一瞬にして凍りついて、それからたちまちのうちに相手の怒りに火がついた。
     翌日には早速、事務所宛に正式に共演NGの通達が届いて、あとはそれきりだ。先手を取られたことが不愉快だったらしく、ユキが「は? こっちだって願い下げなんだけど?」と不機嫌に吐き捨てていたことが今でもはっきりと思い出せる。
     それに加えて、件の打ち上げに向かう道中で相手から無理やりに絡められた腕を解く直前のところを運悪く撮られていたこともまさしく火に油だった。週刊誌から送りつけられてきたゲラを見た時のユキの顔ったら、そりゃ言い表しようもないくらいに恐ろしかった。美形が怒り狂うのって、こんなにも迫力があるのか。絶対零度の空気にそんな風に怯えながら、隣でガタガタと震え上がっていたのが今となっては懐かしかった。
     当時のユキの怒りっぷりと、自分の怖がりようを思い出すとなんだかおかしい。今となっては、へそを曲げたユキを宥めたりあやしたりするのもお手のものであるだけに、余計に感慨深かった。
     と、まあ、そんなことがあったのだから、ユキにも何か含むところがあってもおかしくはない。けれど当のユキはと言えば、もうすっかり気にしていないらしかった。
     なんとも思っていない顔で少しの間昔の映像を眺めてから、ユキはくしゃりと柔らかくオレの髪をかき混ぜた。
    「ご飯できたから、手洗ってきな」
    「はーい」
     大好きなシーンだっただけに画面から離れるのが寂しいけれど、現実のユキを待たせるわけにもいかない。映像の中のユキをチラリと名残惜しく見つめてから、タブレットを置いて立ち上がった。
     そういえば、数いる共演NGの相手の中でも、彼女がその一人目だったかもしれない。リビングを出て洗面所に向かう道すがら、放送当時のゴタゴタを思い返して苦笑いを浮かべた。
     ドラマが大ヒットしたおかげで、あの頃は巷でもお似合いの二人だと騒がれていたっけ。それが実際は犬猿の仲になってしまったのだから、人間関係は難しいものだ。
     まあ、演技とはいえユキからあんな風に迫られたら、そりゃ本気で好きにもなっちゃうよなあー……。
     胸のうちでつぶやきながら、洗面台のレバーを上げる。蛇口から溢れた水と一緒に、特大の共感と、しこたま年季の入った片思いがため息になってこぼれ落ちた。
     好きだった相手にこっぴどく振られて、挙句どうでもいいと思われているなんて、それもそれでなんだか不憫だ。記念すべき共演NG俳優の第一号となった彼女のことを思って、心の中でそっと手を合わせた。
     共演者からユキが好かれてしまうのは、何も演じている間の距離感だけが原因じゃない。ユキ自身の行動も、それに拍車をかけていた。
     苦い過去への反省から、周りの人を大事にしよう、できる限り優しくしようと努力して振る舞うユキを前にして、共演者たちがもしかしたら自分は特別に好かれているのかもしれないと勘違いをしたり、思いを寄せたりしてしまうのも当然だった。だって、ユキの目に自分が映っているだけでやばいのだ。その上、優しく見つめられたり、微笑みを向けられたりなんてしてしまったら、誰だってユキを好きになるに決まっている。いわゆるホワイトアウトってやつだ。絶対にそうなるって、オレにはわかる。だって、オレも同じだから。
     水を止めて、ふわふわのタオルで手を拭う。細身のスーツに身を包んで、意地悪に、だけどとびきりに甘く笑うユキの顔を思い浮かべて、きゅうっと目を瞑ってときめきの余韻を噛みしめた。
     映像の中のユキが大好きだ。いや、正確には、映像の中のユキも。
     ドラマを観ている間だけは、自分がユキの恋人になったような気分を味わえる。
     ユキと付き合ったらこんな感じなのかな。ユキの恋人になれたら、きっとものすごく幸せだろうな。
     ユキと恋に落ちる想像に胸を膨らませては、画面の中に映る、近くて遠い姿を見つめた。
     自分とユキが付き合うだなんて、現実では叶うはずがない。
     だからこそ、昔の作品はおとぎ話みたいに甘美だった。
     
     
     
     リビングのドアを開くと、食卓の準備はあらかた済んでいた。
     うわ、やられた。料理では役に立てない分、働きで返すつもりだったので、機会を逃した自分の読みの甘さに唇を噛む。後ろ手に扉を閉めて、キッチンで盛り付けをするユキに駆け寄った。
    「何か手伝うことある?」
    「じゃあ、これとこれ、持っていってくれる?」
    「うん!」
     ほかほかと湯気を立てるお皿を両手に持って、ダイニングテーブルに運ぶ。キッチンに戻ろうとしたところで、あとは大丈夫だから、ゆっくり座ってて、と優しく足を止められた。
    「はい、お待たせ」
    「どれも美味しそう〜……! ユキ、ありがとう!」
    「どういたしまして。冷めないうちに召し上がれ」
    「えへへ、じゃあ遠慮なく。いただきまーす!」
    「はい、どうぞ」
     揃って合わせた手を解いて、まずは味噌汁を一口飲む。優しい味がじわりと体に染み渡って、ほう、と幸せのため息をついた。
     献立を見たところ、今日のユキは和食の気分だったらしい。鶏の照り焼きとブロッコリーの胡麻和えに始まって、筍の煮物に菜の花のおひたしとアサリのお味噌汁、そして炊き立ての白米が、なんとも美味しそうな顔をしてずらりとテーブルに並んでいる。お味噌汁のお椀を置いて、いい具合に味の染みた筍に箸を伸ばした。
    「筍の煮物、最高〜……」
    「ありがとう。春になると、食べたくなるよね」
    「なるなる! 昔は、お金がなくてつくしのおひたしだったけどね」
    「あとタンポポとかね。懐かしいな」
    「普段から筍を買えるようになったなんて、オレたちも立派になったもんだよねえ」
    「本当にね」
     二人して筍をつまみながら、くすくす笑い合う。それから、ユキは何かを思い出したように尋ねた。
    「そういえば、なんであんな昔のやつ見てたの?」
     不思議そうな顔を見つめ返して、筍を飲み込んでから口を開いた。
    「ユキのドラマはどれも定期的に見返してるけど、今日は久しぶりに恋愛ドラマのユキを摂取したい気分だったんだよね」
    「ふうん」
     問いかけに答えてはみたものの、いまいちピンとこなかったらしい。納得のいっていない表情にちょっと笑ってしまいながら、嘘にならない程度の言葉を返した。
    「もちろん、硬派なお仕事ドラマとか、時代劇に出てるユキもイケメンだけどさ。ファンとしてはやっぱり、恋愛物に出てるユキを見てキャーキャー言いたい! って気持ちもあるわけ」
    「そうなの?」
    「そりゃそうだよ! ユキ主演の恋愛物といえば、今や伝説級の代物だもん。今日はサブスクで観てたけど、DVDも全作擦り切れちゃうってくらい何度も観てるんだから」
     えっへんと誇らしげに胸を張るオレを見て、ユキは呆れたように笑った。
    「いつでも本物に会えるのに?」
    「そうだけど! ドラマのユキには、画面越しにしか会えないじゃん? ユキみたいな彼氏がいたらめちゃくちゃハッピーだろうなーとか、オレもユキとドラマみたいな恋愛したいなーって妄想しながら観るのが楽しいんだって!」
    「へえ」
     キャッチボールにもならないシンプルな相槌に噴き出す。わかっちゃいたけど、全く理解していなさそうな返事だ。生まれてこの方、ずっとキャーキャー言われる側だったユキには、ドルオタの気持ちは想像もつかないらしい。
     まあ、そんなとこもユキらしくて最高なんだけど。
     うんうんと一人で頷いていると、ユキは何かを考えるみたいに少しの間黙ってから、静かにお箸を置いた。
    「してみる?」
    「ん?」
    「僕と」
    「何を?」
    「恋愛。してみたくない?」
     とんでもない台詞を聞いて、手の中からお箸がポロッとこぼれ落ちる。
     今、何を言われたんだろう。たった二フレーズの言葉を処理できずに、頭の中ではてなマークが散らばる。恋愛。してみたくない? してみるって……つまり、誰と、何を?
    「だから、僕と。恋愛」
    「……は?」
     頭の中で繰り返したと思った問いは、どうやら口に出ていたらしい。返ってきた答えがやっぱり信じられなくて、即座に右手で頬をつねった。
    「痛い……」
    「何やってるの。はい、新しいお箸」
    「あ、ありがとう……」
    「それで? どうする?」
     どうするも何も、マジで何言ってんだろ。絶句したまま、受け取ったお箸を箸置きに置く。ヒリヒリと痛む頬をさすりながら、美貌の相方をまじまじと見つめた。
     薄らと笑みを湛えたユキは、いつも通りのイケメンだ。精緻に整った造作には、寸分の狂いもない。ユキという奇跡をこの世界に生み出してくれたご両親と神様に感謝しつつ、さもなんでもないことであるかのように投げかけられた問いかけに返した。
    「そりゃ、めちゃくちゃしてみたいけど……いいの?」
    「いいよ」
    「本当に?」
    「本当に。僕はモモのための神様だから、モモのお願いならなんだって叶えてあげるって、前にもそう言ったじゃない」
     そんな都合のいいこと、言われてたっけ。パッと思い出せずに、大急ぎで記憶を探る。そういえば、新春ライブのアフタートークで、確かにそんなことを言っていたような……。淡い口約束を思い浮かべてから、驚きに目を見開いた。
    「確かに言ってた……けど、こんなのもアリなの!?」
     混乱したまま、叫ぶように問いかける。あるかないかの笑みを浮かべたまま、ユキははっきりと頷いた。
    「じゃあ、決まり。今から僕はモモの彼氏ね」
    「わーい、やったー……!?」
     こんなうまい話があっていいわけ!? と内心で戸惑いつつ、いいことをしたとばかりの満足げな表情に逆らえずに、やけくそじみた歓声と一緒に両手を上げた。
     嘘だろ、これって現実? 目の前の出来事をいまだに信じられずに、今度はテーブルの下で太腿をつねる。思いっきりつねった右腿がやっぱり痛くて、それだけに余計に混乱した。
    「ふふ、喜んでくれてよかった」
    「ユキが彼氏だなんて、喜んじゃうに決まってんじゃんか!」
     冗談めかした台詞を吐きながら、涼しげな笑顔の裏を探る。もしかして何かの企画とかじゃないよな? としばらくの間観察して、この際それでもいいじゃないかと、胸のうちで力強くガッツポーズをした。
     ただのお遊びだって構わない。気まぐれだとしても万々歳だ。
     だってオレは、本当にユキのことが好きなのだから。
     気がついたのがいつかなんて、曖昧すぎてはっきりとは言えない。そうなることが当然なのだと、ユキを好きにならないことの方がありえないのだと、後になってそんな風に思うほどに、気がついたら好きだった。
     思いに蓋をする苦しさはあれど、神様に手が届くはずがないと、ただひたすらにユキを見上げられていた頃は、まだ気楽な恋だった。自分ではユキに釣り合わないと思っていたし、神様みたいな人と恋人同士になるだなんて、遠すぎて想像もつかなかった。
     恋心に苦しむようになったのは、ここ一年くらいの話だった。一年前に何があったのかって、オレの心の根幹が揺らぐ出来事があったのだ。
     ユキは神様じゃない。迷いもすれば悩みもする、自分と同じ一人の人間だ。夕日に照らされた海岸線で、そのことにひとたび気づいてしまったら、もう思うことを止められなかった。
     本当に好きになってしまったとはいえ、オレたちはアイドルでユキは大事な相方だ。恋愛の意味でも大好きですだなんて、考えなしに打ち明けるわけにはいかない。自分が楽になりたいからって、一方的に押しつけることはしたくなかった。
     それに、ユキが恋愛を求めているとは思えない。だって、恋はポケットティッシュだなんて言う人だ。下手に気持ちを伝えたせいで、ユキに嫌われた上にグループ解散の危機を迎えるなんてまっぴらごめんだった。
     この関係が崩れるなら、オレの恋心は一生報われなくていい。一緒にいられるだけで十分じゃないか。今のままでも幸せだ。だから、この思いは墓まで大事に持っていこう。そう覚悟を決めていただけに、降って湧いたようなチャンスにオレが飛びつかないはずもなかった。
     いつもの夫婦漫才の延長でも、期間限定のおふざけだって構わない。むしろその方が諦めもつくというものだし、楽しかったねと笑顔で終われてラッキーだ。言い出しっぺのユキだって、そのうちに飽きて自然と別の遊びをしたくなるかもしれない。そうしたらその時は、ありがとうと笑って相方のオレたちに戻ればいい。未練なんて抱く方がお門違いだ。どう転んでも、オレにとっては痛くも痒くもなかった。
    「まずは?」
    「ん?」
    「しばらく恋愛物に出てないから、どういう感じか忘れちゃった。まずは何からしたらいい?」
     できるだけモモの理想の通りにするよ。魅力的すぎる提案に、どうしようかと考えを巡らせた。
     企画脚本に演出まで、全部を自分で決められるなんて最高だ。なんでも叶えてもらえると言われて、楽しみにならないわけがなかった。
    「んーと、まず二人が出会うのは……や、ちょっと待って。設定からちゃんと考えるね」
     両手を上げて、タイムアウトを要求する。せっかく恋愛ドラマみたいなユキを間近に拝めるのだから、設定はこの上なく重要だ。
     俺様社長もいいし、お医者さんも捨てがたい。そういや、二年くらい前に演じてた凄腕外科医の役も最高だったな……。いやでも、どうせならまだ演じたことのない役柄も見てみたい。あーん、どれも捨てがたくて悩んじゃう。
     ユキに似合う配役なんて普段からあれこれと考えているくせに、いざ一つしか選べないとなると迷ってしまって決められない。どうしよう、と困り果てたオレを見て、ユキはちょっぴり呆れたように苦笑した。
    「細かいな。じゃあ、設定はアイドルの僕で決まりね。モモも今のまま、Re:valeのモモで」
    「えー? ユキ、もう面倒になってない?」
    「そんなことないよ。お互いに本人設定の方が、リアルでいいかなって」
     そう言われると、確かに魅力的に思えてくる。いつものオレたちのまま擬似恋愛ができるなんて、オレにとっては願ってもないシチュエーションだ。いいかも、と顔を輝かせて頷くと、ユキは薄く笑んで口を開いた。
    「それにさ」
    「それに?」
    「アイドルの僕と恋愛できるの、モモだけだよ」
     どう? と得意げに尋ねる声が耳の中でこだまする。自信に満ちた表情に呆気なく心臓を撃ち抜かれて、ぐうの音も出なかった。
    「大抵の役は今までにやったことあるし、なくてもこの先どこかでやるだろうし。でもアイドルの役で恋愛ドラマに出ることは多分ないから。そんな役をやったら、おかりんの胃が溶けてなくなっちゃうかもしれないしね」
    「あはは、それは確かに」
     ほとんど本人役みたいな役柄で恋愛ドラマに出るなんて、あまりにリアルすぎて荒れる想像しかできない。なんでそんな仕事を受けたのかと、ユキのファンから長文のお気持ちメールが大量に届きそうだ。その上、また相手役から言い寄られでもしたなら、久しぶりに新たな共演NGの相手が生まれてしまう可能性もある。あいたた……と胃をさするおかりんの姿を想像して、小さく笑いながら頷いた。
    「ねえ、モモ」
    「ん?」
     すっかりおかりんの胃に思いを馳せていたところで、名前を呼ばれて前を向く。綺麗な瞳が驚くほど真っ直ぐにオレを見つめていて、何も言えずに息を呑んだ。
    「モモはアイドルの僕と恋愛、したくない?」
    「したいに決まってるよぉ……」
     脳直で返した言葉の語尾には、ハートマークがついていたと思う。間違いなく。
     
     それから何秒経ったのか、おーい、と声をかけられてようやく現実に戻ってきた。
     どうやら、あまりのユキの格好よさに意識が飛んでいたらしい。目の前でヒラヒラと揺れる手のひらを見て、ホワイトアウトしていたことに気がついた。
     ユキのイケメンっぷりといったら、本当に天井知らずだから嬉しい一方で困りものだ。ごめんごめん、と返してから、はて何の話をしてたんだっけ、と途切れる前の記憶を手繰った。
    「えっと、今のオレたちってことは、出会い編はもう終わっちゃってるから、その後からのスタートだね」
     そうそう、設定をどうするかって話だった。限りなく真面目にそう言うと、ユキは可笑しそうに笑い声を漏らした。
    「出会い編とかあるんだ。ウケる」
    「出会いが大事なんだって! 運命的に出会った二人が、なんやかんやぶつかり合いながらも次第に好意を持つように……ってのが恋愛ドラマの定石じゃん?」
    「まあ、わかるけど。僕たちはもう出会ってる。どうする?」
     楽しげに問いかけられて、再び頭を捻った。憧れのシチュエーションなら数えきれないくらいにたくさんある。脳内にずらりと並んだ引き出しの中から、ユキとの恋にふさわしいものはどれか……とじっくりたっぷり考えて、浮かんできた案に手を叩いた。
    「うーん……この状態から始まる恋愛ドラマかあ……あ!」
    「何か思いついた?」
    「契約結婚だ」
    「は?」
     予想外の提案だったのか、ユキの目が丸くなる。我ながら最高の思いつきだ。渾身のアイデアに惚れ惚れしながら、驚くユキに説明した。
    「あのね、会社の利になるからって、社長に無理やりお見合いをさせられそうになったユキが、苦肉の策でオレに頼むの。結婚なんてしたくない、よく知らないヤツに時間を取られて音楽と向き合う時間が減るなら、結婚に意味なんてないって」
    「へえ」
    「オレはオレで、相方の結婚だなんてアイドル活動に影響が出るから、そもそも結婚自体に反対なわけ。だから誰にも内緒で自分がユキと契約結婚することでスキャンダルを阻止できるなら、利害は一致してるって話になって……っての、めちゃくちゃよくない!?」
     早口にそこまで話してから、わくわくとユキの反応を窺う。いいんじゃない? と同意の言葉が返ってくると思いきや、ユキはひょいと肩を竦めた。
    「まあ、現実なら断るけどね。凛太郎より僕の方が偉いし」
    「んもー、ドラマなんだから細かいことはいいの!」
     妙なところで現実主義なユキに笑ってしまいながら、社長の要求を突っぱねる姿を想像する。確かに現実なら、ユキだけでなくオレやおかりんからも大ブーイングが起こるだろう。どこの馬の骨とも知れない相手に、大事なユキを渡すわけにはいかない。四方八方から責められて、結局要求を引っ込めることになる社長の顔が目に浮かぶようだった。
    「ごめんごめん。それで?」
    「それで、ユキとオレは世間では仲良しデュオって言われてるんだけど、実際は性格が正反対だから、裏では結構ぶつかってるのね。オレはがむしゃらに努力努力努力! って感じでとにかく突っ走るタイプなのに対して、ユキは何でもソツなくこなしちゃうし、クールで反応も冷めてるから、オレはそれが物足りないのと悔しいのとで、すっごいライバル視しちゃうんだよね」
    「ふうん」
    「オレがどんなに必死で努力してもユキにはちっとも敵わなくて、自分には才能がないのかも……と思ってたところに、たまたま深夜のレッスン場で一人で踊ってるユキを見つけるの。それまでは、ユキは大して練習なんてしなくても、なんでも完璧にできる人なんだって思ってたんだけど、実はユキも見えないところでめちゃくちゃ努力してるんだってことを知って、少しずつ惹かれていく……みたいなの、どう!?」
     話しながら興奮してきてしまって、勢いに乗って尋ねる。鼻息も荒く見つめると、ユキはふっと笑ってこう言った。
    「それ、さっきモモが観てたドラマの話じゃない?」
    「あ、バレちゃった? オレ、あのドラマ大大大ッ好きだから、全部のシチュエーションに憧れてんだよね」
    「でもあのドラマ、契約結婚の話じゃないよ」
    「そうだけど! こうしたら、対立関係からの歩み寄りと、契約結婚と両方味わえてお得じゃない?」
    「そんなもの?」
    「そんなものなの!」
     自信たっぷりに言い切ると、ユキは「へえ」と頷いた。ちっとも響いていない気がするけれど、まあユキだから仕方がない。薄味の反応に笑みをこぼしてから、再び箸を手に取った。
    「オレ、ユキと付き合ったらやりたいこといっぱいあるから、後でちゃんと書き出さなきゃ。本当に、全部やってくれる?」
     確かめるように問いかけると、ユキは二つ返事で頷いた。
    「いいよ。やるなら本気でやろう。演技には遊びを入れたとしても、遊びの演技はしないって、僕も決めてるからね」
    「ユキ、イケメンだよぉ〜〜ッ」
     我慢できずに黄色い声を上げたところで、知ってる、とお馴染みの答えが返ってくる。頼もしい言葉と結んだ約束が嬉しくて、ひとりでに頬がとろけた。
     
     
     
     夕飯の片付けを終えると、オレたちは再びダイニングチェアに腰を下ろした。
     結局、契約結婚の設定はユキがあまりに興味がなさそうだったので断念した。
     曰く、あんまり自由すぎるとモモが決められないみたいだから、もう付き合ってるってことでよくない? だそうだ。
     ちょっぴり適当になっている気もしたけれど、わがままを叶えてもらっている手前文句は言えない。付き合いたてのカップルだということにして、シンプルにユキと味わいたいシチュエーションやシナリオを全部やってもらうことになった。
     タブレットのメモ帳に叶えたいシチュエーションを書き出しながら、たまにユキが淹れてくれた紅茶を啜る。すごい勢いでメモ帳を埋めていくオレの様子を、ユキは台本を読む合間に眺めては、面白そうに笑っていた。
    「できたあ……!」
    「もう? 早いね」
     達成感に満ちた声を聞いて、ユキが台本から顔を上げる。驚いたような顔をされて、照れ交じりに笑ってみせた。
    「えへへ、ユキと恋愛できるって思ったら、やりたいことが溢れてきちゃった」
    「可愛いこと言うじゃない。見せて……って、何行あるの、これ」
    「多いかなとは思ったんだけど、どのシチュも外せなくてさー……待って、もしかして今後の追加ってNGだったりする!?」
     思いつく限りのことは書いたけれど、これから先、これ以上に魅力的なネタが出てこないとも言えない。わたわたと焦って問いかけると、ユキはぷっとふきだしてから首を振った。
    「しないしない。モモがしたいことを全部やるまで、ちゃんと付き合うから安心して」
    「やったあ、ユキ、ありがとう!」
     なんともジェントルな答えが返ってきて、嬉しさに笑みがこぼれる。まずは何からしたい? と尋ねられて、テーブルの上に身を乗り出した。
    「えっとね、夜景の綺麗なレストランでデートするのは必須でしょ。あと、オレの姉ちゃんを彼女だと思い込んだユキがめちゃくちゃ嫉妬する展開も見てみたいし、オレが風邪ひいた時にはかいがいしく看病してもらいたいのと……不意打ちでスキンシップしてくれるのとかも、すっごくキュンとしちゃいそう!」
     メモ帳を人差し指でスクロールしながら、とめどない望みを矢継ぎ早に語る。これも、それからこっちも。あ、これもしたいんだった! と夢中になって手と口を動かす一方で、へえ、とか、ふうん、などと伝わっているのかさっぱりわからない相槌を打つ笑い交じりの声が気になって、指を止めて顔を上げた。
    「もう、聞いてる?」
    「聞いてる。それより、油断しないでね」
    「へ?」
     タブレットを触っていた右手にユキの手のひらが重なって、指先を優しく掬い上げられる。すい、とそのまま引き寄せられるのをどこか他人事のように眺めていると、指先にチュッと唇が落とされた。
    「もう始まってるから、僕から目を離さないで」
    「〜〜ッ待って、これ、もう無理かも……」
     何の予告もなく致死量のイケメンムーブをかまされて、空いた左手で胸元を押さえながらテーブルに突っ伏した。甘い台詞が耳に残って、脳がドロドロになっていく。柔く握られた指先から体中に熱が走って、そのまま溶けてしまいそうだ。耐えられずにギブアップしたオレを見て、ユキは満足そうにくつくつと笑った。
    「不意打ちのスキンシップって、これで合ってる?」
    「合ってるけど、いきなりはずるいよぉ……」
    「事前に言ったら、不意打ちじゃなくなるけど」
    「そうだけど! 心の準備ってものがさあ……!」
     ごめんごめん、と頬を緩めたユキを恨みがましくじっと見つめて、それから、まったくおちゃめさんなんだから、と笑みをこぼす。合図もなく始まったお遊びに高鳴る胸の音を聞きながら、ユキの手をキュッと握った。
     たとえ遊びだとしても、ユキがオレの彼氏だなんて、幸せすぎて夢みたいだ。
     このメモが尽きるまでは、ユキはオレの恋人でいてくれる。そう考えたら、今の数では全然足りない気がしてきた。
     願いごとの数がゼロに近づいたら、オレは寂しさに苦しむのかも知れない。だけどそれでも構わない。その苦痛と引き換えにしてでも、ユキの恋人になりたかった。
    「モモ?」
     急に黙ってどうしたのかと尋ねる声に、なんでもないと笑ってみせる。起こってもいないことをごちゃごちゃと考えたって仕方がない。それよりも、せっかくユキが提案してくれたのだから、今を素直に楽しめばいい。未来のオレに聞いたって、きっとそう言うに決まっている。
    「これから、すっごく楽しみだなーって!」
    「そう」
     繋いだ手を子どもみたいに揺らしながら、ユキの目を見て笑みを浮かべる。
     触れた指先が温かくて、やっぱりもうすでに離しがたかった。
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